第2話 父と息子の素敵な関係

 まずは氷だけになった5客のグラスを引き上げ、塚田つかださんにビールの中瓶と新しいグラス、英二えいじさんにハイボールのレモン入りをお出しする。


「お待たせしました。英二さん、ハイボールは普通に作っています。先ほどの飲み比べのものより少しだけウイスキーが濃いので、まずはゆっくり飲んでみてくださいね」


「ありがとうございます」


 塚田さんは手酌てじゃくでビールを注ぐと、グラスを掲げた。


「英二、乾杯しよう」


「うん」


 英二さんも受け取ったばかりのタンブラーを、塚田さんにならって掲げた。


「乾杯。成人おめでとう」


「乾杯。ありがとう」


 塚田さんと英二さんはかちりと軽くグラスを重ねる。そして塚田さんはぐいっと、英二さんはゆるりとそれぞれのグラスを傾けた。


「うん、ウイスキーこれぐらいでも全然大丈夫だ。むしろこっちの方が美味しいかも」


「おや、もしかしたら英二は酒飲みなのかも知れないね」


「そうなのかな。ウイスキーって他に飲み方あるの?」


「それこそ強い人なんかは、氷も何も入れずにストレートで飲んだりするよ。でも英二は慣れないうちは無茶しちゃいけないよ」


「そうですよ〜」


 佳鳴かなるは言いながら氷水を入れたタンブラーをカウンタに置いた。


「チェイサーに時々水を飲みながらお酒を飲むと良いですよ。悪酔いしにくくなりますし、次の日に残りにくくなりますからね」


「気を付けます」


 英二さんはさっそく水に口を付けた。素直な青年だ。


「それにしても、最初のお酒がお父さんとっていうのは幸運だと思いますよ」


 千隼ちはやのせりふに英二さんは「そうなんですか?」と首を傾げる。


「これが大学の同級生とか先輩とかだと、奴ら若いだけに酒の飲み方もろくに知らずに無茶しがちですからね。いや、僕も大学の時は無茶させられましたから。お父さんだったらちゃんとしたお酒の飲み方を教えてくれるでしょうからね」


「あはは。千隼も学生の時は、ぐでんぐでんになって帰って来たこと何度もあったんですよ」


「ちょ、姉ちゃんそれ黒歴史」


 佳鳴のからかう様な口調に千隼は顔をしかめた。


「今はもちろんそんな飲み方はしませんけどね。お酒は気持ちよく楽しく適量を飲むのがいちばんです。はい、お料理お待たせしました」


 今日のメインは豚ばら肉とれんこんとししとうの煮物だ。


 茹でこぼして2センチほどの厚さに切った豚ばら肉と、半月切りのれんこんを、お出汁と日本酒、お砂糖とお醤油でことことと煮て、ししとうは最後の方に加えて少しだけしんなりとさせる。


