第3話 ピンクとブラック

「ただいま〜」


 聡美さとみの挙式が終わり、佳鳴かなるが家に帰り着いた時にはすでに午後に差し掛かっていた。


 ご祝儀は奈江なえに預けて来たので、披露宴の受け付けの時に渡してもらえるだろう。


「お帰り。昼飯食うだろ?」


「うん、ありがとう。着替えて来るね」


 リビングにいた千隼ちはやに応え、佳鳴は部屋に入って普段着に着替える。そのまま店に入るので動きやすいものだ。


 脱いだワンピースなどは丁寧にハンガーに掛けた。アクセサリーも外した後は、無くしてしまわない様にとっととジュエリーケースに入れる。


 いつも佳鳴は薄化粧なのだが、今日はポイントメイクを少し濃いめにほどこしていた。普段はブラウンのアイシャドウが今はラメの入ったピンクだったし、普段しないアイラインも引いていた。それが普段着とはアンバランスに感じたので、食事の前に一旦取ってしまおう。


 佳鳴は洗面所に入り、クレンジングオイルで化粧を落とす。洗顔の必要が無いタイプを使っている。化粧水と乳液で肌を整え、さっぱりしたところで昼食だ。


「あれ、化粧取ったんだ。せっかく綺麗にしてたのに」


「あはは。この格好には浮くし、それにあんまり濃い化粧でお客さまの前に立つのもね」


「それもそうか。はい、昼飯お待たせ」


 千隼が作ってくれた昼食はチャーハンだった。卵とハム、たっぷりの青ねぎと言うシンプルな具材で炒めた、千隼定番の一品だ。それにお揚げとわかめ、麩の味噌汁が添えてある。


「ありがとう。いただきます」


「はい、いただきます」


 さっそく味噌汁をすする。出汁の素を使っているのだが、箱にある分量よりも多く入れるのがこの家流なので、出汁の味がしっかりと感じられる。ほっとする味だ。


 チャーハンにれんげを入れると、ぱらぱらに炒まったそれはほろりと崩れる。はふはふと口に入れると、酒を使った事で生まれる甘みを感じ、ほわっと醤油とごま油が香った。調味には塩とこしょうも使われている。


