第五場 開場

 結婚記念パーティーも開催時刻が迫り、人の動きが活発になってきた。

 会場となる<マナーハウス・東儀とうぎ>には次々と社員が姿を見せる。まるで朝の出社風景かのようだが、いつもと違い皆一様に正装を決め込んでいる。

 礼史れいじそうも会場内で落ち合い、今は同じテーブルを囲んで座っている。出入り口にほど近い下座と言える位置だ。もっとも席次表があるわけでもないため、この席は自ら選んで座しただけのことである。

 一方一香いつかはというと席選択の自由などないようで、主役が座るであろう高砂たかさご席風の上座脇に、父・帆ノ宮完至ほのみやかんじ、兄・帆ノ宮一生ほのみやいっせいと並んで座っている。「帆ノ宮ほのみや一家ここにあり」とばかりに堂々と座す父と兄とは対象的に、一香は照れくさそうに下を向いている。

 会場の両端に構えた洒落た幅広のテーブルには、従業員の手で次々と料理やら飲み物が運び込まれている。どうやらビュッフェスタイルでここから各自料理を取るシステムのようだった。

 礼史は自由に食事を取りやすい形式であることを察して、心のなかでガッツポーズを決めてみせた。

「あっちに運ばれたの寿司っぽかったよな? 開幕ダッシュで取りいかないと」

 窓の耳元で囁くように礼史が言うと、窓は肩を揺らしながら答える。

「気が早いね。まずは先に飲み物のことを考えた方が良いと思うけど?」

 窓はテーブルの中央に逆さに置かれたグラスの群れを顎でしゃくってみせた。どのテーブルも同様に、グラスだけが置かれている状態のように見える。それを見てようやく礼史も窓が何を言いたいのかを察した。

「……こういうのって、俺らみたいなペーペーが瓶ビールでも配ったほうがいいのかな?」

 窓が困ったような笑顔を作りながらかぶりを振った。

「僕もさっきから考えてるんだけど、何もしなくていいんじゃないかって結論に至ったよ」

「なんでだよ。未来の社長ともなればドシッと構えるってか?」

「違う違う。若手社員さんのアピールの場を潰すことはないかなって。僕らはまだ社員じゃない、部外者みたいなものなんだもの」

 礼史は首を傾げながらも窓の視線の先を追って、他テーブルに目を遣った。上座の方で若手社員の花輪はなわ金星かなほしが瓶ビールを両手に数本ずつ持ちながら、せかせかと各テーブルに配っている様子が見て取れた。

 途中途中、テーブルに座る上長と思しき人物と談笑をしながら動き回る姿を見ると、ビールを配っている当人達の方が受け取った側よりも満足そうな表情に映った。

 なるほど。窓の言わんとしていたことはこういうことか。こうはなるまいと思いながら成長していたはずの大人に、自分もあと一歩と迫っているのだな。礼史はそんなことを痛感した。

「張り切ってるなあ、花輪さんと金星さん」

「今や帆ノ宮さん達の天下だもの。こういう場こそが何よりのプレゼンなんでしょ」

 窓が嘲笑を浮かべていると、瓶ビールを持った金星がこちらに気付き、近づいてくるのが見えた。

「うわっ来たぞ来たぞ」

 礼史が小声で呟く。窓も視線をくれずに下を向きながら返す。

「小言からの自慢に千円賭ける」

 金星は礼史と窓と同席しているテーブルの連中と挨拶を交わして瓶ビールを配ると、直様二人に歩み寄り、間に立って二人の肩に同時に手を乗せた。

「こういうことは、入社してから学ばないとな。こんな言葉を教えてやる。『空のグラスとスケジュールは放っておくな』。俺が一年目に教わったことだ」

「はぃ……」

 愛想笑いを浮かべつつ卆のない返事をする礼史と対象的に、窓は無表情で返す。

「それって誰の受け売りですか」

「そりゃあ鉄哉さん――じゃなくて――社長のお言葉だよ。言われたときには電気が走ったね、このままじゃ駄目だって」

 細い眉を吊り上げて得意げに話す金星に対し、相変わらず窓はそっけなかった。

「時間は流れて時代は変わりますから。僕は空のグラスに何を注ぐかは自分で決めたいし、空きのスケジュールに何しようか考えながら寝て過ごしてしまっても、笑っていられます」

「そりゃあ詭弁だよ。ま、いいさ。お前らも社会人になりゃあ分かる」

 窓の返答に幾分鼻白んだ様子で言うと、金星は腕を上げ、背筋を伸ばすように腰を反らせた。耳元でコキコキと小さく骨の鳴るような音がしたので、思わず礼史は目を遣った。

 ワイシャツ越しにでも少し腹が弛んでいるのが分かる。金星は一見格好良く決まっているのだが、酒付き合いの代償を中性脂肪で払っているのかも知れない。

「――昨日も定時後のスケジュールが空いてたから、新宿の方でやってた技術者用のセミナーを受講してきたんだ。中々良かったぜ。入社前にああいう基礎を知っておくと強い。お前らも一度調べてみるといい」

