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 一週間後、婚約披露パーティー当日。王都の中心街から王宮へつながる大通りを進む四頭立ての馬車の中で、ドリスは青ざめた顔で身を縮こまらせていた。

(で、出てしまった……お屋敷から出てしまった)

 王宮までは馬車でおよそ二時間。まかりちがって魔力を暴発させてしまわないよう、ドリスは平常心を保つべく深呼吸を繰り返していた。

 故郷の本宅に住む両親にことのなりゆきを手紙で伝えると、光の速さで今日のためのドレスとくつとアクセサリーが届けられた。

 ドリスの母が仕立ててくれたのは、上品さと可愛らしさを織り交ぜたようなライラック色のドレスだった。波打つドレープをたっぷりと取ったデザインで、腰の部分には黒いレースを重ねた花飾りがほどこされている。むなもとにならない程度にひかえめかつ可愛らしいフリルで縁どられており、銀のネックレスと調和している。

 母はドリスが王宮のパーティーに出席することがよほどうれしかったのか、魔法の水晶に正装姿を収めて送るようにと、手紙に書かれていた。それに関する文面だけ、やけに太く大きな文字でつづられていた。

 少しでも親孝行ができたのなら、行く決心をしてよかったとドリスは思った。

 いつも身の回りの世話をしてくれるメイドも今日は一段と張り切っており、衣装に合うかみがたを何日も前からこうさくしていた。最終的に、両耳の上を編み込んで残りの髪を背中に流すという、できるだけ目立たないけれど地味でもない無難な髪型に落ち着いた。

 ユーフェミアがパーティーの翌日にドリスとゆっくり話す機会を設けたいと言ってくれたため、王宮には二はくする予定である。それから、セレストの計らいできゅうてい魔法師団のしょも見学させてもらうことになった。

 馬車は小高いおかをゆっくりと登っていく。小窓を開けてそっと外を覗くと、そとぼりに囲まれた石造りのじょうへきが見えてきた。さらに進むと、晴れた青空にえる乳白色のがいへきせんとうの青い屋根がその姿を見せる。

 むねの奥がきゅっとめつけられるような感覚に、ドリスは思わず胸元を押さえた。

 なつかしいような、あの場に行きたくないような、複雑な感覚。

 馬車のれに共鳴するように、ドリスの心臓もどきどきとねる。

 社交の場以前に、屋敷の外で人と会うこと自体がひさしぶりで緊張する。

(どうか、何事もなく終わりますように)

 両手を組んで祈るドリスを乗せた馬車は跳ね橋をわたり、城門をくぐった。

 城を訪れた馬車が順番に王城の前にまり、招待客たちが優雅に降りていく。

 やがて、ドリスの番がやってきた。

(まずは転ばないこと)

 人生で初めて着るとう会用のドレスの裾を踏まないよう、この一週間、屋敷の使用人たちに協力してもらって死ぬ気で所作の練習をしたのだ。王宮へ行くからには無様な姿はさらせないと思い、ふんとうした。

 ステップにつま先を乗せ、おそるおそる足を運ぶドリスの前に、白いぶくろに包まれた男性の手が差し伸べられた。

「お、おそれ入りま……っ!?」

 反射的に手を取ろうとしたドリスは、相手の顔を見るなり悲鳴をあげそうになった。

 それと同時に、周りにいる貴族たちも驚いた様子でざわめいた。

けな顔をするな。しゃんとしろ」

「で……っ、殿下?」

 ごうしゃな深緑色の上衣に黒いブラウス、黒いズボンといった正装姿のセレストがいた。

 セレストは声を震わせるドリスの手を握り、もう片方の手を腰にえてドリスをいしだたみの上に降り立たせた。いっしゅん身体からだがふわりと綿毛のように浮いた心地がした。

「なにゆえ……殿下が直々におむかえなど……?」

「パーシーの代わりだ。あいつ、今日の主役だってことを忘れて、自分がドリスを出迎えに行くって言い出したんだ。そんな時間あるわけないのに」

「ですが、殿下がわざわざお出ましになる必要は……」

 げんかんホールへ続く石段を昇りながら小声でささやき合っていると、周囲の貴族たちが不思議そうにこちらに視線を向ける。

「あら、どちらのご令嬢かしら?」

「王太子殿下みずからお出迎えされるなんて」

(目立っているわ……とても目立ってる……!)

