第三場 会場

 バスに乗って十分もすると、その停留所がアナウンスされた。

唐川からかわプリンスホテル前、唐川プリンスホテル前、お降りの方は停車ボタンを押して下さい――』

 座っていた礼史れいじがボタンに手を伸ばしたところで、前方に座っていた老婆が先にボタンを押した。礼史の伸ばした手が無念そうに虚空を彷徨った姿を見て、隣に座るそうがクスクスと笑う。

 礼史はそんな窓に対して強めに肘で一撃を見舞うと、

「おら、降りるぞ」

 と発してそそくさと降車口へと立ち上がる。窓も後に続いた。

「おばあちゃんに反射神経で負けちゃったね、礼史」

「うるさいな。あのばあちゃんが使い手なんだよ」

 ケタケタと笑いながら歩く二人に、ホテルのロビーで立っている若い男が手を振った。南波蒼人なんばあおとだ。

「よお二人共! 元気してたか?」

 礼史はついつい「やだなあ、この間会ったでしょ」と返しそうになったが、そこは蒼人に合わせて飲み込んだ。

「蒼人さん、しばらくです」

 窓が小さく会釈すると、蒼人は両掌を空に向けてため息を漏らす。

「まったく堪らねえよ、ここに立って関係者を四階に導けって言われちまってよ。喫煙所もねえし、突っ立ってるだけと寒いし、ご勘弁願いたいぜ」

「わー社会人って大変ですねー」

 礼史がわざとらしく棒読みで言うと、蒼人が口角を上げながら睨みを利かす。

「そうだな、お前が入社したら俺が抱えてる面倒事は、まずお前に引き継ぐことにしよう。社会人の大変さを身を以て知るが良いぜ」

 気圧された礼史は頭をかきながら口を動かした。

「いや、すみませんでした……温かいコーヒーとか買ってきます?」

「おうありがたい。社会の仕組みが分かってきたじゃねえか」

 横でやり取りを見ていた窓が笑っていると、蒼人がハッとした様子で窓の胸元を指差した。

「おっと窓ちゃん、次期社長と言えどノータイはまずいぜ。ネクタイ持ってるか?」

「あ、大丈夫ですポケットに入ってるので」

「そうか、もし無ければ俺が余分に持ってるから言えよ」

「ありがとうございます」

 窓はペコリと頭を下げた。礼史は周囲を見て自販機を探していたが、それらしいものは見当たらなかった。

「この辺には自販機ないですね。ホテルの中に売店ありますかね?」

「ああ、今日の会場が四階の<マナーハウス・東儀とうぎ>ってとこなんだが、同じ階に売店だとかちょっとしたバーみたいなのがあったな」

「了解です、じゃあ先に会場見てから売店行って、また来ます」

「悪いな」

 蒼人はそう言うと二人に中に進むように手で促した。本来の仕事をした形だ。

「蒼人さん、また後で」

 窓は言いながら中に入ると、今度は礼史の方を向いた。

「そうだ礼史、僕は一香いつかに呼ばれてるから、ちょっと顔だしてくる」

「なんだ、それ四階じゃないのか?」

「僕は七階の客室に呼ばれてるんだ。荷物置きとかで部屋借りたみたい」

「そっか、じゃあ一旦解散ってことで!」

「うん、また会場でね」

 そう発すると、窓はロビーを抜けてエレベーターホールの方へと歩いていった。礼史も本来であれば四階へ向かうのにエレベーターを使用すべきところなのだが、何となくついて行かない方が良い気がしたので、逆方向の階段へと向かった。


 絨毯じゅうたん張りのフロアは階段になっても続いていた。手すりも白い装飾された飾り付きで、お城のような異界情緒を漂わせている。大げさだな、と礼史は思った。

 礼史でも存在を知っているくらいには、唐川プリンスホテルは地元では名の知れた施設だった。結婚式場に用いられるのはもちろん、近隣の大学の各式にも利用されたり、有名人がイベントをしに来たり何らかの実施会場としてポピュラーなものだった。

 今回だって例外ではなく一介の中小企業である<タマル・システムズ>の催しに使用される。百人規模の社員を受け入れるには民間の飲食店では難しいという判断なのか、はたまた帆ノ宮ほのみやの老獪な処世術の為せる業なのか。いずれにせよ、このホテルのイベントフロアを借り切って、今日の結婚パーティーは開催される。

 礼史の正直な気持ちとしては、民間の飲食店で実施してほしかった。

 この会場は大げさだ。

 その一言に尽きる。何の配慮かは知らないが、今日は結婚式という形ではない。その実、会場から何からまるで披露宴のそれではないか。パーティーという体の良い傀儡を使っただけの結婚披露宴である。それがとても気持ち悪かった。

 本当に会社的にお祝いを贈るだけの結婚記念パーティーならば、そこいらの大きめの中華料理屋でも貸し切ればいいのだ。その方がずっとお似合いだ。

 白い階段を一段、また一段と登りながら、礼史の内にそんな感情が渦巻いていた。


 ◆◆◆◆


 四階に上がると階段前のスペースは開けた空間となっていた。目の前には大きな観音開きの扉がそびえており、その横には『㈱タマル・システムズ様』と掲げられた案内板があった。なるほど、ここが本日の会場なのだろう。

 礼史はその扉を通り過ぎて裏手の方にまわる。衣装や配膳用の小部屋のようなものがいくつかあったが、まるで関係者用とでもいうべき風体だ。本当にこんなところに売店なんかがあるのだろうか。

 疑念を抱きながら進んでいると、また景色がひらけて明るくなった。ここはエレベーターホールらしい。階段側とは異なり外壁がガラス張りになっており、横を流れる唐川の向こう岸に華々しい都会の眺望が望めた。まるで展望室だ。

 よく見ればこちら側にも観音開きの扉があり、本日の会場への出入り口となっている。本命の通路はこちらとみて間違いなさそうだ。

 その脇には待合室と思しきラウンジがあり、中央のテーブルには洒落たグラスに入った飲み物が、所狭しと置かれている。

「タマル・システムズ様の方でしょうか?」

 周囲をボケっと見渡していた礼史に、パンツスーツ姿の女性が声を掛ける。名札から察するに従業員だろう。

「あ、はい」

 礼史がたどたどしく返答すると、女性は恭しく手を前で組み一礼した。

「本日はおめでとうございます。まだ開場前となっておりますが、右手のラウンジの方でお待ち頂けます。センターテーブルに飲み物と軽食をご用意してございますので、宜しければそちらの方をお召し上がりながら、今暫くお待ち下さい」

 プログラムされたロボットのように淀みなくそう発すると、再びこうべを垂れた。

「はい、わかりました。あ、すみませんが、このへんに売店ってありますか?」

「はいございます。ラウンジの裏手にまわって頂きますと、各種アメニティ程度のものやお飲み物が売っている売店がございます。おタバコ、アルコール類は置いておりませんので、予めご容赦願います」

 またもマニュアル通りといった口ぶりでそう話し、作り物のような笑顔を見せる。

「ありがとうございます、行ってみます」

「ごゆっくりどうぞ」

 そう言った従業員が下げた頭を戻すよりも早く、礼史はそそくさと売店の方へ移動を開始した。背後から笑顔と視線を感じたが、相手がその場を去らないのであれば、自分が移動する他ないと考えた。

 ようやく視線が切れて売店が見えてきた時、礼史は捨てるように呟いた。

「……だから、大げさなんだよ」

 適当な温かい飲み物を見繕って、さっさと蒼人さんのところへ行こう。窓もいっちゃんと宜しくやってるだろうし、俺は暇だからな。礼史はそんなことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る