土佐の小京都
お食事処で杉田んさんも交えて夕食。ビールで乾杯してから、
「土佐と言えば司牡丹」
もう当たり前のように一升瓶で出てきて、
「ここの鮎も美味しいね」
「ああ、祖谷より美味いかもしれん」
あまごの甘露煮、鰻の手毬鮨、山菜の天ぷら、手長エビの唐揚げ・・・四万十川の恵みのオンパレードと言ったところです。言うまでも無く追加注文もあって、
「久礼って名前の酒もあるやんか、亀泉も美味そうやな」
「鮎に合うよね」
ボクたちも昨日見慣れましたし、杉田さんも気にせず飲み食いしています。
「コトリ、中村を見た感想は」
四万十市は中村市と西土佐村が合併して出来たもので、合併時に全国的にネームバリューが高い四万十川に因んだ四万十市になっています。これがコトリさんやユッキーさんには気に入らないようです。
「市町村合併が悪いとは言わんが、由緒ある地名が失われるのは嘆かわしいで」
「町名整理もそうだよね。どこに行っても代わり映えしない町名ばかりになってるもの」
だから四万十市をここでは中村としますが、ここも小京都と呼ばれるところの一つです。
「中村は別格や。本気で京都に似せようとしとるからな」
他の小京都は町の雰囲気とかが、どこか京都を思わせるところが殆どのようですが、
「中村は本気で小京都を作ろうとした街や」
三方を山に囲まれ南に海があるのは京都同様に四神相応の地と言われ、四万十川を桂川、後川を鴨川に見立てだけでなく、石見寺山は比叡山に見立て中腹に延暦寺を模して石身寺が建てられたとされています。
「大文字焼きもあるで」
ここまで京都に似せたのは、たまたまそういう地形であったのもあったでしょうが、そういう土地を選んで京都を作ろうとしたそうで、そんな中村を作った中村を作った一条氏は京都の貴族です。
「そんな甘いもんやあらへん。五摂家の一つで序列は鷹司家に次ぎ九条家と同格なんよ。土佐に下って来た教房は従一位関白まで務めた一条家の当主。二代の房家も土佐に住んでいながら、正二位権大納言で土佐国司に任じられとる程や」
つまり中村は本物の京都貴族、それも最上級貴族が京都に似せた街を作ろうとしたところで良いようです。
「あの頃は京都の朝廷も衰微して、各地の有力大名のとこへ亡命するのが流行やってんよ。有名なのは西が大内氏、東が今川氏やな。そんな時代に京都貴族が戦国大名として自立出来たんは奇跡みたいなもんや」
土佐も僻地ですが、中村はさらに土佐の西の端の僻地になります。しかし一条氏が小京都を中村に築き大名として君臨したために、京都からも他の公家や職人も集まり華やかな文明都市を築いていたようです。
「当時の土佐やのうても飛びぬけとったでエエと思うで。大げさに言えば、土佐の人間が有史以来初めて文化ちゅうものに初めて出会えたぐらいの街や」
そんな中村ですが一条氏は長曾我部氏に滅ぼされた後は伊予侵略の拠点になり、長曾我部氏が関が原で土佐から追い出された後は、一豊の弟の康豊が中村三万石で支藩のように存在したそうです。
「そやから中村城があったやろ」
しかし中村藩三代目の豊明が殿中で失態を犯して所領は没収され、侍屋敷は破壊されてしまったそうです。元禄九年に土佐藩に返還された後は郡奉行所が置かれたとなっていますが、
「十八世紀半ばぐらいで四百八十軒、千八百九十七人住んどった記録がある」
江戸時代には江戸や京都、大阪のような大都市も形成されてますが、人口の八割ぐらいが農民で、いわゆる町民が集まる都市の規模は小さかったとされます。
「まあ千軒あったら大都会やろ。たとえばやが・・・」
埼玉県に深谷市がありますが、江戸時代は中山道最大の宿場町で、その深谷宿で五百二十五軒、人口が千九百二十八人だったそうですから中村は同じぐらいになります。さらに一条教房以来の京文化の残り香もあったはずだとしていますが、
「昭和二十一年の南海地震の時に根こそぎやられとる。そやから今の市内に目ぼしいものは残っとらへん。残っとるのは碁盤の街並みだけかもしれん」
だから一条神社だけ見て沈下橋に行ったのかもしれません。
「一条氏の都市がどれほど華やかやったんか、わかりようもあらへんけど、曲がりなりにも京都っぽい都市を作りあげたんは凄いと思てるねん。それだけ京都への思いが濃いかったんやろな」
考えようによっては、土佐に一条家の当主が移り住んだのが凄すぎることかもしれません。とくに初代の教房は中村の月を眺めながら京都を偲んでいた気がします。それにしてもいくら歴女と言っても良く知っています。
「まあ歴史が好きなんはあるけんど、物見遊山って昔からこういうもんやで」
そりゃそうですが、