 今日の目標は、だれの目にもとまらずひっそりと一日を終えることだったのに、王宮に着くなりかなわなくなってしまった。

 ドリスがおそおおくもパーシバルに提示した舞踏会出席の条件。それは、「人目につかないものかげからこっそりと二人の晴れ姿を見守る」こと。

 出だしからこんなに目立ってしまっては、先が思いやられる。

(殿下は、見た目だけは本当にお美しいからみなさまの視線が集まるのも仕方ないとはいえ、一緒にいるわたしまで目立ってしまうのは困るわ……)

 ドリスのうらみがましい視線に気づいたセレストが、げんそうに眉をひそめる。

「何か文句でも……」

「い、いいえ……! 今日のお召し物がとてもお似合いだと思っただけです」

「は!?」

「殿下の美貌がきわらしいデザインかと……」

 ドリスは思ったことをそのまま口にしたのだが、セレストはそれが気に入らなかったのか、おくをぎりっとみしめて顔をそむけてしまった。

「お……」

「はい?」

 見上げると、セレストの頰がほんのりと赤く染まっていた。もしかして、ドリスのとうちゃくを待つ間に日の光を浴びすぎてしまったのだろうか。

「その……お前の衣装も、まあまあ見られるレベルだ」

 この場にパーシバルがいたなら、「そんな言い方、失礼だよ」といさめていただろうが、ドリスはまったく気にすることなく顔をほころばせた。「服と着ている人間がっていない」くらいの苦言はかくしていたので、ドリスにしてみれば「められた!」に等しい。

「こちらは、母がランカスタ村から送ってくれたんです。殿下からきゅうだい点をいただけたなら、ユーフェミア様にお目にかかっても恥ずかしくないですね。よかったです」

 とにかく転ばないように気をつけないと……と、ドリスが足元を注視した時、セレストはふっと口元をゆるませた。

「さっそくだが妹に会わせる。ついてこい」

「えっ! そ、そんな……心の準備が」

「つべこべ言わずに行くぞ」

 セレストにうでを引かれて、ドリスは石造りのせん階段をこわごわ昇りはじめた。

 途中、何度か足を止めて呼吸をととのえながら、ドリスはユーフェミアのいる部屋の前へとやってきた。

「こちらにユーフェミア様が……。扉までもがこうごうしいですね」

 扉の前にひかえる女官が、珍獣を見るような目で笑いをこらえている。

「すまない。気にせず開けてくれ」

 セレストがうながすと、女官はうやうやしく扉を押し開けた。

「ユフィ。入るぞ」

 セレストの呼び声に、窓辺に立っていた人物がこちらを振り返った。

 豊かに波打つ金色の髪がはねのように踊り、日の光を受けて金色の光のつぶを散らす。

「まあ、お兄様」

 天使がそこにいた。

 純白のフリルが重なったドレスはまさしく天使のつばさのようにふわふわとしていて、彼女が一歩進むごとにかろやかに揺れる。

「具合は? なんともないか?」

「そんなに心配なさらないで。今日はとても気分がよろしくてよ」

 透き通った可愛らしいこわが空気を揺らすと、ドリスの胸も震えた。

ナマ……生のユーフェミア様……! かわ……可愛い……!)

 興奮に肩を震わせていると、ユーフェミアが声をかけてきた。

「おひさしぶりですわね、ドリス。今日は来てくださってありがとう」

「は、はいっ。ごっ、ごしておりまふ!」

 思いきり噛んでしまったが、ユーフェミアは気にすることなくドリスの両手を優しく握った。

(やわらかい……あったかい……すべすべしてる……!)

 それに、花のみつのように甘くていい香りがただよってくる。

 蜂蜜色の髪もミルク色の頰も、れたらどんなに心地がいだろう。畏れ多くもそんな

ことを考えてしまった。

(パーシバル様がうらやましい……)

 ドリスは、ユーフェミアのぬくもりが残る両手を胸にいてため息をついた。

「ユフィ。パーシーはどうした?」

らいひんの皆様にご挨拶をしに。パーティーが始まったらあわただしくなるからと、今のうちに済ませておきたいそうですわ」

 何気ない会話をわすセレストとユーフェミアの姿を、ドリスはゆめごこで見守る。

(お二人が並ぶと、とても絵になるわ……。ご兄妹きょうだいだから似ているのは当たり前だけれど、見れば見るほどお美しい……)

 あやうく意識を遠くへ飛ばしかけた時、ユーフェミアがドリスに微笑みかけた。

「今日はお会いできて本当にうれしいですわ。お屋敷から出るのは、わたくしには計り知れないほど勇気のいることだったと思います」

「い、いいえ。とんでもありません……!」

「どうか、心ゆくまで楽しんでいらしてくださいね」

 ドリスより少し背の低いユーフェミアは、うわづかいで小首をかしげた。

(最高の角度……生きていてよかった!)

