3章 王太子殿下の恋愛講座

3-1


 しゅうしん前、ドリスは二通の手紙をしたためた。

 一通は故郷の両親へ。もう一通は、しきの使用人たちへ。

 きゅうていほうだんじゅじゅ研究に協力するため、しばらくの間王宮にたいざいすることになったむねと、また会える日までどうかすこやかに過ごしてほしいという思いを文章にこめた。

 本当のことは伝えられない。

 自分のせいでユーフェミア王女がねこになってしまった事実を知るのは、当事者であるドリスとユーフェミア、セレスト、パーシバル、そして魔法師団の幹部数名だけ。

 ふうをした手紙をメリンダにたくし、ドリスは一冊の本を手に取った。

 りょくとうけつのろいをかけられ、親元をはなれる時に母がおくってくれた絵本。王宮にまるたくをする際、荷物にまぎれ込んだようだ。

 永遠のねむりについてしまう呪いをかけられたおひめ様が、王子様のキスで目を覚ますという、どこの国にもかたがれているおとぎ話。

(キスで呪いが解けるなら苦労はしない……なんて言った過去の自分を、ひっぱたいてやりたいわ)

 この日何度目かのため息をこぼす。

 せめて、自分がすでにだれかにこいをしていたなら、少しは希望があっただろうに。

 絵本のページをめくっていくドリスののうに、ぎんぱつの美しいれいじょうの姿がふとかんだ。

 ロベリア・カーライル。クレシア国王の従弟いとこにあたるカーライルこうしゃく一人ひとりむすめで、としはドリスとユーフェミアと同じ十六歳。兄が一人、弟が一人いる。セレストのこんやく者候補の一人であると、先ほどメリンダが教えてくれた。

 昼間、中庭で見かけたロベリアはとても積極的だった。セレストの心を射止めるために、人知れず努力を重ねているのかもしれない。

 仮に、自分が誰かに恋をしたとして、ドリスはロベリアのように相手をかせるた

めに行動を起こすことができるのだろうか。

「どうしよう。気が遠くなってきたわ……」

 ハードルをえた先にまた新たなハードルが待ち構えていると思うと、気が重い。

 それに、ドリスがかかえているのはこれだけではなかった。

(ユーフェミア様の身代わり……。なんておそおおい)

 猫になってしまったユーフェミアの代わりに、貴族の令嬢たちの中心に立たなければならない。


 ユーフェミアからたのまれれば断る理由などないので、二つ返事で受けたものの、我に返ったら不安とプレッシャーに押しつぶされそうになる。

 もしも、お茶会でヘマをしてしまったら、はじをかくのはドリスではなくユーフェミアなのだ。

 ドリスは、日がしずんで人間の姿にもどったユーフェミアに会いに行った際、身代わりを務めるにあたって必要な所作やことづかいを教えてほしいと願い出た。

(そういえば先ほどのユーフェミア様、ご様子が少しおかしかった気が……。お身体からだの具合がよろしくなかったのかしら)

 ユーフェミアは終始、ほおが赤く、どこか挙動しんな様子だった。

 けっこん前に婚約者のパーシバルにはだを見られてしまったショックで熱を出したことを、ドリスは知らない。

 明日から、午前中はユーフェミアによるれい作法の特訓、午後もしくは夜の空いた時間にセレストかられんあいの心得を教えてもらうこととなった。

 それに加えて、明日は魔法師団のとうおもむいて、ドリスの現在の魔力の状態をくわしく調べてもらう予定である。宮廷魔法師団は幼いころからあこがれていたので、塔に足をれるのは楽しみだった。

 絵本を最後までもくどくし終えたドリスは本を閉じ、右の手首を持ち上げた。

 ささやかな光を放つ銀細工のブレスレット。

 ドリスが魔力の暴発におびえなくて済むようにと、セレストが魔法をこめてくれた。

「何か……お礼をしなくちゃ」

 セレストが喜びそうなもの……。パーシバルかユーフェミアなら知っているだろうか。

 翌朝。ドリスは頭の上に分厚い本を三冊せた状態で、子鹿のようにひざふるわせていた。

こしが引けていますわよ。背筋はまっすぐに! あごをもっとお引きなさい!」

 ソファに置いたクッションの上で、しろねこのユーフェミアがげきを飛ばす。

 ゆうにまっすぐ歩くための訓練なのだが、バランスを取るのにせいいっぱいで、りょううでが無意識に左右へ開いてしまう。飛び立てないたかのような姿勢のまま、足も前へ踏み出せない。

「わたくしはそんな不格好なガニまたじゃありませんことよ!」

「は、はい……っ」

 ドリスはなみだで応えるが、身体が思うように動いてくれない。

「先ほどから一歩も進んでいませんわよ。さっそうと歩いてごらんなさい!」

(王宮のご令嬢はみな、こんなに厳しいレッスンを受けているの? こくだわ……!)

