三種の神器
コトリさんが面白がったのは高知の平家落人伝説との関わりです。ここでユッキーさんが、
「横倉山の鞠ケ奈呂陵ね」
須崎から北に入った山の中だそうですが、ここに伝安徳天皇陵があるのだそうです。さらに、
「平氏一門八十余名の墓と称される古墳、塚、小祠もあるのよね」
この鞠ケ奈呂陵ですが驚いたことに安徳天皇の陵墓参考地として宮内庁の管理になってるのです。ただし宮内庁の管理になっているのはここだけでなく、
・鞠ケ奈呂陵墓(高知県)
・宇倍野陵墓参考地(鳥取県)
・西市陵墓参考地(山口県)
・佐須陵墓参考地(長崎県)
・花園陵墓参考地(熊本県)
宮内庁管理以外にもたくさんあるそうですが、
「祖谷の伝承やったら八歳で安徳天皇は亡くなってるんよ。ところが横倉山の伝承では二十三歳で亡くなってるんよね」
「それに横倉山の伝承では、祖谷から土佐に逃げ込んで、西熊山、御在所山、宮古野、平家平、稲叢山、越裏門、椿山、別枝都と転々と行在所を変えて横倉山に落ち着いたとなってるの」
つながると言えばつながるか。祖谷で八歳まで過ごした後に土佐に逃げ込んだと見れますからね。祖谷で亡くなったとしたのは追手を振り切るためかもしれません。そこまで追われるのならやはり本物だったとか。
「あのなぁ、実母の建礼門院は捕まって京都に帰って余生を過ごしてるんよ」
そうだった。安徳天皇に影武者立てて落としたのなら、実母である建礼門院もセットで落としそうなものだよな。
「壇ノ浦の合戦の、もう一つの側面がある」
平家の都落ちの時に安徳天皇と三種の神器を抱えて行っています。三種の神器は天皇の正統性を保証する重要な神器であり、これの奪還も重要な使命だったとコトリさんはしています。
「あれって草薙の剣だけが失われたんじゃ」
「他も怪しすぎるで」
八咫鏡と八尺瓊勾玉は浜に流れ着いて回収されたとなっていますが。
「話やったらな。木の箱に入れとったからプカプカ浮いとったってなっとる。ほいでも土壇場やで、安徳天皇も入水してるぐらいやで。二つとも箱から出して抱えて沈んだはずや」
安徳天皇の最後の様子も吾妻鑑では二位尼が草薙の剣を持って入水し、安徳天皇は按察使局が抱いて入水したとなっているそうですが、
「平家物語延慶本にはな・・・」
延慶本とは平家物語でも最古の写本だそうですが、安徳天皇の入水の様子は、
『二位殿は今はかうと思われければ、練袴のそば高く挟みて、先帝を負ひ奉り、帯にて我が御身に結び合わせ奉りて、宝剣をば腰に差し、神爾をば脇に挟みて』
吾妻鏡は正史になるそうですが、史実について、とくに源平合戦については平家物語を凌ぐと言いきれない部分があるそうで、
「按察使局はタダの女官や。安徳天皇と最期を共にするのなら生母の建礼門院か、清盛の妻の二位尼しかおらんやろ。さらに草薙の剣と八尺瓊勾玉も抱いて入水したとなっとる。この意味わかるか」
教えてもらったのですが、三種の神器の中でも草薙の剣と八尺瓊勾玉は剣璽と言われ、天皇が常に所持してるものだそうです。
「八咫鏡はデカイからかもしれん」
今でも剣璽は宮中の剣璽の間に置かれ、天皇が外出する時には必ず持って行くそうです。一方で八咫鏡は箱にしまわれ、宮中の賢所に置かれているそうです。
「コトリは平家物語延慶本が正しい気がするねんよ。天皇は剣璽を常に所持するもんや。死の土壇場に追い込まれた二位尼は、死んでも安徳天皇の正統性を守ろうとしたんやと思うわ。そやから残っとってんやったら八咫鏡や。そやけど流れ着いた話が出てるから、一緒に沈んだと考えるべきやろ」
