第7話 鳴家
「あ、奥様〜、こっちです〜!」
路地から田代が手を振っている。よかった、と真緒は胸を撫で下ろした。この辺りは小道が多すぎて、少し道に迷っていたのだ。
真緒たちが住むマンションから徒歩40分の、街の南西。南を守護する神社の領域に入るのは久しぶりだった。この位置なら霊やあやかしもそう悪さはできないはずだ。真緒はぽん、と帯を叩いた。今日は大きめのギンガムチェックの単に、青緑の帯を吉弥結びに締め、鳥の子色の帯締めを身につけていた。吉弥のやの字の「や」を「家」にかけて、事がうまく収まるように願掛けをしている。
時刻は朝の7時半。少々早い時間だが、もし怪異が騒いでもいいように、人出の少ない時間帯にしたのだ。
「おはようございます、奥様。わざわざご足労おかけして申し訳ございません」
「大丈夫ですよ、田代さん。私程度で事が済むならお安いものです」
田代と共に路地の奥へと進むと、板塀の門の前で工藤が待っていた。真緒の姿を確認すると、すっと頭を下げる。
「おはようございます、工藤さん」
「おはようございます、真緒さま」
年上の男性にさま付けされるのはくすぐったいのだが、「社長の奥様ですので」と何度さん付けにしてくれと頼んでも聞いてくれない。ので、真緒は呼び方に関しては諦めた。
「ここが例のおうちですか。外側は何も感じないですが……」
「内側が喧しいのです。おんおんと嘆くような軋みと、まぁまぁと宥めるような軋み。そのふたつが交互に鳴っておりますので」
工藤の説明に、真緒はえっ、と驚いた。自分は何か変なことを言ったか? と工藤も首を傾げる。
「鳴家がふたつ?」
「おそらくですが。私が聞き分けられたのはふたつでした」
「僕は何だかうるさいなぁってくらいしか分かりませんでした!」
田代が朗らかに会話に加わる。うん、君は会社のマスコットだもんね。狸だしね。楽観的だよね。
そこでようやく、真緒は田代が鞄以外のものを持っていることに気づいた。肩からかけた鞄からは風呂とキッチンのリフォームカタログが見える。手には白い風呂敷を携えていた。
「田代さん、それ、なぁに?」
「お酒とお米と念の為のお塩です! 工藤さんがあった方がいいとおっしゃっていたので持ってきました! 神社のお祓い済みです!」
「……これ、経費ですか?」
真緒は面倒臭いことに巻き込まれたのだと今更ながらに思い至り、現実逃避に家の鍵しか手に持っていない工藤に質問をした。
「経費です。弊社は落ちます」
それだけ曰く付きの物件を取り扱っていると言うことだ。
レオンの会社は真っ当な物件も扱っている。真緒たちの住むマンションは、工藤が紹介してくれたものだ。築8年の5階建ての分譲マンションだが、しっかりと大型のエレベーターがついている。駅と商店街の中間に位置し、立地条件は申し分ない。誰かが手放すと、すぐに買い手がつく人気物件だった。
「……とりあえず、中に入りましょうか」
「はい」
「はい!」
真緒の言葉を合図に、工藤が門の鍵を開けた。木造の引き戸の門は、造り直したのか築年数より綺麗だった。
「外は直したんですか?」
「30年前に台風で倒れたのを機に新しくしたそうです」
工藤を先頭に、中へと入る。立派な構えの玄関までの飛石も苔が生えているが綺麗だし、路地側の庭木は手入れがなされている。第一印象は良い古民家だ。
工藤が家の鍵を開け、ガラリと引き戸を引いた。
うわんうわん。
まぁまぁ。
「ひゃっ?」
中に入った途端、エコーのかかった声が聞こえ、真緒は思わず素っ頓狂な声をあげて耳を塞いだ。
ぴたり。
