第34話 俵の鼠と雀とご隠居
雪も溶けはじめて、春の芽吹きがあちこちに見え始める頃。山寺の参道にある商店街の店のひとつ、和雑貨屋「九十九や」。本日は開店休業状態である。
「ごめんなさい、せっかくのお休みなのに来てもらって」
店主の真緒が申し訳なさそうに手を合わせた。
「いいですよ、まだバイクで遠出には寒いですし。それに最新機器を弄れるなんてこっちがありがたいですよ」
夫のレオンが経営する不動産屋の部下、佐伯がにこりと笑った。手にはバーコード読み取り機とカードリーダー式の機器を持っている。最近のキャッシュレス風潮に合わせて、九十九やでも本格的に機器を取り入れることにしたのだ。そこで機械に強い佐伯に声をかけ、設置を頼んだ。入り口の引き戸にも、各種ポイント支払いもできるというボードを提げたばかりである。
「ここの商品をポイントで支払いする客なんて来るのかよ」
レオンが畳の上で月々の領収書を並べながら真緒にごちる。こちらは確定申告の手伝いだ。
「去年ぐらいから月に二、三度来るのよ。ヘアゴムとかポーチとか、比較的安い商品をお買い求めの際に言われて、結局クレジットでお支払いになったんだけど」
その手の客は大体現金を持ち合わせていない。クレジットを切るのが嫌で、買い物をやめた客もいる。それではせっかくこの店を選んでくれた意味がない。ということで、真緒はキャッシュレス機器を新しくする決意をした。
「真緒さん、使い方教えるんでちょっといいですか?」
「はい。レオン、佐伯さんを睨まない」
部下に鋭い視線を投げたレオンを、真緒は諌めて佐伯の側に寄った。相変わらずボスは真緒さんにぞっこんなんですねぇ、と佐伯は気にしていないようだ。
機器の使い方をひととおり学び終えた頃、からりと引き戸が開いた。
「ここだわ」
「ここね」
「ここですねぇ」
意気込んだ声がふたつと、のんびりした声がひとつ。見ると小学生と中学生くらいの女の子と、80才くらいの老人が入ってきた。
「蔵屋のご隠居じゃないですか。こりゃ珍しい」
レオンが老人の顔を見て真っ先に声を上げた。蔵屋とは地元住民が使う裏の商店街の米屋の屋号だ。真緒たちがリゾットや雑炊、おにぎりなど、ときどき米を食べたいとき、どんな米がいいか、何度か相談に乗ってもらったことがある。少人数の家族用に、小分けで販売もしてくれるので、真緒たちはいろいろな米を味わっていた。
「そちらは……お孫さんじゃあなさそうですが」
スンと匂いを嗅いだ佐伯が目を細めて2人の少女を見やる。佐伯はこの地の霊山出身の人狼であり、ヒトより数倍鼻が利く。
「確かお孫さんは東京の大学に行ってましたよね?」
いい大学に入って勉強三昧だと蔵屋の女将が言っていたのを真緒も思い出した。確か1人息子だったはずだ。
「ばれてるね」
「そうね」
「まぁ、こんな爺に懐く孫も少ないでしょうからねぇ。お察しの通り、彼女らはあやかしです。小さい方が雀、大きい方が鼠のあやかしです。私が子どもの頃にはすでに家におりました」
ほうほう、と真緒たちは興味深く2人の少女を見た。雀も鼠も昔話によく出てくる。が、あやかしとして本物を見るのは真緒は初めてだった。どちらも今風の服を着て、普通のヒトの子に見える。が、ちょっとだけ違和感があるのだ。よく見ると目鼻が遠過ぎたり近過ぎたり、嘴のような口元をしている。
「どうして、こちらに?」
店を開いて4年目だが、彼女らが来るのは初めてだ。すると、中学生に化けている鼠が、バッグから雑誌を取り出した。
「これ! これを見たの! それで来たくなったの!」
それは先日取材を受けた、旅行系雑誌だった。真緒はあら、と瞳を瞬かせた。
「わたしはときどきお店の前まで来たことがあるけど、ひとりで入る勇気がなくて。姐さんと平次郎にお願いして一緒に来てもらったの」
平次郎とはご隠居の名前だろう。雀の少女はくるくると店内を見回して、いっぱいモノがあるわ、と喜んだ。
「どうぞゆっくりご覧になってくださいね」
真緒はヒトだろうと人外だろうと接客スタンスは変わらない。親しみを込めて丁寧に。2人の少女はきゃっきゃとはしゃぎながら店内を見回った。
「髪留めね! キラキラしているわ!」
「きれい。これ硝子なの?」
