第2話 分岐点

 イーガルは、このカ・シィーツォのリーダーだ。キャプテンではなくリーダーと呼ぶのは、とある事情による。

 粗野なビーズも、イーガルだけには反抗的な態度が鳴りを潜める。イーガルは格闘術に熟達しており、もし闘うことになっても勝ち目がないのを知っているのだ。それに、それ以前に彼が醸し出す高い壁のような圧力が、戦意を抑えられるからだ。30〜40代の大人でも、イーガルに強い態度で出る者は滅多にいない。


「大声出さなきゃならないほど、深刻な問題が発生したのか?」


 ずいと迫るイーガルに、ビーズは聞こえない程度の舌打ちをした。


「なんでもねえ。もう終わった」


 吐き捨てるビーズ。

 イーガルは、視線をイェルンに移した。彼は肩をすくめて同意を示した。本当ならビーズの幼稚さを訴えてやりたかったが、今日に始まったことではない。イーガルも、トラブルの発端はビーズにあると分かっているに違いない。

 ビーズが不貞腐れて出てこうとする。


「20分後にミーティングルームに集合だ。報告がある」


 イーガルはビーズの背中に声を掛けた。ビーズは無言のまま出ていく。

 ビーズの姿が見えなくなってから、アディが頭を下げた。


「すみません。私が悪いんです……」

「どうせ、たいしたことじゃないんだろ? 仕方のない奴だ」


 そう言いながらも、イーガルは決してビーズを蔑ろにしたことはない。リーダーに相応しい懐の深さを見せ、常に冷静に問題に対処する。

 彼と初めて出会ったのはカ・シィーツォに乗り込んだ時だ。航行が始まって2ヶ月ほどの間、行動を共にした。その後はハイバネーション、つまり冬眠状態に入ったので、航行年月に比べて一緒に活動したのはごく短い期間だ。だが、仲間を見捨てるような性格ではないのは、間違いない印象に思えた。そして、知っているからこそ、その度量が弱点に転じるケースもあるのではないかと危惧もしている。

 どんなに優れた名将にも副将が必要であるように、彼がリーダーシップを如何なく発揮させるのが、自分の役割ではないかとイェルンは思っている。 


「……それで、どうかしたのか? ビーズには報告があるとか言ってたけど」


 カ・シィーツォは宇宙船の中では小型であるが、それでも端から端まで歩けば10分は掛かる。ビーズの怒鳴り声をタイミングよく聞きつけて来たわけではあるまい。そう思ったイェルンは、彼に質問した。


「そうだった。緊急会議を行う。20分後にミーティングルームに来てくれ。他のみんなもオムニックで呼んである」


 オムニックとは、音声や文字入力でやり取りをするリアルタイムコミュニケーションツールの名称だ。広い船内を行き来する手間を省いたり、緊急時に手早く対応するために使用される。また、ポジショニング・システムも兼ねており、身に付けていれば位置の特定もできる。これも万が一の事故に備えての機能だ。

 手首に装着するタイプで、クルー全員には着用が義務付けられている。そして、連絡を受けた際には大げさなくらい振動するように設定してある。クルーの間では不評だが、宇宙空間ではわずかな不注意が生死に関わる。連絡に気づかないで深刻な事態に陥らないための工夫だった。


「緊急会議……」


 カ・シィーツォが出航してから、今日で1800日余りが経過している。漠然とした予感がイェルンの全身を駆け巡った。

 アディも同様のことを考えたらしく、両手を胸の前で組んで、期待に満ちた目でイーガルの一言を待っている。


「リジュが報告してきた」

「それって、もしかして……」

「見つかったかも知れないぞ。俺たちの新天地が」


 母なる大地から旅立ち、新しい生活空間を手に入れる。クルーの全員が切望して止まない、この宇宙船が航行する目的だ。それが、リーダーの口から可能性を示唆された。


「やった……やったぞ!」


 先程発生した小さな揉め事など頭から吹き飛び、イェルンは歓声を上げた。



 調査船カ・シィーツォ。

 その役割はイェルンたちの母星に酷似した環境の惑星を見つけ出し、実際に居住可能か詳細なデータを採取することにあった。

 その調査期間は、年単位に亘る長いものになる。もっとも長いものでは、往復するだけで20年近く掛かるコースを進んでいる調査船もある。そんな背景から、調査船に乗り込むのは高度な教育と訓練を受けた10代の若者に限定された。

 ただし、どんなに微に入り細を穿った訓練を実施しようと、実践を経なければ決して身につかない機微というものがある。その溝を埋めるべく、若者で形成される調査団には必ず経験豊富な調査員が、キャプテンとして乗り込む決まりとなっている。当然、カ・シィーツォだけではなく、同期に出航した調査船のすべてにキャプテンが存在している。

 しかし、どんなに万全を期したところで、不測の事態というものが起こるのも事実だ。

 長い航行中は、ハイバネーションに入ってクルーの老化を抑えるのだが、先日目覚めた時、キャプテンのフィギュア・イザクは装置の中で死亡していた。

 第一発見者は、カ・シィーツォのスタッフ・キャプテンであるイーガル・ギーグだった。真っ先に起きているはずのフィギュアが一向に目覚める気配がないのでハイバネーション装置を覗いて異変に気づいたとのことだった。

