1-3


 広間の階上にはドリス以外に誰もいないと聞いていたのだけれど。不思議に思ったドリスは、通路をけて話し声のするほうへと移動した。

 柱のかげからそっと覗くと、ドレス姿の年若い令嬢が三人、何やら話し込んでいる。

「王女に目にものを見せるまたとない機会よ。公衆の面前でおおはじかかせてやりましょう」

 リーダー格と思われるり目の令嬢が、せんで口元を隠して言った。

(ユーフェミア様に……? この方たち、いったい何を……?)

 どう見ても、ユーフェミアたちを祝おうというふんではない。

「段取りは覚えているわね?」

 リーダー格の令嬢が問いかけると、ほかの二人はうなずいた。彼女たちは、紙の束を両手に持っている。

「ダンスが始まったら、その手紙をいっせいに投げ入れるのよ。みなさわぎ出したすきに、私たちは何食わぬ顔で広間へもどるの」

「婚約披露の場で婚約になったら、いい笑いものね」

「くれぐれも見つからないように、注意をはらうのよ」

 リーダー格の令嬢が扇子を閉じたその時。

「あ、あの……」

「な、何よあなた。驚かせないでちょうだい!」

 ドリスは思わず、令嬢たちの前に姿を見せていた。

「ユーフェミア様に何をなさるおつもりですか……?」

「あら。もしかして、あなたも仲間に入りたいのかしら?」

 リーダー格の令嬢は、手下から紙を一枚受け取ってドリスに見せた。

「これは、私の婚約者の家から出てきたの。彼が、王女へてたこいぶみの下書きよ」

「そして、これが王女からの返事よ」

 手下の令嬢が、細かな文字の並ぶ便びんせんをちらつかせた。

「おそろしい女よね。その気もない相手に……しかも他人の婚約者に愛の言葉を綴れるなんて」

「そうよ、許せないわ!」

 気弱そうな手下の令嬢たちが同調するようにうなずく。

「そ、そんな。うそです!」

 ドリスは思わず声を荒らげた。

「噓だなんて失礼ね。ぶってきしょうはここにあるのよ。彼は私にこう言ったわ。『ユーフェミア王女よりきみを愛する自信が持てない』ってね」

「それは……その方が一方的にユーフェミア様に心をうばわれただけなのでは?」

「なんですって?」

 令嬢たちの眉間に皺が刻まれる。

「それに、ユーフェミア様は……、パーシバル様を裏切るようなきょうな方ではありません」

「何が言いたいのかしら?」

「疑いたくはありませんが、あなた方がぞうなさったのではありませんか?」

「な……っ!」

 三人とも、わかりやすくどうようしている。

「他人をおとしいれるためにこのような工作をなさるのは、美しくありません。去っていった殿とのがたを振り向かせるためにご自身をみがかれたほうが建設的かと思います」

 そこまで言ってしまってから、ドリスははっと口をつぐんだ。

(わ、わたし、見ず知らずの方になんて失礼なことを……)

 とはいえ、敬愛するユーフェミアが悪く言われるのはまんならなかった。

「ずいぶんと失礼な方ね。あなた、もしかして王女の取り巻きかしら? ああ、わかったわ。王女に取り入って、殿方を横流ししてもらおうというこんたんでしょう?」

「な、何を言って……?」

 思いもかけないことを言われて困惑するあまり、ドリスは言葉が出てこない。

「王太子殿下も相当な女たらしですものね。兄妹そろってほんぽうでいらっしゃること」

 長年の間、人との接触を避けて生きてきたドリスは、これほどまでにむき出しの悪意に触れたのは初めてだった。これ以上、何を言っても聞き入れてもらえそうにない。戸惑いと同時に、ドリスの胸の中にいかりの感情がふつふつとこみ上げてきた。

