第六場 開港

 来客を出迎えに出た窓と共に、一人の男が管理人室へと入る。

 世良の知り合いと思しき男の割には、若い男だった。礼史から見ても、自分とそこまで変わらないように見えた。多く見積もっても蒼人と同じくらいだろうか。

 短髪に太い眉、大きくはないが眼力のある眼差し。その下に癖のない鼻と大きめの口があり、窓とタイプは違えど中々男前だと、初見の礼史は思った。無骨という程ではなないけれど、窓を文化系と見るならば、この男は体育会系にカテゴライズされそうなタイプである。

 その男は、窓に促されるままに管理人質の中に入ると、物珍しそうにキョロキョロとして室内を見渡している。

 何となく居場所に困っていそうな雰囲気を察した礼史は、土間部分に立て掛けてあったパイプ椅子を開いて、男の前に出した。流石にいきなり靴を脱いで、畳のフロアに上がってくるのは気が引けるだろう。

「あ、ありがとうございます」

 窓と礼史、どちらに言うでもなく会釈をすると男は続けた。

「ご挨拶が遅れて……私、<株式会社ノウ・ウェイ>の宇野晴人と申します」

「ノウ・ウェイの……宇野さん……。初めまして」

 窓が返したので、礼史も釣られて挨拶する。

「初めまして」

 宇野が腰を曲げ、それに対し窓が腰を折り、それに釣られて礼史が頭を下げて、更にそれに反応する形で宇野が見をかがめる。何とも日本人らしい挨拶のリレーが二週目に入っていた。流れを切らんとした礼史が声を出す。

「今日は、世良さんに何か、ご用ですか?」

 宇野が深く頷いた。

「はい。あまり良い話ではないのですが……ご報告に」

「良い話ではない、と言うと?」

 窓が首を傾げる。何となく言いづらそうな雰囲気を出している宇野に対し、窓が以外にもガツガツ食いついたので、礼史は内心ハラハラしてしまった。

 しかし宇野の反応は、至って落ち着いたものだった。

「はい、実はこの程、ノウ・ウェイをたたもうと考えておりまして。世良さんは、私の会社、ノウ・ウェイの創立メンバーだったそうなで。一応、ご報告に上がった次第です」

 すらすらと話した宇野の話しに対して、窓と礼史は同時に目を丸くした。

 確かに世良は引き抜かれて<タマル・システムズ>に入社したと聞いたことがあったが、まさか別で会社を立ち上げていたとは知らなかったからである。しかもその古巣が廃業すると聞いて、何ともその情報量に驚かされてしまった。

「廃業……される?」

「はい。私、若輩者ではありますが、亡き父の後を受けて社長を務めておりまして。何とか会社を切り盛りしてはいたのですが、従業員もどんどん離れていき、今や私を含めて五名だけとなりました。そろそろ潮時かと考えていたんです」

 宇野は残念そうに言った。窓が反応する。

「お父様が、亡くなられた……?」

 自分と同じ境遇ということに反応したのだろう、窓は他人事ではないような神妙な面持ちで返す。

「はい、もう三年になります。世良さんとも父の葬儀の時に一度お会いしているのですが、優しそうな方で。失礼ですが、初見ではとても噂に聞く伝説の技術者とは思えませんでしたよ」

「へえ、そちらでも『伝説の男』と? 世良さんってやっぱりすごい人なんですね」

「そりゃあもう。別に恨んでいるわけではありませんが、世良さんがこの<タマル・システムズ>さんに引き抜かれてから、顧客も世良さんについていってしまったと言うくらいです。それくらい業界内にファンがいたみたいで」

 礼史と窓は、宇野の話に圧倒されるばかりだった。関心して頷いてばかりの二人に対して、今度は宇野が質問を繰り出す。

「……お二人はこちらにお勤めの方ですか? 世良さんの留守を預かって、親しそうに見えますが」

「ああ、俺達、まだ社員というわけではないんですが……」

 そこまで言うと、礼史は口ごもった。

 というのも、自分が何者なのか説明することが複雑になっていることにその時に気が付いたからだ。ほんの数日前までならば『こちらの経営者とつながりがあって、就職する予定の者です』なんていう具合に挨拶も出来ただろう。

 しかしどうだ、今の状況は。先日会社に対し反旗を翻したと言ってもいい窓の行動を幇助し、現タマルの経営者から見れば、謀反を起こした一味である。ともすれば、その会社の警備やら管理を司るこの部屋で、一体何をしているのか。礼史は頭の中で、自分に相応しい肩書をあれこれ思案していた。

 すると窓が口を開く。

「……僕は、ここの元経営者の息子です。まだ学生ですが、宇野さんと同じく、行く行くはここを継ぐ予定でした」

 いかにもお客さん然とした、余所行きの笑顔で接していた宇野の目が鋭くなる。

「元経営者の息子さん?

