第3話 そこは暗いのか、明るいのか

 高橋たかはしさんが舞台で披露ひろうしたのは、漫才でもコントでも無い。演劇だ。なのになぜ渡部わたべさんは高橋さんにこの様なスカウトをしたのか。


「芸人か歌手になる気は無い?」


 実は、歌は歌っていたのだ。高橋さんがふんした被害者は歌手という設定だったので、回想シーンでその歌声を聞かせたのだった。


 高橋さんは歌が達者で、この配役もそのためだったらしい。


 もともと綺麗な声の人ではあったが、その歌声も見事なもので、音程の正確さや絶妙な抑揚よくようは、佳鳴たち観客を見事に引き込んだ。


 だから、歌手へのスカウトは解らなくも無い。では芸人は?


 渡部さんいわく「間の取り方が絶妙」だったのだと言う。


 確かにお笑いに「間」は重要だ。ボケはもちろんツッコミのタイミングなど、ほんの1秒、それ以下のコンマの「間」で、その面白さは大きく変わって来る。


 もちろんネタそのものの面白さも重要だ。しかしその完成度は「間」によって大きく左右されるのだ。


 そして何より渡部さんが力説したのはこれだった。


「あなたには華があるのよ!」


 確かに高橋さんは可愛らしく華やかなイメージがある。人をきつけると言うのか。それは確かに表舞台に出るのに重要な要素だろう。


 佳鳴かなる千隼ちはやもその場にいたので、話は一部始終聞いていた。なので呆然とした高橋さんが、呟く様に「少し……考えさせてください……」と返事をしたことも知っている。


 そしてその高橋さんは今、佳鳴と千隼の真ん前、煮物屋さんのカウンタでハイボール片手に突っ伏していた。


「日曜の晩から火曜の今日までずっと考え通しですよぉ〜。そもそも私、芝居をしてたはずなのに、なんで歌かお笑いなんでしょうかぁ〜……」


 いつも元気な高橋さんがすっかりと弱ってしまっている。テーブルが高橋さん自身で埋まってしまっていて、佳鳴たちは料理を提供するタイミングを掴めず、今整えている料理も、他のお客さまの分だ。


 今日のメインは豚肉と玉こんにゃくの味噌煮込みだ。ごま油で炒めたちんげん菜で彩りを添えている。


 お塩と日本酒で下味を付けた豚肉をごま油で炒め、玉こんにゃくを加えてさっと炒めてお出汁を張り、味付けはお味噌とお砂糖、日本酒、少しのお醤油に、風味漬けのたまり醤油。


 お味噌をしっかり効かせながらも、お出汁の風味もしっかりとあり優しい味に仕上がっている。


 小鉢はきのこの黒こしょう炒めと、カリフラワのからしマヨネーズ和えだ。


 秋に美味しいきのこは、今では1年中いただける。旬としてはそろそろ終わりだろうか。


 きのこは椎茸としめじとえりんぎ。オリーブオイルでソテーして、塩と、粒の黒こしょうを強めに効かせてある。


 オイルを程よく吸ってとろっとしたきのこの癖と、ぴりっとした黒こしょうがとても合う一品だ。


 今時が旬のカリフラワのからしマヨネーズ和えは、文字通り塩茹でしたカリフラワをからしマヨネーズで和えたシンプルなものだ。


 こちらはからしを控えめにして、辛さを和らげてある。だが軽くまとうぐらいにしてあるので、カリフラワの甘さが引き立つ味わいだ。


 汁物は麩と三つ葉のすまし汁だ。


「お待たせしました」


 そう言って料理をお渡ししたお客さまは赤森あかもりさん。どうやら高橋さんのことが気になっていた様で、高橋さんが来ているかどうか判らないのに訪れた様だった。


 現に先に来店していた高橋さんを見た途端に、「決めたのか?」とお声を掛けていた。


 そうして伏せたままの高橋さんに続けて口を開く。


「そりゃあ悩むよな。俺としちゃ、高橋さんをテレビなんかで見るってのも面白いかなって思うけど、そんな簡単なもんじゃ無いよなぁ」


 赤森さんは大口を開けて白米を放り込む。赤森さんは下戸なので、いつも定食なのだ。


「親御さんにご相談とかされたんですか?」


 千隼が聞くと、高橋さんは「いいえ〜」とうなるる様な声を上げた。


「私の気持ちとは関係無く、まず反対されると思いますから。相談も何も無いんですよ」


 そう言いながら、高橋さんはゆっくりと頭を上げる。そして千隼に「うだうだすいません。お料理お願いします」と注文した。


「親は、私が本格的に芝居をするのは反対なんです。芸能界デビューなんて以ての外だと思います」


「あら、確か親御さんも応援しているってお話、以前されてませんでした?」


 佳鳴はそう記憶している。高橋さんが小劇団に所属されていると聞いた時に、確かそんな話も出たと思う。


「はい。それはあの劇団が、本格的じゃ無いからです。ええと、本格的じゃ無いって言うのは、プロとかそういうのを目指していないって言う意味で。練習も週に1度ですし、日曜の晩なので来れない人もいますし。公演も年に1度ですしね。会社で働いていて、習い事の範疇はんちゅうだから応援してくれるんです。最初、親に「劇団に入った」って言ったら早とちりされてしまって、「女優になるなんて、そんな食って行けるかどうか判らない仕事なんて許さない」って怒鳴られました。保守的って言うのもあるとは思うんですけど、私の心配をしてくれてるんだと思います」