 ドリスは震えるつま先を一歩前へ運んだだけで、すでに息があがってしまった。

「まだまだ! こんじょうですわよ! ほら、足を動かしなさい!」

「は……い……」

 ドリスは額にあせを浮かべて、次の一歩を踏み出した。

 結局、初日のけいは三歩進んだだけで終わった。

 ようやく解放されたドリスは、全身汗だくの状態でソファに身を沈めた。

「言っておきますが、あなたが習得すべきお作法はまだまだ山のようにありましてよ。おの角度、美しいがおの作り方、会話する際の視線の運び方、お茶とおのいただき方、季節の花にまつわる知識、場にふさわしい話題の選び方など……」

「ユーフェミア様は、それらをすべて習得されているのですね。さすがです」

 帳面に書き留めながら、ドリスはかんたんの息をついた。

「ま、まあ……一応は王女ですから」

 つんと顔をそらしながらも、ユーフェミアのしっはうれしそうにれている。

(よく考えたら、ユーフェミア様から直々にお作法を教わるなんて、これ以上ない幸せなのでは……。呪われていてよかった……いえ、よくないけど)

 ドリスの呪いのせいで、ユーフェミアまでえを食うかたちで呪われてしまったの

だ。このじょうきょうはけっして喜べるものではない。たとえ、どれだけ幸せだとしても。

「身代わりをお願いしたのはわたくしですし、責任をもってあなたを立派なしゅくじょに育て上げてみせましてよ」

「ありがとうございます。せいいっぱいがんばります」

「二人ともおつかさま。おやつをどうぞー」

 メリンダが、トレイに載せたおちゃを運んできてくれた。

「ありがとうございます、メリンダさん」

「わたくしには、お水をいただけますかしら?」

 紅茶やハーブティーなど、人間にとってはリラックス効果のある飲み物でも、猫の身体には有害な成分がふくまれている。アレルギー反応をねんして、ユーフェミアは猫の姿の時はお茶に口をつけないことにしていた。

「はい、お水どうぞ。それと、お砂糖や木の実の入ってないクッキーもね。これなら食べられると思うよ」

 ユーフェミアの前に、水が注がれた白磁のうつわと、小さなプレーンクッキーを数枚載せた小皿が置かれた。

「おづかいありがとうございます。こちらのクッキーはメリンダ様が作られましたの?」

「いやいや、あたしは料理なんてかんかつがいさ。作ったのは団長だよ。王女様の食生活に不便があっては困るからって、魔法薬の研究ついでに作ったんだってさ」

 おおがらで無表情でもくなジャレッドの顔を思い浮かべながら、ドリスとユーフェミアは目の前の一口サイズのクッキーをじっと見た。

「人は見かけによらないですね……」

「あの大きな手から、どうしたらこのようなせんさいなお菓子が生まれるのかしら……?」

 そろって首をひねる二人に、メリンダは笑って言った。

「王女様が喜んでたって、団長に伝えておくねー」

 じょらしからぬ軽い足取りでメリンダが下がると、ドリスとユーフェミアはそれぞれ紅茶と水に口をつけた。

「メリンダ様が、ドリスのお世話係をなさっていますのね」

「はい。有事の際に備えて、団長さんが取り計らってくださいました」

 とてもありがたいことだが、メリンダの本来の職務をさまたげてしまって申しわけなく思う。

みなさまのお手をわずらわせてばかりで……心苦しいです」

「なんだ、気にしなくていいよ。あたしは結構楽しませてもらってるから。侍女服なんて着る機会ないもんねー」

 扉の前にひかえていたメリンダはお仕着せのスカートをつまんで、わいらしく首をかしげてみせた。

 彼女の明るさとやさしさに、ドリスは心が少し軽くなった。

「ユーフェミア様も、侍女の方がいらっしゃいますよね? 猫のお姿になってしまって、おどろかれたのではありませんか?」

 毎朝おおさわぎになっているのではと、ドリスは心配になってたずねた。

「心配無用ですわ。わたくし、基本的なたくは自分で済ませてしまいますし、部屋にこもっていることが多いので、侍女たちとはめっに顔を合わせませんの」

「そ、そういうものなのですか?」

「彼女たちの手を借りるのは、先日のパーティーのように正装する時くらいですわね。ですから、いらぬ気を回してくださらなくて結構ですわよ」

 侍女たちの目が届かないのなら、呪われた現状を考えると都合がいいと言える。

 でも、身近な人と顔も合わせずに毎日過ごすのは、なんだかさびしい気がする。

 ドリスは、屋敷で留守を預かるメイドの顔を思い浮かべた。毎朝、部屋にズカズカと押し入っては、カーテンを開けろだの朝ごはんをきちんと食べろだの、年下なのに母親のような小言を浴びせてくる。わずらわしいと思う時もあるけれど、ドリスにとっては大切な日常だった。