 と言いますと、昨年お亡くなりになられた社長のご子息ということですか?」

「ご存知でしたか。はい、昨年亡くなった田丸秀勝の息子の、田丸窓と申します」

 窓が言いながら、頭を下げる。

 ――すると次の瞬間、窓の身体が宇野によって持ち上げられる。

 窓の胸ぐらを強かに掴み上げた宇野は、突然声を荒らげて発した。

「お前が、田丸秀勝の息子だと!?」

「いや、ちょっと――!!!」

 礼史が慌てて止めに入るが、体幹のしっかりした宇野の身体はびくともしない。

「お前の親父がなあ、うちの優秀な人間をいっぱい連れて行ったせいで!!!

 そのせいでうちの会社は経営難になったんだ!!!

 親父も身体を壊すほど働いて、病気になって死んでよぉ!!!

 もう、そっからの人生、めちゃくちゃなんだよ!!!」

「――晴人くん!!!」

 怒鳴り散らす宇野の後ろから、たった今帰ってきた世良が、何事かと察するよりも早く大声で止めに入る。

「晴人くんだね!? 窓くんを離しなさい! 彼は何も関係ないよ!」

 その声でようやく宇野の手から力が抜けて、窓の踵が地面へと帰還する。首元を圧迫されていた窓は、ゲホゲホと咳払いをしてしゃがみ込んだ。

「大丈夫か、窓!」

 礼史が駆け寄ると、窓は笑顔を作って見せた。

「……うん、大丈夫、大丈夫……」

 礼史と窓が安否確認のやりとりをしていると、その横では世良と宇野が会話を始めていた。

「晴人くん、これはどういうことだい?」

「……すみません、コイツが田丸秀勝の息子だと聞いて、取り乱してしまい……」

「確かに秀勝さんの息子だけど、彼には何の罪も無いよ?

 ……いやむしろ、秀勝さんにだって何の罪も無い。賢治――君のお父さん――だって、秀勝さんを恨んではいなかったと、私は思うけどね」

 宇野は下を向いて頭を振った。

「……確かに、親父から恨み節なんて聞いたこと無いですよ。

 でも……でも! 世良さんを始めとした優秀な人材が、ノウ・ウェイからいなくなってから会社の業績が傾いたのは事実です!

 今日だって、俺はここに、世良さんに、廃業を報告に来たんですよ!」

「……廃業?」

 世良は眉を吊り上げる。

「晴人くん、君はノウ・ウェイを畳もうと考えているのかい?」

「……はい。今や従業員も五名、現在の業績では、その彼らを雇うことすら困難になる可能性があります」

 厳しい表情のまま、世良が問いかける。

「他の四名は、なんて言っているの?」

「……給与の問題じゃないから、ノウ・ウェイで仕事を続けたいと……」

 世良の口調と、申し訳無さそうな宇野の構図はまるで詰問だった。礼史と窓が口を挟んでいいような空気ではない。

 世良は諭すように言う。

「いいかい、よく考えてみてほしい。君のやっていることは矛盾していると思うよ。一方ではノウ・ウェイを不利にしたと思った人間に対しカッとして危害を加え、一方ではノウ・ウェイに尽くしている社員を無視して、会社を畳もうとしている。

 ノウ・ウェイへの愛があるのかないのか、私には理解できないし、きっと賢治も納得しない。賢治は私がタマルに移る時、こう言ったんだ。『お前がいないくらいで傾く会社なら、遅かれ早かれ潰れる』ってね。そして『ライバルとして不足のない働きをしてくれ』とも言ってくれたよ。実に清々しい言葉だった。

 実際、私が去って十年以上、タマルの有力なライバルとしてノウ・ウェイは君臨していた。生前の賢治は、君が思うような劣等感は感じていなかったよ。きっとね」

 世良が熱のこもった論述に対し、宇野は何も言い返せないと言ったように口を一文字に閉じ、膝から崩れ落ちた。

「……でも、どうすればいいのか……大切な仲間、社員にだって家庭があったり、生活があったりするんです。帰属意識を高く持ってくれていることはありがたい、ありがたいんです、それだけに、俺が何とかしてやれないのが、申し訳なくて……」

