第2話 新たな常連さんようこそ

 翌日の昼ごろ、ブランチの準備のためにキッチンに立つ千隼ちはや。豆もやしの袋をばりばりとパーティ開けにする。


 豆もやしのひげ根を丁寧に取って行く。ひげ根はビニール袋に捨て、綺麗になった豆もやしはざるに入れて行く。1本1本手間ではあるのだが、これをするのとしないのとでは、味にも食感にも大きな違いが出るのだ。


 取り終わったら流水でさっと洗って、よく水気を切っておく。


 次に青ねぎ。これは洗ったら、5センチぐらいの長さにざくざくと切っておく。


 さて、一時期流行ったタジン鍋を出す。そこに上部が平らになる様に豆もやしをこんもりと盛り、その上に青ねぎを乗せ、さらにスライスされた豚ロース肉をたっぷり、野菜を覆う様に乗せて行く。


 ふたをしてコンロへ。中火に掛ける。数分後、豚肉に火が通ったら完成だ。


 それをご飯と、小松菜の味噌汁と一緒にいただく。


 家の掃除を終えてキッチンに顔を出した佳鳴かなるが、コンロの上のタジン鍋を見て「あれ?」と目を丸くする。


「豆もやしのナムル作りたいって昨日言って無かった?」


「姉ちゃんが昨日の客に書いてるレシピ見たら食いたくなって」


 そろそろだろうか。蓋を開ける。すると豚肉は白く色が変わっていて、豆もやしはそのかさを少しばかり減らしていた。葉物野菜ほどは減らないので、ボリュームがある。


「じゃあご飯よそおうか。大盛り?」


「おう。蒸したの、ごまだれとポン酢どっちが良い?」


「どっちも!」


 食器棚からお茶碗を出す佳鳴が元気な声を上げる。


「どっちも旨いもんな。俺も両方使うか」


 佳鳴がお茶碗と一緒に出したとんすいと、千隼が冷蔵庫から出したごまだれとポン酢をダイニングに運ぶ。続けて鍋敷きも。


 佳鳴はお米をお茶碗によそい、トレイにおはしとグラス、麦茶のポットを乗せてダイニングへ。タジン鍋は鍋つかみを使って千隼がダイニングへと運んだ。


 ダイニングテーブルに向かい合わせに座り、佳鳴と千隼は手を合わせた。


「いただきまーす」


 とんすいにごまだれとポン酢を用意し、佳鳴はさっそく蒸し料理に手を伸ばした。千隼は米から頬張る。


 豚肉で青ねぎと豆もやしを巻いて、まずはポン酢からだ。甘い豚肉にしゃきしゃきの野菜が良い塩梅だ。そしてポン酢が豚肉の油をさっぱりとさせてくれる。


「やっぱり蒸したお肉とお野菜美味しいなぁ。昨日のお客さまも気に入ってくださると良いけど」


「そうだな。うん、旨い」


 千隼は蒸し料理にごまだれをたっぷりと付けて、大口を開けた。


 これは、昨日貧血らしいと仰っていた女性のお客さまにお渡ししたレシピのひとつである。


 レシピでは、豆もやしでは無く緑豆もやし。その方が安価だからだ。そして青ねぎは包丁やキッチンバサミが必要なので加えていない。豚肉も安価でそのまま使えるこま切れや切り落としで充分だ。


 もし豚肉が贅沢ぜいたくだと感じる様であれば、ハムやベーコン、油を適度に切ったツナ缶でも良いとしてある。


 もやしと肉類を深めの器に入れて、ラップをしてレンジで数分チン。ごまだれやポン酢、ドレッシングなど好きな調味料で味付けをして食べる。たったそれだけだ。


 器は家にあるもので充分だ。新たに買う必要は無い。


 もやしは他の野菜に変えても良い。包丁など使わずとも、きゃべつやレタスなら手でちぎることが出来る。もやしのひげ根を取れなんて手間はもちろん書いていない。ひげ根だって食べられるものである。


 出来るだけ節約できて、簡単に手間無く失敗も無く出来るレシピを書いたつもりだ。これならレンチンの時に使った器で食べることが出来るので、洗い物も少なくなる。


 そして、まずは白米をしっかり食べて欲しいと言い置いていた。ダイエットなどをしている様なら難しいかも知れないが、あの女性はとにかくお腹をいっぱいにしたいと仰っていたので、大丈夫だろう。


 どの様なお米を選ぶのかで変わっては来るのだが、米をしっかりと食べたら実は節約になるのだ。国産米はどれも美味しい。よほどのこだわりが無ければ満足できるだろう。


 あとは業務用スーパーで買える冷凍野菜などを使ったものをいくつか。これはスマートフォンで商品一覧を確認しながら書いた。


 冷凍揚げ茄子まであるとは、冷凍野菜恐るべし。レンジで揚げ浸しができてしまうでは無いか。


 冷凍ほうれん草もかなり使い勝手が良い。そのまま汁物に入れたり炒めたり、レンジを使えばおひたしも簡単に出来る。


 それに業務用スーパーに限らなければ、ほとんどの野菜が冷凍して販売されている。季節に問わず価格が安定しているし、生の野菜より安価なことも多いので、節約料理にはかなり有効だ。


