2章 恋をしろと言われましても

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 クレシア王国東部。日の光さえ届かないほどにうっそうとした森の奥にある古い家で、〈〉のじょたちが昼間からしゅえんに興じていた。

「ヒマねぇ」

「今日はやけに静かだと思ったら、リプリィが来ていないのか」

「リプリィなら、真夜中にごげんで出かけていったわよ。なんでも、十年前にかけたのろいが完成したとかなんとか」

「十年とは気の長い話だな。酒の熟成じゃあるまいし」

 魔女はさかずきはく色の蒸留酒を注ぎながら言う。

「元をたどると、何十年も昔の王太子へのうらみがきっかけらしいわよ。フラれた腹いせに、今の王太子をねこに変えてやるんですって」

「どれだけ年代物の恨みなんだ。いん湿しつなあいつらしいが」

「でも、おもしろそうだと思わない? 王太子が〈野良〉の使い魔に成り下がるなんて、ぜんだいもんの茶番劇よ。わたし、王太子に魚の骨をくわえさせてみたいなぁ」

「それは見ものだ」

 リプリィと旧知の魔女は杯に口をつけ、「だが」と続けた。

「あいつは少々、けているところがあるからな。どうなることか」


 明け方の王宮、ドリスのしんしつ

「……大体のじょうきょうはわかった」

 部屋のすみで気まずそうに視線を泳がせるくろかみの魔女に向かって、セレストが言った。

「俺にかけようとしていた呪いがドリスにかかってしまったのは、十年前にあくしている。

 その呪いが開発ちゅうで不十分だったせいで、妹が猫になった……ということか」

「そうみたいだね。ってたからおくがほとんどないんだけど」

「そうか」

 セレストはリプリィに歩み寄り、きゃしゃな手首をつかんだ。彼の手が銀色の光を放つ。

「ちょっと、何これ?」

 リプリィの両手首に、銀色のかせがはめられていた。

「術者みずから現れたのなら、話は早い。今すぐ二人の呪いを解いてもらおう。貴様のしょぐうは、そのあとでじっくりと協議する」

「え、解き方なんて覚えてないけど」

 リプリィはしっこくひとみをきょとんと見開いて言った。

 すると、セレストはこしいていたナイフをさやから抜いて、リプリィのあごきつけた。

「覚えていないなら、思い出させてやろうか」

「よくない。よくないよ! 王太子サマがごうもんとか、よくないと思うな!」

 リプリィは、さっと青ざめて顎を反らせた。

殿でん、どうか落ち着いてください……!」

「わたくしは、拷問にかけてでもかせるべきかと思いますわ」

「え?」

 しろねこのユーフェミアが何やらおんなつぶやきをらした気がして、ドリスは視線を向けたが、ユーフェミアはすました様子で純白のしっを優美にらしていた。

 ナイフを鞘に収めたセレストに、リプリィはようえんほほみかけた。

「いいねぇ。その、血の気が多くて小生意気な感じ。今からでも、きみに呪いをかけ直してみたくなってきた」

「お断りだ」

 ふいに、リプリィの長い黒髪の間から、金色のそうぼうをした黒猫が顔を出した。

 セレストは、横目で白猫のユーフェミアを見やる。

「貴様は、妹を使い魔にするつもりなのか?」

「いや、王女はいらない。私をコケにした男にそっくりな王太子を、自分のおもちゃにしたかっただけだからね」

 そう言って、リプリィは赤くつやめいたくちびるを三日月のかたちにして笑った。

かいじゅの方法がないということは、わたくしは一生このままの姿ですの……?」

 ベッドの上で、ユーフェミアががくぜんとつぶやいた。

「お気の毒だけど、そういうこと。王女様も、そこのきみも、どうか強く生きてね」

 リプリィが指先を軽くると、彼女の両手首をくさりでつないでいた手枷が、灰となってさらさらとゆかにこぼれ落ちた。その場にいた全員が目をみはった。

「そうそう。余計なお世話かもしれないけど、王宮の防護結界、もう少し固くしたほうがいいかもね」

 バカにしたような口ぶりに、セレストとメリンダが険しい表情をかべた。

 リプリィが白い指先をくうすべらせて、空間にふたたびを入れる。

「あの、待ってください……!」

 ドリスは夜着姿なのも忘れてベッドから降りて、リプリィに手をばそうとした。

「うわっ!」

 宙に浮いていたリプリィの身体からだが、床に引き寄せられるようにたたきつけられた。

「〈野良〉の魔女、リプリィだな」