真緒の声に反応したのか、音が止んだ。真緒はそろりと耳から手を離す。
ヒトだ。
いや、ヒトとはちぃとちがうのぅ。
ボソボソと囁き声が聞こえる。この感覚は、鳴家というより付喪神─歳経たモノが成る、怪異のようだ。真緒は東京でも数回、付喪神と遭遇していた。
「神棚はどちらに?」
「20年前の地震で落ちてしまって、それ以来祀っていないとのことです」
「では大黒柱は?」
「ご案内いたします!」
田代がスリッパを用意してくれて、真緒は家の中へと上がった。ぽてぽてと田代が先導し、50センチはあるだろうか、立派な大黒柱の前に真緒を導いた。後ろから、工藤が周囲を警戒しながら、ゆっくりとやってくる。まずは家の要と話をしなくては。真緒は田代の準備した盆を敷き、酒と米を大黒柱の前に供えた。懐から名札ほどの大きさの符を取り出し、田代と工藤に手渡す。西の師匠から教わった、声なきものの声が聞こえる符だ。これで2人も、この家の声が聞こえるはずである。
「突然の訪問、失礼いたします。私たちは貴方がたと人を再び縁結ぼうと参った者どもです。されど、今のようなお声を出されると、結べる縁も結べなくなってしまいます。どうかお嘆きの理由をお聞かせいただけますでしょうか」
わしは、なげいておらぬ。なげいているのは、ほれ、ヒトがブツマとよぶへやにおる。
大黒柱から、しわがれた老爺の声がした。
「仏間、ですか」
「こちらですね」
工藤が斜め前の部屋を示した。なるほど、仏壇が置かれるはずの棚がそこにはあり、その棚を支えている柱も立派なものだった。
くちおしや。あなヒトどもめ。
仏間の柱がしゃべった。真緒と盆を持った田代が仏間へ向かい、柱の前に正座する。工藤は大黒柱の前で話を聞くようだ。
「何をそのように嘆いておられるのか、お聞かせいただけますか?」
大黒柱より幾分若く聞こえる声に、真緒は話しかけた。
われらは、よくヒトのいえにつかわれる。それはさだめとしてうけいれておるが、ヒトめ、われがあとわずかで300のよわいをへるところで、きりたおしたのだ。
わしら木にはいくつかのふしめがある。5ねん、10ねん、30ねん、50ねん、100ねん、そのあとが300ねんじゃ。それは300をこえるまえに、きりたおされたのをずっとおしんでおるのじゃ。
仏間の柱の言葉を受けて、大黒柱が説明をしてくれた。工藤が続ける。
「なるほど、300年の大樹となられる前に切り倒されて、それを惜しんでおられると」
「昔の人には樹齢何年って正確にはわからないですもんねぇ。あ、でも家として150年経っていらっしゃるんだから、あと150年この家を支えていれば、300年大樹と変わらないんじゃないですかね? まぁその間に手入れ修復は必須でしょうけど」
工藤の言葉を受けて、田代が思い付いたことを述べる。仏間の柱に、間が空いた。
なんと?
「木として生きられてきた年数と、柱となって生きられた年数を合わせたら、ゆうに300年は超えられますでしょう? そのような考え方は受け入れられませんでしょうか?」
場の空気が変わったのを機に、真緒はたたみかけた。
「家は基礎の柱を残して建て替えることができます。御二方はこの家の要の柱。ずっと残しておくべき柱でございます。お約束はできませんが、人と永く暮らせるかと思われます」
そうじゃのぅ。ぬしはあと50ねんもすれば500をこえる。りっぱなたいじゅじゃ。
カラカラと、大黒柱が笑う。仏間の柱は、そうか、そのようなかんがえかたもあるのかと、しきりに感心している。田代が満面の笑顔で真緒を見た。いい方向に話が向かっている。
で、つぎのヒトはいつくるのだ?
