1-2
一週間後、婚約披露パーティー当日。王都の中心街から王宮へつながる大通りを進む四頭立ての馬車の中で、ドリスは青ざめた顔で身を縮こまらせていた。
(で、出てしまった……お屋敷から出てしまった)
王宮までは馬車でおよそ二時間。まかり
故郷の本宅に住む両親にことのなりゆきを手紙で伝えると、光の速さで今日のためのドレスと
ドリスの母が仕立ててくれたのは、上品さと可愛らしさを織り交ぜたようなライラック色のドレスだった。波打つドレープをたっぷりと取ったデザインで、腰の部分には黒いレースを重ねた花飾りがほどこされている。
母はドリスが王宮のパーティーに出席することがよほどうれしかったのか、魔法の水晶に正装姿を収めて送るようにと、手紙に書かれていた。それに関する文面だけ、やけに太く大きな文字で
少しでも親孝行ができたのなら、行く決心をしてよかったとドリスは思った。
いつも身の回りの世話をしてくれるメイドも今日は一段と張り切っており、衣装に合う
ユーフェミアがパーティーの翌日にドリスとゆっくり話す機会を設けたいと言ってくれたため、王宮には二
馬車は小高い
なつかしいような、あの場に行きたくないような、複雑な感覚。
馬車の
社交の場以前に、屋敷の外で人と会うこと自体がひさしぶりで緊張する。
(どうか、何事もなく終わりますように)
両手を組んで祈るドリスを乗せた馬車は跳ね橋を
城を訪れた馬車が順番に王城の前に
やがて、ドリスの番がやってきた。
(まずは転ばないこと)
人生で初めて着る
ステップにつま先を乗せ、おそるおそる足を運ぶドリスの前に、白い
「お、
反射的に手を取ろうとしたドリスは、相手の顔を見るなり悲鳴をあげそうになった。
それと同時に、周りにいる貴族たちも驚いた様子でざわめいた。
「
「で……っ、殿下?」
セレストは声を震わせるドリスの手を握り、もう片方の手を腰に
「なにゆえ……殿下が直々にお
「パーシーの代わりだ。あいつ、今日の主役だってことを忘れて、自分がドリスを出迎えに行くって言い出したんだ。そんな時間あるわけないのに」
「ですが、殿下がわざわざお出ましになる必要は……」
「あら、どちらのご令嬢かしら?」
「王太子殿下みずからお出迎えされるなんて」
(目立っているわ……とても目立ってる……!)
今日の目標は、
ドリスが
出だしからこんなに目立ってしまっては、先が思いやられる。
(殿下は、見た目だけは本当にお美しいから
ドリスの
「何か文句でも……」
「い、いいえ……! 今日のお召し物がとてもお似合いだと思っただけです」
「は!?」
「殿下の美貌が
ドリスは思ったことをそのまま口にしたのだが、セレストはそれが気に入らなかったのか、
「お……」
「はい?」
見上げると、セレストの頰がほんのりと赤く染まっていた。もしかして、ドリスの
「その……お前の衣装も、まあまあ見られるレベルだ」
この場にパーシバルがいたなら、「そんな言い方、失礼だよ」と
「こちらは、母がランカスタ村から送ってくれたんです。殿下から
とにかく転ばないように気をつけないと……と、ドリスが足元を注視した時、セレストはふっと口元をゆるませた。
「さっそくだが妹に会わせる。ついてこい」
「えっ! そ、そんな……心の準備が」
「つべこべ言わずに行くぞ」
セレストに
途中、何度か足を止めて呼吸をととのえながら、ドリスはユーフェミアのいる部屋の前へとやってきた。
「こちらにユーフェミア様が……。扉までもが
扉の前にひかえる女官が、珍獣を見るような目で笑いをこらえている。
「すまない。気にせず開けてくれ」
セレストがうながすと、女官は
「ユフィ。入るぞ」
セレストの呼び声に、窓辺に立っていた人物がこちらを振り返った。
豊かに波打つ金色の髪が
「まあ、お兄様」
天使がそこにいた。
純白のフリルが重なったドレスはまさしく天使の
「具合は? なんともないか?」
「そんなに心配なさらないで。今日はとても気分がよろしくてよ」
透き通った可愛らしい
(
興奮に肩を震わせていると、ユーフェミアが声をかけてきた。
「おひさしぶりですわね、ドリス。今日は来てくださってありがとう」
「は、はいっ。ごっ、ご
思いきり噛んでしまったが、ユーフェミアは気にすることなくドリスの両手を優しく握った。
(やわらかい……あったかい……すべすべしてる……!)