「色んな旅行の楽しみ方はあるけど、名所旧跡を回るのは一つの基本やろ。名所旧跡いうても色々やけど、大抵はなんやかんやと謂れがあるやんか。景色を綺麗とだけ思って旅するもアリやけど、謂れを知っとる方が楽しめるやろ」
なるほど。昨日言った平家屋敷民俗資料館とか旧喜多家武家屋敷跡も、何も知らずに見たら、
「そういうこっちゃ。タダの古い民家や。ほいでも、そこに平家落人伝説が絡んだら、見え方が変わってくるやんか。祖谷の谷もそうや」
たしかに、これだったらもっと学校の歴史を勉強しておけば、
「そりゃ、無理やろ。学校は歴史の授業は試験で評価せんといかんから、事実の列挙の暗記科目になってまう。あんなもん苦痛にしかならんで」
うぅ、そうでした。
「ほいでも、まったくの無駄やないで。なんでも基礎はつまらんよ。基礎があった上で応用を初めて楽しめるんよ。笹岡君だって、今歴史を聞いたらオモロイやろ」
中村の市街だってボクにはありふれた地方都市にしか見えませんでしたが、コトリさんの話を聞くと、単なる四つ角にも歴史を感じる気がします。そこにユッキーさんが、
「試験科目にならないと勉強しないと言えばそれまでだけど、古典や漢文も役に立つわよ」
ひぇぇぇ、古典文法にはどれほど苦しめられたことか。
「あれは採点科目だから仕方ないよ。でもね、日本語は変化の激しい言語と呼ばれてるけど、文法は試験で脅されるほど変わってないのよ」
そうとは思えませんが、
「平家物語の冒頭を覚えてる」
祇園精舎の鐘の声でしたっけ。するとユッキーさんが、
「祇薗精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理りを顕す。
驕れる人も久しからず、春の夜の夢尚長し。
猛き者も終に滅びぬ、偏へに風の前の塵と留らず」
よく覚えているものです。
「言い回しは古いけど、意味はだいたいわかるでしょ」
言われてみれば、
「これって鎌倉時代のものよ。枕草子も覚えてるかな」
えっと、
「春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
そうだった、そうだった。古典の冒頭を暗記させられた。
「これもわかるでしょ」
だいたいは、
「言語で変わるのは言い回しなの。時代時代で流行り言葉があったり、決め台詞があったりすのよ。用語用法の変化かな。でも枕草子って平安文学よ。それでも、それなりに意味がわかるってすごいと思わない」
そういうことか。これが試験になれば文法がどうだとか、『いとをかし』とか『あわれ』の解釈問題になるけど、知識として楽しむぐらいは読めるってことなのか。
「これはコトリの持論みたいなもんやけど、歴史って興味があるけど嫌われてるんよ。嫌われてるの社会と古典の授業のせいでエエと思う。あんな授業聞かされて好きになる方が変人や」
まあバッサリと、
「そやけど人は常に歴史に興味がある。難しゅう考えでんもエエ。笹岡君も原田君も沈下橋見て、いつから誰があんな橋考えたんやろうと思うやろ。それが歴史や」
加えて人はルーツを知りたがるのと、古いものに魅かれるところが確実にあるとしました。たしかにそうです。昨日だって祖谷の平家落人伝説に興味が湧きましたし、今日だって中村の小京都の歴史に心魅かれています。
「キュレーションという考え方がある。数多の情報の中から本当に役に立つ情報を選別し提供するぐらいに理解してエエわ。とにかくこんだけネット情報があふれる時代やんか。その中からどれが重要か、役に立つかのガイドさんは欲しゅうないか」
それはあります。これをキュレーションと言うかは自信がありませんが、旅行先でどこを見れば良いか、どこで食べれば美味しいかなんかは、ベスト・テンとかのサイトをまず見るからです。
「ユーチューバーの役割もそれちゃうか。モト・ブロガーやったら、たとえばツーリングに行った時に、どうやったら行けるか、道路状況はどうなんか、時間はどれぐらいかかるかを提供するやろ」
ええ、そうです。
「どこが見どころかも入るけど、バイク乗りが好むところの情報をどれだけ手際よく提供するかになる。それもや、番組として見て楽しめて、自然に役に立ち、知っとったら知らんやつに、ちょっと自慢できる情報や」
そうなれば理想ですが、
「歴史もエッセンスの一つや。定番中の定番の名所旧跡の説明や。それもや、やり過ぎてもアカン。単なる歴史スノブになってまう。そやから選びに選び抜いた情報を簡潔に提供するんや」
そう言われても、
「わからんか。教える方、情報を提供する方はされる方の十倍の知識が必要なんは常識や。そんだけ知っとるから、その情報のキモがわかるんや」
そうなんですが・・・
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