第16話 晩夏の竜田川
夏の鋭い日差しがようよう緩まってきた頃。真緒はいつものように九十九やで接客をしていた。
「あら、竜田川ですか?」
「ええ、そうです」
「いいですねぇ、風流で」
真緒は白藍に流水の絽に樺色の紅葉が舞う襦袢を身につけていた。着物屋の担当、室戸に影響されて買ってしまった一枚である。晩夏しか着れないが、この紅葉が舞う襦袢は一目惚れしてしまったので仕方ない。
お客は夫婦で、女性は妊婦であった。安定期に入ったので、夫婦の思い出作りにこの地にやってきたという。落ち着いていていい場所ですね、そうなんですよ、と世間話をしながら、女性は干支の置き物を眺めたり、古布を使ったトートバッグを肩にかけたりしていた。
「確か犬って安産の象徴なんですよね?」
女性が手にしたのは、昔ながらの小さな犬張子だった。地元の老爺の手作りで、愛嬌のある目と口が特徴だ。
「そう言われていますね。子沢山でお産が軽く、母子とも元気でいられるとか。戌の日はお参りに行ったんですか?」
「ええ、この人なんかはあまり気にしないんですが、私今年で39なんです。高齢出産になるので、やれることは願掛けでもなんでもやろうって決めてて。水天宮まで行ったんですよ」
女性は夫に顔を向けて言った。年下らしい夫は少々気まずそうに、迷信だろって言ったら大喧嘩になっちゃって、と頭を掻いた。
真緒はふふふ、と夫婦に笑顔を向ける。どこの夫婦もそういうやりとりがあるんだな、と自分たちを振り返った。よし、これください! と女性が犬張子を真緒に差し出す。
「性別はどっちかわかっているんですか?」
「先生は女の子だって。3Dの超音波で顔を見たらこの人そっくりで。将来お嫁に行けるか心配になっちゃって」
会計をする間も女性陣は喋り続ける。
「俺はイケメンだから大丈夫だって言ってるだろ? サッカー部でいちばんモテたんだからな」
夫が思わず会話に割り込む。
「はいはい、何年前の話よそれ」
女性はあはは、と明るく笑い、夫もつられてへへへと笑い返した。
「ではこちらお品物です。無事に生まれますよう、私も祈っていますね」
「ありがとうございます」
2人は頭を下げて礼を言った。きっと元気な子が生まれるだろう。
犬張子を入れた紙袋を大事そうに提げて、夫婦は手を繋いで店を後にした。
犬張子を作っている老人に連絡をしようとスマートフォンを見てみると、着信があった。番号はお寺の事務所からだ。きっと真紀だろう。留守電が入ってないので、急用ではなさそうだ。
「あ、真緒さんー? ごめんねお仕事中に連絡しちゃって」
かけ直すとやはり真紀だった。
「ちょっとね。真緒さんに見てもらいたいものがあってね。あ、変なものとかじゃないから! お
「志保さんの?」
一昨年亡くなった寺の住職・顕行の母、志保に、真緒は数回会っている。志保もあやかしを見抜く力があり、永く生きる吸血鬼という真緒たちの存在を、いたく案じていた。と同時に人として真緒を娘のように可愛がっており、寺にお呼ばれされては、真紀と共にちょこんと正座させられて、お茶を点ててもらっていた。
「形見分けはもういただいてますけど?」
志保が亡くなったとき、真緒も帯を数本、形見としてもらっている。
「うん、でもこれは真緒さんかなって。まぁ細かい話はこっちでするから」
店仕舞いのあと、寺に寄ることになった。夏至はとっくに過ぎていたが、まだ日は十分に長い。
長い階段を登り、山門に到着すると、真紀の息子の顕星と、レオンの部下、田代の子どもたちが真緒を出迎えてくれた。
「いらっしゃい、真緒ねぇちゃん。どうぞ『お入りください』」
「「「「おはいりくださーい」」」」
意外な出迎えに驚きつつ、失礼しますと言って真緒は山門をくぐる。
まおねーちゃ! と4兄弟に抱きつかれもみくちゃにされていると、顕星がいちばん下の頼彦を引っぺがして自分の腕に抱えた。
「ありがとう、顕星くん。ところでなんでこの子たちがお寺にいるの?」
「美代おばさんが夏バテで、少し休養が必要だって医者に言われたんだって。で、ウチなら部屋も空いてるし、オレもいるからっつーんでしばらく預かってるんだ」
