1章 ひきこもり令嬢、王宮へ行く

1-1


 王子様のキスで、おひめ様はねむりのほうから解き放たれました。

 二人はけっこんし、末永く幸せに暮らしました。

 めでたし、めでたし。



(こんなものでのろいが解けるのなら、苦労はしないわ)

 ぱたん、と読み終えた本を閉じると、ドリスは小さくため息をついた。

 しょくだいあかりが、ほっそりとした青白い顔とやみ色の長いかみかびがらせる。

 閉めきったカーテンのすきからは、銀糸のような陽光が一筋し込んでいる。

 ドリスは、つるくさとバラの模様がほどこされた美しいそうていの本を手に取り、かべぎわほんだなへ歩み寄った。整然と並べられている書物は、じゅじゅつに関連するものがほとんどである。

 子ども向けのおとぎ話の本を、じゅつ書の隙間へとかくすように差し込む。

(そうだわ。朝のごあいさつをしなくては)

 レースとフリルをあしらったしっこくのワンピースのすそをととのえ、壁にかざられているしょうぞうの前に立った。

「おはようございます、ユーフェミア王女殿でん

 胸の前で手を組むドリスの視線の先で、豊かに波打つきんぱつと明るい空色のひとみをした美しい少女がうるわしいみを浮かべている。

 クレシア王国第一王女ユーフェミア。ドリスと同じ十六歳で、そのぼうから「クレシアのしんじゅ」と国民からたたえられている。

 王宮で初めてその姿を見た時、お人形が動いてしゃべっているかと錯覚した。

 完璧な美貌、見る者をとりこにする愛らしい笑顔、幼いながら洗練されたい。

 ドリスの人生で初めて「し」ができたしゅんかんだった。

 最後にユーフェミア王女と会ってから、もう十年。直接会えない代わりに、この肖像画をながめていやしをもらっている。

(ああ……今日もおわいらしい)

 今日も一日、ユーフェミア王女がすこやかに過ごせますようにといのりをささげる。

 次にドリスは左へ一歩移動し、となりに飾られている肖像画をうっとりと見上げた。

(一年前……十五歳のユーフェミア様。ほんの少しあどけないおもしがたまらなく愛らしいわ……)

 そのまた隣には十四歳の、さらに隣には十三歳のユーフェミア王女……と、ドリスがった六歳の頃から十年分の肖像画が横一列に飾られている。現在から過去まで、一通り肖像画を眺めて心をうるおすのがドリスの毎朝の日課(推し活)である。

「うっ……、六歳のユーフェミア様……なんて罪深い可愛さなのかしら。この真っ白でなめらかなほっぺなんて、はっこうしたパンのようにきめ細かくて……さ、さわりたい」

 ドリスのほおが赤く染まり、呼吸がややあらいものになったその時、ドリスの背後で真っ赤なバラの花がどこからともなく現れ、花びらがひらひらと舞い落ちた。

(あっ、いけない。つい興奮してしまったわ)

 ゆかに散らばった花を片づけようとした時、ノックとともに部屋のとびらが開かれた。

「ドリスおじょうさま、おはようございます!」

 元気のいい声をひびかせて部屋の中へ入ってきたメイドは、床にいつくばってバラの花をかき集めるドリスの姿を見つけてまゆをひそめた。

「お、おはよう……いい朝ね」

「お嬢様、またですか?」

 年下のがらなメイドはあきれたように言いながら、小走りにまどぎわへ移動してむらさきいろしゃこうカーテンを開け放った。

 うららかな日差しが室内をまばゆく照らすと、暗色系のインテリアと、さそりといった少々毒々しいしゅうのタペストリーがあらわになる。


「ま、まぶしい……」

「お嬢様。そろそろ、この気味の悪いタペストリーをてっきょしたらいかがです? 力作なのはわかるんですが、王女様の肖像画と並ぶとミスマッチが過ぎますよ」

「まあ」

 ドリスはへきめんに視線を走らせ、胸の前で両手を組んだ。

「伝わらないかしら? ユーフェミア様の清らかさと、やみにはびこる毒まがまがしさのギャップがたまらなくそそるの。もちろん、ユーフェミア様にはで雪のような純白が一番お似合いよ。でもね、そこにえて黒バラのかんとか闇色のドレスとかヴェールをおしになっていただいて、血の色のルージュを引いたらもうかんぺき……! わかるかしら、この背徳感……」

 不気味な笑みを浮かべて語り続けるドリスのかたわらで、メイドは小声で「聞かなきゃよかった」とこうかいのため息をついた。

「はっ、そうだわ」

 ドリスは、壁にしつらえてあるカーテンを引いてユーフェミア王女の肖像画(十年分)をおおい隠した。「とあるルート」から入手した貴重な品物なのだ。日光を浴びて画材がれっしてしまっては生きていけない。

 肖像画をなんさせたドリスは、先ほどまで読書をしていた丸テーブルのクロスをめくってその下にもぐり込んだ。

(落ち着く……)

 テーブルの下でほっと息をつくドリスをよそに、メイドは部屋の窓を押し開けた。

「ちゃんと空気をえないと、お召し物もご本もカビてしまいますからね」

 緑のにおいをふくんだ春の風がき込んでくる。

(あ……スイセンの香り)

