2-2
必ず呪いを解くと大口を叩いたものの、まったくあてがなくてドリスは
「どうしよう……」
リプリィは、さも簡単なことのように「キスをすれば解ける」と言っていたが、ドリスにしてみればハードルが山よりも高い。
魔女リプリィは現在、宮廷魔法師団の
窓から
そろそろ昼時だというのに、ドリスのお
(二か月以内に、
どうやって?
呪いを解くための第一歩で、ドリスは思いきりつまずいていた。
まず、恋の仕方というものがまったくわからないのだ。
(人って、どうやって人を好きになるの?)
こんなことなら、母が時々送ってくれる
とりあえず流し読みはしたものの、いまいち感情移入できずに
テーブルの下に
「ドリス。お客さんだよ」
「は、はい?」
ドリスはテーブルから
開かれた扉から姿を見せたのは、昨日の主役である二人……もとい、一人と一
「こんにちは、ドリス」
「ごきげんよう、ドリス。少しは落ち着きまして?」
(パーシバル様とユーフェミア様がご
ドリスが見上げると、パーシバルは
「昨夜はせっかく来てくれたのに、会えずじまいで悪かったね」
「い、いいえ! あの、こちらこそ……その」
言葉を選べずに
「セレストから全部聞いたよ。大変だったね」
ドリスは首を大きく横に振った。長い黒髪が
「申しわけありませんでした。せっかく
「自分を責めないで。きみのせいじゃない」
「ほかに何か方法がないか、ぼくも探してみるよ。セレストほどじゃないけれど、ぼくも
「ありがとうございます」
まずは自分にできることを……と思うものの、何から始めていいのやら見当もつかないのが現状である。
二人と一匹で囲むローテーブルに、メリンダの用意した紅茶が並べられた。ユーフェミアには、白磁の
「あの……パーシバル様」
紅茶を一口飲んでから、ドリスはおずおずと呼びかけた。
「なんだい?」
「ご迷惑でなければ、お二人のなれそめについてお聞かせいただけませんか?」
「はぁ!? どうしてそんな……」
「うん、いいよ」
噛みつくような勢いで毛を逆立てるユーフェミアを抱きかかえながら、パーシバルは何かを察してくれたのか、春風に揺れるタンポポのようにやわらかくうなずいた。
「ぼくたちの話で役に立てるなら」
生まれつき身体の弱いユーフェミアは、
その日はめずらしく体調がよかったので、庭園で一人遊びを楽しんでいた。
前の晩に降った雨でやわらかくなっていた土をこねて、
部屋にこもりきりでストレスがたまっていたユーフェミアは、周りに誰もいないのをいいことに、木の幹めがけて泥団子を振りかぶって投げた。
そこへ、運悪くパーシバルが通りかかった。
パーシバル八歳、ユーフェミア五歳。今から十一年前のことである。
「顔面に泥団子をぶつけられたのがきっかけ……ですか?」
にこにことうなずくパーシバルと、そっぽを向くユーフェミア。
「あの時のユフィ、
て」
「パーシー様の泥だらけのお顔が、あまりに恐ろしかったのですわ」
ばつが悪そうに言うユーフェミアの真っ白な背中を、パーシバルは
「それからいろいろあって、今に至るって感じかな」
個人的には「いろいろ」について
「貴重なお話をありがとうございます」
「少しでも参考になればいいんだけど……そうだ!」
パーシバルは、ふと思いついたように声をあげた。
「セレストに相談してみたらどうかな?」
「殿下に……ですか?」
聞いたところで「知るか」と
「恋愛関係ならセレストが適任だと思うよ。ドリスの前だとあんな
ドリスの
花に集まる美しい
「たしかに……パーティーでの殿下は、普段と別人のようでした。わたしは、殿下から相当
「え、いや、セレストは嫌ってなんか……ドリス、聞いてる?」
「お兄様って、普段どんな態度でドリスと接していますの……?」
弁明しようとするパーシバルの膝の上で、ユーフェミアは
「殿下からは嫌がられると思いますが、ほかでもないユーフェミア様のためですから。思い切って相談してみます」
「う、うん。がんばって……」
パーシバルは何か言いたげな
「ところでドリス。わたくしからもひとつ、
「ユーフェミア様が……わたしに? よ、喜んで! なんでも
ドリスは胸の前で両手を組んで吐息を漏らした。こんな非常事態だというのに、幸せを感じてしまう自分が罪深い。
ユーフェミアはパーシバルの腕の中から抜け出し、軽い身のこなしでローテーブルに飛び移り、ドリスの膝の上へと降り立った。カップの中の紅茶がわずかに波立つ。
(わ、わたし今、ユーフェミア様をお膝抱っこしている……!? なんという
このまま、もふもふのユーフェミアを抱きしめて頰ずりしたい……という衝動に駆られそうになったが、理性を総動員してこらえた。
「わたくし、
ドリスは小さくうなずいて、ユーフェミアの話に耳を傾ける。
「週に一度、貴族のご令嬢たちをお招きしてお茶会を
「えっ?」
ドリスは
「
宝玉のような美しい双眸で見上げられては、
「と、とんでもないです! わたしでお役に立てるのでしたら……!」
すると、ユーフェミアは空色の瞳を三日月のかたちに細めて笑った。
「助かりますわ。婚約者を取られただのなんだの、散々な言いがかりをつけられて困っているところでしたの。そんな時にわたくしが欠席などしたら、好き放題言われて笑いものにされるに決まっていますもの」
ユーフェミアは、ピンク色の可愛らしい鼻をふんっと鳴らした。
「
「あの、ユーフェミア様? お茶会……ですよね?