「ガラスに模した樹脂という素材で作られています。丈夫でぶつけても割れにくいんですよ」
「丸が5つもあるわ!」
「お米が幾つ買えるかしら?」
「山葡萄の籠バッグは手間がかかっている分、値段が高いのです」
「お茶碗よ! いい色!」
「これでご飯を食べたら美味しいでしょうね。平次郎、どう?」
「まだ今の茶碗が使えますからねぇ。目で楽しむだけにしますよ」
少女と真緒と隠居のやりとりを、レオンと佐伯はにこにこしながら見守っていた。少女たちは狭い店内を一回りしたあと、髪留めのところに戻ってきた。
「平次郎、私この髪留め欲しい」
「わたしも。姐さんとお揃いで欲しい」
少女たちのおねだりを、ご隠居は予想していたようで、はいはい、と懐からスマートフォンを取り出した。慣れた手つきでアプリを開き、
「こちらで支払えますかな?」
と、電子マネーを真緒たちに見せた。
「あっ、ハイ。お支払いできます」
呆気に取られていると佐伯に肘を突かれ、やっと真緒が返事をした。
新しい機器の初めてのお客様が、80代の老爺とあやかしなのは意外だったが、導入初日からご利用いただけるのはありがたいことだ。表示されたコードを読み取り、電子音が決済完了の音を立てる。
「ご隠居すごいじゃないすか。そのお年で電子マネー使える人はそうそういませんよ」
佐伯が素直な感想を述べた。
「たまに帰ってくる孫が『これからはキャッシュレスの時代だ』と言って猛勉強させられましてね。家は無線LANが設置されて、快適なネット環境ですよ」
昔の映画もたくさん見れますしねぇ、とご隠居は満足そうだ。雀と鼠の娘たちは、買ってもらった髪留めをさっそくつけて、上機嫌で帰っていった。
賑やかなひとときが過ぎ去り、店内はまた最初の3人になった。佐伯は先ほどの決済が反映されているか確認をし、次に九十九やのホームページの更新をする。レオンと真緒は確定申告に必要な書類をまとめていた。
「この街にもキャッシュレスの波が来るのか〜。なんか違和感あるなぁ」
「でも通販は昔からあるでしょう? それが少し進化したくらいの感じなんだけど」
「少しとは言わないな。飛躍的進歩だ」
「ボスの言う通りですよ。物々交換でもなく貨幣との交換でもない。データだけのやりとりで信用を得るんですからおっかないですよ。仮想通貨とか初期は色々問題になってたでしょう? それが一般にも普及してきてるんですよ。オレはお金も夢も手に触れられる方がいいなぁ」
「またバイクを買い替える気か?」
確か今のバイクは青山時代から数えて4台目のはずだ。佐伯はえへへと笑い、
「やっぱり新しいバイクで走るのは気持ちがいいですからね。エンジンも進化してるし、燃費も良くなってるし」
と言った。
佐伯は長期休暇を取ると、バイクで各地を巡る旅に出るのだ。冬は西の太平洋側へ、夏は北へ。ときおりSNSで知り合った仲間とツーリングをすることもあるらしい。見せてもらう写真には、仲間と共に楽しそうに笑う佐伯が写っている。
「さて、真緒さん。サイト更新したんで確認お願いします。デザインは特にいじらずに、トップのお知らせにキャッシュレス対応の選択肢が増えたって出してますんで」
真緒はついと、佐伯の側へ寄った。近すぎだ、とレオンが唸ったが、真緒はお構いなしに確認をする。前回は雑誌掲載のお知らせを出していた。その上に「NEW」とアイコンが出て、ポイント支払い・キャッシュレス対応の種類が増えたことが簡素に書かれている。クリックすると対応している各種会社のアイコンがずらっと一覧できる仕組みになっている。
「うん、これで大丈夫だと思います。ありがとうございます」
そう言うと真緒は佐伯からすっと離れて、おりこうさんでした、とレオンの頭を撫でた。レオンは憮然とした表情をしていたが、怒ってはいないようだ。
「それじゃあ、オレはそろそろ失礼しますね。あ、あやかし関連の物件がまた手に入りそうなので、そのときはよろしくお願いしますね、市村役員」
ひとこと余計なことを言って、佐伯は爽やかに帰っていった。真緒はぎゅんとレオンの顔を見る。不動産屋の社長は我関せずと視線を逸らした。
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