第三場 邂逅
世良は、窓に先日礼史に見せたものと同じ映像を見せた。
事前に礼史から概要を聞いていたとは言え、窓は終始落ち着いた様子だった。
礼史はてっきり取り乱すのではないかと考えていたが、杞憂に終わった。
秀勝の亡霊が現れて「窓、窓、窓、窓……」と思しき言葉を唇で語ったシーンでは、流石に窓も感に耐え難いといった顔をしていたが、でもその程度だった。
「……確かに、映っていたのは父さんで間違いない」
映像が切れた後、窓は呟いた。そして続けた。
「懐かしいものを見た。あのスーツは父さんのお気に入りなんだ。動画サイトにアップした宣伝なんかでも、あれを着て話していたような記憶があるよ」
そう言うと、一度言葉を切って、何かを決心したように刮目した。
「あそこに行きたい。世良さん、僕は社長室の前に、今、行きたいです」
その強い眼差しに圧された様子の世良だったが、少しの間を置いて深く頷いた。
「……分かった。許可するよ。もともと、そうするつもりだったしね」
世良はそう言うと、棚から懐中電灯を持ち出して、窓に手渡した。
「通り道の防犯設備は私の方で解除するから、気にせず行っておいで」
「世良さんは、来ないんですか?」
「悪いけど、防犯設備を解く以上、管理人としてここを離れるわけにはいかないよ。ここで悪人でも忍び込んだら、もっと怖いことになるからね」
「そうか……そうですね」
窓は少し残念そうだったが、納得した様子だった。そして礼史の方を振り向く。
「よし……礼史、行くよ」
「え!? 俺も行くの!?」
「そりゃあ、そうでしょ」
「いや、ごめん、正直に言うと嫌だ」
慌てふためく礼史に、窓は不思議そうに首を傾げる。
「なんでよ、霊がいたとしても、父さんだよ?」
「いや、おじさんだとしても、霊だぞ?」
窓は、分かんないやつだなあ、とばかりにため息を吐く。そして思いついたようにして、今度は換気扇の下でタバコを吹かし始めた蒼人の方を向く。
「じゃあ、蒼人さんも行きましょう」
「はあ!?」
蒼人の驚きとともに口から白い煙がモワッとあがる。
「なんで俺が行くんだよ!?」
「礼史が心細そうなので」
「いや、変わらねえって! お前一人で行って来いよ!」
「それじゃあ確証が得られないじゃないですか。もし僕の幻覚とか幻聴だったら、それを証明する人がいないんですよ?」
礼史はその言葉に、確かにそうだと思った。
今は落ち着いているとは言え、今日の窓の精神状態はかなりの起伏があった。これが夜間のビルというシチュエーションによって刺激され、ありもしないものを見たり聞いたりして暴走することは、無きにしもあらずという気がしたのだ。
友人として、見届人として、自分の役割を果たす必要がある。礼史はそう思い、腹をくくった。
「……わかったよ、行くよ」
「さすが礼史」
窓は蒼人の方に目を遣る。
「じゃあ行きましょう、蒼人さん」
「いや、俺は行くって言ってねえぞ」
蒼人はぼそぼそと零していたが、そんなことは気にせず窓は靴を履き始めた。それを見て礼史も同様に足を土間の方に下ろす。
靴を履き、準備を整えた窓がドアの前まで行って振り返る。
「それでは、行ってきます」
「うん、気を付けて。モニターから見ているからね」
世良がそう言いながら手を上げた。
ドアを開けて管理人室を出ると、暗闇が広がっていた。ところどころ設置された足元の安全灯や、非常口の緑色の明かりがこんなに目立つことはないだろう。
窓に続き、礼史がドアから姿を現すと、その後ろから仏頂面の蒼人も顔を出す。
「エレベーターホールに行こう」
窓の声に無言で頷くと、礼史は歩き始めた。窓の手には懐中電灯が握られているが、まだそれに頼るほど真っ暗というわけではない。
程なくして、エレベーターホールにたどり着く。
『警備を、解除します』
突然エレベーターの方から電子音声がそう言ったので、三人は身体をビクつかせた。恐らくは世良が防犯設備を解除したのだろうが、そこに考え至るまで、礼史は頭をすごいスピードで回転させた。
ウイイィィィィィィ――……とエレベーターの奥から轟音が響いた。これもきっと世良が電源を入れたために動作を開始したのだろう。