 普段冷凍の野菜を使うことがほとんど無い姉弟なので、昨夜ふたりであらためて調べてみて驚いたものだった。今度ブランチ用にでも購入してみようか。多分いつもの市場でも買えるだろう。


 貧血気味だということだったが、まだ若いのだし、そう深刻でも無さそうだったので、鉄分を意識するよりは、まずはバランスの良い食事を摂ることが大事だと佳鳴は思ったのだ。


「しっかし姉ちゃんも人が良いよなぁ。客にレシピとか教えちまったら、もう来てくれなくなるかも知れないじゃん」


 千隼が言うと、佳鳴は「そうかなぁ」と小首を傾げる。


「ほら、あのお客さんなるべく節約してるって仰ってたから、教えても教えなくても、今はそうそう店には来られないと思うよ。大丈夫だって。学生さんでしょ、卒業して就職したら、また来てくれるかも知れないよ」


「そうかなぁ」


「就職しても引越しとかが無ければ、また店の前通るだろうから、思い出してくれるよ」


「だったら良いけどさ。せっかくの客なんだからさぁ」


「そりゃあ常連さんは多いに越したことは無いけどね〜」


 そうしてブランチは進んで行く。このあとは市場で煮物屋さんの仕入れだ。




 しかし、その機会は予想よりかなり早く訪れた。


「こんばんは!」


 前回と打って変わって元気に現れたお客さまは、貧血かもと言って、佳鳴にレシピをもらった女性だった。


「こんばんは。いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ〜」


 佳鳴と千隼はそう迎え、千隼はおしぼりを用意する。他のお客さんと適当な距離を取って座った女性はカウンタの下にバッグを押し込み、おしぼりを受け取って、ほぅと息を吐きながら手を拭いた。


「あの、定食でお願いします」


「はい。かしこまりました」


 今日のメインは鶏肉と厚揚げの味噌煮だ。人参やごぼう、椎茸などの野菜も入っている。


 生姜をほのかに効かせ、お味噌なのでしっかりと旨みとコクがある。そして優しい味わいだ。


 小鉢は切り干し大根と春菊のさっと煮。切り干し大根はさつま揚げといんげん豆で作った。


 旬で青々として張りのある春菊は、注文を受けてから火を通す。お出汁にお醤油とみりん、日本酒とお砂糖でおつゆを作っておいて、いつでも火が通せる様にしてある。春菊は火を通し過ぎるとえぐみが出るので、火を通すのはほんの数秒が良いのだ。


 そしてメインが味噌煮なので、汁物はすまし汁にした。具は卵と三つ葉。かき玉汁だ。


 料理を整えて、カウンタに置いて行く。


「お待たせしました」


「ありがとうございます。いただきます」


 女性はいそいそと箸を取り、かき玉汁をずずっとすすると「はぁ〜」と満足げな溜め息を吐いた。


「お客さま、あれから貧血は、体調はいかがですか?」


 佳鳴が聞くと、女性は「え」と目を見張る。


「覚えていてくださったんですか?」


「もちろんですよ。大丈夫かなぁって、ちゃんとご飯食べてらっしゃるかなぁって気になってました」


「わぁ嬉しい! ありがとうございます!」


 女性はにっこりと笑う。


「教えていただいたレシピ、私でも出来ました。お母さんに、あ、母に聞いたら、お米もたくさん炊いて冷凍とかしておくと経済的なんですね。レンジの前に常温で解凍したら良いって。私、ひとり暮らしを始める時に、訳がわからないままに母に3合炊きの炊飯器を買わされてたんですけど、使うことがこれまでほとんど無くて。家でご飯作る様になってから使う様になりました。3合炊いて、2分の1合ずつ冷凍して、夜解凍して食べてます。おかずもしっかりあるから、すごい満足感があるんです。本当にありがとうございました!」


「お役に立てたのなら何よりです。じゃあもうお元気なんですね」


「はい。なのでお礼が言いたかったんですけど、覚えていてくれてるかなぁって不安で。なので良かったです。あ、業務用スーパーにも行ってます。冷凍のお野菜たっぷり買っちゃって、今うちの冷凍庫、お野菜とご飯でぱんぱんです」


「それは良かったです。やっぱりご飯はしっかり食べないとですね。お顔の色も、以前より良い様に見えますよ」


「本当ですか? はい。ちゃんとご飯を食べる様になってからはますます元気です。朝と昼は相変わらずなんですけど、晩ごはんを変えるだけでこんなに変わるんだなぁって、びっくりしちゃいました。あ〜この厚揚げ、お味噌の優しい味で美味しい〜。やっぱり食って大事なんですね〜」


 女性はにこにこ言って、料理を味わった。そうして半分ほどを平らげたころ。


「あの、私、もうすぐ学校卒業なんです。就職先も決まっていて。なのでお仕事を始めたらもっとここに来れると思います。自分で作るのも良いですけど、ここまで凝ったの作れないから。なのでその時には、またお願いします」


「はい。いつでもお待ちしております」


 佳鳴が言うと、女性はほっとした様に笑みを浮かべた。


 まだ少し先のことだろうが、新たな常連さんの誕生だ。「ほら、言ったでしょ」、佳鳴がそんな視線を千隼に投げると、千隼は「はいはい」と言う様に鼻を鳴らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る