第11話 プロポーズは突然に

「俺と結婚してください」

「……は?」

 突然のプロポーズに思わずドスの効いた声で返してしまった。隣にいた学生君が、飲んでいたコーヒーを噴き出して、慌てて紙ナプキンを取りに行く。周りのお客も、けっこう大きめの声だったので聞こえたのか、チラチラとこちらを見てくる。

 ああ、目立ちたくないのに。こっち見ないで。ただでさえ今日は和装なのだ。居酒屋の店員風と言われるような地味姿だが、着物は着て居るだけで存在感が出てしまう。

 そもそも店に入って相手の名刺をもらって自己紹介してからまだ5分と経たない。そんな相手の申し出にはい喜んでと言えるものか。


 久しぶりの休日。洗濯機を回して布団を干して残り物の野菜でカレーとシチューの仕込みをしてネットスーパーで頼んだ食材を冷蔵庫に入れて洗濯物を干して布団をしまって着物に着替えてうきうき気分で街へ来たところ。

 郵便局がこの近くにあるはずなんですが、と充電器を挿したスマートフォン片手に、雑誌モデルみたいな男性が声をかけてきた。推しの俳優がもう少し歳をとってプラチナブロンドになったらこんな感じかしらと思いながら、道を説明するのが苦手な私は、ご案内しますとお人好しを発揮させたのが運の尽き。お礼にお茶でもと言われ、人の頼みを断りにくい性格の皮を被っていた私は、近くのコーヒーショップへと一緒に入っていった。


「……その言葉はもう少し、お互いを知ってから言うセリフだと思いますが」

 ぎゅうと眉間に力をこめて、困ってますを全身でアピールして目の前の男性に言った。

「やっぱりこの見た目がダメですかね?」

「いやそうじゃなく」

「産まれは国外ですが、帰化して日本人になってます」

「いやそこは置いておいて」

 そもそもこんな所で話す内容ではないでしょう、と私は声をひそめて言った。まだ数人がちらちらとこちらの様子を伺っている。

「ああ、それなら」

 男は人差し指を宙に出し、ぴっぴと四角を描いて中央をちょんとつついた。ちょうど絵描き歌でお弁当箱を作って梅干しを真ん中に置いたような仕草だった。

「これで周りを気にしないで話せます」

 男がにっこり笑った。なに言ってるんだこいつと思っていたら、店内のBGMが聞こえないことに気づいた。周囲を見回すと先ほどまで私たちに興味津々だった客も、それぞれ手元を見たりおしゃべりをしているようだった。口は動いているのに、声が聞こえてこない。

 私は得体の知れないものを見る目で男を見た。男は慣れているのか、言葉を続ける。

「結婚と言っても、契約というかパートナーを組みたいという感じですかね。一定の条件のもと、お互いのメリットを得るために一緒に暮らす」

「メリット?」

「貴女は金を気にせず好きなところで好きにできる。働かなくてもいいし、バリバリ働いてもいい。着物も服も好きなだけ買っていい。誰にも何も言わせない、自由気ままな時間を得ることができる。恋愛もまぁ……いやこれは俺を好きになってくれたらいちばんいいんだけどな」


