第十六話

 死罪も覚悟でランドール家の船着場に討ち入ったマーシャであったが――しかし翌々日の午後、桜蓮荘にはマーシャの姿があった。

 部屋では、マーシャと二人の男がテーブルを挟んで向かい合っている。一人は、特務のマクガヴァンだ。この日は変装などをせず、黒の正装をきちんと着こなしている。

 もう一人は、筋骨隆々な初老の大男。フォーサイス公爵であった。

「グレンヴィルよ、此度の働き、心より感謝する」

 マクガヴァンは、開口一番謝辞を述べた。

「勿体ないお言葉です。しかし……よろしかったのですか? 不法侵入と数十人に及ぶ傷害。重罪に問われて然るべき立場のはずですが」

 マーシャは尋問を受けたのち、わずか一日で釈放されてしまったのだ。

「もはや強制捜査に踏み切るよりほか手段はないと思っていた。しかし、それが空振りに終われば、二度とランドール公を追及することは叶わなかっただろう。お前が討ち入ってくれたおかげで、証拠を抑えることができたのだ。それに――」

マクガヴァンは、ちらりとフォーサイス公爵を見やる。

「うむ。パメラから、詳しい話を聞いてな。急遽七大公爵家当主七人――いや、ランドール以外の六人で集まって、合議したのだ。最終的には陛下のご判断を仰ぎ、お前の無罪放免が決まった。自害したと思われる一人を除いては、死者も出ておらぬことだしな」

「ギルバート様にそこまでお力添えいただくとは――申し訳ございませぬ」

「何を申す。わしとマーシャの仲ではないか。いつも言っておろう、困ったことがあったら、実の父と思って頼るがいいと」

「……ありがとうございます」

 随分前に父と死別したマーシャにとって、心に染み入る言葉であった。

「して……ランドール公は?」

「うむ。すっかり観念したようで、おおよそのことは吐いてもらった」

 ランドールはその人脈を利用し、上流階級に広く麻薬をばら撒いた。中毒になった人間に高値で麻薬を売りさばくのみならず、それを種に脅迫を行い、自分の意のままに動かせる傀儡に仕立て上げたのだという。

 フォーサイス公爵が、にわかに厳しい顔つきになる。

「おかしいとは思っておった。最近政治のさまざまな決め事が、ことごとくランドール有利に動いていたのだ」

「しかし――ランドール公の本当の狙いはなんだったのでしょうか」

 全ては手段に過ぎぬ――ランドールの言葉が気にかかるマーシャである。マクガヴァンがフォーサイス公爵に目配せすると、公爵は頷いた。軽々しく話せぬ内容らしい。

「今の国王、メサイア陛下は生来心の臓にご病気をお持ちで、最近のお加減も良ろしくない。まことに嘆かわしい話ではあるが――宮廷内では『その次』を見据えた権力闘争が既に始まっている。そして、ランドール公の姪御が、数年前にメサイア陛下の従兄弟にあたるベイリアル侯に嫁ぎ、去年男児を出産した。わかるだろう」

 ランドールは、キラート密売で培った人脈と財力を使い、王位継承者争いで優位に立とうとした。そういうことだ。

 しかし、違法な手段を用いてまでランドールが権力を手にしたかった理由はなんだったのだろうか。マーシャはふと、ランドールが「誇り」という言葉を口にしていたこと、そして先王の改革に対する憎しみを滲ませていたことを思い出す。

 たとえば、志願制による国軍の設立。先王の改革でもたらされた大きな変化の一つだ。

 王から所領と所領を統治する権利を授かる代わりに、有事あらば国を護る騎士として王の下に馳せ参じる。それまで王と貴族との間に存在した信頼関係が、王の側から一方的に破棄されたことになる。

 国を護ることを誇りとしてきた貴族たちの中に、これに反発する者が出るのは無理からぬことだ。ランドールの言葉は、不満を募らせた貴族たちの声を代弁したものだったのかもしれない。

 ランドールの口からはとうとう語られなかったが、これが事件を起こした動機だというのが特務の見解であった。

 自分の縁者を王位に就け、国の制度を元に戻して貴族の復権を図る。それが、最終的なランドールの狙いだったのだろう。

「これから、ランドール公はどうなるのですか」

「これも公爵家の合議で決まったのだが、ランドールには自害をしてもらうことになった。表向きは急病ということにでもしておくがな。その後、遠縁から男子をとって公爵家を継がせる。財産や権限の一部は取り上げられ、ランドール家の力は弱められることになる」