「ああ。確かに女優さんでも芸人さんでも、それだけで生活出来るって言うのは一握りだって聞きますからねぇ」


 アルバイトをしながら舞台に立たれている芸能人も大勢いるのだと聞く。佳鳴と千隼は整えた料理を順に高橋さんにお渡しする。高橋さんは「ありがとうございます」と受け取った。


「だから相談にはならないと思います。まだ全然考えがまとまらないんですけど、もし渡部さんのお話を受けるとしたら、親とのバトルは避けられないと思います。ん、カリフラワとからしマヨってすごく合うんですね。美味しいです!」


「ありがとうございます。ですがそれは難しいですねぇ……」


 佳鳴は高橋さんを案じる。中には親との確執かくしつを生んでも芸能人になりたいと言う人も存在すると思うが、高橋さんはそうでは無さそうだ。それに話を聞いていると、親御さんは関係無く、悩んでいる様子である。


「そもそも女優じゃ無く、歌手か芸人ですからね。スカウトされること事態はすごいことなんだと思うんですけど。まさか私にそんな可能性があるのかなって」


 高橋さんは言うと、次には苦笑を浮かべる。


「芸能界って言うきらびやかな世界に、憧れが無い訳じゃ無いんです、実は。だから悩んでしまって」


 その気持ちは解らないでは無い。今高橋さんの前には、芸能界への道が開かれている。


 その前途ぜんとが洋々なのかそうで無いかは、入ってみないと判らない。だからこそ、慎重にならなければならない。そんなことは高橋さんだって解っているだろう。しかし。


 高橋さんは難しい顔をしながらきのこを頬張り、しかしぱっと顔を輝かせて「黒こしょう効いてて美味しいです!」と声を上げた。


「高橋さん、高橋さんが本当にしたいことって何ですか?」


 佳鳴が聞くと、煮物に箸を付けようとした高橋さんの動きがはたと止まる。そしてぽかんと口を開く。


「やりたい、ことですか?」


「はい。確かに芸能界と言うのは輝かしく思えて、かれてしまうのだと思います。ですが、ご自分が本当にやりたいことを見失ってしまったら、続かないのかな、って思ってしまって」


「それは」


「はい。高橋さんは今会社に勤めてらっしゃって、それはご自分でお選びになった会社ですよね。やりたかったお仕事、ですよね?」


「あ、はい。そうですね。入社当時は全員営業に放り込まれてしんどかったですけど、今は異動願いを聞いてもらえて、やりたかった仕事が出来てます」


「だから例えば苦手な方とお仕事をすることになっても、愚痴をこぼせば我慢できる、なんてことありません?」


「ああ、そうですね。好きな仕事だし、同僚とぎゃあぎゃあ言いながら乗り切れます」


「では、好きでは無い仕事だった時はどうでした?」


「何度も辞めようと思って、でも移動に望みを掛けてがんばりました」


「それは、芸能界でも同じだと思うんです。芸能界では、もしかしたらやりたいことは一般の会社よりできないかも知れません。その入り口が、本当にやりたいことで無かったら尚更かも知れません。その時に支えになるものが無いと、しんどいと思うんですよね」


 佳鳴が差し出がましいと思いながらも、言い聞かせる様にゆっくりと言うと、高橋さんは納得した様に目を見開く。


「そっか、そうですよね」


「はい。芸能界と言う明るいか暗いか判らない世界の目くらましに、言い方は良く無いですが、だまされない様にしていただきたいとも思います。私たちは高橋さんが絶対に人気者になるって信じてますけども、それは時の運でしょうから」


 千隼も横で大きく頷く。


「そうですよね。目くらまし、かぁ……私、確かに今それに当てられているのかも知れません。もっと良く考えますね。あの、心配してくださってありがとうございます」


 高橋さんはやっと笑顔になってぺこりと頭を下げる。そしてあらためてお箸を動かすと、煮物をすくい上げて口へ運ぶ。


「ああ〜、お味噌の優しい味が嬉しいです。豚肉とろっとろで美味しいですね!」


 そう言って頬をほころばす高橋さんに、佳鳴は「ありがとうございます」と笑みを浮かべた。

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