 感動に打ち震えていると、じょがユーフェミアを呼ぶ声がした。

「あ……、ごめんなさい。そろそろ行かなくてはいけませんの。また後ほど、おしゃべりしましょうね」

 ユーフェミアは今一度ドリスの手を握ってから、純白のドレスの裾を揺らして優雅な足取りで部屋をあとにした。

 セレストと二人きりになった室内で、ドリスは目を閉じててんじょうあおいだ。

「殿下……」

「なんだ?」

「わたし、今ここで死んでもいいです」

「やめてくれ」

 ユーフェミアの小さくやわらかな手のかんしょくまくを甘く震わせる愛らしい声、世界じゅうのかがやきを閉じ込めたような澄んだ瞳。すべてが尊い。

 ドリスは高鳴る胸を両手で押さえ、セレストに向き直った。

「ユーフェミア様にお会いできて、感情がこう……言葉では表せないほどにガーッと入り乱れているのですが、魔力の暴発は起きなかったです」

「そのための結界だからな」

「ありがとうございます。わたしなどのために、殿下や魔法師団の皆様に貴重な魔力をいていただいて……」

「お前、そういうふうに自分をするのをやめろ」

 セレストは、おこっているというよりも困ったような目をしていた。

「十年前の出来事は、魔女のしんにゅうを許してしまった王宮側の防護結界のゆるさに責任がある。自分を責めるな。それに、魔法師団のみんなも国王陛下も……俺も、お前のことを心配

しているんだ。今日くらいは素直に甘えろよ」

「殿下……」

「まあ、その……魔力の暴発は心配ないとして、今日はかわい……いや、マシな格好をしてるからって、そこらの男に声をかけられても浮かれるなよ」

 そう言ってセレストは視線をそらした。

「どうかご心配なく。人目につかないように、すみのほうでじっとしていますので。わたしは見守り要員ですから」

「可愛いから目立つんだよ……」

 セレストのつぶやきは、ドリスの耳に届かなかった。

 にちぼつ後、王城の広間にてパーシバルとユーフェミアの婚約披露パーティーが始まった。

 豪奢なシャンデリアがこうこうと輝き、宮廷楽団による優美な演奏が流れる。招待客はグラスを手にかんだんし、主役の登場を今か今かと待ちわびている。

(ユーフェミア様の先ほどのお衣装、素晴らしい仕立てだったわ……。あのよそおいでお出ましになるのかしら。髪型とアクセサリーはどんな感じかしら……待ち遠しいわ)

 ドリスは、広間のバルコニー席からユーフェミアたちの様子を見守っていた。パーシバルが特別に観覧スペースを用意してくれたのだ。ここなら人目につかず、ユーフェミアの晴れ姿をじっくりとたんのうできる。

 広間でだんしょうする王侯貴族の中に、見知った顔がいた。

 華やかなドレスに身を包む麗しい令嬢たちに囲まれているのは、セレストだった。

 果実酒の入ったグラスをかかげ、ほがらかな笑みを浮かべて、話しかけてくる令嬢の一人一人に丁寧に対応している。

 ドリスが何よりも驚いたのは、きらきらとまぶしい人をきつける太陽のような笑顔だった。

(殿下って……あんなふうに笑う方だったのね)

 セレストと言葉を交わした令嬢たちは次々と、頰を赤く染めて恥ずかしそうにその場をはなれていく。会話の内容はまったく聞き取れないが、セレストのかけた言葉が彼女たちの心をわしづかみにしたと思われる。

(知らなかった……。殿下ってものすごくモテるのね。あいそうで口が悪いから、てっきりきらわれているのだとばかり)

 憎まれ口ばかり聞いているドリスにしてみたら、しんせんな光景だった。

 バルコニーから見下ろすセレストの姿はまるで知らない人のようで、なんとも言えない不思議な心地になる。

(もしも、わたしが呪われていなかったら……ひきこもりじゃなかったら、あのご令嬢たちのように普通に笑いかけてくださっていたのかしら?)

 華やかで上品な令嬢たちと陰気なひきこもりの自分を比べて、セレストがどうしていつも無愛想なのか、わかった気がした。

(わたしみたいに華も可愛げもない令嬢なんて、相手にしたくないわよね……)

 しばらくして、会場の空気が変わった。招待客たちが広間の扉があるほうに注目する。

 パーシバルとユーフェミアが入場したのだ。

 広間の中央へ進み出た二人はぴったりとり添いながら、四方へ向けて礼をする。

 パーシバルは金色のモールで縁どられた白い礼服、ユーフェミアは先ほど着ていた白いふわふわのドレス姿で、髪は細かく編み込んでアップにしており、金細工のティアラをせていた。

てき……! お二人ともとても素敵です……!!)

 ドリスは両手の指先を静かに合わせて、音の鳴らないはくしゅをひそかに送った。

 眼福である。今まで生きてきて本当によかった。今夜が人生で一番幸せ。

 自分が呪われていることなどすっかり忘れて、ドリスは幸せを噛みしめた。

 その時だった。

「……ねえ、本当にやるの?」

「あら、おじづいたの? あなたたちも乗り気だったじゃない」

「そうだけど……」

 隣のバルコニーから話し声が聞こえてきた。


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