ここでユッキーさんが笑いながら、
「頼朝が三種の神器を回収できなかった義経を怒り、義経の不遇の始まりとしている説もあるけど眉唾ね。本当に失われたのは八尺瓊勾玉だけよ」
はぁ、どういうこと。
「あら知らなかったの。八咫鏡は伊勢神宮の内宮にあるし、草薙の剣は熱田神宮にあるじゃない。壇ノ浦で沈んだのは形代と言ってレプリカみたいなものだよ。無くなれば作り直せば済む話」
これも日本書紀とか古事記に出てくる話のようで、崇神天皇の頃は草薙の剣も八咫鏡も宮中にあったそうですが、これの神威に怖れ笠縫邑に移され放浪の末に垂仁天皇時代に伊勢に落ち着き伊勢神宮になったそうです。
「八咫鏡はそのままだけど、草薙の剣は日本武尊の東国遠征に持ち出されて熱田神宮に移されてるのよ。宮中にあるのは、そのレプリカの形代だよ」
壇ノ浦で草薙の剣の形代が失わた後も、伊勢神宮から献上された剣を草薙の剣の形代にしたそうです。
「その後も火事があったりして、形代作り直してるし、ホンモノの方もどうなっているのか見た人はいないよ」
見れるものじゃありませんからね、
「ユッキーの言う通りやけど、三種の神器の形代は量産できへんのよ。一つあるうちは、それが正統の形代で、二つ目作ったから言うて本物やと言えへんのが鉄則みたいなもんや。高校野球の優勝旗のレプリカみたいなもんかな」
そういう話につながるのか。天皇もまたそうで後継候補はたくさんいても、安徳天皇が正統の形代の剣璽を持って生きていると、京都で新たな剣璽を作って新天皇が即位しても、ひっくり返される可能性が残ってしまうのか。
「だから祖谷で安徳天皇健在の噂があれば追手が来た可能性はある。土佐に逃げても同じや。転々とした末に横倉山で死んだんぐらいかな」
ならば、一の谷で負けて、なにがなんでも安徳天皇と三種の神器を守るために祖谷に隠した可能性は、
「それはあらへん。平家も武家や。負けたらどうなるかは知っとるわ。都落ちもやってるからな。平家の最後の切り札が安徳天皇と三種の神器やねんから、そんなもの手放すかい。死ねばもろともや。壇ノ浦がそうなっとるやんか」
だよな。
「ああそうや、コトリがあれこれ言うたけど、安徳天皇は生き延びた可能性はあるで。合戦に安徳天皇を連れて行く代わりに形代立てた可能性や。合戦やから流れ矢に当たって死んでも困るやろ」
彦島に留まっていた可能性か。でも顔を見たら、
「誰も安徳天皇の顔を知るかいな。平家方かって知っとるのは一門ぐらいで、下っ端は見た事あらへんはずや。源氏なんかなおさらや。それらしい装束来て目の前で入水したら疑う奴なんておらんやろ」
でも建礼門院や按察使局は助かっているのじゃ、
「二位尼もホンモノやろ。ニセモノが潔く死ねるかい」
そ、そうですよね。
「やっぱ落人伝説はロマンがあるんよな。秀頼の子が薩摩で生きとったとか、光秀かって天海僧正になったとかもあるからな」
「義経だって衣川で死なずに成吉思汗になってるし」
そんな話を聞いたことがありますが。
「どっかにホンモノの話があるかもしれへん。そやけど検証しようがあらへんやんか。それでも祖谷には平家の落人が住み着いた伝承が残っとって、今も語り継いでるのは奥床しいことやんか」
それにしてもコトリさんもユッキーさんも半端な歴女じゃありません。これだけの事を空でムック出来るなんて、
「コトリは歴女だけどわたしは違うよ」
「そやな。単なる物知りの温泉小娘や」
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