第14話私の場合
私の場合
たった一度…そう、たった一度覚醒剤を使うまで、アルコールはビールを飲もうが朝まで盛場であらゆる酒を飲もうが、ただ酔って眠るだけのアイテムに違いなかった。
ところがどうだ、一度覚醒剤を使ってから、酒を飲む度に覚醒剤への渇望が体の内側からこれでもか…と湧き上がってくる。
直ぐに電話を取り、覚醒剤の売人へと電話を掛ける。
40年以上も覚醒剤に関わってきた僕だ…。
どうしてもやりたいとなれば金なんか要らない。
一本の電話で今いる場所に届けてもらうことさえ、簡単にやってのけるだろう。
その一回で終わるのなら、それもまた誰かに非難されることも少ない。
しかし、その一回が火種となって、僕の人生の歯車を狂わせてしまった。
その頃、運がいいのか悪いのか、昔…と言ってもそれほど遠く無い以前に付き合っていた女の子とヨリが戻った。
女の子…そう、娘との歳の差は僅かに一歳だけ。
僕には5歳の時に生き別れた娘がいた。
刑務所の出入りを繰り返す僕に、元嫁は娘との接見を拒み続けた。
娘が17歳で高校を中退し、アルバイト先で知り合った大学生とできちゃった婚で結婚した。
一生に一度の花嫁衣装…見たいと思った。
元嫁に結婚式場を教えてくれるように頼んだ。
もちろん自分が父親だなんて名乗り出るつもりは無い。
式場のお偉いさんに事情を説明すれば、当日1日だけ従業員のような顔でホールの片隅に立つ事を許してくれるだろう…そう思ったからだ。
しかし元嫁は式の日取りも、その会場さえも教えてはくれなかった。
許せなかった。
娘の体の中に流れる赤い血のその半分は、確かに僕のDNAが含まれていると言うのに、なぜ僕だけが娘の晴れ姿を見ることができないのか…。
娘を捨てたのは僕じゃない。
刑務所から出て来るまで必ず待っていると約束した元嫁が、その口の根が乾く前にサッサと男を作って消えただけだ。
娘会いたさに…ただ娘会いたさに胸の奥深くに仕舞い込んだその想いが首をもたげ、僕の唇を伝って言葉となった。
その日から僕は5年と言う長い年月、元嫁と絶縁し娘の情報も耳に入ってこなくなった。
そんな折、インターネットの掲示板に女の子の書き込みがあるのを見つけた。
「今から千葉駅、キメセク、足つき、お土産付きで会える人」
車で迎えにきて、覚醒剤を使ってSEXをし、帰りには覚醒剤をお土産で持たせてくれる人を募集していた。
直ぐに連絡し、その条件の全てを満たしている事を伝えた。
話は直ぐにまとまり、僕は埼玉県の川口市から猛スピードでその女の子が待つ千葉駅へと向かった。
そこに居たのは僕の稚拙な書「冷えたキールとバーボンソーダ18禁」に出て来る貴子のモデルとなった女の子だった。
娘と同世代…ただそれだけで、僕はその子に深く傾倒していった。
援デリと呼ばれるフリーランスの地下風俗で、荒稼ぎしているような女の子だった。
その子が僕と知り合い、風俗の仕事を辞めた。
僕は川口市にあるビジネスホテルをマンスリーで借り、その子を身近に置いた。
毎日のように会い、そして二人で覚醒剤を使い、夜通しお互いの体を貪った。
その関係は一年ほど続いた。
僕に窃盗罪の容疑で逮捕状が出されたと知った時、この子との別れを決意した。
自分の過去を知らない一般の会社員と結婚し、子供を産んで幸せになりなさい。
それが僕とその子の最後の会話だった。
その後、直ぐに僕は富山県警に逮捕された。
3年後、僕が刑務所から出所すると、僕との最後の会話をそのまま実行したかの様に、その子は可愛らしい女の子の母親となっていた。
幸せそうに見えた。
もう、僕のような初老の薬物依存者が立ち入る隙など無いように見えた。
それからしばらくした後、娘が心の病で倒れたと元嫁から連絡があった。
その時、自分に二人の孫がいる事を知った。
でき婚の時に生まれた初孫は5歳になり、下の子はまだ2歳にもなっていない。
旦那のDVに耐えきれず、家を出たらしい。
まだ若い子供と言ってもいい年頃の女の子…日々の生活苦に、たちまちせっぱつまり心に闇を抱えたらしい。
5歳の孫は別れた旦那方に引き取られ、2歳の孫の引取先に頭を痛めている様だった。
施設に預けるしかない。
