第15話なぜ覚醒剤をやってはいけないのか(最終話)〜ターニングポイント〜
なぜ覚醒剤をやってはいけないのか(最終話)
〜ターニングポイント〜
繰り返し言ってきたことではあるが、覚醒剤依存症は病気で有る。
それも初期や末期などの言葉とは無縁の、重大かつ重症の病だ。
いかなる名医の経験と知識とその医術を持ってしても、完治させる事はできない。
不治の病…そう言っても、大袈裟だと僕は思わない。
周りの親兄弟、最愛のパートナーはもとより、友達や理解者である全ての人間関係を巻き込みながら破滅へと進む。
事実この僕がそうであるように…そうであったように、何故?と首を捻りたくなるほど大切な人達を失いながら今日まで僕は生きてきた。
それでも…僕はどこまで運がいいのだろうか…こんな僕を見放す事なく家族同様に迎えてくれた雇用先の社長が居て、その会社で働く事が出来たからこそ、今僕の隣で笑ってくれるパートナーや多くの人懐っこい同僚達とも、出会えたと言っていい。
以前この物語の中でも触れたが、僕に仕事と更生のチャンスを与えてくれた社長その人こそが、強靭な意思と目標をもって薬物地獄から離脱した人だった。
それだけにこんな不出来な僕を見放す事なく、辛抱強くそばに置いてくれたのだと思う。
その家族もまた素晴らしい。
時々口うるさい社長の妹は、女房でもないのにやたらと僕のやる事に口を出す。
時には僕の彼女の存在にまで…。
「慎さん、お兄ちゃんから聞いたけど、新らしい女ってまた風俗の女じゃないでしょうね!」
そんな時は何故か怒り口調だ。
女房と言うより、むしろ母親に近い。
風俗で働く女性が悪いと言ってる訳ではない。
彼女の中では、僕が付き合う風俗関係の女性は、イコールで薬物関係者だと思ってるようだ。
その息子までそうだ。
「慎さん、ウチにいる限りは薬なんてやらせないからね」
「誰が何をやろうと文句を言うつもりはない」と宣言する社長とは大違いで、次から次と僕は彼の家族に小言をもらっている。
それを幸せと呼ばず何と呼ぼうか…。
ある日……珍しく僕は家でテレビを見ていた。
元々事務所であった部屋を改造し、人が住めるように手を入れた僕の部屋は、一人暮らしには広すぎるリビングが厄介なほどだ。
32インチのテレビでは、ソファーがわりに置いた壁際のベットからでは、老眼の強い僕には字幕さえ読めない。
覚醒剤さえやらなければ…60インチのテレビくらい、いつだって買えるだけの給料はもらっている。
眉間にシワを寄せながらテレビの字幕を読んでいると、滅多に鳴らない僕の電話が震えている。
電話のディスプレイには「桜田」の文字…。
先週まで仕事をしていた現場の女性監督だ。
昨日別れたばかりの貴子と同じ歳だったことから、仕事中もお互いの恋バナに花を咲かせる事が多かった。
とても性格の良い子で、貴子との恋愛に疲れ果てていた僕は、桜田お嬢と現場で会うたびに、恋愛とは別の感情でとても大切に思える関係へと変化していくのを強く感じていた。
そのお嬢からの電話…。
先週までの現場で若干のミスがあり、手直しの連絡が来ていたその直後だっただけに、僕はまた何かミスが見つかったのかと思った。
しかし…もしその電話を受けるとしたなら、それは僕ではなく会社の代表者である社長のはずだ。
怪訝な気持ちで僕は電話を受けた。
「あのぅ…私桜田ですけど分かりますぅ」
分からないはずが無い。
携帯のディスプレイに会社の名前と、本人の名前が表示されているのだから。
「何かまた不具合がありました?」
事務的に答える僕…。
「じゃなくてぇ……」
そんな言い方も現代っ子ぽくて微笑ましくなる。
仕事の電話ではないことはすぐに分かった。
「私…車ぶつけて…直せます?」
彼女が監督する現場は、何故か僕が協力業者として担当する事が多い。
ずっと以前から電話番号は知っていたと言うのに、仕事を離れプライベートな電話ははじめてだった。
「結構やっちゃった?」
「取り敢えず後ろのドア…」
「叩き出して元に戻りそう?」
「分からない」
「ドアを支えてる真ん中の柱は内側に入ってる?」
「分からない」
何を聞いても分からないばかり…。
この目で確認し、その上で判断するしかなさそうだった。
それにしてもなぜ僕なのだろう……彼女が一番理解しているように、僕は防食と専門的な塗装をする職人なのに……思いながらも、仕事の現場以外で桜田お嬢に会えることが嬉しかった。
そんな経緯のなか、彼女は今僕の隣で静かな寝息を立てている。
某有名大学を卒業したうら若き才女…そんな将来有望な…選ぶか選ばれるか…を、問われれば選ぶ側にいるはずの彼女が…何故僕のような初老の、しかも馬に食わせるほどの前科を従えた一文なしに恋心を抱くのか、全く理解する事ができなかった。
今までの女なら…その女の年齢が幾つであろうと深くつながっていたのは、そこに薬物という共通のアイテムが有ったからこそ、お互いの利害が合致していた。
桜田お嬢とはそんな物は初めから存在しない。
深海魚と熱帯魚は自ずと同じフィールドで生きることはできない。
チョウチンアンコウとクマノミが同じ水域で生活していないことなど、子供でも理解しているではないか。
そのファインディングニモが…もう一年も僕の横で無防備な姿を晒していた。
気を抜けば食べられてしまうのに…そんな事を思いながら、僕は彼女のために人生を変えてみたい…そう思うようになっていた。