 角煮では無く、優しい味で煮込んでいる。豚ばら肉はおはしでもほぐせるほどに柔らかくなっていて、茹でこぼしてもなお滲み出る旨味がれんこんとししとうに絡む。


 小鉢のひとつは山芋とおくらの海苔和えだ。


 山芋は生のまま短冊切りに、おくらは塩茹でしてから斜め切りにし、箸で掴みやすい様にしてある。


 それを直火で炙っで風味が立った海苔、少しのお砂糖とお醤油でほんのり甘辛く作った和え衣で和える。とろっとした山芋とおくらに良く馴染むのだ。


 もうひとつは切り干し大根と絹さやの酢の物。


 水で戻してさっと茹でて冷ました切り干し大根と、塩茹でしで斜め細切りにした絹さやを合わせ酢で和えてある。


 煮物のイメージがある切り干し大根だが、こうしても美味しくいただける。お酢の中であっても干して凝縮された大根の旨味が立ち上がる。


「美味しそうですね! バランスも凄く良いです」


 英二さんは嬉しそうに言うと「いただきます」と手を合わせ、お箸を取ってまずは酢の物を口に運ぶ。


「あ〜良いですねぇ。歯応えが良くてさっぱりしていて。甘さのバランスも良くて。これ合わせ酢は作ってるんですか?」


「はい。米酢と砂糖とお塩を少し。今日はメインが豚ばら肉で少し重めなので、酸味を少し強めにしています。切り干し大根には甘みもありますしね」


「ああなるほど、そういうのも考えられてるんですね。勉強になるなぁ」


 英二さんはうんうんと頷きながら佳鳴の話に耳を傾ける。


「これ、この黒いのはなんですか? 海苔の佃煮みたいですね」


「そうです、海苔です。佃煮では無くて海苔を細かく砕いて醤油とお砂糖を混ぜてるんです。甘みは海苔にもありますから、お砂糖は控えめで」


「じゃあそんなに難しく無いんですね」


「そうなんです」


 英二さんは海苔和えを口に含み「ん!」と目を見開く。


「確かに甘みと塩っけが良いバランスですね。おくらと山芋に良く合いますね。今度家でも作ってみよう」


「あら、お料理は英二さんがされてるんですか?」


「料理と言うか家事は全部俺です。父さんは本当に不器用で。なので実は外食だと楽できるんですよ」


 英二さんがおかしそうに言うと、横で塚田さんが「いやぁお恥ずかしい」と苦笑する。


「家内が亡くなってから僕が家事をしないと、英二をちゃんと育てないと、と思ってやってみたんですけど、ことごとく失敗してしまって」


「見兼ねて俺がやる様になったんです。黄身が潰れて焦げた目玉焼きも、最初のうちは笑ってられましたけど一向に成長しないと言うか。なら自分でやった方が早いって。幸い俺は器用な方だったみたいで、どれもそう失敗せずにできる様になりました」


「本当に英二には苦労を掛けてしまいました。部活もしながら家事をしてくれてたんですよ」


「それはお偉いですねぇ」


「でも俺がアルバイトとかしなくても済む様にしてくれてたんで。それに家事は必要最小限で、弁当なんかは作って無いですし」


「こうなったら僕ができることは、お金に不自由させないことぐらいですからね。欲しいままに与えるなんてことはしませんでしたけど」


「それはね。でも充分な小遣いをくれていたんで。今はバイトしてます」


「本当に英二には感謝しています。もう僕が英二を育てたのか、英二が僕を育ててくれたのか判りません。親としては情けない限りです」


 塚田さんはそう言って苦笑いする。佳鳴は「情けなくなんて無いですよ」と口を開く。


「家事のできるできないは、男性とか女性とか親とか子どもとか、あまり関係無いかなぁって思いますよ。専業主婦さんだって家事が苦手な方もおられるでしょうしね。確かに英二さんは大変だったかも知れないですけど、とてもお優しくお育ちになってますから、嫌々されていたわけでは無いのかなって」


「はい。面倒だって思う時もありましたけど、嫌じゃ無かったです。それに将来結婚とかになった時に得だなって。だから父さん、大丈夫だからさ」


「そう言ってくれると救われるよ」


 塚田さんはほっと安堵した様に頬をゆるませた。


「おふたりは支え合いながらお過ごしだったんですね。それも親子の形だと思いますよ。素晴らしいことだと思います」


 すると塚田さんが「ああ」と感嘆かんたんした様な声を上げる。


「そうですね。確かにそうなのかも知れません。家事のことでは苦労を掛けてしまいましたが、僕もできることはやって、ん? できているだろうか」


「父さんが凄く稼いでくれているから、そこは凄く楽できてるよ。小遣いもだけど生活費が充分だから、給料日前にきつきつの節約とかしなくて済んでるし。それに父さん自分のことは自分でやってるでしょ」


「それは当然だよ。少しでも英二の負担を少なくしようと思っているよ」


「ならそれで良いんですよ。お互いがお互いを労わり合っておられるんだと思いますよ」


「そうか。そう言ってもらえると安心します。店長さんハヤさん、ありがとうございます」


 塚田さんはそう言ってぺこりと頭を下げ、佳鳴たちは「いえいえ」と慌てて顔を上げてもらった。




 料理とお酒を堪能たんのうされた塚田さん親子は、ご機嫌な顔で会計をする。千隼が渡したレシートを見て塚田さんは「ん?」と眉をしかめた。


「あれ、あの英二が飲み比べをさせていただいた分が含まれていないみたいなんですが。小瓶のビールまで」


「ああ、あれはサービスです。おふたりへのお祝いです。こちらからのご提案ですしね」


 千隼が笑顔で言うと、塚田さんも英二さんも「そんな」と慌てる。


「お支払いさせてください」


「そうです。おかげでいろいろな酒を試せて、好きな酒も見付けられたんですから」


「今回はお受け取りください。その代わり、またおふたりでご贔屓ひいきにしていただけたら嬉しいです」


 千隼がそう言ってにっこり笑うと、塚田さんと英二さんは戸惑いつつ顔を見合わせて、「じゃ、じゃあ」と受け入れてくれる。


「ありがたくいただきます。これからはふたりで頻繁ひんぱんに通わせていただきますね」


 そう言って笑みを浮かべてくれた。


「はい。お待ちしております」


 そして塚田さん親子は並んで帰って行った。


「塚田さん、いつもよりかなり饒舌じょうぜつだったな」


「そうだね。英二さんがご一緒だったからだろうね」


「仲良し親子って感じだったよな。父親が行きつけてる店に行きたいなんてな」


「ね。塚田さんも英二さんも、お互いに心を砕いてるんだよ。良い親子関係だよね。英二さんも常連さんになってくれたら嬉しいな」


「そうだな」


 カウンタ内でこそこそとそんな話をしていると、お客さまから「すいませーん」とお声が掛かる。佳鳴たちは「はーい」と元気に応えた。

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