「い、いい加減に……」

 ドリスがのどを震わせると、足元のじゅうたんが小さなほのおをあげた。炎は一瞬で消えたため、令嬢たちは気づかない。

「あなた、どこかで見たことがあると思ったら……ドリス・ノルマン嬢じゃなくて?」

「あの呪われた伯爵令嬢の?」

「王宮に居場所をなくしてくもがくれした、日陰のご令嬢?」

 令嬢たちの目の色が変わった。れんびんべつのまなざしで笑みを浮かべている。

「あなたみたいな行き場のない人のめんどうを見させられて、王女もお気の毒だこと」

「そんな……」

 ユーフェミアにはなんの落ち度もないのに、自分のせいで笑いものにされてしまうなんて。

 さざなみのような笑い声がドリスの胸にさる。

「まあいいわ。あなたも見ていらっしゃい。王女の婚約破棄イベントを始めましょう」

 令嬢たちが一斉に手紙の束を掲げた。

 記されている内容がたとえうそいつわりだったとしても、ユーフェミアが大勢の前で傷つけられることに変わりはない。

「だめ……、ユーフェミア様とパーシバル様の幸せを……邪魔しないでください……!」

 ドリスが手紙をばらまこうとする令嬢たちを止めようとするも、リーダー格の令嬢に突き飛ばされてその場に倒れた。

 彼女たちの手から手紙が離れようとした瞬間、ドリスは声にならない叫びをあげた。

(ユーフェミア様……!)

 次の瞬間、ドリスの視界が白い光に包まれた。

 遠い昔、魔女の呪いを受けた時と同じ光景だった。

(なに……? 何が起きて……?)