「まぁ、お美代さん大丈夫なの?」
「近所の人たちがお見舞いと食事の準備してくれてるっぽいから、だいぶ楽みたいだよ?」
詳しくはおふくろに聞いてくれ、と頼彦をあやしながら顕星は先に行ってしまった。まおねーちゃ、行こう? と和彦たちに急かされて、真緒も後を追う。
「ごめんね真緒さん、仕事帰りに寄らせちゃって」
真紀が謝りながら玄関から真緒を出迎えてくれた。夕飯の準備をしていたのだろう。エプロンで手を拭いて、お上がりください、と言う。子どもたちは慣れたもので、ぱぱっと真緒から離れると、脱いだ靴をきちんと並べて奥へと走っていった。
「私は平気ですよ。それよりお美代さん大丈夫なんですか?」
「この暑さで寝不足が続いて、食欲も落ちちゃったみたい。ご近所さんが交代で食事とか掃除洗濯してくれてるみたいで、だいぶ良くなりましたって昨日メールが来たわ」
レオンからは何も聞いていない。愛妻家の田代のことだから報告はしているのだろうが、それにしたって夫から一言あってもいいのに、と真緒はむくれた。
「ところで、電話の件なんだけどね」
こっち来て、と奥へと案内される。客間には何度か通された記憶があるが、奥の間は初めて足を踏み入れる。
先ほど駆けていった子どもたちが、ちょこんと正座をして2人を迎えた。中心には和箪笥と、たとう紙に包まれた着物らしきものが数点置かれている。
「昨日ね、彦ちゃんたちが『きれいなおばさんが夢にでてきて箪笥を指差して真緒さんへって言ってたよ』って言い出して。びっくりしてたら、一緒に寝ていたこの子も『志保ばあちゃんが夢に出てきた』って、この箪笥の中に着物があるって言うのよね」
形見分けのときに確認して空っぽにしたはずなんだけど、顕星が箪笥をガタゴトいじったらこれが出てきて。
どうやらからくり箪笥だったようで、着物はそこに入っていたようだ。地元の着物屋、いしいやのたとう紙だった。
「で、中身がこれなの」
真紀はいちばん上のたとう紙を開いた。中から漆黒の縮緬の着物が出てきた。
「……これ、喪服ですか?」
「そうなの。しかも盛夏とそれ以外の季節の喪の着物と、お通夜の手伝い用の鼠色の着物と帯一式」
着物は仕立てられたばかりのようで、どれも仕付け糸が付いている。
「この子たちが夢を見なければ、ずっとこの箪笥で眠ったままだったろうし、義母さんは真緒さんをご指名だし。私は嫁いできたときに義母さんに一揃え誂えてもらったのがあるのね。でも喪のものでしょう? こういうの引き継ぐってどうなのかなって悩んでて」
紋付きだし、真緒さんお持ちかもしれないしとか色々考えて、真緒さん本人に決めてもらおうと電話したの。
真緒は生前の志保を思い出していた。真緒が出会ったときには既に大病を患っており、余命を寺で過ごしたいと退院してきたばかりだった。
だがいつも穏やかな笑みをたたえ、真緒や真紀や孫の顕星に優しく接していた。話し上手で聞き上手でもあった志保は、真緒とレオンの馴れ初めを聞いてころころと少女のように笑っていた。
真緒さん、いつまでも旦那さんを大切にね。
そう言って笑う志保の顔は、亡き母と面影が似ていた。
「志保さんたってのお願いですからね。そろそろ誂えようかなと思っていたところだったので、ご厚意に甘えさえていただきます」
紋も店長に相談して、抜きを染めてもらって刺繍に変えてもらおう。
「よかった。顕さんと真緒さんに断られたらお焚き上げだねって相談してたの」
「いしいやさんのお仕立てですし、店長もそういう理由ならお直ししてくれると思います」
真緒と志保は10センチほど背の差があった。真緒の方が低いのだ。普段の着物ならそのままおはしょりにしてしまうが、喪服となれば綺麗に寸法を合わせたい。
おはなしおわった? と次男坊の信彦が尋ねた。うん、終わったよ、と真紀が答えると、お行儀よく正座をしていた4兄弟がころころと畳に転がった。どうやら足が痺れたらしい。顕星はさすがというか、ずっと正座したままでも平気のようだ。
真紀と真緒はその様子を見てくすくす笑い合った。
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