第4話 それぞれの思惑

「なんなんだろうね。あの態度。なりふり構わず喚き散らしてさ」


 サマトの言葉は辛辣だったが、ここにいる全員が考えていることのように思われた。


「そう言うな。根は良い奴なんだ」


 直に暴力を振るわれたイーガルが、彼を庇う。


「根は良い人って免罪符があれば、どんな態度を取ってもいいってわけじゃないでしょう。まるで歳だけ取った子供だ。彼はチームの協調を乱している」


 サマトはなおも厳しく評する。争いを好まない者にとっては、迷惑を通り越して嫌悪感を抱くのだろう。


「そうだよ。あんな言い方することないのに……」


 続いてリジュが呟いた。みんなの気持ちを代弁したというより、沈黙の重さに耐えきれなくなったからだ。それだけでなく、以前から抱いていたストレスを、この際聞いてもらおうと漏らした感じだ。


「あいつがどんなに喚こうが、これはみんなの意思による決定だ。全員持ち場に戻れ。調査をしないと決めたからって、やることがなくなったわけじゃないぞ」


 イーガルが立ち上がって発破を掛けた。それはクルーに活を入れたというより、淀んだ空気を吹き飛ばすためのように映った。


「差し当たっては、重力子発生装置の点検だな」


 この時代の宇宙船は、どんなタイプにも重力子発生装置が標準装備されている。

 宇宙への進出が当たり前となり、一般人でも手軽に飛び出せるようになっても、重力から開放されるのは容易なことではない。せっかく重たさという煩わしさから離れられたのに、無重力状態に慣れないで意識が朦朧とする人が後を絶たないのが現実で、船内に地上と同じような重力を生じさせるのは必須であった。

 ましてや船内で生活をする調査師団の船なら、重力の恩恵は必要不可欠だ。宇宙に出て初めて実感するが、重力は思っている以上に生活に密着しているエネルギーなのだ。

 イェルンは、露骨に顔をしかめた。


「点検するってことは、その間は装置を止めておくんだろ? 俺、無重力状態って嫌いなんだよな。なんだか不安になる」

「そんなんで、よく調査師団に参加したね」


 エマは意外そうだった。宇宙に飛び出す以上、無重力など問題にしない者が集まっていると思っているに違いない。


「美味い魚を食いたきゃ、苦手だろうが海の中に飛び込まなきゃならないだろ。それと一緒だ」

「変な例え。あなたにとって、宇宙には苦手を押し退けてでも手に入れたいものがあるってこと? イズミールとは別に」

「まあ、そうだな」

「へえ……それってなんなの?」

「……私も興味あります」


 アディが会話に加わってきた。リジュとサマトは、特に関心はなさそうで、イーガルと点検の手順を話し込んでいる。


「ん~……そんな大したもんじゃない。人に話すほどのもんじゃないよ」


 イェルンは2人から逃げるように、イーガルに注意事項を確認し始めた。


「なによ。気になる言い方ね」


 2人がしつこく追及してこなかったので、内心ほっとした。質問を始めたエマよりアディの方が残念そうにしているのが気になる。だが、本当に人に聞かせるほどの夢ではない。説明するには曖昧過ぎることだし、子供っぽいと笑われるのが目に見えてるから言えないのだ。


「点検はすぐにも行うぞ。動いたらまずい物は固定しておけ。わかってると思うが、点検が終わるまでは風呂には入るなよ。宇宙で溺死なんて笑えないからな」


 イーガルが言ったことは、冗談ではなかった。宇宙で溺死。これは実際にあった事故だ。クルーの1人が入浴中なのを知らなかった別のクルーが、重力子発生装置を切ってしまった。その結果、大量の水が球状になり、入浴していた女性が取り込まれ溺れ死ぬという悲惨な事故が発生したのだ。無重力という慣れない状況を、軽く考えていたために招いた愚行だった。

