第7話 熾火のように
意識が覚醒し、明かりを目ではなく脳で感じた時、本気で自分は死んでしまったのだと思った。そして、死んだ後も意識は残るものだと思いゾッとした。
リジュは恐る恐るまぶたを上げた。見慣れない天井が視界に入り一瞬焦った。照明がやたら眩しく、心を塞ぐような無機質な感じがした。しかし、ベッドに寝かされていることに気づき、まだ死んではいないのだと胸を撫で下ろした。自分の馬鹿げた勘違いに、苦笑せずにはいられなかった。
「気がついた?」
声を掛けられて、やっと人がいたことに気づいた。
「エマ……ここは?」
「なに言ってるの。メディカルルームよ。あなた、頭をぶつけて気を失ってたのよ」
「ああ……」
道理で見覚えがないはずだ。カ・シィーツォのメディカルルームのベッドに寝かされるのは初めてだ。
「……みんなは?」
「無事よ。怪我をしたのはあなただけよ」
頭に手を当てると、治療された跡がある。少し鈍い痛みがあった。
「エマが治療してくれたんだ?」
「私は船医よ。自分の役目を果たしただけ。これ、薬渡しとくわ。痛みが耐えられないようなら飲んどいて」
エマが差し出したのはカプセルに入った服薬だった。6錠が包装されている。リジュは受け取りながら、自分の頭痛は長引くのかと心配になった。
「……カ・シィーツォの状況は? どうなってる?」
「漂流物の一つが格納庫に突っ込んで、大変なことになってる。あと、外壁が損傷してて、今イーガルとビーズが修理に出てるわ」
「大変じゃないか!」
身を起こした途端、頭に鋭い痛みが走った。思わず顔をしかめる。
「ちょっと、無茶しないで。脳にダメージはなかったけど、かなり激しくぶつけたんだから」
「……結局、カ・シィーツォの進路はなぜ変わってたんだ? どこに向かってるんだ?」
「質問ばかりね」
「そりゃ、こんなことが起こったんだから……」
「原因は未だに不明。進路はイェルンが調べてるわ。航路を戻す作業も続けてるわ」
「イェルン1人じゃ荷が重いな……」
リジュは、今度はゆっくりと立ち上がろうとした。
「なにやってるの。安静にしてなきゃ」
エマが慌てて肩を抑えたが、リジュは優しくどかした。
「僕はカ・シィーツォの航法士だ。君が自分の役割を果たしたと言うなら、僕だってそうする。脳は無事なんだろ?」
「気を失ってる間にスキャンさせてもらったけど、異常はなかった。でも、だからって……」
「大丈夫。でも、歩くのがちょっと億劫だから、肩を貸してくれるとありがたいんだけど」
エマには、リジュ頑固さが意外だった。存在感が濃いわけではない彼は、ちょっとした問題でも泣き言を漏らすタイプだと思っていた。
船医としては安静を勧めるべきだったが、非常事態で人手が必要なのも確かだ。
「……しょうがないな。でも、調子が少しでも悪くなったらすぐに言うこと。それが条件よ」
「分かった」
エマは不器用に肩を貸すと、リジュを支えて立ち上がった。憎まれ口を叩きながらも、エマの仕草は優しかった。きつい言い方に気遣う動作。ギャップにやられたわけではないが、リジュは妙にドギマギした。
「頭を打ったせいかな……」
「なんですって?」
「い、いや……なんでもない。早くブリッジに行こう」
慌ててごまかすが、心拍数が上がっている自覚があった。血の巡りが速くなったせいか、熱を伴った頭痛がひどくなった気がした。
傷ついた外壁を調べて、ビーズは安堵した。想像していたよりもダメージが軽かったからだ。さきほど味わった振動から、もっと大きな傷を付けられたと思っていたが、漂流物は本当に表面を舐めただけで通過してくれたようだ。これなら、簡単な処理で修復できる。少なくとも、格納庫での作業よりはずっと楽になる。
そのことを報告すると、イーガルもやっと表情を和らげた。リーダーとして、相当にプレッシャーを感じていたのだろう。
生真面目なこった。
ビーズは声には出さずに呟いた。馬鹿にしたわけではない。真面目なのは悪いことではないが、気負い過ぎると上手くいかないことなど世の中にはいくらでもある。どんな環境に身を置いても、拳一つ分は心に余裕を持たせなければならない。密着し過ぎた歯車が回らないのと同じだ。なにごとも、隙間があるから潤滑に事が進むのだ。
人間関係も同じだ……。近づき過ぎると、余計なトラブルに巻き込まれる。
イーガルが優れた人材なのは認めるし、スタッフ・キャプテンとして搭乗したのも頷ける。