「わたしが侍女さんだったら、きっと一日に十回はユーフェミア様のお顔を拝見しに行ってしまいます……」

「やめてくださいな、うっとうしい」

 そう言いながら、ユーフェミアはくすくすと笑った。

「王女様、これ、頼まれていたものだよー」

 メリンダがテーブルに置いたのは、細かな文字がさいされた紙のつづりだった。

「ありがとうございます、メリンダ様」

 ユーフェミアは、前足で紙の綴りにれた。

「ドリス。こちらは、お茶会の参加者のめい簿ですわ。名前と出自、外見のとくちょうなどをまとめていますので、一通り覚えておいてくださいな」

「は、はい」

 ドリスは名簿を手に取り、視線を走らせた。

「あ……ロベリア様もいらっしゃるのですね」

 美しい銀髪の令嬢の姿を思い出して、ドリスは思わず頰をゆるませた。

「ロベリアと顔を合わせましたの?」

 ユーフェミアは空色の宝玉のようなひとみを光らせた。深い青色のこうさいがきらめく。

「はい。昨夜、お友達になりたいと言われました。殿でんのお部屋の前で」

「お兄様のお部屋?」

「何か、ご用事があったそうです」

「それは、いする気でしたのよ。あの女、つつしみがありませんこと」

 ユーフェミアはチッと舌打ちをした。

「よばい……とは?」

みをおそうことですわ」

「あ、暗殺ですか……!?」

 ドリスは思わず身を震わせた。

ちがいますわよ。しんじょしのび込んでゆうわくすることですわ」

「まあ……」

 誘惑のしょうさいについてはわからないが、ロベリアが積極的な女性だと知り、ドリスは頰を赤らめた。

「ロベリア様は、とても大人な方なのですね……」

「ものは言いようですわね」

 ユーフェミアはふんっと鼻を鳴らした。

「あなたが特に注意をはらっておくべき方は……こちらの三名ですわね」

 ドリスは、ユーフェミアの指し示した令嬢の名前を読み上げた。

「アシュリー様、クレア様、ジェニー様……。この方たちは?」

「婚約ろうパーティーの夜、あなたの魔力を暴発させた女性たちですわ。しゅぼうしゃはアシュリーですわね。以前、彼女の婚約者の方におもいを寄せられたことがありまして、それ以来、あからさまに敵意を向けられていますわ。さかうらみもここまで来るとすがすがしいですわね」

「この方たちが……」

 ドリスは息をのみ、ふたたび名簿に視線を落とした。

「表立って何かすることはないと思いますが、けいかいしておくに越したことはありませんわ」

(あの夜、ユーフェミア様を傷つけようとした人たち……)

 無意識に指先が震えて、名簿の紙にしわが寄った。

 心が焼けそうになる感覚を今でも覚えている。

「ドリス、落ち着きなさい。心を乱したほうの負けですわ」

「ユーフェミア様……」

 ドリスのむねの奥底からにごった気持ちがきそうになるのを、ユーフェミアのせいれんなまなざしが制止する。

 ふいに、ドリスの目の前でユーフェミアがテーブルをってちょうやくした。ローテーブルからソファへ、さらに隣のソファへと、小さな身体をくるくると回転させながら飛び移る。

「えっ、あっ、ユーフェミア様!? お身体にさわりますから……!」

 困惑するドリスの目の前へと身軽に降り立った白猫は、宝玉のような瞳でこちらを見上げた。

「ご覧のとおり、わたくし、この姿でいる間はまったく身体が苦しくありませんの。走ってもんでも、なんともありませんのよ」

 首をかしげるドリスに、ユーフェミアは言葉を続ける。

「こんな体験は生まれて初めてですの。もちろん、喜んでいい状況ではないことくらい承知していますわ。でも、この姿になったことが、ほんの少しだけうれしく思いますの」

「ユーフェミア様……」

 白猫の姿をした王女があまりにけなで、ドリスは目をうるませた。

「期間限定だからこそ楽しめるのですわよ。早いところ、呪いを解いてくださいませね」

「はい……!」

 おどけた口調で言うユーフェミアに、ドリスは思わず顔をほころばせた。

「ところで、ユーフェミア様。昨晩のお疲れは、もう取れましたか?」

「なんのお話かしら?」

 ユーフェミアが不思議そうに瞳を光らせて、こちらを見上げる。

「昨晩は、ご気分がすぐれないご様子でしたので、気になってしまって」

「べっ、べべべべ別にっ!? なんともありませんことよ?」

「それならよろしいのですが。呪いで姿が変わられた反動で、お身体にえいきょうが出ていたらと心配しておりました」

 ドリスは、パーティーの夜に自分の魔力が暴発した影響から熱を出した。もともと身体の弱いユーフェミアが同じような状態になってしまったらと、気がかりだった。

「お、お気遣い痛み入りますわ!」

 ユーフェミアが心の中で「にちぼつ前には自室に戻ってベッドにもぐっておかなくては」とつぶやいたことを、ドリスは知らない。

きゅうけいはここまでですわよ。さあ、お立ちなさい!」

「は、はいっ!」

 ドリスは立ち上がり、先ほどと同様に本を頭の上に載せた。

「姿勢が悪いですわ! 表情はもっと美しく!」

「はいぃ……!」

 ユーフェミアの厳しい特訓は、このあと二時間におよんだ。




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