それに、花の
蜂蜜色の髪もミルク色の頰も、
ことを考えてしまった。
(パーシバル様がうらやましい……)
ドリスは、ユーフェミアのぬくもりが残る両手を胸に
「ユフィ。パーシーはどうした?」
「
何気ない会話を
(お二人が並ぶと、とても絵になるわ……。ご
あやうく意識を遠くへ飛ばしかけた時、ユーフェミアがドリスに微笑みかけた。
「今日はお会いできて本当にうれしいですわ。お屋敷から出るのは、わたくしには計り知れないほど勇気のいることだったと思います」
「い、いいえ。とんでもありません……!」
「どうか、心ゆくまで楽しんでいらしてくださいね」
ドリスより少し背の低いユーフェミアは、
(最高の角度……生きていてよかった!)
感動に打ち震えていると、
「あ……、ごめんなさい。そろそろ行かなくてはいけませんの。また後ほど、おしゃべりしましょうね」
ユーフェミアは今一度ドリスの手を握ってから、純白のドレスの裾を揺らして優雅な足取りで部屋をあとにした。
セレストと二人きりになった室内で、ドリスは目を閉じて
「殿下……」
「なんだ?」
「わたし、今ここで死んでもいいです」
「やめてくれ」
ユーフェミアの小さくやわらかな手の
ドリスは高鳴る胸を両手で押さえ、セレストに向き直った。
「ユーフェミア様にお会いできて、感情がこう……言葉では表せないほどにガーッと入り乱れているのですが、魔力の暴発は起きなかったです」
「そのための結界だからな」
「ありがとうございます。わたしなどのために、殿下や魔法師団の皆様に貴重な魔力を
「お前、そういうふうに自分を
セレストは、
「十年前の出来事は、魔女の
しているんだ。今日くらいは素直に甘えろよ」
「殿下……」
「まあ、その……魔力の暴発は心配ないとして、今日はかわい……いや、マシな格好をしてるからって、そこらの男に声をかけられても浮かれるなよ」
そう言ってセレストは視線をそらした。
「どうかご心配なく。人目につかないように、
「可愛いから目立つんだよ……」
セレストのつぶやきは、ドリスの耳に届かなかった。
豪奢なシャンデリアが
(ユーフェミア様の先ほどのお衣装、素晴らしい仕立てだったわ……。あの
ドリスは、広間のバルコニー席からユーフェミアたちの様子を見守っていた。パーシバルが特別に観覧スペースを用意してくれたのだ。ここなら人目につかず、ユーフェミアの晴れ姿をじっくりと
広間で
華やかなドレスに身を包む麗しい令嬢たちに囲まれているのは、セレストだった。
果実酒の入ったグラスを
ドリスが何よりも驚いたのは、きらきらとまぶしい人を
(殿下って……あんなふうに笑う方だったのね)
セレストと言葉を交わした令嬢たちは次々と、頰を赤く染めて恥ずかしそうにその場を
(知らなかった……。殿下ってものすごくモテるのね。
憎まれ口ばかり聞いているドリスにしてみたら、
バルコニーから見下ろすセレストの姿はまるで知らない人のようで、なんとも言えない不思議な心地になる。
(もしも、わたしが呪われていなかったら……ひきこもりじゃなかったら、あのご令嬢たちのように普通に笑いかけてくださっていたのかしら?)
華やかで上品な令嬢たちと陰気なひきこもりの自分を比べて、セレストがどうしていつも無愛想なのか、わかった気がした。
(わたしみたいに華も可愛げもない令嬢なんて、相手にしたくないわよね……)
しばらくして、会場の空気が変わった。招待客たちが広間の扉があるほうに注目する。
パーシバルとユーフェミアが入場したのだ。
広間の中央へ進み出た二人はぴったりと
パーシバルは金色のモールで縁どられた白い礼服、ユーフェミアは先ほど着ていた白いふわふわのドレス姿で、髪は細かく編み込んでアップにしており、金細工のティアラを
(
ドリスは両手の指先を静かに合わせて、音の鳴らない
眼福である。今まで生きてきて本当によかった。今夜が人生で一番幸せ。
自分が呪われていることなどすっかり忘れて、ドリスは幸せを噛みしめた。
その時だった。
「……ねえ、本当にやるの?」
「あら、
「そうだけど……」
隣のバルコニーから話し声が聞こえてきた。
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