 魔力の暴発を無効化する結界が張られているはずなのに。

 うすれていく視界の中で、令嬢たちが手にしていた紙の束が燃えるのが見えた。彼女たちの口から悲鳴があがる。

 それよりもっと遠いところから、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「ドリス!」

 知っているはずの声が誰のものか思い出せないまま、ドリスは意識を手放した。



◇◆◇



 パーシバルとユーフェミアの婚約披露パーティーは、予定より早くお開きとなった。

 予期せぬアクシデントが起きたためである。

 広間のバルコニーで、ドリスの魔力が結界を破って暴発した。奇妙な光があたりを照らしただけで、器物の破損や怪我人は一切出なかったのが不幸中の幸いだった。

 宮廷魔法師団の警備隊が招待客を避難させる中、セレストはバルコニーへけ上がった。

 途中、三人の令嬢たちがあわてふためいて階段を駆け降りてきたので声をかけたが、彼女たちはげるように去っていった。

「ドリス! おい! 大丈夫か!?」

 長い黒髪がおうぎのように広がり、ドリスは床に倒れ込んでいた。セレストは声をかけ、抱きかかえる。彼女の華奢な身体はひどく熱かった。

 ドリスを客間へ運び入れ、魔法師団の女性幹部を一人、彼女のそばにつけてもらう手配をした。

 目覚めるまでそばにずっとついているつもりだったが、女性幹部に部屋から追い出され、夜半過ぎに自分のベッドに入った。

 それからおよそ四時間ほどだろうか。空が白みはじめる時間帯に、しんしつの扉が叩かれた。

 扉を開けると、青ざめた顔をしたユーフェミア付きの侍女がいた。

「ユーフェミア王女様のお姿が……どこにもないのです」

 妹は、侍女に黙って部屋を抜け出すことはしない。心配をかけるとわかっているからだ。

「わかった。俺も一緒に探す。目がえて散歩に出ているだけだとは思うが」

「お手をわずらわせて申しわけありません。よろしくお願いいたします」

 侍女は深々と頭を下げて退室した。

 セレストが夜着をぎ落そうとした時、足元にある「何か」と目が合った。

 一ぴきの、毛足の長いしろねこだった。瞳の色は自分と同じ空色。

 どこから迷い込んできたのか。

「お前、どこから来た? 主人の名前は? ……なんて、言うわけないか」

 セレストがしゃがみ込んで猫の背をなでると、「にゃあ」とは違う声が返ってきた。

「主人などいませんわ。わたくし、飼い猫ではありませんもの。お兄様」

「え……?」

 セレストは、猫の背をなでる体勢のままこうちょくした。

「わたくし知りませんでしたわ。お兄様って、動物に話しかけるタイプでしたのね」

「え……? ユフィ……なのか?」

「いかにも。ですわ」

 白猫はどういうわけかえらそうに、「どや」と言わんばかりに鼻を上向けた。

 セレストはさっと青ざめ、疾風はやてのようなはやわざで夜着から部屋着にえ、白猫を小脇に抱えて部屋を飛び出した。

 ひとつしか思いつかない心当たりを目がけて走る。


 身体が熱くてぐるしい。ドリスは睫毛を震わせて重いまぶたを開けた。

「ああ、気づいたね。よかった」

 女官のお仕着せに身を包んだ見知らぬ女性。

「あの……わたしは……?」

「パーティーの途中で倒れたらしいよ。王太子殿下がここまで運んできたんだ」

「殿下が……?」

 意識がれるぎわに聞こえたのは、セレストの声だったのだろうか。

「無効化の結界を破るほどに大きな暴発を起こしたんだ。身体が落ち着くまで、ゆっくり休みなよ」

「わたし……やらかしてしまったんですね」

 せっかく王宮の人たちが苦心して張ってくれた結界をこわしてしまった。

「あんたが気にむことじゃない。あたしたちの落ち度だ。あんたの魔力が成長していることをせなかった、魔法師団の責任だ」

「あなたは、魔法師団の方……なのですか?」

 肩まで伸びたあかがみの小柄な女性は、そばかすの散った顔に笑みを浮かべた。

「あたしはメリンダ。こう見えても偉い人なのさ。朝が来たらゆっくり話そう。今はとにかく休んで……」

 彼女がそう言いかけた時、寝室の扉が乱暴に叩かれた。

「なんだい、まだ夜も明けてないのに無作法な」

 メリンダがぼやきながら扉を開けると、息を乱した金髪の青年が飛び込んできた。

「ど、どうなさったのですか、殿下……?」

 ドリスは、身体の重苦しさにえながら半身を起こして問いかけた。

 見れば、セレストは小脇に真っ白な毛玉のようなものを抱えていた。

「ドリス……こいつに見覚えはないか?」

 セレストはベッドのそばへ歩み寄り、ドリスの眼前に真っ白な毛玉を突き出した。

 毛玉の中に、明るい空色の宝石がめ込まれているように見える。うすやみの中で目をこらすと、それは生きものの瞳で、可愛らしい三角形の耳があることもにんできた。

「まあ、可愛らしい猫さん」

 ドリスは思わず口元をゆるませて顔を近づけた。

 なぜかはわからないけれど、この猫から人を惹きつけてやまないりょくを感じる。

「どことなく高貴で神々しい雰囲気とか、思わず抱きしめたくなる愛らしさが、ユーフェミア様と似ていますね」

 ドリスがうっとりとため息をらすと、どこかで「チッ」と舌打ちをする音がした。

 反射的にセレストを見ると、「俺じゃない」と返された。


のんなものですわね!誰のせいでこんな姿になったと思っていますの?」

 白猫はセレストの腕の中から抜け出して、ドリスを包む羽根とんの上に降り立った。

「え……? 猫さんがしゃべった……?」

 ぶにっ。

 ドリスの頰に、ぷにぷにしたもの――肉球が押し当てられた。

「あなたしか犯人が思い当たりませんのよ。昨晩のおかしな光といい、あなたが何か魔法を発動させたのでしょう? さっさとわたくしを元の姿に戻しなさいな!」

「え?え?元の姿?あの、どういう……?」

「ドリス。落ち着いて聞いてくれ。この猫はユフィだ」

「えええええええ!?」

 どうりで心ときめく愛らしさが……などと言えるような空気ではなかった。

「ユーフェミア様が猫に……? どうして……」

「ですから、あなたの魔力が暴発して……」

 ドリスの頰を肉球でむにむにしながら、ユーフェミア(らしき猫)が声をあげたその時。

「どうもー。おじゃしますよ……っと」

 下町の居酒屋にでも入るかのような軽い声音とともに、とつじょとしてくうれつが走った。

 室内の空間がビリビリとけて、その切れ目から一人の女性が現れた。

「あれ?違う子が猫になっちゃったんだ? どうしよう。王太子をむかえに来たつもりだったんだけど」

「ちょっと、何こいつ? なんであたしたちの防護結界がこんな軽く破られてるの?」

 メリンダがこんわくした声をあげると、侵入者の魔女は波打つ黒髪をばさりとかき上げ、ようえんな笑みを浮かべた。

「答えは簡単。おたくらの魔力が私よりも格下だからだよ」

「あ……あなた」

「お前……っ」

 ドリスとセレストは、同時に声を震わせた。

「「魔女リプリィ……」」

 リプリィと呼ばれた魔女は、セレストの姿を見つけるとうれしそうに顔をほころばせた。

「ああ、いたいた、王太子だ。でも、魔力反応が違うんだよね……。私の魔力が共鳴したから飛んできたのに」

 リプリィの言葉は不可解で、この場の誰もが理解できずにいた。

「うーん……」


 身体のまろやかな曲線に沿った漆黒のドレスを着た美女は、細く長い指先をあごに当てて、一人ずつ目を合わせた。

 そして、リプリィはドリスにふたたび視線を向けた。

 怪訝そうに眉をひそめて、リプリィは口を開いた。

「きみ……誰だっけ?」


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