第2話 来客
3件隣の食堂でもらったほうじ茶の茶殻を畳に撒いて、壁際から箒で掃いていく。土間へと落とし、四隅を綺麗にしてから柿渋の塵取りで茶殻に絡まったゴミを取る。堅く絞った雑巾で棚の商品をどかしながら拭き、一回濯いで入口の格子の隙間を拭き、それから畳を拭き、汚れた水を店の外の排水溝へ流す。L字型になっている土間を含めて6畳の店。古い掃除の仕方だが、あまり苦にならない。この店にはこの掃除の仕方が合っている。真緒はそう思っている。
ハンドクリームを塗って手を整え、帳場の座布団を軽く叩き、入り口に紺地に白の染め抜き文字の暖簾をかける。
「和雑貨 九十九や」
それが真緒のこの地での、ふたつめの居場所だ。
「コニチハ」
店の入り口で声がした。見るとバックパッカーか、カジュアルな服装の男女がひと組、九十九やの暖簾を上げていた。褐色の肌に青い瞳が印象的な2人だ。
「いらっしゃいませ。ウェルカム」
真緒は口元に笑みを浮かべて客を出迎えた。帳場からぺこりとお辞儀をすると、2人も習って頭を下げた。
「ワタシ、ニホンゴ、イングリッシュ、チョットワカル。カノジョ、ワカラナイ」
ひょろりとした男性は、すでに壁に取り付けた棚に視線を向けている女性を指差してこう説明した。彼女の視線の先には、山葡萄の蔓で編まれた籠バッグが所狭しと並んでいる。真緒の位置からは彼女の顔は見えないが、キラキラと「嬉しい」「楽しい」空気が伝わってきて、男性に向かって、早口で何かを伝えている。公用語が英語圏の人ではないのだな、どこの国の人だろう、と真緒は考えた。が、口に出すのは控えた。昔から母国語の人だったらいいが、少数民族や植民地時代に強制的に母国語を変えられた人たちならば、あまり触れてほしい話題とは言えないだろう。以前の真緒ならば、会話のきっかけとして聞いていたが、レオンたちと付き合いはじめてから、考えを改めるようになった。銀髪で東欧州肌のレオンはよく「ご出身はどこですか?」と見知らぬ人に訊かれていた。500年も日本で暮らしていてなお、異国の外見だけで外国人と捉えられるのが嫌だと言っていた。生まれは外国でも、もう心はすっかり日本人なんだが、と。
女性はしきりに首を左右に傾げていた。何かに迷っている。男性もどう言ったら意図が伝わるだろうかと言葉を選んでいる様子だった。
「手に持って、確認してみますか?」
真緒はできるだけ平易な日本語で、彼らに話しかけた。男性がホッとした表情を見せ、彼女に話しかける。
「ヨイデスカ? フタツ、モチタイ、イッテマス」
「どれでしょう?」
真緒は土間に降りて、棚にある十数個の籠バッグを一つずつ指差していった。これ? NO。これ? YES! そんなやりとりをして、2つの籠バッグを真緒は手にした。
ひとつは、太めの蔓でざっくりと編まれた、ラフで逞しさを感じるバッグ。持ち手の端についている2つの丸い球飾りがアクセントになっている。
もうひとつは、細かい網目の、しっかりとした佇まいのバッグ。真緒が持っている籠バッグに近い雰囲気を持っている。
趣の全く異なるバッグを手に、女性はうーんと唸っている。恐らく、それぞれの個性に惹かれ、どちらを買おうか迷っているようだ。
「このバッグを、どういうシーンで持つか、イメージはできますか?」
真緒は彼女に問いかけた。
「こちらのラフなバッグは、カジュアル向きです。Tシャツにジーンズ、スニーカーでピクニックに行くイメージです。こちらの編み目の細かいバッグは、規則が緩いオフィスにも持っていけるオフィス寄りのバッグです。どちらのシーンで使いたいと思っていますか?」
日本語と英語、身振り手振りを交え、メモ帳にイメージのイラストも描いて、ゆっくりと話しかける。今は通訳アプリがあり、カタコトの会話よりもずっとスムーズに意思疎通ができるが、彼らは自分たちの言葉で伝えたい気持ちが強いようで、翻訳アプリを使わなかった。真緒もそれに応じていた。この店には、こんなやりとりが似合うと思っていたし、実際、言葉の異なる相手とは、こういうやり方が多かった。
「コッチ、スキ。バット、ボール、スキ」
男性が女性の言葉を懸命に訳す。彼女は編み目の細かいバッグが気に入ってるが、ラフに編まれたバッグについている球飾りがお気に召しているようだ。
真緒はしばし考え、2人にちょっと待ってと言って、帳場の引き出しを開けた。ごそごそと探して取り出したのは、細かい網目と同じくらいの細かさで編まれた球飾りだった。
真緒はそれを細かい編み目の籠バッグの持ち手の端にくるくると結びつける。彼女の目が大きく見開き、顔全体で喜びを表現していた。
「他の方にはナイショですよ?」
口元に人差し指を当てて、真緒はしーっと悪戯っ子の笑みを浮かべた。