しばし考えた後、仏間の柱はこう言った。次の家主に会いたくて心が弾んでいるのが声からわかる。
「ええと、水回りと台所……厨ですね、のリフォーム……手直しが必要ですので、ちょっと先になってしまいますね。僕たちも早く次の方に住んで欲しいのですけど」
家は空き家になった途端、急速に廃れる。だから急いでこちらでリフォームしてから買主に売るか、買主に売り渡してリフォーム期間も含めての売買にするか。田代たちの間でもそこまでは決まっていないらしい。
「うわぁ一気に社長案件になっちゃったよ〜」
頭を抱える田代を見て、自分が出張ってる時点で社長案件だろうと真緒は思ったが、黙っていることにした。
われはわらべがすきだ。ややこうたもうたえるぞ。ヒトはおおいほうがいい。なかがにぎわうのはよいことだからな。
そうじゃのう。いまはヒトのかずがすくのぅて、さみしいからの。こんどはにぎやかなのがええの。
「……田代。氏子衆の安達さま一家ならどうだ?」
付喪神の要望と、この家の広さを鑑みた工藤が口を開いた。
「安達さん? この間ふたごちゃんが生まれたあの安達さんですか?」
「きょうだいが多くて今の家は既に手狭なのだろう? この家なら十分とまではいかないが、今の家より確実に子ども部屋が増える」
「ああ確かに。なるほど〜」
「感心してないで今連絡しろ」
「今!? なう!?」
「今回のケースは特殊だが、家は生き物だ。家主がいなければ廃れてしまう。この家は
付喪神さまが二柱もおられる。あやかしの仲間としても残しておきたいのだ」
「じゃあリフォーム代金は安達さん持ちで?」
「持ってきたカタログを無駄にするな。急げ」
「はいっ」
田代が慌ててどこかへ電話をかける。ああ安達さま、お世話になっております〜、いきなりで申し訳ないんですけど、いい物件が手に入りましたので今すぐご案内したくて〜。
真緒はなるべく電話の内容を聞かないように田代から離れた。すっと工藤もついてくる。
「個人情報になりますので詳しくは教えられないのですが」
「重々承知しています」
業務で得た個人情報は、正当な理由がなければ話すことはできない。ほとんどの商売で規定されている決まり事だ。真緒もそれを知っている。が。
やまいぬや。はなせ。
そうじゃ。あるじのじょうほうはおおいほうがいい。話せ。
付喪神たちが工藤をせっついた。工藤本人は街生まれだが、彼の父や先祖はこの山の恩恵を受けて生きてきた。その山の木々の頼みを無碍には……できない。
「……この近くに安達さまというご家族が住んでおりまして」
話しちゃうんだー。真緒は遠い目をして家の中を検分した。庭付き一戸建て。6LDKの古民家。畳も総取り替えかなぁ、とぼんやり考えた。
「お父上とご夫婦、6人のお子たちとお父上の2LDKのご実家で暮らしていまして」
「ろく……? え。どうやって暮らしてるんですか」
だいたい家庭は成り立っているのか。上の子が下の子のお世話などで割を食っているのではないか?
真緒は己が子ども時代の境遇を振り返り、思わず聞いてしまった。
「この地区は氏子衆の結束が強くて、定年退職された教員ご夫婦や、職探し中のご婦人などがお子たちの世話を買って出ていまして」
「ご飯とか足りてるんですか? お米だってすごい減るでしょう?」
「ご近所中が、夕飯などを少し多めに作って持ち寄ったり、実家が農家の方から安く手に入れているそうです。お返しと言ってはなんですが、庭師のお父上が無償で庭木の手入れをなさっているそうで」
ご近所付き合い様さまである。皆、身内のような感覚で、親切心でやっているのだろうが、真緒はそこまで干渉されるのはちょっとなぁと思っている。東京育ちの真緒には、過干渉に感じたが、本人たちがそれを良しと受け入れているのなら良いのだろう。
「付喪神さまたちのことは何てお伝えするんですか?」
「神社の神様とは違う小さな神様がいらっしゃいますと。代々続く氏子ですし、御母堂の命日には家族総出で墓参りをなさる信心深いご家族ですから、大丈夫でしょう」
「部長! これからすぐ来てくださるそうです!」
田代が嬉しそうな声を上げた。
「じゃあ、私はこの辺で失礼したほうがいいですね」
真緒はほっとした表情を工藤に向けた。工藤も珍しく微笑を浮かべて頷いている。
「お疲れ様でございました。本日はよくお休みなさってください」
長い午前だった。真緒は表の道へ出て長い長いため息を吐いた。
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