第11話犯罪の証拠
犯罪の証拠
会う人ごとに「痩せたね」と言う一言をかけられる様になった。
刑務所を出所して約2年…僕は浴びる様に飲んでいた酒のせいで急激に太った。
それが…僅か数ヶ月で誤魔化しが効かない程に痩せてしまった。
僕の過去を知っている人なら、今の僕がどう言う理由で痩せてしまったのかを、容易に関連付ける事が出来ただろう。
事実、彼らが想像していることに間違いはなく、彼らが蔑む様に見る僕への辛辣な視線にも反論する事が出来ないでいた。
覚醒剤の使用と言う悪癖から抜け出し、どうにか自分を取り戻さなければ…。
思えば思うほど焦りは日々膨らんでいった。
仕事以外では人に会わない生活が続いていた。
いや、それどころか…家にすらほとんどと言って良いほど帰っていない。
僕が住むのは知る人ぞ知る生活不適格者たちが住うあの街…およそ港町横浜のイメージを覆す浮浪者の街だ。
自然、警察の重要警戒地域で有り、一日中凡ゆるサイレンの鳴り止まない無法地帯だ。
何故そんなところに?
そう思うかも知れないが、関内駅や元町、横浜スタジアムにほど近く便利な事この上ない。
ドヤと呼ばれる簡易宿泊所が乱立する寿地区と道路を一本挟んで、僕が勤める会社の寮が有る。
覚醒剤を使用すると言うことは、常に犯罪の証拠を体内に保有しているのと同じ事だ。
警察の職務質問に会い前科前歴を調べられた後、管轄の伊勢佐木警察に連れて行かれ尿検査でもされようものなら、僕のような常習犯なら2年以上の懲役を喰らうのは保障付きだ。
ましてや僕の場合一度でも覚醒剤を使おう物なら、顔は痩せこけ額には脂汗を浮かべ、目の下には色の濃い隈が張り付いてしまう。
生活不適格者が大手を振って闊歩する街この寿町は犯罪の宝庫、そう無法地帯といって良い。
青白い顔の男が、誰とも目を合わさないように俯き加減で歩いていれば、警察はそれを見逃さない。
たちまち数人の制服に囲まれ、名前を教えろ、身分証を出せ、前科はあるか、正直に答えろと矢のような質問を浴びせ掛ける。
その間にも制服の警官は仲間を呼び集め、パトカー数台にボリスバイクや自転車に乗った近所の交番から駆けつけた職業が警察と言うだけのクソガキどもに好きなようにいたぶられる。
本来、任意であるはずの職務質問も、痩せて目の下に隈を張り付けていると言うだけで、無理矢理強制執行の対象者にしてしまう。
事実、こんな体たらくに落ちる前は、僕も何度か職務質問にあっている。
今の覚醒剤は昔のそれとは違い、驚くほどの純度の低さと質の悪さで、たまポン(ごくごくたまにしか薬を使用しないこと)なら3日も有れば体内から薬が抜ける。
今なら大丈夫…そう思う時だけ、僕は寮の前の駐車スペースで車の中の仕事で使う材料や工具の整理をした。
時間にして5分か10分…その短時間でさえ、警官は自分の点数稼ぎのために声を掛けてくる。
こんな事があった。
日勤の仕事が終わり一度寮に帰った。
TSUTAYAのDVDが新作だけは、直ぐに返さないと延滞金がつくと会社の同僚に聞いたからだ。
寮の前に車を横付けしたのが17時ちょうど。
19時には東京の練馬に行かなくてはならない。
環状8号線は今日も渋滞だろう。
シャワーを浴びる時間もない。
僕は階段を駆け上がった。
5枚あるTSUTAYAのレンタルDVDの中から新作を探した。
どうにか探し出し安全靴のカカトを持ち上げるのももどかしく、僕は自分の車の運転席のドアを開けた。
その瞬間、何処にいたのか目の前の進路をパトカーがふさぎ3人の警官が飛び出した。
僕は取り乱す風もなく「なんだテメェら?」と凄んで見せた。
「すみません、協力をお願いしますよ」
