第三幕

下:事情の二乗

第一場 作り手としての高揚感

 ――今すぐ、ノウ・ウェイに就職することにした。

 窓からそのことを告げられて、礼史は驚愕した。小一時間そのリスクや問題点などを礼史なりに述べてみたのだが、窓の意思は固く、全くもって聞き入れては貰えなかった。それどころか、宇野と約束した今後のプランについてを熱く語られたし、それに礼史も付き合うように半ば強引に要請された。

 窓から語られたプランはこうだった――。


 プランその一。

 人員計画について。まず<タマル・システムズ>から世良真純を引き抜いて、契約社員として雇用する。補足として正社員としないのは年齢のため。そこで製品開発の指揮をとってもらう。

 社長は引き続き宇野晴人とするが、田丸窓も役員とする。これは宇野の発案によるもの。ただし窓の意思で、窓は開発メンバーとして開発にも携わる。

 また、窓のプランとしては世良だけでなく<タマル・システムズ>に存在している、現状のタマルに不満を抱いている人材を徐々に引き抜いていく。蒼人もターゲットの一人。窓が直接交渉することで、秀勝派の人間の多くを引き抜ける算段が有り、鉄哉からしても不満分子となり得る人材のため、流出に対して特に抵抗はないものと想定される。

 タマルに就職予定だった人材もそのターゲット。本田礼史、帆ノ宮一香が対象となる。これは窓の個人的な願望だったが、宇野も既に了承済み。

 礼史については宇野も初対面で気に入っており、一香については喉から手が出るほど欲しい、女子社員ということで問答無用でオーケーとのことだ。


 プランそのニ。

 製品計画について。まずは窓と世良とでベースを作成した音声合成ソフトを汎用化していく。これにより、声優の仕事のあり方にイノベーションを起こせる。声優と呼ばれる人は、直接吹き込むだけではなく『声を貸す』商売が可能となる。声を借りて音声合成し、その声優の声としてソフトで自由に喋らせる。声の著作、声のサブスクリプションを可能とするのが目的だ。まずはここに全社で注力し、会社としての基盤を作る。


 プランその三。

 会社名について。実際のところ『ノウ・ウェイ』という言葉はイメージが良くない。宇野を逆にして『KNOW』と読ませているらしいが、それが伝わらずに、耳で聞くだけだとどう考えても『NO WAY』つまり『ありえない、方法がない』のように聞こえてしまう。

 そのため会社名を見直す。『UNO』と『TAMARU』の文字を入れたもので窓と宇野が考えた結果、窓の発案で『UnisonTerminal』、つまりは<株式会社ユニゾン・ターミナル>となった。略称も『UT』となり、それぞれの名字のイニシャルとなるのもポイントらしい。得意げに窓のしたり顔が印象的だった。


 まずはこれらの改革プランを進めることで、ノウ・ウェイ改め、UTを成長させて軌道に乗せていく。具体的な目標設定を行うことで、団結して進むことが出来るし、他社から見た時も、そういう集団は魅力的に映ることから、更なる優秀な人材や顧客の獲得に有利に働くのだとか。

 事実会社は士気を高めており、世良の転職発表により、タマル内の人材の移動も始まりつつあるとのことだ。


◆◆◆◆


「――でもよ、やっぱり大学くらい出てもいいんじゃないか?」

 礼史が窓に語りかける。もうこの一ヶ月で何度この話題を振ったか分からない。そしてやっぱり窓の返しも変わらない。

「今じゃなきゃ、意味がないんだってば。後一年弱待っている間に、技術はどんどん進んでいくよ。すごい速さでね。だから『ボイス・イズ・マネー』プロジェクトを実行するならば、競合のいない今だよ。こういうのは先に出したもん勝ちで、それ以降は全部二番煎じの扱いを受ける。それだけで本家より安く買い叩かれてしまうんだからね」

 相変わらずの早口だった。窓はこの話題になると必ずこの口調になる。秀勝っぽさもありながら、世良の技術者口調もハイブリッドされているようだ。そして得意気に語る『ボイス・イズ・マネー』という単語。これは音声合成による、声のサブスクリプションを実現するための『プロジェクト名』というらしい。