ドリスがおそるおそる問いかけると、ユーフェミアは顎をつんと上向けた。
「ある意味、決闘ですわね。何かされたら、
「……パーシバル様」
視線で助けを求めると、パーシバルは小声で「お手やわらかにね」と両手を合わせた。
(王宮って、こんなに
呼吸を落ち着けたところで、ドリスは
「ところで、ユーフェミア様。気持ちがたかぶっていらっしゃるせいでしょうか……、わたしが知る
すると、ユーフェミアに代わってパーシバルが答えた。
「これがユフィの
スズランの花のように麗しく清らかな、あこがれの
ドリスはふいに、可愛らしい見た目をしたスズランの花が
本来の予定なら、今日の午後はセレストに連れられて魔法師団の詰め所を見学しに行くはずだったのだが、後日にあらためることとなった。「昨日からいろいろなことが起きて疲れているだろう。今日一日はゆっくり休め」という、ジャレッドの
昼食は、リンゴのジャムを
「ねえ、ドリス。気分
日当たりの
昨晩のパーティーに出席していた人たちのほとんどは今朝のうちに帰ったようで、
メリンダの手引きで中庭に足を
「風が気持ちいいですね」
「でしょ? たまに仕事サボって、あのあたりで
メリンダが指差した先に、セレストの姿が見えた。
一人ではなく、誰か女性と向かい合って会話をしている様子だった。
ドリスとメリンダは無言でうなずき合い、植物の
(これは、
はしたない
セレストと一緒にいるのは、月明かりのような
「セレスト様。昨晩はご一緒できずに残念でしたわ」
「すみません、ロベリア
風に乗って二人の声が聞こえてくる。
「
ロベリアと呼ばれた令嬢は、
「本当なら、朝まで離れたくありませんでしたのに」
(朝まで一緒に……って、
自分だったら絶対に途中で
「
「まあ、お上手。そう言って、また私から
ロベリアはセレストの手を取って、自分の頰に触れさせた。
「いつになったら、私をあなたのものにしてくださるの?」
「ロベリア嬢……」
何やらただならぬ
セレストは、つかまれていた手をやんわりと解いた。
「ロベリア嬢のことは、いい友人だと思っています」
「私は、あなたの婚約者候補でしてよ? 友人どまりというのは、いただけませんわ」
(婚約者候補……?)
初めて耳にする言葉に、ドリスは思わず目を見開いた。
ユーフェミアが婚約したのだから、王太子であるセレストにもそういった相手がいるのは当然だろう。
「もちろん、心得ておりますよ。ですが、貴女の期待に応えることはできません」
「セレスト様は、心に決めたお相手がいらっしゃるということかしら?」
「さあ? どうでしょう」
軽くかわすセレストの態度にこれ以上押しても意味がないと思ったのか、ロベリアはそこで話を打ち切った。
「今日はここまでにいたしましょう。ゆっくりと少しずつ、セレスト様の
ふふっと笑って、ロベリアはその場を立ち去った。一人になったセレストは、「疲れた……」とその場に座り込んだ。
(聞いてはいけない話だったかしら……?)