元嫁はそう言った。
何か大きな問題が起きた時…不思議な事に僕はいつもタイミングが良い。
コロナ到来によって仕事が薄く、アルバイトに行った先で僕は転落事故を起こし労災を受けていた時だった。
時間と生活を保証するお金が有った。
迷う事なく孫を引き取った。
そうなって尚、元嫁は僕と娘の面会を拒んだ。
それでも、母となった娘は我が子恋しさに僕を訪ねてきた。
せめてその時くらいシラフでいたい…そう思う自分がいた。
それも出来なかった。
孫が我が家に来た時、オシメの変え方さえ分からない僕が最初に頼ったのは元カノ、仮に貴子としておこうその彼女だった。
あれだけどっぷりと薬物の世界に浸っていた貴子も、母親となりコーヒーやタバコさえも授乳が終わるまでは…と止めるほどの更生ぶりだった。
しかし、僕の中では貴子と会った瞬間からあの悦楽の日々が蘇り、寝ても覚めても覚醒剤のことしか考えられなくなっていた。
聞けば、貴子は旦那とも別居中だと言う。
僕と貴子が男女の関係に戻るまで、時間はそれほどかからなかった。
貴子は週に3日ほど僕の部屋に泊まり、自分の住む千葉へと帰って行く。
貴子が横浜に来る3日間、僕だけが覚醒剤にどっぷりと浸った。
貴子はがんとして覚醒剤を受け付けなかった。
その意志の強さに、僕は尊敬と賞賛を贈った…と同時に僕の腐敗しきった脳みそは、一抹の寂しさをも覚えていた。
さらには…いつまでも続くものか…そう冷ややかな目で貴子を見ている僕もいた。
令和2年11月…娘が孫の保育園の送り迎えに車が欲しいと言い出した。
コロナ真っ只中…託児所を併設した教習所は岐阜と北海道の釧路にしか無かった。
娘は私の育った北海道に行ってみたいと釧路の教習所を選んだ。
貴子と娘の歳の差は僅かに一歳。
会うたびに友好を深めた二人は、一緒に教習所に行った。
娘が先に運転免許を取得するための講義を終え、羽田空港へと戻ってきた。
その後二週間遅れで貴子が戻った。
言動や行動…日々の習慣までもが別人と化していた。
北海道で何があったのかは分からない。
ただ、人の性格や生活習慣が突然変わる事はそう滅多にあるものではない。
それが薬物経験者なら、その理由は一目瞭然と言っても違いはあるまい。
運転免許証と自動車を手に入れ、行動範囲の広がった貴子に僕は翻弄され続け、冷静になればどうでもいい様な嘘に僕は固執した。
気がつくと3ヶ月もの時間が経過し、千葉と横浜の往復に頼りない僕の蓄えが全て注ぎ込まれた。
コロナによる恩恵…緊急小口融資や継続支援金と言うあぶく銭が、何の意味も持たないただの借金として残った。
虚しかった…悔しかった…何より許せないのは、貴子の計算され尽くした嘘によって、僕だけが悪者になり家族から非難され続けた事だった。
未だ薬物から離脱できずにいることさえ娘や元嫁に知られる事となり、僕は肩身の狭い思いをしながら、ギリギリのところで家族の絆を繋いで行くしかなかった。
貴子のついた一番大きな嘘は、自分が覚醒剤をやっている事を隠すため、僕をより深みにハマった薬物依存者に仕立てる事だった。
貴子は言った。
「あなたが覚醒剤をやる事で、私は娘も人生も失う可能性があるんですよ…言ってることわかりますよね?」
離婚の成立を拒む旦那に知られては困ると言うことだろうか…。
僕はそう思った。
「ぜんぜん違います。話になりません」
貴子はそう言ったきり、それ以上の会話をしようともしない。
「対戦ゲームのHPが足りない」
まったく理解できない謎の言葉を残し、貴子は僕の元を去った。
今をもってその言葉の意味を理解する事はできないが、その前に貴子が言ったことの意味は良く分かった。
つまり…僕がもし覚醒剤の使用で捕まれば、彼女である自分も警察の尿検査を受けるだろう…そうなれば覚醒剤を使用している自分も警察に捕まり、娘は施設かあるいは旦那の元へ引き取られるだろう…そう思ったのだろう。
元嫁や娘は僕の考えを飛躍しすぎだ、あの子に限ってそんな事はないと言うが、貴子がかつて大ぽん中の援デリ嬢だった事を二人は知らない………。
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