宇宙は愚か者には容赦なく牙を剥く。


「それじゃ手分けして、道具の固定から始めようよ。まずは自分の部屋にあるものからだね。1時間もあればできるでしょ」

「僕は調理器具を片づけなくちゃ。命の次に大事なものだからね」


 リジュとサマトはさっさと出ていった。行動が早いというより、ミィーティングルームに留まるのを避けたからだった。


「ビーズにも知らせる。点検は彼にやってもらわなくちゃならないからな」 


 ビーズはカ・シィーツォの機関士兼整備士だ。船内の機器類はもちろん、脱出艇やドロップポッドの整備も彼が担当する。もちろん、1人に押し付けることはなくみんなで協力するが、もっとも技能が優れたビーズが整備点検時のリーダー格となる。


「わ、私が知らせてくる」


 エマが申し出た。言い合った後なので気を利かせた……わけではなさそうだ。妙に焦った言い方に、なにか裏があるのだと勘繰ってしまう。


「……分かった。頼むよ。1時間後に装置の所まで来るように伝えてくれ」


 イーガルも不思議に思っているだろうに、態度には一切出さなかった。


「分かった」


 エマが出ていき、ミーティングルームにはイェルンを含めて3人が残された。


「……本当に、このまま帰還していいのか?」

「残念だけど、みんなの意見を無視するわけにはいかないからな。ビーズはああ言ってたけど、俺にはリーダーとしての責任がある。リジュ、おまえは片付けは良いから、航路を設定し直して帰路に就くようにしてくれないか」

「了解」


 身体を使うよりクリュモエントゥと向き合っている方が、気が楽なのだろう。リジュは返事をするとさっさとブリッジへと向かった。

 指示を出すイーガルの声に覇気がないように感じられ、イェルンは気を回してしまった。フィギュアキャプテン不在の今、技術面だけではなく精神面でもイーガルの支えにならなければならない義務感に似たような気持ちがある。


「……適切な判断だったと思う」

「でも……」


 イーガルは口元を上げた。なんとなく皮肉を含んだ笑みに見えた。


「ビーズが言った通り、何十年後に後悔するとしたら、それはきついな……」


 最後のセリフはイェルンに言っているというより、独り言のように聞こえた。しかし、その呟きは耳の奥まで滑り込み余韻を残した。

 


 エマは遠慮しがちにインターホンを押した。しばらく待ったが、反応がなかった。しかし、室内のモニターには、彼女の姿が映っているはずだ。

 部屋にいるはずだと思い、もう一度押した。


「なんだよ?」


 今度はすぐに返事があった。さっきのことがあったせいか、無愛想な声だ。


「こ、これから重力子発生装置の点検をするんだって。整備はあなたの担当でしょ」


 ドアが音もなくゆっくりと開いた。宇宙船内の扉は、怪我や事故が発生しないように、どのドアもゆっくり開閉するように作られている。

 声に負けないくらいの無愛想な表情で、ビーズは立っていた。

 エマは少しだけ尻込みする思いだったが、持ち前の気の強さを発揮して毅然とした態度を維持した。


「1時間後には始めるから、それまでに物を固定して、装置の所まで来てちょうだい」

「分かった。1時間後だな」


 言いながら、ビーズはエマの目を直視してきた。

 エマは視線を逸らすことなく、正面から受け止めた。


「な、なによ?」

「……さっきは悪かったな。手、痛かっただろ」


 まったく予想もしていないことを言われ、思わず狼狽えてしまった。先程叩かれた手の甲を抑える。


「別にどうってことないわよ。それより、ちゃんと来てよね」

「わかってる。仕事を放棄したりしねえよ」


 イーガルは、ビーズのことを根は良い奴と評していた。彼が言う以上は根拠がある。おそらく、こういった真面目さを有している点も評価の対象なのだろうなと思った。


「じゃあ、伝えたからね」


 エマは戻ろう踵を返した。その背中にビーズが話し掛ける。


「おまえは賛成派だったな。危ないとは思わなかったのか?」


 またしても意外な質問を投げ掛けられ、エマはしばし考えた。


「……そりゃ危険はあるでしょうけど、このまま手ぶらで帰るのも癪じゃない。イーガルだって賛成したんだから、多数決なんて言わないで、決行しちゃえば良かったのよ。彼は良い人だけど、リーダーとしては優しすぎると思う」

「そうか……。それじゃ、後でな」


 エマは本音を吐き出したのに、ビーズの反応は淡白だった。不満を感じたが毛羽立っていた気持ちが心なし丸くなっていることに気づき、少し心が軽くなった。

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