しばらく待つと、エレベーター脇のボタンに光が灯った。窓は迷わず『▲』ボタンを押下する。轟音が大きくなりながら近づいてくる。
ポーンという電子音とともに、エレベーターのドアが開いた。
「……さあ、行こう」
窓に促されるまま、礼史と蒼人もエレベーターに乗り込む。
「ついつい、四階を押したくなるね」
階番号が記された四角いボタンの羅列を見ながら、窓が笑顔を見せる。
「研修室が四階だったからな」
礼史はそう返すのがやっとだった。窓の指は無論、四階ではなく最上階である九階のボタンを押し、迷わずに『閉』ボタンを押した。
エレベーターは、その指示通りにゆっくりと上昇を始める。
――ポーン。
電子音が鳴ってエレベーターのドアが開く。続けざまに警備解除を示す電子音声が鳴ったが、今度は一同驚かなかった。
幸いと言うか何と言うか、エレベータホールから社長室を見ることは出来ない。ホールを曲がるとそこから絨毯張りの廊下が始まり、その直線上に社長室があるのだ。
エレベーターホールから見て、大会議室、応接室、形式上の医務室と続き、一番奥に社長室がある。その社長室側の端の天井に位置する監視カメラに、亡霊が映ったというわけだ。
礼史は固唾を呑んで、エレベーターの外へと足を踏み出す。まるで月面探査期から降りるかのように、慎重な足取りだった。
窓はと言えば、呆れるほど普通に歩いている。もう角を折れて直線の絨毯に乗ろうかというところまで進んでいた。
ピピピピピピ――……
突然の胸元からの呼び出し音に、蒼人が飛び上がる。音に反応して窓も足を止めて振り返った。礼史はやや怒鳴り口調で蒼人に訊く。
「なんですか!?」
「いや、電話だ、世良さんから!」
蒼人が胸元のポケットから、会社用と思しき旧式の折りたたみ携帯電話、所謂ガラケーを取り出して、電話に出る。
「もしもし! 世良さん、なんですか! びっくりしましたよ!」
蒼人が世良言った時、窓が蒼人の横に歩み寄ってきて言う。
「この携帯、スピーカーに出来ませんか?」
「スピーカー? ああそうか、お前ら、聞こえないもんな」
そう言うと蒼人はボタンを操作して、スピーカーモードをオンにした。
『もしもし、蒼人くん?』
世良の声が、九階のエレベーターホールに響いた。窓が携帯に口を寄せる。
「あ、世良さん、窓です。なんでしょうか?」
『窓くん? いや、現状を報告しようと思ってね。今九階の映像を見ているけど、特にそれらしきものは映っていないよ』
礼史と蒼人はホッと胸を撫で下ろす。窓だけは眉を顰めたように見える。
「そうですか、こっちも社長室の方に向かってみます」
『分かった。じゃあそのままスピーカーにしておいて、何か変化があればすぐに伝えるから』
「了解です、んじゃあ、俺の胸ポケットにこのままいれときますわ」
蒼人が携帯を開いたまま、胸ポケットに差すと、丁度液晶部分だけが外にはみ出るような形になった。
「行こう」
窓の言葉に頷くと、全員で歩を進め始める。世良からの連絡が気を休めてくれたのか、先程まであれほど曲がりたくなかったあの角を、何のこと無く突破した。
赤い絨毯の敷き詰められたフロアに出る。やはりここは高級感があるというか、流石は社長室のあるフロアだなと、礼史は思った。
夜中で見通しが悪いとは言え、中々入る機会のない蒼人にとっては、少しばかりテンションのあがる場所のようだ。通る道すがら、その部屋にまつわる話を、披露している。
「――大会議室か、ここに来るのは年二回だけだな。前期と後期でグループ会議やったりなんかするところだ」
「――応接室。ここなんて面接の時以来、入った試しがねえ。革張りのソファーが格好良い部屋だ」
「――名ばかりの医務室ね。これはある程度の規模の会社には必要だから設置されてはいるんだが、実際のところ、お偉いさんの仮眠室だって噂だぜ。
それどころかよ、不倫カップルの逢瀬に使われてるだなんて話もある。どっちにせよ、不義の温床ってトコだな」
「蒼人さん、めっちゃ喋りますね」
礼史が切り込んだ。