 私は改めて男の名刺を見た。

 市村レオン。青山にある不動産会社の代表取締役社長で一級建築士で宅地建物取引士その他諸々資格あり。

 この肩書きと、目の前で着こなしている私でもわかる上等なスーツ姿が、お金には困っていないと暗に示している。女にも困らないと思うんだけどな。どうして私なんだか。

「私のメリットはわかりました。お金を気にせず自由にしていいと」

「うん、だいたい自由にできる。できれば俺を好きでいてほしいんだが」

 そこは今すぐは返事できないなぁ。私は注文してもらったカフェラテを一口飲んだ。

「では、貴方が私と結婚するメリットはなんですか?」

 私は男の目を見て言った。男は目を伏せ、逸らし、言っていいものかどうか迷っているようだった。

「あー、真緒さん」

 意を決したのか、男が顔を上げた。いきなり下の名前かい。

「これから俺が言うことは真実で、俺が薬をやってたり精神を病んでたりしているわけじゃあないんだと信じてほしい。貴女をからかうわけでもない」

 男の目は真剣で、どこか怯えているようにも見えた。きっと何度も言ってきては、信じてもらえず、傷ついた目だった。私はうん、と頷いた。

「実は俺、吸血鬼なんだ」

「……あー、それで私を?」

 唐突な変化球をなけなしの理性で受け止めて、私は納得した。私は30を越えていたが、まだ異性を知らない体だったのだ。

「あーそうなんだ、体目当てか」

 なぁんだ、そうだったんだ。

「いや、あんたもいい女だって思ってるぞ? 小料理屋の女将みたいで落ち着いてていい感じだ」

 体目当てと思われたのが心外だったのだろう、レオンは慌てて言葉を付け足す。

「綺麗な体の持ち主なら、もっと若い子の方がいいんじゃないですか? 雑味も少ないだろうし」

「この見た目で資格ある若い女性といるとな、職質されるんだ……。夫婦って言っても親子って言っても身分証見せるハメになるんだよ」

 さもあらん。騙されて外国に売り飛ばされる少女とその仲介人みたいな感じだもんね。私はレオンにちょっと同情した。ちょっとだけだけど。でも私と一緒でも職質されるんじゃなかろうか。私は童顔で、今でも学生に見られがちな小柄な体型の持ち主なのだから。

「本物かどうか確認してもいいですか?」

 念のためと、私は鞄から化粧ポーチを引っ張り出して、鏡を見せた。

「どうぞ」

 すっと鏡の中を覗き込む。写っているのは、席の向こうのカップルだけだった。ほほう。面白い。私は吸血鬼という存在に興味を持った。知っている知識の通りなのだろうか。それとも本や映画には書かれていない能力とかあるんだろうか。

「写真も撮れない?」

「普通はな。写るときはちょいと気合を入れるんだ」

「2枚撮ります」

「おう」

 スマートフォンのカメラを起動させ、まず1枚。確認するとやはりカップルしか写っていない。2枚目。レオンはにっと笑顔でカメラに顔を向けた。今度は笑顔のレオンがそこにいた。目元の笑い皺が意外とかわいいじゃないか。

「信じてもらえたかな?」

「お日様、出てますけど」

「日光を避ける術ってのをかけてる」

「なるほど。あともう一つ。日本は島国ですが、どうやって渡ってきたんですか? 吸血鬼って流れる水は渡れないんでしょう?」

「うん、普通は渡れない。例外があるんだ」

「故郷の土の入った棺桶?」

「詳しいな。ヴァンパイヤ映画でも見たか?」

「まぁいくつか」

「その通り、棺桶の中に入って海を渡ってきた。……正確には寝てる間に屋敷に泥棒に入られて棺桶ごと盗まれて船で運ばれて日本に着いたわけなんだが」

「寝てる間に」

「うん」

「泥棒に運ばれて」

「そう」

「普通気づかない? 船だよ揺れるんだよ?」

「ええとな、吸血鬼には冬眠みたいにずっと寝てる時期があってな。ちょうどそのときだったんだ」

「ふぅん?」

「あっ信じてないな。俺が間抜けだって思ってるだろ?」

「うん」

「いやマジなんだって」

「吸血鬼に知り合いいないからわかんないですね〜。レオンさんのうっかりかもしれませんね〜」

「意外と意地が悪いなあんた。ところで、その。さっきの話なんだが」

 さっき。どの話だっけ?

「その、俺と結婚してくれるかどうかって話だ」

「結婚するということは、私は血を吸われて貴方の眷属になるんですよね?」

「そうだ」

「つまり不老不死に近い存在で、永く生きることになると」

「そうなるな」

「……今すぐには答えが出せません。少し考えさせてください。あと形式的でもいいので家族にも会っていただけますか?」

 あの家族を、このひとはどう感じるのだろう。かさついた感情が、私の心を撫でた。

「わかった。家族と会わせてくれるっつーのは、前向きに考えていいのか?」

 前のめりになって尋ねてきたレオンに、私は曖昧に笑った。

 

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