彼女は目を輝かせ、早口で何かを語り出した。きっと、これが可愛くて迷っていたのよ、など言っているように感じる。実際、通訳の男性の言葉もそれに近かった。
「カード、ツカエマスカ?」
「YES」
真緒はハンディタイプのカード決済機を取り出し、男性へと渡した。山葡萄の籠バッグは、細かく編まれれば編まれるほど手間がかかり、高額になる。女性が選んだバッグも、かなりの値段だった。
「こちらお客さまのお控え……ユア、レシート」
「アリガトゴザイマス」
控えを男性に手渡し、女性が選んだ籠バッグを紙袋に入れようとすると、女性からNO! と言われた。どうやらこのまま持って帰りたいらしい。背負っているリュックからガイドブックとスケッチブックを取り出すと、そのまま籠バッグへ入れ、ニマッと笑う。
「お買い上げありがとうございました。良い旅を」
真緒もつられて微笑み、サンキューサンキューと2人交互に握手をされた。
「真緒ちゃん、いるかい?」
「はぁい」
賑やかな南国の鳥たちを見送ってしばらく。ネットに店の記事を書いている真緒の元へ、杖を右手に、風呂敷を左手に持った老婆が訪ねてきた。
「おはようございます、スエさん」
「おはよう。籠の納品に来ましたよ」
霊山の麓に住む老婆、スエは籠バッグ職人の1人だ。月に一度の街への病院通いに合わせて、山葡萄の籠バッグを1、2点編んできてくれる。
1人で古い家に住み、庭の畑で半自給自足の生活を営んでいるスエは、山もひとつ持っていた。そこで自生する山菜を売ったり、山葡萄を摘んでジャムにしたり、蔓を籠バッグに編んだりと、なかなかに忙しい日々を送っている。
いくつか持病があり年金暮らしのスエにとって、籠バッグは大切な収入源だった。真緒もそれを承知しているので、安く買わない。きちんと品定めをし、作るまでの時間と日数を大まかに聞いて計算し、支払いをする。
「これで今月もプリンが食べられるわぁ。鶏を飼ってもいいんだけど、育ちきった鶏を締めるとき逃げるしうるさいし、羽根をむしるのも大変でしょう? スーパーのプリンの方がよっぽどお手軽だわ」
スエの実家は農家だったそうで、時々こんなふうに昔話をしてくれる。
現金の入った封筒をしっかりと懐に入れたスエは、じゃあこれから診察に行ってくるわ、とにこやかに去っていった。
昼下がり。数人の観光客の相手をし終え、今日のお昼はどうしようかな、とぼんやりと考えていると、ごめんくださいと声がした。
「奥さまのご機嫌伺いにまいりました。って、営業の帰りなんでお気になさらず〜」
人の良い顔をした、ふくよかなスーツ姿の男性がひょっこりと現れた。
「こんにちは、田代さん。営業お疲れ様です」
真緒は客用の笑顔ではない、親しみのこもった笑みを田代に向けた。田代はレオンの部下であり、この街にいる真緒たち以外の「人外」の1人でもある。
「お子さんは元気? みんな上手く化けられそう?」
「はい、全員元気がありあまって毎日が大騒ぎですよ。末の子がようやく尻尾を出さずに人に化けられるようになってきましたね。まぁまだ尻尾が出てるときの方が長いんですけど」
そう言いながら田代はスマートフォンを取り出し、子どもらの写真を真緒に見せる。
5歳から1歳くらいの子どもが4人。それと同じ数の仔狸の画像が入れ替わり写っている。田代は狸のあやかしだった。妻も狸で、もちろん子どもも狸である。だが、人と交わって暮らしたいと、山から降りてきたのだ。人の食べ物はうまい。しかし勝手に食うと追いかけ回されるし、下手をすると殺されてしまう。ならば労働という正当な対価を払って手に入れようではないか。そんな思いで山を降りる狸は珍しくないという。
「僕の担当で奥様案件の物件があるので近々ご出馬願いますね」
帰る間際、田代は不穏なセリフを真緒に言った。
「え。お化けじゃないよね?」
「工藤部長曰く付喪神系だから、どうしたいのか奥様に聞いてもらえと」
田代の直属の上司の工藤も人外である。こちらは人狼と言って、言わば狼人間である。50がらみの白髪の目立つ工藤は、田代より物言わぬモノたちの存在を察知できる。それでも「いる」「いない」「何かを訴えてるがよくわからない」程度なので、彼らの声を聞くのに真緒の力を借りることがある。
真緒はレオンに血を吸われてから、モノの声が聞こえたり、「嫌な気配」を敏感に感じるようになった。処女であり、もともと地縁と結ばれやすかった事もあり、結婚後間も無く、「素質がある」という理由で、京都のさる筋の御仁に符術をみっちり半年間叩き込まれていた。
その真緒の力を借りたいと言う。
「もー。私もケーキ買って帰ろうかな」
せっかく楽しかった午前が、一気に気が重くなってしまった。
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