いざという時の状況判断や指示の出し方は、コンピューターのように滑らかで正確だ。しかし、だからこそビーズには不安があった。コンピューターは自分がはじき出した解答が間違っているなんて考えない。一度導いた解を変更することなく、頑ななまでに柔軟性を排除する。だが、コンピューターが故障する原因なんていくらでもある。外部からの衝撃だったり、不正プログラムだったりがそれだ。ちょうど今のクリュモエントゥが進路を変更してくれないように、彼の真面目過ぎる性格が大きな問題を引き起こさないとも限らない。
「ビーズ?」
イーガルの呼び掛けに、ビーズは我に戻った。本人を目の前にして危惧の念を掘り下げ過ぎた。
「どうした? ぼうっとして」
「なんでもねえ」
「疲れが溜まってるのか? 修理が思ったより簡単なら一度休憩を入れて……」
「なんでもねえったら。ちゃっちゃと済ませるから、ドライバー取ってくれ」
「分かった」
つっけんどんな態度を取っても、イーガルは不快さを見せない。それもビーズにとっては不気味に感じる一面だった。
イーガルからドライバーを受け取り、作業に取り掛かった。
しばらくは無言の時間が続いた。男2人のうえ、お喋りに興じるような間柄でもない。それもあるが、やはり不安で頭がいっぱいになっていることが大きかった。なにせ一歩間違えれば、ビーズたちの旅はここで終わっていたのだ。
詮もない考えが次々と浮かんでくる。手が遅くなっていることに気づき、ビーズは己を叱咤した。宇宙空間での作業中に考え事など自殺行為だ。そう思い意識を集中しようとしたところで、ふいに手首のオムニックが振動したので摘んでいたネジを離してしまった。
かっと頭に血が上る。通信してきたのはイェルンだった。
「なんだっ? 作業中に連絡なんかしてくんじゃねえっ!」
イェルンからの交信が一拍遅れた。いきなり怒鳴られたので驚いたのだろう。
『……なにかあったのか?』
「どうもしねえよ。だがな、宇宙空間じゃネジの一個が凶器になり得るんだ。もっとタイミングってもんを考えろ」
先程まで意識が散漫になっていたことを棚に上げ、ビーズは怒鳴り続けた。オムニック越しにイェルンの辟易した様子が伝わってきたが、知ったことではない。命が掛かっているのは本当のことなのだ。
『……すまなかった。イーガルに連絡しようとしたんだが繋がらなかったんだ。イーガルはいるのか?』
「隣にいるよ」
当のイーガルは、作業をしていたビーズがいきなりオムニックに向かって怒鳴りつけたので、怪訝な表情していた。だが、状況は把握したようだ。自分のオムニックを操作し、通信を始めた。
「イェルン?」
『イーガルか? そっちからは繋がるな。おまえのオムニックが繋がらなかったから、ビーズに連絡したんだ』
「すまない。気づかなかった。さっきの衝突の時にぶつけでもしたかな。あとで修理に出しとく。それで、どうかしたのか?」
『ああ。リジュが気づいた』
「本当か? 良かった」
『それはいいんだけど、カ・シィーツォが航路を外れた原因と、どこに向かってるかを調べるって、ブリッジに来てるんだ』
「なんだって? 安静にしてなくて大丈夫なのか?」
『エマとしてはそうしてほしいらしいんだけど、リジュのやつが頑固でさ』
イーガルには、痛みに耐えて自分の席から離れようとしないリジュの姿が容易に想像できた。
クルーの性格や傾向を把握しているわけではない。しかし、彼は人づきあいが不器用な分、物や仕事に気持ちをぶつけて自分を主張する気質があると思っていた。しばし迷ったが、コンピューターに詳しい彼が仕事をしてくれるというのなら、イェルンは心強く思うだろう。
「彼のしたいようにさせてやれ。ただし、近くにエマを待機させてな」
『いいのか?』
「今は緊急事態だからな。戦力になるなら多少の無茶も容認するさ」
「分かった。そっちはどれくらい掛かる?』
「思ったより軽症らしい。それほど掛からないだろう」
『そうか。気をつけてな』
イェルンとの通信を切った。ビーズを見ると、黙々と作業を続けていた。
視線を彼から離して、遠方を見る。カ・シィーツォでの喧騒など嘘のような静けさだ。寒いくらいに静か過ぎる。
イーガルたちの人類存続を賭けた壮大な旅も、この宇宙の中では無きに等しいちっぽけなものなのかも知れない。
いや、違う。
イーガルは首を大きく振った。
命ある者が生き延びたいと欲するのはごく自然なことで、その行為に大きいも小さいもない。そもそも宇宙と命とでは、比べる対象にはならない。自分らしくもない。極度の緊張から脱したので、ナーバスになっているんだ。
そう自分に言い聞かせて、彼は作業に戻った。
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