 もっとも、まだ学生の礼史には現場のそのあたりのことは今ひとつ分からないし、窓の口から日本人ビジネスマン特有の横文字が度々飛び出すようになったものだから、いちいち突っ込んでいたら話にならない。礼史は最近前後の行間で、何となく納得した気になって話を聞き流すことも増えていた。

「退学の手続きはどうした? 商業Ⅰの授業では、出席の時、未だにお前のお前が呼ばれているんだが?」

「……まだしてない」

 礼史は嘆息混じりに言う。

「……これも何回も言ってるけどさ、さっさと鉄哉さんと尋美さんと会話して、しっかり手続きも踏んでこいよ」

「分かってるよ」

「分かってねえだろ、会社と俺ん家を行ったり来たりしてる根無し草状態じゃねえか!」

 礼史が伏し目がちに言うと、窓は申し訳無さそうに笑った。

「だからゴメンって。初任給が入ったら会社の近くに部屋を借りるよ。ここからそう遠くないし、なるべく安いところでね」

「携帯も買え! もしくは取りに行ってこい!」

「うーん、出来れば取りに行けた方が嬉しいな、一応使い慣れた携帯だからね……」

 窓は腕組みしながら、面倒くさそうに目を曇らせた。

「……一回、家帰れよ。そんで話しつけてこい」

「……そうだね、そろそろ、そうしないとね」

 観念したかのように、そうも大きく息を吐いた。


◆◆◆◆


 礼史は、最近思い至ったことがある。

 我ながら鋭い人間であるという自覚はないし、頭が切れる人間ではない。けれども自分には『語り手』のような力はあると考えていた。

 絶対的な存在を前にして、決してその邪魔をせず、その行動を止める程の異を唱えず、見届けるバランス感覚を持っていると思っていた。

 例えば窓のような。例えば秀勝のような、そして例えば世良のような個性。そんな人間達を間近に見ている生き証人が自分なのだ。


 そんな語り手だからこそ、違和感を覚えていることがある。

 まず一番は『秀勝の亡霊』だ。今回の一連の出来事の発起となったことは誰の目にも明らかである。もちろん礼史自身、この話から今回の一件に足を踏み込んだのだ。

 そんな重要な局面であるはずのこの亡霊騒動を、この一ヶ月ばかり、誰一人として気にかけていないのである。これが最も大きな違和感だった。

 しかもだ、秀勝の亡霊が『嘘をついた』ままになっているじゃないか。思い出さなければいけないはずのあの晩、あの発言。『テツヤニコロサレタ』は一体どこに行ってしまったのか。

 これは『鉄哉の声色作戦』によって否定された事実なのだ。鉄哉は秀勝を殺すことはおろか、その直前に口論をしてしまったことにより、誰よりも気に病んでおり、自ら進んで亡霊を見ているとまで言っているのだ。

 この事実に言及する人間がいないのはどうしたことか。しかも自分より頭脳明晰であろうはずの窓や世良が携わった件なのにも関わらず、これはおかしい。

 別に今進んでいる方向が、間違っているとは思わない。窓も本当の意味で立ち直って、世良もあるべき開発の第一線へと戻って行った。蒼人も世良について行こうと息巻いて今の仕事を片付けているし、鉄哉からしても不満分子の粛清をせずとも、あちらから去ってくれるという好都合っぷりだ。


 ――逆に言えば、出来すぎなのだ。

 語り手の口から言わせてもらえば、人生において起承転結の『結』がこんなに強くまとまるなんておかしいのだ。結論がしっかりと大団円か凄惨なものかに振れていくのは、あくまでおとぎ話のように、作られた物語だからである。

 実際の出来事というのは、大半が『起承転欠』や『起承転穴』のように、不完全なものになるのがリアルなのである。

 これは誰かによって作られた『物語』なのではないか。礼史はそんな思いを胸に、<タマル・システムズ>の社屋へと、足を進めていた。

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