 どこからともなく、軍服めいた作りをしたあいいろの制服姿の男性が姿を現した。彼はその場にひざをつき、リプリィが反応するより早く彼女の首元に手を当てた。

「つ……っ!」

 かわぶくろに包まれた手がほのかな紅色にかがやき、リプリィは苦痛に顔をしかめた。

 彼が手をはなすと、リプリィののどにあたる部分に、しんのリコリスの花をかたどった印が刻まれていた。

「貴様の身体に〈刻印〉をほどこした。うそいつわりを口にすると、呼吸が止まる呪いだ。死にたくなければ解呪方法を吐け」

いやだね」

 リプリィが吐きてると、男性は革手袋に包まれた指を鳴らした。

「く……っ?」

 リプリィはとつぜん喉に手を当て、口を大きく開けた状態で身体をけいれんさせた。

「はっ……はあ……っ、死ぬかと思った……。ほうだんか」

 リプリィは深呼吸をかえしながら、男性の制服を上から下までねめつけた。

「ああ、そうだ。貴様よりきゅうてい魔法師団を取りまとめている者だ」

 制服姿の男性は無表情で、「格下」を強調して答えた。

「魔法師団……」

 息をつめて見守るドリスに、セレストが説明する。

「宮廷魔法師団長、ジャレッド・コール。この国で一番の魔法使いだ」

 ジャレッドは、なおも暴れようとするリプリィのがらを取り押さえ、彼女の両手首にりょくよくせいするしゃくどう色の鎖をかけた。先ほど、セレストがかけた魔法の手枷よりも強度は上である。

「いつまでも女性の寝室で話し込むわけにいかないだろう。みな、あちらへ」

 三十歳手前と思われる落ち着いたこわで、ジャレッドはその場にいる全員をとなりの応接間へとゆうどうした。

 ドリスはかたにストールを羽織って、布張りのソファに腰を落ち着けた。

 隣には、白猫をきかかえたセレスト。向かいのソファにジャレッドと、つかれきった顔をしたリプリィが座った。

 メリンダは、「あたしはドリスのじょ役だからね」と、とびらのそばにひかえている。

「防護結界につけ入るすきがあったのは、私をおびき寄せるためのわな?」

かんがいいな。完成に年月を要する呪いならば、いずれまた王宮に現れると判断した。十年前よりもしんにゅうが容易だっただろう?」

 魔法師団のけた罠にまんまとめられたと知り、リプリィは苦い表情を浮かべた。

「では、聞かせてもらおうか。彼女たちの呪いを解く方法を」

「…………」

「今すぐ貴様の気管をめることもできるが、どうする?」

 情けようしゃないジャレッドの言葉に、リプリィはおくみしめて観念した。手首にかけられた赤銅色の手枷と鎖が華奢な見た目以上に重苦しいのか、リプリィのほおや首筋にあせが浮いている。

 リプリィは肩で何度か呼吸をしてから、口を開いた。

「キスだよ」

 その場にいる全員が、「なんて?」と首をかたむけた。

「両おもいのこいびと同士の、心の通じ合ったキス。それが呪いを解くゆいいつの方法。ドリス……だっけ? きみが、愛し合う相手と真実のキスをすれば、魔力とうけつの呪いも王女の動物化の呪いも同時に解くことができる」

 明け方のうすやみともされたろうそくほのおが、ドリスの青白い頰にかげを落とした。

「…………ほかには?」

 の鳴くような細い声で、ドリスは問いかけた。

「ほ、ほかには何かありませんか? たとえば、術者の心臓に銀のくいを打つとか、術者を森の神のいけにえにするとか……!」

「きみ、おとなしそうな顔しておそろしいことをサラッと言うね。私の心臓に杭を打つ気でいるの?」

「すみません。もののたとえです……」

 ドリスは肩を縮こまらせて顔をうつむけた。

 そして隣では、なぜかセレストまで世界の終末のような重々しい表情で、額に手を当てて考え込んでいた。

「魔女リプリィ。呪いについて、ほかに何かかくしていることがあるなら今のうちに言え」

「あんた、いちいち突っかかる言い方するね。別に隠してるわけじゃないけど、動物化の呪いにはリミットがあるから、解呪したいなら急いだほうがいいよ」

「なんですって!?」

 一番に反応したのはユーフェミアだった。

「今日一日過ごしてみたらわかるはずだけど、王女は太陽が出ている間は猫の姿に、日がしずむと人間の姿になる」

「あら、元の姿にもどれますの?」

「今は、ね」

 三角形の耳をピンと立てるユーフェミアに、リプリィは念押しするように言う。

「呪いのリミットは二か月先。正確には昨夜ゆうべから数えて六十六日後。それを過ぎると、王女はらいえいごう猫の姿で生きることになる。そして、人間の時の記憶も、言葉も忘れる」