ニヤけたニキビ
「協力?オメェら人に物頼む態度じゃねぇな」
僕は3人の警官の顔を一人ずつ睨み付けた。
「そんな凄んで見せたって不利になるだけですよ」
別の警官が言った。
最後に薬物を使用してから2週間は過ぎていた。
覚醒剤の陽性反応など絶対に出ないと分かっている今、いつもなら相手が降参するまで口撃を緩めないのだが、今日はこれから向かう夜勤の夕礼に間に合うかどうかの時間…。
事情を話し職質には応じられない旨申し伝えた。
しかし、一人でも多くのポン中を見つけ出し、自分の昇進に躍起になっている偽善に満ちた警察官は許してくれない。
僕たちがどんな事情を抱えてようと、仕事に遅れようと、もっと言えば親の死に目に会えないとしても、ヤツらはその理由さえ信じようとしない。
「旦那さん、すぐ終わりますから今から伊勢佐木警察まで行って小便取らせてくださいよ」
他の二人の警察官はその様子を見てニヤけた面をしている。
「テメェらいい加減にしろよ、これから夜勤でもう時間がないって言ってんだろうが。逃げも隠れましねぇから、夜勤が終わる朝の5時頃にでもうちに来い」
急いでいるのは十分に伝わった筈だ。
僕は自分の車のドアを開け、半身を車内へと入れた。
途端に腕を掴まれ、別の警官は車の前に立ちはだかった。
「ふざけんじゃねぇぞ、時間がないって言ってんだろ」
このところ社長には迷惑の掛け通しだ。
せめて仕事だけは完璧にこなしたかった。
遅刻をして会社の信用に傷を付けるなど有り得ないと思った。
僕の興奮は沸騰点に達していた。
車から降り、一人の警官に向かって行った。
大声で捲し立てた。
浮浪者たちの取り巻きが出来ていた。
「慎ちゃん、何やってるの?」
頭の上から聞こえて来た声…見なくても社長と分かる。
「職質ですよ」
僕はキレた態度で返事を返した。
「今行くから手を出しちゃダメだよ」
社長はそう言って直ぐに降りて来た。
「うちの社員だけど何かあった?」
社長が一人の警官に聞いた。
「いえ、前科があると聞いたので尿検査の協力をしたところです」
その言葉を聞いた途端、僕は呆れてこの馬鹿どもをどうにかしてやらなければ気がずない気持ちになる。
「今前科って言ったか?言ったよな」
そう怒鳴りながら僕は前科と言う言葉を言った警官に詰め寄った。
「刑務所から出て来てやっと雇ってもらった会社だぞ、名字も名前も変えて前科を隠して仕事してるんだぞ、お前の言った一言で俺がこの会社をクビになったら、必ずお前に仕返ししてやるからな」
「慎ちゃんの前科は前から知ってるよ」
社長が笑いながら僕を警官から遠ざけた。
「後は俺が話すから、慎ちゃんは夜勤に行って良いよ」
社長に言われ、僕は車に乗ってエンジンを掛けた。
誰も止めようとはしなかった。
苦虫を噛み潰したような顔をして、若いボンクラ警官どもが僕の車が走り去るのを見ていた。
TSUTAYAにDVDを返しにいく時間はもう無かった。
もし社長が騒ぎを聞きつけて顔を覗かせなければ…僕は確実に伊勢佐木警察署に連行され、尿検査をされただろう。
或いは…警官の一人に殴りかかり、公務執行妨害で捕まっていたかもしれない。
狙い撃ち…そんな言葉が頭に浮かんだ。
覚醒剤の常習者を管轄の警察はリストアップしている。
刑務所から出た後、何処に住んでいるのかも調べ上げている筈だ。
「もう二度と覚醒剤には手を出しません」
裁判官の前で誓った言葉を、警察は信じていない。
当たり前だ。
僕でさえ信じていないのだから…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます