第6話 受け止めたもの

 頭上で音が聞こえそうなくらいギリギリの距離で、漂流物が通り過ぎていった。あまりの迫力に、悲鳴は枯れ果て声も出ない。


「まだ来るぞっ!」


 安心する暇もなく、第二陣が襲い掛かってきた。

 迫ってくる漂流物は、かわした物よりも小さかったが、それでも放っておけるものではない。激突したなら大破は免れないスピードで迫ってきていた。


「イェルンッ! 避けろおっ!」

「間に合わないっ! なにかにしがみつけえっ!」


 叫びながらも、イェルンは操舵する。その手腕は見事で、かなりの訓練を重ねたことを容易に想像させた。しかし、いくらなんでも状況は過酷だった。

 一つが外壁を擦めて通過した。船体を舐めるように触り、そのまま遠のいていく。

 それでも発生した振動は肝を冷やすもので、あちこちから悲鳴が上がった。


「やったっ?」


 リジュが立ち上がろうとするが、イェルンが怒鳴ってそれを止めた。


「まだだっ! もう一つ来るっ!」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで、漂流物が視界から消えた。全員が我が目を疑った。回避できたのだと思うまで、思考が麻痺してしまった。


「たすっ?」


 歓喜の叫びが口から飛び出す前に、もの凄い衝撃にカ・シィーツォ全体が揺れた。


「きゃああああっ⁉」


 濁流が襲ってきたようなショックに、全員が弾けるような衝撃を受けた。立っていることなど不可能だった。諦めにも似た生命の危機が過った。だが、衝撃が収まると今度は恐ろしさに緊張した。生き延びたいと訴える生存本能の渇望だった。


「みんなっ、無事かっ!?」


 イーガルがいち早く立ち上がった。


「衝撃に備えていたおかげで、怪我をせずに済んだ」


 ビーズも、不安な面持ちで周囲に視線を巡らす。彼の言うとおり、なにかしらに掴まっていたため、大きな怪我を回避することができた。ただ、1人を除いては。


「リジュッ⁉」


 立ち上がりかけていたリジュだけが衝撃で弾き飛ばされ、壁に強かに打ちつけられた。頭をぶつけたのか、流血しておりピクリとも動かない。

 エマが駆け寄って具合を確認した。

 全員が息を飲んで様子を伺う。

 エマは長い息を吐くと、表情を和ませた。


「気を失ってるけど、大丈夫。念のため脳をスキャンした方がいいと思う」


 リジュの無事が確認されたが、互いに抱き合って喜べる状況ではなかった。依然、警報は鳴り続けている。


「イェルン、現況を調べてくれ。カ・シィーツォのどこかに激突したんだ」

「ああ。クリュモエントゥに調べさせる」


 クリュモエントゥは瞬時に回答を弾きだし、スクリーンに映し出した。

 カ・シィーツォの見取り図が出て、一ヶ所が赤く点滅している。場所は船体の最後尾で、調査に使われる機材や探査車が置かれている格納庫だ。


「おいっ⁉ 漂流物が内部までめり込んで穴が開いてるぞっ!」

「まずいっ! 空気が漏れ出ているっ。すぐにブロックを閉鎖しろっ!」


 カ・シィーツォは七つのブロックに区切られており、それぞれを閉鎖したり切り離すことができる。メンテナンスや製造の効率化を考えて採用されている方式だが、いざという時には損傷の激しい部分をパージすることも可能だ。


「どうだ?」

「待て。今クリュモエントゥが調べている」


 表示された結果を素早く読んだイェルンは、思わず肩の力を抜いた。


「大丈夫だ。漂流物はそれほど大きくなかったらしい。めり込んではいるが損傷は軽微だ。修理すれば航行にも支障はない」


 全員が大きく息を吐き、やっと安堵が訪れた。破裂しそうなくらい張り詰めていた空気が、緩やかに萎んでいくのが分かる。


「呆けている場合じゃないぞ。やることはごまんとある。修理はもちろんだが、漂流物の調査や船内のチェックもしなければならない」


 イーガルの一声に、弛緩しかかっていた気持ちが再び張った。


「穴を塞ぐのが最優先だ。エマはリジュの手当てを、あとは一緒に来てくれ」


 やはり指示を出す者がいると、動きに芯が通る。リジュとエマを残して、あとのクルーは一斉に格納庫に向かった。



 格納庫は凄惨な様相を呈していた。入り込んだ漂流物が機材をなぎ払い、癇癪を起こした子供が玩具箱をひっくり返したようだ。

 閉鎖したおかげで空気の流出は止まっている。すなわち無酸素状態であり、宇宙服がなければ生存は不可能な領域になっているのだ。漂流物が上手い具合に栓になっていて、宇宙空間に吐き出された機材はそれほど多くないようだ。それに、重力子発生装置の点検のために機材を固定しておいたのも功を奏した。まさに不幸中の幸いというやつだ。