ドリスはメリンダと無言で目配せをし、足音をたてないようにその場から去ろうとした。
「そこの二人、どこへ行く気だ?」
空を
逃げ場を失ったドリスとメリンダは、おそるおそる顔を見せた。
「ご、ごきげんよう……殿下」
「ごめんねー。
セレストは木の幹に背を預けた格好でこちらを見た。
「悪い、メリンダさん。少しだけ、こいつと二人にしてくれないか?」
「はいはい」
メリンダは、転移魔法でその場から姿を消した。
「あの、殿下……?」
「別に怒ってないから、こっちに来い。話がある」
先ほどの令嬢と話していた時のやわらかな
(怒っているようにしか見えないのですが……)
この場から逃げ出したい気持ちをこらえ、ドリスは言われるままにセレストのそばへ歩み寄った。
「これ、着けておけ」
そう言って、セレストは
ドリスはその場に膝をついて、差し出されたものを受け取る。
「綺麗なブレスレットですね……これをわたしに?」
「城に張ってある結界を
そう言って、セレストはそっぽを向いた。
ドリスは、ブレスレットとセレストの横顔を
「殿下が作られたのですか?」
「
ドリスは長い
せいぜいとか、なんでもないことのように言っているけれど、魔法師団が総がかりで張った結界をしのぐ魔法を凝縮させて装身具にこめるなど、誰にでもできることではない。
「こういったアクセサリーは、一晩で作れるものなのですか?」
「そんなわけないだろう。発注から完成まで半年はかかる。魔法をこめるのは一晩もかからないが」
「半年も前からご用意してくださっていたということですか?」
ふと浮かんだ疑問を口に出すと、なぜかセレストは頰を真っ赤に染めた。
「こ、細かいことは気にするな! その……ひきこもりのお前でも、たまにはアクセサリーくらい着けてもいいと思ったんだ。ブレスレットなら
「何が、目的ですか……?」
ドリスは、セレストの顔を覗き込み、声をひそめて問いかけた。
「は!?」
「魔力の暴発を
「
「見ていればわかります。私の前ではいつも親の
(ほかのご令嬢には、あんなに楽しそうに笑いかけるのに)
思わずそう言いかけて、ドリスは口をつぐんだ。
「お前の目には……そう見えるのか」
セレストは片手で口元を覆って、ため息をついた。
「本当に嫌いなら、毎月会いに行ったりしない」
「え?」
「別に、見返りなんて求めてない。気に入らなければ、捨てるなり売るなりすればいい。そんなものがなくても、魔法師団がほかに対策を練ってくれるだろう」
「それじゃあ……」
ドリスは、手の中できらめくブレスレットをふたたび見た。
(これは殿下が、本当にわたしのために用意してくださったもの……)
「ありがとうございます……あの、失礼なことを言ってすみません。わたし、両親以外からこんな
「気に入ったなら、よかった」
ブレスレットを両手に
「身に着けないと意味がないだろ。貸せ、着けてやる」
セレストは、ドリスの手のひらからブレスレットを取り上げた。
「右と左……どっちが正しいんだ? どっちでもいいか」
つぶやきながら、ドリスの右手をそっとつかみ、優しい手つきでブレスレットを手首に着けてくれた。金具を調整し、「きつくないか?」と問いかけられる。
「だ、
ドリスの手首を包んでいた大きな手が離れていく。
ささやかで上品な輝きを放つブレスレットを見つめて、ドリスは思わず微笑んだ。
「少しは落ち着いたみたいだな」
「え?」
「その……いろいろあっただろ」
昨夜のパーティーでの出来事や、今朝のひと
「は、はい。おかげ様でなんとか」
ふと、セレストの唇が目についてしまい、ドリスはぱっと視線をそらした。
あの時、あやうく死ぬかもしれなかったと思うと背筋が震える。
(もし目の前でわたしが死んでいたら、殿下の夢見が悪くなってしまうわ)
ただでさえ世話になっているのに、これ以上
「ドリス」
「はい?」
「呪いの件だけど、お前は……何か考えがあるのか? その……心に決めた男がいるとか」
「いいえ。そのようなお相手はまったく」
セレストがほっとしたように息をついたが、ドリスの目にはとまらなかった。
「その件について……実は、殿下にご相談しようと思っていたんです」
「俺に?」
ドリスはこくりとうなずいた。
「大変ぶしつけなお願いだとは思うのですが、恋の仕方……というものを教えていただけないでしょうか?」
「……言っている意味がよくわからないんだが」
逆立ちして
「昨夜のパーティーや、先ほどのお美しい方とのやり取りを拝見していて思ったのです。異性の方とあんなふうに自然と親しくなれる殿下なら、恋をする
セレストは目元をひきつらせ、心の中で「俺が知るか」とつぶやいたのだが、ドリスに届くはずもなかった。
「お願いします……ユーフェミア様を元のお姿に戻すために」
ドリスは胸の前で両手を組んで、セレストの目をじっと見つめて
「……両想いになれるなら、相手は誰でもいいのか?」
「え? はい」
質問の意図はよくわからなかったが、ドリスは
「……わかった」
「本当ですか!?」
ドリスは、ぱっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます、殿下」
「途中で泣いて逃げ出すなよ」
「ユーフェミア様のためなら、どんな厳しい
(どうしよう)
ドリスと別れたセレストは、頭を抱えて歩き出した。
その場の勢いで引き受けたものの、
「本当に、ろくでもない呪いをかけてくれたもんだ……」
地下
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