雇用主の社長は、強靭な意思と目標をもって薬物から離脱したことはすでに話した通りだ。
寡黙なだけに多くを語ることはないが、壮絶な自分との戦いを繰り返し、苦しみながら今の自分を確立させたことは聞かなくても分かる。
この僕だって一つの物語を完成させる為には、そこそこの意志の強さと根気が必要だ。
今となっては代表作となった「クリスタル〜自分についた嘘〜」にいたっては、2年の歳月と297000文字と言う大作となった。
その僕が、自分を変えられないわけが無い…。
そう思った。
しかし、その考えこそが一番危険だと言って良い。
ただの風邪なら、アスピリンを飲んで多めの水分をとりながらただやり過ごせば体調も戻ろうが、相手は覚醒剤依存症と言う大病かつ治療法のない不治の病だ。
素人判断でどうにかなるものではない。
しつこいと恫喝を受けようともう一度言おう。
覚醒剤依存症の治療を始めようと思うなら、先ずは自分が「
自覚した以上は専門医の力を借り、先ずは治療を始める事だ。
自分の力でやめられる人が居るとしたら、それはよほど体に合わないか、薬物によって死を覚悟するほど嫌な思いをした人だと私は思う。
桜田お嬢を僕の悪癖が故に、その愚かな人生に巻き込むわけにはいかない。
これ以上、僕の可能性を信じる人達に絶望のふた文字を浴びせるわけにはいかない。
なによりも……残り少ない我が人生に、後悔の文字ばかりを植え付ける訳には行かなかった。
18年もの長きにわたって、ただ会いたい…自分が本当の父親である事を娘に知らせたい。
そして、いかなる非難の上にも何の見返りも求めず、一途に味方をできるのは父である自分一人だと言う事を知って欲しい。
それらの思いが膨らむだけ膨らみ、僕の中で破裂した。
40年以上…そう気がつけば40年以上の長い間、僕の中で眠っていたもう一人の僕が、長い眠りから揺り起こされた。
クリーンになりたかった。
身も心も…ただクリーンになりたかった。
気がつくと、僕の目からは涙がこぼれ落ちていた。
その涙を止めようとは思わなかった。
僕の体から流れる液体は、まだ幾ばくかの苦味を含んでいる。
流れろ、もっと激しく流れて僕の体の中に蓄積させた薬物を、体の外に押し出して欲しい…。
そんな馬鹿げたことさえ、僕は考えていた。
一度覚醒剤をやめた人が再び覚醒剤を使い出す事を「スリップ」と言う。
覚醒剤からの離脱を目的に集まる非営利集団「NA」の人たちは皆明るい。
「ナイススリップ、また一からやり直せるじゃないですか」
そんな声さえ聞こえてきそうだ。
「芹が谷病院」
今僕は自分の意思でこの病院の前に立っている。
誰に連れられてきたわけではない。
今ここに立っているのも僕一人だ。
県立でありながら、薬物やアルコールによって依存症となった人達に、広く門戸を開けている専門的病院。
自分が覚醒剤の常習者で、その上依存症を発症しているとなれば、治療の後に待っているのは病院の通報による警察の逮捕…。
そう思うことでこの病院の扉を潜る事を躊躇している者も少なくはないはずだ。
それは依存症を発症している本人ばかりではなく、その親兄弟、関係者にいたるまで同じように考え、子供を、或いは友人を守りたいばかりに薬物の解毒を掲げている医院の診察を敬遠する人がいかに多いことか。
また、猜疑心と幻覚に惑わされ続けた依存者の中には、そのような心療内科は常に警察が張り込み、逮捕の機会を探っているように思っている者も多く、同じ依存症を発症した者同士、勘ぐりにしかすぎない非現実的な事実をも、まことしやかに囁かれていることも、この病院に通うことから足が遠のいている一因になっている。
もう一度言おう…。
自らを助けようとするものに、日本の警察は追い込みをかけるほど野暮じゃない。
稀に大都市東京の某解毒専門クリニリックの前で、張り込んだ警察に捕まったと言う話も聞くが、生き馬の目を抜く東京、警視庁の点数稼ぎの小僧ならそれくらいの掟破りは平然とやってのけるのかもしれない。
しかしここは東京の隣とは言え、地方都市横浜…堂々と胸を張って……とは言わないが、安心して相談に行けばいい。
保護観察所が謳っている確立された更生プログラム……そんなものが何かの役に立っているなら聞いてみたいと思う。
学者気取りの馬鹿どもが、知ったかぶりで汲み上げたそのプログラムとやらに、刑法の番人である検事や裁判官までもが踊らされ、最後の刑から5年を経過したものにだけ与えられるはずの執行猶予という権利に、その大前提である5年を経過しない者にまで、刑の一部執行猶予を乱発している。
その結果巷には、薬物犯罪の社会的責任が軽くなったと
それが現状なのだ。
この物語を描き始めた時、僕は田代まさしが捕まったことに憤りを感じていた。
その後沢尻エリカが捕まり、高相祐一が捕まった。
その影には今言った輩たちが深く関与していたと…そう思うのは短絡すぎるだろうか。
この物語に書いて来た多くの私なりの主観……そんなものは全て忘れていい。
法律による禁止薬物だと言ったところで、その感じ方は人それぞれで、そこにまつわる罪悪感の大小もまたひとそれぞれだ。
それでも……それでもこの物語を目する機会のあった若者たちよ、犯罪予備軍の青少年少女達よ……これだけは記憶の片隅でいい、忘れずにとどめておけ!