 セレストの膝の上で、ユーフェミアが愕然と目を見開いた。

「そんな……」

 ドリスが声をふるわせたその時、セレストはユーフェミアをそっと膝から降ろした。

 そして鞘からナイフを抜き、逆手に構えた。ナイフは銀色の光を放ち、細長い杭に姿を変えた。

「殿下……?」

「俺は的なことを忘れていたようだ。たいていの呪いは、術者を殺せば解けるものだ」

 なものように静かで、けれど氷柱つららのように冷たくするどい声音。

 初めてれるセレストのいかりに、ドリスは息をすることを忘れそうになった。

「やってみたらいいさ。私が死んだしゅんかんに、王女様の動物化の呪いが完成するけど、それでもよければ」

「…………」

「この呪いの目的は王族への嫌がらせだよ。私がそんな単純な解呪を許すと思う?」

 リプリィは赤い唇の間から、へびのように舌をちらつかせた。

「どうやらきょげんではなさそうだ。〈刻印〉の呪いが作動しない」

 ジャレッドの言葉に、セレストは無言で銀色の杭をナイフに戻し、鞘に収めた。

「あ、あの……」

 場にいる面々に視線を向けて、ドリスが口を開いた。

「わ、わたしが……その、キス……? をすれば、いいのですよね? そ、それでユーフェミア様が元の姿に戻れるのでしたら……。元はと言えば、わたしが平常心を保てずに魔力を暴発させてしまったのが原因ですし……。わ、わたしが必ずや、ユーフェミア様を元の姿に戻します……!」

「ドリス……自信のなさが顔に出ているぞ」

「き、気のせいですよ、殿下……」

 これでも、けんめいに自分を奮い立たせているのだ。

「それから、もうひとつ」

 リプリィは細く白い人差し指を立てて言った。

「万が一、両想いじゃない相手とキスしてしまった場合、ドリスは死ぬ」

「え……?」

 今度はドリスが目を見開いて息をのんだ。

「そもそもは、私をもてあそんでくれた過去の王太子への恨みをこめた呪いだからね。適当な女の子とキスして死ねばいいと思ったんだ」

 とんでもないことを、いともあっさりと言ってくれる。

「標的をちがえちゃったのは悪いと思ってるよ。ごめんね」

「ふざけるな!」

 セレストが声をあららげる。

「謝って済む話か! なんでドリスがそんな……」

「殿下、落ち着いてください……!」

「落ち着けるわけがないだろ! お前も、もっとおこっていいんだぞ! こんな八つ当たりみたいなバカバカしい呪いのせいで、お前の人生がどれだけ台無しにされたと思っているんだ!?」

「でも、呪いを解く方法は教えてもらえたことですし、リプリィをどうにかするのは魔法師団の皆様におまかせして、まずはユーフェミア様を元の姿に戻しましょう……!」

「相手を間違えたら、お前は死ぬんだぞ!」

 そう吐き捨て、セレストはリプリィをにらみつけて立ち上がった。にぎりしめたこぶしが震えている。

「殺すまでは行かなくとも、今までドリスが苦しんだ分を貴様も思い知るべきだ」

「殿下、おやめください……!」

 ドリスはセレストを追うように立ち上がり、彼の上着のそでをつかんだ。

「止めるな!」

「だめです……っ!」

 怒りのしょうどうられるセレストを止めようと、ドリスはしがみつくように彼のうでを思いきり引いた。

「うわっ!」

「きゃ……っ」

 そのひょうにセレストの上体が傾き、勢い余ってドリスもろともじゅうたんの上にたおれ込んだ。

「…………」

「…………」

 あおけに倒れた夜着姿のドリスと、床に両手をついておおいかぶさるセレスト。

 セレストのまえがみがドリスの鼻先に触れている。たがいのいきが唇をくすぐる。

 せいじゃくの中、セレストが喉を鳴らす音がひびいた。

「気をつけなよ。本当に死ぬから」

 リプリィの言葉に、ドリスとセレストはそろって青ざめた。


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