 目覚めてすぐにキャプテンの死亡を知らされた一同は、驚愕し騒然となった。しかし、夢でもなければ妄想でもない紛れもない事実だ。イェルンたちクルーは、永い眠りから覚めてから悪夢に陥った。互いの無事を喜ぶ間もなく、不安のどん底に叩き落されたのだった。

 頼るべき者がいなくなった状況の中、イーガルの指示のもと調査が進められた。フィギュアの健康状態やハイバネーション装置の状態など、あらゆる角度からアプローチしての調査だったが、苦労の甲斐なくその原因は判然としなかった。散々協議した結果、装置の故障によるハイバネーションの失敗だということに落ち着いた。単純な機械的なトラブルだ。確証はなかったものの、それ以外には考えられなかった。

 キャプテンになる人物は、検討に検討を重ねて選ばれる者ばかりだ。いずれも航行中に亡くなることになっても、それを厭わない覚悟を持った者だ。それでも、あまりに呆気ない最期に、クルー全員が彼の死を悼んだ。そしてフィギュアの遺体は、未使用のハイバネーション装置に移した。装置の中では冷凍状態になるので、故郷まで連れて帰ることができる。

 イーガルをキャプテンと呼ばないのは、クルーの中心となるべきだったフィギュアキャプテンに遠慮してのことだ。

 イェルンたち調査師団は、キャプテン不在の状態になった。いくら精鋭で固められたチームでも、年端のいかない少年少女だけでは精神的な支えがなければ不安が募る。ましてやシミュレーションでは優秀な成績を収めていても、実践は初めての者ばかりで構成された調査師団だ。スタッフ・キャプテンであるイーガル・ギーグは、亡くなったフィギュアキャプテンの遺志を引き継いで探査を続行しようと告げたが、調査委員会の規則により一人の意思による行動の決定は禁止されている。

 クルー全員の意見をすり合わせた結果、今回の調査は中止することに決まった。今回の惑星発見の任務を中止して帰路についた。調査委員会本部に報告はしたものの、母星から何百光年も離れていれば、その映像と音声が届くのも遙か先になる。本部の返事を待たずしての、独自の判断による中止である。

 惑星『イズミール』の発見は、そんな折でのまさかの一報だった。

 ミーティングルームに集まった面々は、期待と緊張がない混ぜになった表情を隠そうともしなかった。全員がこれからの方向性をどうすべきか天秤にかけているのだ。すなわち、このまま母星を目指すか、キャプテン不在のまま調査に踏み出すかだ。

 クルーの数は決して多くない。イーガルとしては、全員の意見を尊重したうえで最終的な決定をしたいところだろう。

 ちなみに、船員は全部で7人。互いにカバーしあっているが、各々が得意分野と堂々を言える専門的な役割がある。

 簡単に説明すると

 リーダー…イーガル・ギーグ

 航法士……イェルン・ロッカー

 航法士……リジュ・ナシップ

 機関士……ビーズ・ザジス

 通信士……アディ・ミルティー

 調理師……サマト・モニア

 船医………エマ・ジュネメ

 の7名である。

 目的であった惑星イズミールが発見されたことで、7人は自分の考えを次々と口にした。


「どんな危険が潜んでいるかも知れないんだ。今回は座標を記録するに留めて帰るべきだよ」


 慎重派のリジュが口火を切った。彼は何事にも準備万端で臨もうとする。決して間違った姿勢ではないが、大胆さに欠ける余り、勝てるものも勝てない性格だ。


「そうすると、次にここまで来られるのは10年以上後になるわ」


 言外に、リジュの弱気をなじる感じを匂わせたのはエマだ。歯に衣を着せない彼女の言い方は、本人に悪気がなくても相手を不快にさせることが多々ある。打ち解ければどうということもないのだが、そこに至るまでに何人もの知人が彼女から去っていった。


「超光速航行を用いても、帰れるのは5年後だ。もっとも近い調査船に座標を転送すれば、他のチームが調査に赴いてくれる。その方が効率的だ」


 イェルンは毛羽立った雰囲気を、さり気なく修復した。


「それじゃ、私たちで調査することはなくなりますね……」


 アディが呟くと、ビーズが噛みついた。まださっきのことを根に持っているようだ。幼稚さもここまでくると、性格よりも脳の構造の方を疑いたくなる。


「こんな功績を、赤の他人に譲れってのか? 冗談じゃねえ。この船からの連絡には全世界が注目してるんだ。歴史に名を残せる大偉業なんだぜ。自分たちの手でやるしかねえだろ」


 全員が口にしたくてもできなかったセリフを、ビーズはいとも容易く言い放った。

 歴史に自分の名を刻める。調査団員なら、誰もが憧れ目指した結果だ。そして、ビーズが言った全世界が注目しているというのも、決して大げさではない。同期に出航した調査船は合計で273隻。その中でも、カ・シィーツォには特別な期待が寄せられていた。それはある特殊な事情に起因する。

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