 堰を切ったように発すると、宇野は人目を憚ること無く大粒の涙を流した。

 窓はそんな宇野の隣に歩み寄ると、優しく背中に手をおいた。

「……宇野さん、僕が言えたことじゃないかも知れないですが、僕は会社を潰すべきじゃないと思います。だってお父さんはそんなの望まないですよ。志同じくする仲間も含めて、形見みたいなものです。だったら、やれるだけのことをした方がいい」

「お前……」

 宇野は窓の手を振りほどきはしなかった。むしろゆっくりと窓の目を覗き込み、言葉をかわしていないのに、まるで魂が会話をしているみたいに静止した。礼史の目には、優秀な父を亡くした者同士、何やら共鳴しているように見えた。

 世良も二人に歩み寄ると、二人の方に一つずつ手を置き、優しく語りかけた。

「君たち二人のお父さんのこと、私はよく知っているよ。

 秀勝さんは男女問わず人を引きつける人たらしで、物事の流れを読む目を持っていたし、突飛なアイデアもすごくて、何より実行力があった。私もそんなところに惹かれて、タマルにやってきたんだから。そのことを全く後悔はしていないよ。その息子の窓くんにも同じ力を感じるし、とっても楽しみなんだ。

 賢治はまさに学者だった。私の一番の理解者でパートナーだった。学生の頃からよく二人でアイデアを出しては、試作したりしたものさ。そしてそのシステムを軸にした製品を売り出すために、他の仲間も集めて起業した。それがノウ・ウェイさ。だからノウ・ウェイは私の青春なんだ。辞めた身で言うのはなんだけど、出来れば存続してほしい。出来ることなら力になるし、君にも父譲りの優秀な頭脳があるはずだ」

 普段は人の発言を優しく聞いてくれる、聞き上手な世良が、自らの言葉で発信しようとしている姿は、とても新鮮なものがあった。礼史はここで言えば部外者なのだが、何となく自分の立場と世良を重ねてしまい、自分が窓に対して抱いている気持ちに納得が出来た気がした。

「……宇野さん」

 窓が発する。

「僕も学生の時分でこんなこと言っても、何の気休めにもならないとは、重々承知なんですが、僕も出来ることがあれば力になります。だから、もう少し、頑張ってみて下さい!」

 思わず礼史も駆け寄って、窓の横から肩を組みながら、宇野を説得する。

「あ、あの! 俺はコイツの昔からの友達で、秀勝さんのこともよく知ってます!

 だからなんだよって話なんですが、俺からもお願いしたいです! もう少し、そのノウ・ウェイって会社、頑張ってみてほしいです! 俺も何でもしますから!」

「……君は?」

「あ、申し遅れました。本田礼史です!」

 宇野は口元を緩めて、窓の顔を見た。

「いいなぁお前、相棒がいてよ」

 そう発すると、顔を濡らしていた涙を袖でごしごしと拭って立ち上がった。

「世良さん、ありがとうございます。色々聞けて良かったです。

 ……それと、田丸の息子、あと本田。いきなり取り乱して悪かった。謝る」

「いえ、大丈夫です。気持ちは分かるので……」

 窓は苦笑した。宇野が続ける。

「ここに来て、色々と話せて……もうすこし、ノウ・ウェイを頑張ってみようと思いました。世良さん、田丸、本田、さっきの言葉、信じてもいいですか?

 何かあったとき、相談してもいいですか?」

 世良はいつものようにニッコリと微笑んだ。窓と礼史も頷く。

「もちろん」

「もちろんです!」

 それを聞くと、宇野は深々と一礼した。

「――ありがとうございます……!」

 窓は宇野の隣に再び歩み寄った。

「……お互いに、頑張りましょう」

「ああ」

 二人はどちらからともなく、握手を交わした。タマルとノウ・ウェイ、偉大な父によって創設された会社の子息同士が、何かの縁で結ばれた瞬間だった。

「田丸、もしよければ――」

 宇野が言いかけて、首を横に振る。

「――いや、やっぱりいい、忘れてくれ」

 改めてその場にいた全員に別れの挨拶を交わし、宇野は管理人室を後にした。

 世良が玄関まで見送りに出た後、礼史は窓の顔を見た。何かを考えているような、何かの覚悟を決めたような、そんな眼差しで真っ直ぐに扉を見つめていた。

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