 これにも窓は表情一つ変えずに返す。

「今大学のゼミの方が忙しいので。学生は学業が本分だし、卒業できないことには就職も出来ませんから」

 金星は眉を吊り上げると分かったとばかりに数度頷く。そしてゆっくりと上体をかがめて礼史と窓の耳元に顔を寄せ、小さく発した。

「……コネだか何だか知らんが、入社したら遠慮しないぜ。ビシビシしごいてやるから覚悟しとけよ」

 礼史は気圧されて背筋が寒くなったが、横目に見た窓は薄ら笑みを浮かべていた。礼史は心の中で「窓、これ以上余計なこと言うんじゃねえぞ!」と祈った。

 その時、背後から金星の頭がパシッと叩かれた。

「痛っ……誰だよ!?」

「俺だよ」

 礼史も顔を上げて振り返る。目に飛び込んできたのは憮然とした様子の蒼人あおとだった。その背後には世良せらの姿も見える。

「あ、蒼人さん、すみません、花輪のやつかと思いまして……」

「あんな無能と一緒にすんな」

 急に腰が引けた様子の金星に対し、蒼人は睨め付けるように顔を覗き込みながら発する。

「お前さ、今コイツらに何話してたんだ?」

 金星より早く窓が口を動かす。

「社会人の心得を教わっていました」

 蒼人が顔を引き攣らせて笑う。

「はあ? お前が? 社会人の心得?」

「……いや、まああの、先輩として助言を……」

 その言葉に大きな嘆息を漏らすと、蒼人は切れ長の目を見開いて金星を睨むと、低い声で淡々と発した。

「お前が三年目にもなって満足に検査日程消化出来ねえから、こっちは昨日だって夜中までお前の分の検査に追われてんだよ。いくら飲み会やらおべんちゃらで評判良くたって、現場の技術者はお前を評価してねえからな。肝に命じとけ」

「は、はい! すみません!」

 金星はヘコヘコと何度も頭を下げる。蒼人はそんな金星の肩に手を置く。

「分かったらこのテーブルはいいから、もう行け」

「はい、すみませんでした!!!」

 逃げるように金星は花輪のいる方へと走って行った。

 蒼人はやれやれとばかりに額に手を遣ると、空いていた窓の隣の席にドカッと腰を下ろした。

「……やばいやばい、またやっちまった。今のご時世、こんな会話ですらパワハラだ何だと言われちまう。分かっちゃいるんだが、ストレスが溜まってくるとついつい出ちまうんだなあ」

「気持ちは分かるけどね。僕も技術者側の人間だったから」

 蒼人の隣に腰を下ろしながら、世良が優しい声音でフォローする。

「いや、実際脅されてたの俺らの方ですから、蒼人さんが来て助かりましたよ」

 礼史は心から礼を言うと、小さく頭を下げた。蒼人は照れくさそうに首を振る。

「別に助けてねーよ。単純にああいう輩が調子乗ってんのが、嫌なだけだ」

「同感です」

 横から窓が口を挟む。蒼人がその表情を見て微笑を浮かべる。

「その様子だと、お前あいつの講釈なんて全く聞いてねーだろ?」

「はい、僕は最初からずっと否定的でした」

「気持ちは分かる。けどよ――」

 蒼人は窓の肩に手を回しながら続けた。

「入社した後は、あんなんでも先輩だ。話くらいは聞いてやれ。頭に残せとは言わねえからよ」

「……嫌だなあ、そんな無益な時間」

「それが嫌ならさっさと社長になってくれ! そん時は俺も取締役で頼むわ」

「じゃあ俺も!」

 蒼人と礼史が続けざまに手を挙げたので、思わず全員から笑顔が漏れた。

 ひとしきり笑って表情が柔らかくなった窓がおもむろに立ち上がる。

「……飲み物とってきます。世良さんと蒼人さんは、何がいいですか?」

 世良と蒼人は優しく微笑んだ。

「私は瓶ビールで大丈夫だよ」

「俺もだ!」

 礼史も釣られて立ち上がると、窓の肩に手を置きながら金星の声色を真似て素っ頓狂な声を出した。

『やれば出来るじゃねえか!』

「お前やめとけや!」

 蒼人はそう言いながらもテーブルを叩いて大笑いした。窓も笑った。

 礼史は自分のネタがウケたこと満足すると、窓を肘で小突いて「行こう」と促した。

 並んで歩き始めた礼史の頭に、先日深夜の社屋で見た亡霊・秀勝の映像が過ぎった。

 今みたいに明るく過ごしていたい――。

 礼史は切にそう願った。


 飲み物を取り終え、席に戻った窓に蒼人が声をかける。

「あれ、お前まだネクタイしてないじゃねえか」

 窓は自分の胸元に目を落とすと、

「そうでした」

 と事も無げに発した。蒼人は伏し目がちに窓を見る。

「さっきも言ったが、ネクタイくらい締めとけ。持ってんだろ?」

 窓は困ったように笑う。

「はい……実は二本持ってきていて、どっちにするか迷ってるんです」

 これには蒼人も表情を緩める。

「ああ、分かる分かる。俺もツレの結婚式では周りの様子見て決めたりするからな。とにかくどっちかは付けとけよ。そして無難な白系なら俺が予備持ってるから、必要なら言えよ」

「ありがとうございます」

 そんな会話をしていると、会場が突然にざわついた。歓声のような感嘆のような何とも言えぬ四方八方からの声に、礼史は思わず周囲を見回した。

 そして観衆の目線を追った先に、着飾ったモーニング姿の鉄哉てつやの姿があり、その隣には艶やかなオレンジのドレスに身を包んだ窓の母・尋美ひろみの姿があった。

「おうおう、早速登場か」

「そうだねえ。後から『ご入場です』ってやるのかと思ったよ」

 蒼人と世良のそんな会話が聞こえているのいないのか、窓は一人視線を落としていた。そしてようやく顔を上げると、皆に拍手で迎え入れられている二人を見据えながら、ぐいっと目の前のグラスを空にした。

 その行動が何を示しているのか、礼史には分からなかった。もしかすると、窓にも分かってないんじゃないだろうか。そんなことを感じていた。

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