小屋原温泉

 マイは、


「ホントにここなんか。なんにも書いてなかったで」


 そうやねん。いくら秘湯でも道案内の看板ぐらい出すはずやんか。そやのに、ここまで一枚もあらへんし、この道かってウッカリしとったら通り過ぎてまうで。ほいでも入って行ったら建物はあるし、一応ネットにあった宿の写真に似とるけど、


「コトリはん、これは古い公民館みたいなもんちゃうか」


 昭和の木造校舎にも見えるわ。建物の前は砂利の広場やけど、旅館やったらちょっとした庭ぐらい作りそうなもんやんか。それよりなにより旅館の看板がどこにもあらへんやん。そしたらユッキーが、


「ほら玄関の上に看板があるじゃない」


 どこやねん。あれか、玄関の上の小さな板に書いてあるけど、あんなちっちゃいもんに気づくか! まあそれでも、なんとか、かんとか、たどり着いたわ。


「マイ。お疲れ、よう頑張ったで」

「軽いんは助かったけど、ようこんなバイク乗っ取るな」


 こんなもん作った変態集団に言うてくれ。


「ほいでも、コトリはんも初めてのロケットやのによう乗れとった」


 話のタネには出来るけど、もうエエは。転ばんで良かった。あんなもんの下敷きなんかなったら、タダでは済まんもんな。マイとお互いの健闘称え合ったで。ユッキーはお気楽なもんで、


「あらそうだったの」

「明日はユッキーがロケット乗るか」

「遠慮しとく」


 宿は秘湯レベル越えてるかもしれん。見事なほどに風情があらへん。メインは正面の木造二階建てで、左側にもなんか建っとる。どっちも年季が入りまくっとるけど、年数を重ねての風格とかクスリにしとうてもあらへん。


 木造言うてもモルタルの外壁やねん。それも煤けてみすぼらしくなっとる。玄関のとこには、あれは車寄せ言うよりポーチやろな。それがなぜか千鳥破風になっとるんやけど、出来が悪いと言うか、取って付けた感が満載や。


 窓も玄関もアルミサッシやねんけど、もろアルミが丸出しで、チープ感を煽ってる感じしかせえへん。玄関入ったら左側が帳場や。あれをフロントと言うのは場違いすぎて、帳場つうよりも公民館の受付みたいや。


 そやそや、この温泉宿やけどネット予約はあらへんから電話予約のみやねん。それはかまへんねんけんど、電話応対が思いっきり無愛想やってん。やめたろか思たぐらいやったけど、ユッキーの希望やから我慢したんよ。


「今日はお世話になります」

「おいでんさい」


 ありゃ、普通やん。まあ助かった。電話の時みたいな無愛想押し通されたらかなわんもんな。部屋に荷物を運び込んだら風呂や。えっとこっちか、なんか昔のボットン便所行くみたいやな。


 風呂場が四つか。ここは大浴場やのうて、貸切風呂が四つなんよ。今は他に誰も入っとらへんから、どれでもエエって言われたけど、


「順番に入っちゃおうよ」


 扉を開けると脱衣場か。板張りの床に、脱衣棚。さて風呂やけど・・・こりゃ、貫禄がありすぎる風呂や。たぶん木製の湯船やったと思うねんけど、温泉の成分がこびりついて朱色になってもてる。それもや、層なしてるやんか。湯船だけやあらへん。床もそうなって朱色の浴室みたいに見えるで。


「それよりこの泡の量を見て」


 ユッキーによると炭酸泉は温泉大国の日本でも貴重やそうやからな。湯船は大きないけど、かけ流しなんてレベルやあらへんな。じゃんじゃん流れとるわ。これだけ流れとるからこうなるんはわかる。順番に入って行ったんやけど、


「お湯が違うね」

「なんでやろ」


 お湯の味もちゃうな。どうも三番目のが炭酸も強いし、


「お湯の味も濃いよ」


 なんでやろ。湯はぬるいけど体の芯から温まるわ。これぞ秘湯って感じがプンプンするやんか。苦労して来たかいがあったっちゅうもんや。ユッキーも来たがるはずや。そやけどマイは、


「なんかこの風呂・・・コトリはんやユッキーはんは気にならへんの」

「なるはずないやろ。こんだけの温泉はそうは入れんで」

「そうよ。ここに来ないと入れないのよ」


 メシも悪ない。いかにも心づくしって感じがしてエエ感じや。どひゃと豪華とか、美味しいやないけど、素朴で安心できる感じやな。旅館の人も愛想悪ないやん。なんで電話対応はあんなに悪いんやろ。


「猪鍋は美味しいね」

「ああ、丹波に負けとらへん」


 山菜の天ぷらに山の中やけど刺身もあるんか、


「海から遠くないものね」


 それよりこの蕎麦や。


「ここの女将の手打ちの十割蕎麦だって」


 田舎蕎麦風に平べったく切ってあるけど、


「蕎麦の香りがプンプンするし」

「全然切れへんのが凄いわ」


 十割蕎麦は難しいねん。うどんとかパスタやったら小麦粉の中のグルテンの作用で粘り気が出て引っ付くけど蕎麦にはグルテン含まれてないんよ。そやからそば粉のでんぷん成分だけで引っ付かせなあかんねん。


 コトリも聞いただけの話やけど、そば粉を挽いたら、後はとにかく手際よく蕎麦打ちせなあかんらしい。それ以外にもノウハウがテンコモリつうか、それこそ職人芸的な技術が要るそうや。マイも、


「この蕎麦見事やと思う」


 昼の蕎麦も美味かったけど、こっちも負けてないわ。食事が終わるとマイは爆睡。


「疲れてたね」

「よう頑張ったで」


 ユッキーとビールを飲みながら。


「訳ありね」

「そやな」


 ありゃ旅行用の荷造りやあらへんもんな。カバンかってツーリング用のカバンやあらへん。ありゃ、コンビニぐらいで買ったもんやろ。


「途中でショッピング・モールに寄ってたものね」


 そこでTシャツどころか下着まで買うとったぐらいや。そやけどライダーズ・スーツはバブアーで上から下までそろえとる。


「トライアンフだからバブアーだろうし、バブアーもそんなに高くはないけど、あれはタダのバブアーじゃない。あんなの見たことがないから特注のオーダーのはず」

「腕時計もそうや。ありゃ、BRMで二百万はするはずや」


 それ以前にトライアンフのロケット乗ってる時点でお嬢様やろ。


「家出だろうね」


 大阪からアテもなく逃げたぐらいやろ。


「あのバイクだけど」

「コトリもそんな気がするわ」


 あんなバイクがその辺に転がっとる訳やあらへんもんな。


「コトリ、旅の仲間でイイよね」

「もちろんや」


 腹出たマウントおっさんから助けてもうた恩もあるしな。こんな道連れも面白そうやんか。

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