「うるせえな、こんなとこで静かよりは良いだろが!」
確かに。
礼史は思い直して、蒼人の話に耳を傾けようかと思っていた、その時――。
カチカチ――。
どこからか、またあのラップ音らしきものが、暗い廊下に響いた。礼史だけでなく皆一様に物音に気が付いた様子で身構える。
場所は丁度、医務室と所長室を隔てると言った辺だろうか。
「なんだよ、なんだよ今の音は!」
蒼人が大声で見えない何かを威嚇する。窓がそれに負けない大声を出す。
「静かに!!! 何か、何か聞こえる!!!」
窓のただならぬ声に、何事かと礼史も蒼人も言うとおりにして耳を澄ます。
すると、確かに何かが聞こえた。
……サ……レ……タ。
礼史にも聞こえた。あの怪電話と同じように、恨めしいような口調で、そして洞穴から発しているかのような頼りなさで。
それでも確かに、それは田丸秀勝その人の声であるように聞こえた。
「父さん……? 父さん、なんだよ、なにを言ってるんだよ」
窓の言葉が届いたのか、それとも偶然なのか、秀勝の声がまた九階に響いた。
……テ……ツ……ヤ……ニ……コ……ロ……サ……レ……タ。
そう言った。今度ははっきりと聞き取ることが出来た。『テツヤニコロサレタ』もとい『鉄哉に殺された』と、はっきり汲み取ることが出来た。
窓が声を荒らげる。
「なんだって……? 鉄哉に、殺された? 父さん、どういうこと!?」
その時、蒼人のポケットから世良のけたたましい声が聞こえてきた。
『窓くん、窓くん! 今、君の目の前に、現れた! 出てきたよ、秀勝さんが!』
モニターを見ているだろう世良の激しい口調に、一同また耳を奪われる。
「え!? 今ですか!? 僕の目の前って、何もないですよ!?」
窓は手を前に伸ばし、虚空で手を動かしてみせた。
『そうなのかい!? 見えていないの!? もう触ってるよ!』
「いや、世良さん、俺達にゃ何も見えないですよ!?」
蒼人が返す。世良も余裕のない口調で応酬する。
『でもこっちには映ってるんだって! 窓くんの前、この間のように!』
礼史が窓に目を遣ると、窓はその場に立ち尽くして、目の前の空間をただ見つめていた。世良の話が本当ならば、そこに父親がいるはずなのだ。こちらから認識は出来ていないが、ついにここで、生者と死者の邂逅が為されたと言える。
窓は呟いた。
「本当なの? 父さん……」
返す声は無い。少なくとも礼史には聞こえなかった。世良がまたスピーカー越しに大声で発する。
『ああ! 窓くん、消えるよ、秀勝さんが、消えていくよ!』
「え! 消える!? 父さん! 父さん!
分かった、そのメッセージ、受け取ったよ!」
窓は何もない空間に力強く発した。まるで迫真の一人芝居のようで、何だか物悲しい雰囲気が漂っている。
しかし問題はそこではない。亡霊が発した言葉の方である。
「――テツヤニコロサレタ」
これが事実ならば、大変なことだ。稀代の実業家・田丸秀勝の死因は、事故死となっている。
調べによると、秀勝は死亡した日、出張からの帰りに会社に寄っている。そしてコンビニ袋を片手に社長室に入った。監視カメラの映像から確認出来る。コンビニ側の情報提供によれば、購入したのは缶ビール等の酒類であったとのこと。
数時間後の深夜、部屋から出てきた秀勝は、おぼつかない足取りで屋上への階段へと向かった。かなり酒に酔っていたと推測される。
そして、その映像が生きている秀勝の最後の姿となった。翌朝、清掃員によって、階段下で倒れている秀勝の死体が発見された。持ち物などから、屋上にタバコを吸いに行ったとされる。
その帰りに、階段から滑落し、頭部を強打して帰らぬ人となった。
当時ニュースにもなり、礼史も窓も身内として同様の説明を受けていた。
――これを警察の怠慢として殺人に訂正させるような事態なのである。
皆それを感じたのだろう。ここが九階であること、亡霊との邂逅、そんなことではなく、この会社に蠢いているかも知れない、悪辣非道な事象に恐怖を覚えていた。
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