覚醒剤は必ずお前の、お前の家族の、お前に関わる全ての理解者達の未来を、木っ端微塵に破壊する。
完
《後書きにかえて》
こんな事、一瞬で書き終えてやる…。
そう思いながら、怒りに任せて書き始めたこの物語も、気が付けば約一年半の年月が流れていた様です。
その間…色々な出来事があり過ぎて、自分の本業とは何だろうか…と己に問いかける日々も有りました。
最高の一年と言われた昨年は激動のうちに過ぎ去り、負の遺産だけを残し私の精神力を打ち砕いていきました。
まあ、そのほとんどが女難と言うやつですが…。
しかしながら最終話にも出てくる桜田お嬢との出会いもあり、終わってみれば最高の一年だったのかと思えます。
今年は前厄…厄払いに行った先の御神籤は凶…それでも、皆さんの温かい声に支えられながら、厄年の男にしか書けないような危機迫る文章を残せたらと思います。
物書きと言っても、一人の力では完結まで書き切ることはできません。
読者様の温かいメッセージは当たり前のこと、継続に向かう大きな力となります。
本当にありがとうございました。
また、気を抜けば崩れ落ちそうになる我が人生を、靖国神社の清掃奉仕を通じて見守ってくれる公安の御二方。
厳しい目で小言ばかりをくれる兄と慕う藤兄ぃ、黙して語らず、目で殺すタイプの正論社会長鈴木誠巌、その門下生の諸先輩方、皆さんの厳しき目がなければこの物語の完結を見ずまた矯正施設に送られていたかもしれません。
いつも生意気なことばかり言って僕を物書きとして認めようとはしないくせに、いざ本が出ると誰よりも真剣にセールスをしてくれる男、吉田茂…お前は最高の兄弟分です。
初めて3年と言う長い時間を、この自由な社会で謳歌できるのは、瀬戸社長…間違いなくあなたのおかげです。体の動く限りあなたの成功を間近で見続けていきたいと思います。
ゆうこちゃん、いつまでも小うるさい姑ババァでいてください。
拓美、一輝、ゆうや、ついでに亞亀人、最近グッと距離が近づいた最後の硬派猛雄さん、やま、あやちゃん、おった、イトキン、清野氏、高倉君、皆さんの理解とお声がけがあってこそ、僕は今も物語を作っています。
私に小説を書く事をすすめてくれた、亡き安部譲二氏の元嫁檀さん…また一つの作品が書き終わりました。
まだまだ頑張ります。
久恵姐ぇ、いつも優しさをありがとうございます。あなたは最強のお姉ちゃんです。いつまでも元気で素敵な姉でいて下さい。
英二兄ぃ、いつまでも御意見番でいて下さい。
そして長い年月、疲れた時、投げ出しそうになった時、何も言わずにいつも一緒にいてくれるコバ、ありがとう…次はしょうぼうさんの伝記だよ。
女のくせに引く事を知らない恐ろしき妹、みわちゃんいつも温かい真夜中のご飯をありがとう。おかげで80キロを超えてしまいました。
最後の最後に、こんな年寄りを選んでくれた君にありがとう。
後何年生きられるかわかりませんが、生きてる間は君だけを全力で愛します。
この物語に出てくる個人的なエピソードに関しては全ては私の主観となる為、創作作品とさせていただきます。
但し…薬物依存に関する苦言は未熟な私の文章力では言い足りないほどの圧倒的リアルだと思って下さい。
最後にもう一度言います。
覚悟があるなら、君が、君たちが何をやろうと感知するところではない。
しかし、覚悟がないならやるな、近寄るな、映画やドラマで観るほど覚醒剤は生やさしいものじゃない。
この物語の真実はその一点だけにある。
2022.1.23
薬物依存者 sing
なぜ覚醒剤をやってはいけないのか〜体験者だからこそここまで書ける生き地獄〜 sing @Sing0722
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