 本来ならばランドールは処刑、ランドール家は断絶されてもおかしくはない。しかし、七大公爵家が持つ社会への影響力は強い。無用な混乱を避けるため、ことは秘密裏に処理されるのだという。

 これで、事件は一応の決着をみたと言っていい。

「しかし――」

 と、フォーサイス公爵が重々しく口を開く。

「ランドールも愚かな男だ。世界というのは、常に移り変わっていくもの。我ら貴族とて、時の流れとともに変わっていかねばならぬ」

 どこか遠くを見るような目。普段の快活なフォーサイス公爵とは別人のような、厳かな口調であった。

「と、すまんすまん。つまらぬ話をしてしまったな」

 苦笑しつつ、フォーサイス公爵は頭をかいた。

「……では、そろそろ我々は失礼しましょうか、フォーサイス公」

「うむ、そうだな。ではまたな、マーシャ。落ち着いたら、また顔を見せに来るのだぞ」 

 そう言って、二人は、部屋を立ち去った。


 静まり返った部屋で、マーシャはしばし一人で思いにふける。

 いまだマーシャの胸を占めるのは、イアンのことだ。ミネルヴァとの睦まじい様子を思い出すたび、マーシャの胸が締め付けられる。思わず、マーシャの目尻から涙が滲んだ。

「そうだ、あれをミネルヴァ様に……」

 マーシャは、棚からくしゃくしゃになった包みを取り出した。今際のきわに、イアンから託されたものだ。手持ちの包み紙で、髪飾りを綺麗に包み直す。

 急ぎフォーサイス家に向かおうとしたマーシャであったが、そこへちょうどよくミネルヴァがパメラを連れて現れた。頬には、ランドールとの決闘でできた傷を覆う膏薬が貼られている。

「先生、此度のこと、改めてお礼に参りました。決闘の機会を与えてくださったこと、感謝いたします」

 ミネルヴァが、深く頭を下げた。

 しかし、感謝をしたいのはマーシャも同じであった。もしあのときミネルヴァが駆けつけていなかったら――マーシャは怒りに任せてランドールを斬っていたかもしれぬ。そして、あれほどまでに自らを苦しめた人斬りの罪を、またひとつ負ってしまっていただろう。

 ミネルヴァは、ランドールの命のみならず、マーシャのこころをも救ったのだ。

 パメラは、そこまで考えてあの場にミネルヴァを連れてきたのかも知れぬ――そんなことを、マーシャは考える。

「そうだ、ミネルヴァ様、これを」

 マーシャが、紙包みをミネルヴァに手渡した。ミネルヴァは、無言で包みを開く。中からは、ガラスの髪飾り。

「イアンは、これを面当ての礼としてミネルヴァ様に贈るつもりだったようです」

「そう、でしたの……イアン殿が……あら?」

 ミネルヴァの両目から、はらはらと涙がこぼれる。

 気丈に振舞っていたものの、やはり十八の乙女である。近しい人間を襲った悲劇に、平気でいられるはずもなかったのだ。

 マーシャは、ミネルヴァの頭をその胸にかき抱いた。

「無理をなさるな。剣士とて、泣きたいときには泣くものです」

「う、うっ、うあぁぁぁーーっ!」

 ミネルヴァは、子供のように大きな声を上げて泣いた。堰を切ったようにとめどなく流れる涙が、マーシャの胸をしとどに濡らす。それまで堪えていた様々な感情が、一気にあふれ出したのだろう。

 パメラは、そんな二人をただただ見つめるのみ。

 ミネルヴァの胸に育まれた恋の蕾は、花と開く前に手折られてしまった。いつの日か、またその胸に恋の花咲く日が来るのだろうか。ミネルヴァの髪の毛を優しく撫でながら、マーシャには祈ることしかできなかった。

 見上げれば、青い空に背の高い入道雲。燕が一匹、雲を横切り飛んでいく。

 マーシャの頬を流れた一筋の涙は、誰の目に留まることもなく、熱い夏の風に吹かれて消えていった。

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剣士マーシャの酔憶 柾木 旭士 @masaki_asato

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