「あ〜安定の味。今日もぱらぱらで美味しい」


「サンキュ。うん、我ながら良く出来てる」


 千隼もチャーハンをがっつく。


「どうだった? 結婚式は」


「うん、聡美綺麗だったよ〜。旦那さんになる人も、第一印象は優しそうに見えたんだけどなぁ。ふくよかな感じで」


「あー、確かにちょっと太ってる人って良い人そうに見えるよな。けど姉ちゃんの友だちが嘘言う訳じゃ無いだろうし」


「だよねぇ。でも今日の聡美は幸せそうに輝いてたよ。幸せになって欲しいなぁ」


「そうだな」


 姉弟はそんな話をしながら、食事を進めて行った。




 それから数日が経った土曜日、また煮物屋さんの営業は始まる。開店と同時にぽつぽつと席が埋まり始め、半分ほどが埋まった19時ごろ。


「こんばんは」


 そう言って顔を覗かせたのは常連では無く、だが良く知っている顔だった。


「あれ、聡美。いらっしゃい」


 横で千隼も「いらっしゃいませ」と小さく頭を下げる。聡美は笑顔を浮かべると、店内に入って来る。


 そんな聡美に続いて姿を現したのは、聡美と結婚式を挙げた新郎、聡美の旦那さんだった。


「なんだここは。飲み屋か?」


 旦那さんは怪訝な顔で言いながら聡美に付いて来る。空いた席に並んで掛けると、佳鳴が出したおしぼりを受け取った。


「ありがとう。あ、隆史たかしさん、この子、私の大学時代の友だちの扇木おうぎ佳鳴さん」


 紹介され、佳鳴はぺこりと頭を下げる。


「聡美さんの友人の扇木佳鳴です。初めまして」


「聡美の夫の畑中はたなか隆史です。愚妻がお世話になってます」


 愚妻と来たか。なるほど、やはり見た目の印象だけではあてにならないものだなと、佳鳴はしみじみ思う。


 しかしこうして近くで見てみると感じる。挙式の時は遠かったので判りづらかったのだが、細い目の奥には冷たい雰囲気があった。口元も今はへの字に引き結ばれている。


 挙式の時はああ言う場だったので、漂うめでたい空気が良く見せていたのかも知れない。


「佳鳴、お料理はちょっと待って。とりあえずビールちょうだい」


 聡美が言うと、旦那さん、畑中さんは「おい」と顔をしかめて聡美をとがめた。


「結婚した女が外で酒を飲むなんてみっともない。それに俺は、一緒に来たらいまだに仕事を辞めない理由を聞かせるって言うから来てやったんだ。さっさと話せ」


 そう不機嫌そうに言い切る畑中さん。佳鳴は内心「うわぁ」と思い、つい千隼と目を合わせてしまう。千隼も驚いた様に目を見開いていた。


 少しの間、黙って下を向いていた聡美。瓶ビールとグラスを出すと、聡美は手酌で注ぎ、口を湿らす様に口に含んだ。そして顔を上げると、「ふぅっ」と短く、だが勢い良く息を吐いた。


「私がこのお店を選んだ理由はふたつ。まずは家だとお義父さんがいちいち口出しして来てうるさいから。もうひとつは佳鳴に立ち会って欲しかったから」


「おいお前、うるさいってなんだ」


 畑中さんが声に怒気を含ませる。


 しかし「家でお義父さんがうるさい」とはどういうことか。もしかして同居なのだろうか。結婚式の前にこの煮物屋さんに来てくれた時は、そんなこと一言も行って無かったが。


「私、騙された気分だったよ。結婚前に新居どうするって話した時、あなた、それは式を挙げてからなって言ったよね。なのに式が終わって二次会まで終わって、帰るぞって言って、私の返事もろくに聞かないままあなたの家に連れて行かれて、そのまま生活が始まったよね」


「結婚したんだから同居は当たり前だろう。それに言っただろう、お前には両親の世話、将来は介護もさせるんだから」


 聡美に対する口調がいちいち命令形の上から目線で、話を聞くほどに佳鳴は引いて行く。聡美に話を聞いた時は時代錯誤だと思ったが、ここまで酷いとは思わなかった。


「私は旦那さんには尽くしたいと思うよ。でもそれはね、私のことをちゃんと尊重してくれる人だったら、の話だよ。あなたはそうじゃ無いじゃない」


 聡美は言って、佳鳴に顔を向けた。


「佳鳴、式の前に話を聞いてくれた時に、尊重し合えないと続かないって言ってくれたよね。それ、本当にそうだと思った。特にこの人の家でお義父さんとお義母さんとこの人と暮らす様になって、たった1週間も経たないうちにつくづくそうだなって思っちゃった」


 そして「本当にありがとう」、と続けた。


「尊重? それは嫁にするもんじゃ無いだろうが」


 畑中さんが呆れた様な、馬鹿にした様な調子で言う。それを聡美は鼻で笑い飛ばした。


「お義父さんもそうだもんね。女性から産まれて女性に育ててもらって、今も誰かに世話をしてもらわなきゃまともな生活もできない様なあなたたちが、女性をそんな扱いするんだから、本当にもう付き合ってられない」


「お前……!」


 畑中さんの顔が怒りに染まる。聡美がそんな畑中さんを見る目は冷ややかだった。


「尽くすタイプの女が、ただ男性の、夫の言いなりになるだなんて思わないで」


 聡美は言うと、カウンタの下の棚に収めていたバッグを引き出し、そこから折り畳まれた白い用紙を取り出した。


 それをがさがさと音をさせながら開くと、畑中さんの眼前に突き付けて言い放った。


「私と別れてください」


 それには畑中さんも予想外だった様で、大きく目をいて、その用紙を凝視した。

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