 しかし、全員の目が釘付けになったのは滅茶苦茶になった格納庫ではなく、異様な存在感を放っている漂流物だ。接近している姿をフロントウインド越しに見た時も思ったことだが、明らかに自然の物ではない。素材は金属でできているらしく、外壁には見たことのない模様が描かれている。

 感動とも畏怖とも表現できない感情に、全員が落ち着きをなくしている。


「これって……文字か?」


 手を伸ばしかけたイェルンを、イーガルが止めた。


「待て。触るな。まずは専門家に視てもらおう。ビーズ、頼めるか」

「ああ……」 


 ビーズは漂流物の外壁や形状、カ・シィーツォへの食い込み具合を調べた。


「ほぼ全体が食い込んでやがる。これじゃ引き抜くことなんかできねえぞ」

「そんな……どうするの?」


 不安そうなアディの声が、場の雰囲気を一層強張らせた。


「このまま栓にしちまって、隙間を埋めるしかねえな」

「待ってよ。これがなんなのかすら分からないんだよ? これって明らかに人工物だよ。未知の生物が製造した物ってことでしょ? 安全って言えるの?」


 サマトが早口で捲し立てた。

 声にこそ出さないが、サマトの疑問を否定する者はいなかった。まさか爆発物とは思えないが、やはり絶対に安全だという保証は欲しい。しかし、ビーズの返答は素っ気ないものだった。


「そんなの分かるかよ。生まれて初めて見るもんだ。絶対に安全だなんて言えるわけないだろ」

「でも……」

「計測器で調べたが、放射能はない。生命反応も確認されなかった。これがなんであるにせよ、勝手に動いて船を壊す事態にはならない。もっと詳しく調査するか? 何日掛かるか分からねえぞ」


 ビーズはわざと意地の悪い言い方をした。短気な性格で、自分の提案に横やりを入れられたのが気に入らないのだ。


「いや、充分だ。隙間は溶接して埋めよう。俺とビーズ、それからイェルンでやる。アディとサマトは機材のチェックをしてくれ」 


 格納庫に向かう時には一斉に動いたが、今は未知の物体が目の前にあるせいか、機敏に行動する者はいなかった。


「どうした? さっさと片づけるぞ」


 イーガルに尻を叩かれ、ようやく各自がやるべきことに向き合った。しかし、全員が謎の漂流物を背中で意識し、なにかを言いたげな態度を隠しきれずにいた。



 格納庫の片づけは重労働となった。イェルンたちが溶接作業をしている間に、アディとサマトの2人で行ったが、一つ一つをチェックし片づけていくのは、予想以上に地道で進まない作業だった。

 やっとのことで作業を終えた頃には、全員が疲労困憊していた。しかし、災難はこれで終わらなかった。イェルンが更に詳細に調べた結果、外壁をかすめて通過した漂流物もダメージを残していき、修理しないと航行に支障をきたすことが判明したのだ。


「おいっ? 航行に支障はないと言ったはずだぞ?」


 ビーズが言い迫るのを、イェルンはうんざりしながらいなした。


「それは格納庫に食い込んだ漂流物に対しての回答だった。外壁については今クリュモエントゥが弾き出した通りだ」

「くそっ。休む暇もないのか」


 一同に困惑の波紋が広がった。奇跡的に命を繋げたのに、一息つく暇もなく未だに命の危険に晒されていると知らされたのだ。数刻前までは順調だった旅が、いきなり窮地の真っただ中に立たされた。行くべき方向を見失った迷い子の心境だった。

 報告を聞いたイーガルも例外ではなく、絶望的な気分になった。リーダーとして気丈に振る舞わなくてはならないが、体が休息を求めている。なにもかも投げ出したい衝動に駆られるものの、課せられた使命とそれを果たそうとする責任感が弱気を押さえつけた。


「分かった。修理のために船外に出る。ビーズ、一緒に来てくれ」


 ビーズはなにか言い掛けて口を開けたが、一言も発することなく息を飲み込んだ。航行に支障が出ると言われた以上は誰かがやらなければならないし、それは整備士である自分の役目だと分かっているからだ。

 彼は幼稚な面があるが、仕事に対しては融通が利かないくらい生真面目なところがあった。それが問題を発生させる原因になることもあるのだが、今の状況ではその気質はありがたい。


「すぐに出るぞ。イェルン。俺たちが修理をしている間に、変えられたカ・シィーツォの進路を割り出してくれ。まさか、あの漂流物にぶつかるようにしたわけじゃないだろうしな」

「分かった。気をつけろよ」


 イーガルは手を上げて答えると、ブリッジから出ていった。ビーズもすぐ後を追うが、出る前にイェルンを一瞥していった。

 目が合ったイェルンは、意味ありげな視線が妙に気になった。

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