2-3


 「ええと、セレストがドリスに恋愛の講義をするの? そういう感じになっちゃったんだ……?」

「つい、なりゆきで」

 自室へ戻らず、パーシバルの部屋をおとずれたセレストは、勝手知ったるソファに身体を沈めててんじょうを仰いだ。

「我が兄ながら、おろかですわね」

 パーシバルの膝の上で、白猫のユーフェミアが実の兄を一刀両断した。

「その場で告白して、『俺の女になれよ』くらい言えませんの?」

「無茶言うな!」

 セレストは上体を起こして声をあげた。

 先ほどの会話ひとつ取っても、ドリスはセレストに対して恋愛感情など毛ほどもいだいていないのがよくわかる。

 性急に想いを告げてぎょくさいするよりは、ともに過ごす時間を増やすことできょを縮めたほうが良いと考えたのだ。

「ちなみに、講義プランはあるの?」

「ない。これから考える」

 セレストはきっぱりと言いきった。

「ていうか、恋だの愛だのって、しようと思ってするものじゃないだろ」

 視線の先ではねぼうきのように揺れるユーフェミアの尻尾を無意識に目で追いながら、セレストはぽつりと言った。

「気がついた時には好きになってるんだよ……」

「お兄様……」


 ユーフェミアの空色の瞳がきらりと光った。

「聞きまして? パーシー様、今の聞きまして?」

「音声記録すればよかったね。ドリスに聞かせてあげたいよ」

「お前ら! 絶対やめろ!!」

 手(前足?)を取り合うユーフェミアとパーシバルに怒りの声をあげた時だった。


 ぽんっ!!


 シャンパンボトルのせんが抜けたようなれつ音とともに、白銀色のけむりが視界をめつくした。

 窓の外では、空が紅茶色に染まり、太陽が揺らめきながら地平線へと沈む時分。

にちぼつか……?」

 魔女リプリィによると、ユーフェミアは夜の間だけ人間の姿に戻るという。

「ユフィ、大丈夫か?」

 なかなか晴れない煙に向かって呼びかけると、小さな悲鳴があがったように聞こえた。

「どうした!?」

「おっ、お兄様! 今すぐ目を閉じてくださいな!」

「え?」

「いいから早く! わたくしが良いと言うまで開けないでくださいまし! さもなくば呪い殺しますわよ!!」

 姿は見えないものの、声音から妹のけんまくが想像できたので、セレストはなおにまぶたを閉じた。

「パーシー様も! 見たら首をめてやりますわ!! 」

「ごめん、もう見ちゃった……」

「いやあああああああっ!!」

 パン! と、何かが何かを打つ音が響いた。

 いったい、セレストの見えないところで何が起きているのか。

「ユフィ? パーシー? もういいか?」

 まるで、かくれんぼのおにやくのように問いかける。

「よ、よろしくてよ!」

 セレストがそっと両目を開けると、白銀色の煙はすでに晴れていた。

 そして、先ほどまで白猫の姿をしていたユーフェミアは、豊かに波打つきんぱつが美しい少女の姿へと戻っていた。

 ただし、生まれたままの姿で。


 顔を真っ赤にして瞳をうるませたユーフェミアは、パーシバルの上着をうばったらしく、はだの上にまとっていた。ちょうど膝の下まで隠れる長さだった。

 上着をはぎ取られたパーシバルは、頰に紅葉もみじのようなかたちのあとを作って微笑みを浮かべていた。どれだけ強い力でなぐられたのか、首の角度が少しおかしい。眼鏡もゆがんでい

る。

 二人の姿をまじまじと見て、セレストは「明日からは、日没前に毛布でもかぶせておこうか」とつぶやいた。



◇◆◇



 その夜、ドリスはユーフェミアが元の姿に戻ったというしらせを受けて、彼女の部屋へと向かっていた。

(よかった……って言っていいのかわからないけれど、人間の姿に戻れて安心だわ……)

 ユーフェミアに一目会いたくて、自然と早足になってしまう。

「そんなに急がなくても、王女様は逃げないよ」

 後ろからついてくるメリンダがしょうまじりに言った。

「それはそうなのですが……」

 言いかけて、ドリスはふと足を止めた。

 ろうに、一人の令嬢がたたずんでいた。

 せいひつな月光を思わせる長い銀髪に、ドリスは見覚えがあった。

(あの方、昼間の……)

 中庭でセレストと一緒にいた婚約者候補の女性。たしか、ロベリアと呼ばれていた。

 ロベリアが立っているのは、セレストの部屋の前。

(殿下にご用事かしら?)

 ドリスはしのあしで近づき、すれ違いざまに「こんばんは」と声をかけた。

「お待ちになって」

 呼び止められて、ドリスは振り返った。

 間近で目にするロベリアは、息をのむほど美しい女性だった。

 髪の毛と同じ銀色の睫毛は雪のけっしょうのようにせんさいで、深いむらさきいろの瞳はゆうほこるスミレの花びらのよう。

 ドリスよりも頭半分ほど背が高く、ほっそりとしているが、豊かなむなもとと腰まわりのまろやかな線が、ドレスの上からでもよくわかる。

「人違いでしたらごめんなさい。ドリス・ノルマン様……かしら?」

「は、はい」

 うなずくと、ロベリアは「ああ、やっぱり」と、両手をぽんと叩いた。

「はじめまして。わたくし、ロベリア・カーライルと申します。セレスト様とはとても親しくさせていただいていますの」

「はじめまして……」

 覗き見したので知っています……だなんて、絶対に言えない。ドリスはたりさわりなくやり過ごそうと、慣れない笑みを向けた。

「魔法師団に知人がおりまして、ドリス様のお話を何度か耳にしたことがありますの」

 ロベリアは細い首をかしげて、にっこりと微笑んだ。

「セレスト様とは幼いころからのご友人でいらっしゃると。ですから私も、ドリス様とお友達になりたいと思っていましたの」

「はあ……」

「私はいずれ、セレスト様の妻となる身ですので、今のうちから彼のご友人と親しくなっておきたいのですわ」

(婚約者候補の方と聞いていたけれど、正式な婚約がお決まりになっているのかしら?)

 ドリスは疑問を抱きつつも、微笑みを返した。

「こちらこそ、ロベリア様と親しくさせていただけましたら光栄です」

「まあ、うれしい。どうぞよろしくお願いしますね」

 ロベリアは、しなやかな手でドリスの手を優しく握った。

「あら? 素敵なブレスレットですこと。どちらの職人の作品かしら?」

「ありがとうございます。こちらは……あの、事情がありまして、王太子殿下からいただいたものです」

「セレスト様から?」

 ロベリアの声音がほんの少し低くなったことに、ドリスは気づかなかった。

「そう……素敵ですこと」

 ドリスの右手首をかざる銀のブレスレットを指先でなぞると、ロベリアは笑みをたたえたままきびすを返した。

「あの、殿下にご用事だったのでは?」

「今はいらっしゃらないようなの。時間をあらためることにいたしますわ。ごきげんよう」

 ドレスの裾をひるがえして、ロベリアは細いくつおとをたてて優雅に去っていった。

(綺麗な方……。優雅で、気品にあふれていらして……なんだか緊張してしまったわ)

 ドリスが胸に手を当てて、美しい後ろ姿にれているその時、一方のロベリアは手の

ひらにつめが食い込むほどに拳を握りしめていた。


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