 とうめい感のある甘くてやさしい香りが、風に乗ってドリスの鼻先をくすぐった。

 故郷のランカスタ村に住む両親の顔と、しきの庭園をいろどる春先のスイセンの花畑がのうに浮かんだ。

(お父様とお母様はお元気かしら)

 クレシア王国北方の領地を治めるノルマンはくしゃく家の一人ひとりむすめであるドリスは、理由わけあって王都こうがいにあるべっていにひっそりと隠れ住んでいる。

 両親はひんぱんに手紙をくれるし、年に一度は会いに来てくれるが、さびしい思いをさせてしまっているのが心苦しい。

「お嬢様。そろそろおたくをしないと」

「支度って、なんの?」

 テーブルの下から這い出たドリスは小首をかしげた。すると、メイドの少女は呆れたようにかたをすくめた。

「やっぱり忘れてましたね。今日は午後からお客様がおしになる予定ですよ!」

「えっ、今日だったかしら?」

「なんのふくもない生活をしていると、日付感覚がなくなってしまうんですね……」

 気の毒そうなまなざしを向けられて、ドリスは返す言葉もなかった。

(お客様ねえ……)

 極力、人との交流をけているドリスに会いに来る人物は限られている。

「今日はこちらにいたしましょう。王太子殿下をおもてなしするんですから、場がはなやぐような明るい色がいいですよ!」

「…………」

 用意されたしょうの色とは裏腹に、ドリスの気持ちは一気に重くなった。

 すると、朝の陽光に満たされていたはずの室内にこくえんのようなもやがたちこめた。

「わわっ、なんですか!?」

「あ……っ」

 前が見えないほどのにごった色の靄は、またたに部屋じゅうを覆いつくした。

ドリスはしずんだ心をじょうさせようと、自分の胸に手を当てて深呼吸をした。

(何か……楽しいことを考えるのよ。たとえば、ユーフェミア様のこととか)

 そうするうちに、今度は窓の外から通りすがりのカラスが一、飛び込んできた。

「きゃあっ!」

 靄の中で頭上をかすめたカラスにおどろいて、ドリスは声をあげた。

 次の瞬間、髪にしていた黒真珠の飾りがパンッと音をたててはじけ飛んだ。

「お嬢様、だいじょうですか!?おおお、おはっ?」

「大丈夫……」

 黒い靄が晴れていく。

 ぼうぜんと床に座り込むドリスの上をカラスが三度せんかいして、カァーと鳴きながら窓の外へと飛び去った。

「お嬢様ぁ……」

「いつもごめんね……」

 なみだでドレスをかかえるメイドに、ドリスは力なく言葉をかけることしかできなかった。

 幼い頃に通りすがりのじょからかけられた呪いのせいで、ドリスは感情がたかぶると周囲に物理的な影響をおよぼす体質になってしまった。

 クレシア王国のおうこう貴族は生まれながらに高いりょくを秘めているのだが、その魔力もふうじられている。呪いが不完全だったせいか、ドリスの魔力が高すぎたのか、ドリスの感情が大きく揺れると、まるで紙風船が破裂するかのように封じられた魔力が暴発してしま

う。

 感情をおさえ込み、他者とのせっしょくを避けて暮らす中で、ドリスはいつしか人のしずまる夜の時間を好むようになった。

 闇夜にけ込むような黒い衣装に身を包み、かげの生きものを愛する日々。

 それでも、ドリスの心を最も潤す存在は、太陽よりもまぶしいユーフェミア王女であることに変わりなかった。推す方向性が多少、ななめ上ではあるけれど。

「まぶしい……」

 あわい黄色のドレスを身にまとい、長いくろかみを可愛らしく編み込んでもらったドリスは、きょの表情を浮かべて応接間で待機していた。

 屋敷の内装はドリスの私室以外、ごくつうたんしょく系のかべがみと調度品でそろえられている。ドリスの母の指示によるものである。

「今からでもびょうを使ってお断りできないかしら……?」

おうじょうぎわが悪いですよ。毎月のことなんですから慣れてください」

 小声でメイドから言い返され、ドリスはしゅんと肩を落とした。

 やがて、しつの来客を告げる声が聞こえた。

 ドリスは背筋をばしたまま立ち上がり、ぎこちない動作で扉の前へと進み出た。

 じゅうこうな扉が開かれ、現れた客人の姿にドリスは挨拶する前からろう感を覚えた。

(ああ……今日もげきれつげんでいらっしゃるわ)

 せっかくの麗しい顔が台無しである。口には出せないけれど。

「相変わらず景気の悪いつらがまえだな、ドリス」

 氷のやいばを思わせる冷たくするどい声の主は、にこりともせずに言い放った。

 光にけるようなはちみつ色の髪、長いまつと二重まぶたにふちどられた空色の瞳、なめらかなミルク色の頰にうすべに色のくちびる、均整のとれたしなやかなたい。まるで美術品のような、非の打ちどころのない美貌のせいであつ感がはんない。

「よ、ようこそお越しくださいました……セレスト王太子殿下」

 ドレスの裾をつまんでしゅくじょの礼をとると、「ふん」といっしゅうされた。

「心にもないかんげいの口上を述べるくらいには、元気そうだな」

(感じ悪い……っ。同じ顔でも、ユーフェミア様とは天と地の差だわ)

 肖像画のユーフェミアは目にするだけで天にものぼここになれるのに、兄のセレストはもれなくにくまれぐちたたくので、顔を合わせるのがゆううつだった。

「殿下もお元気そうで、何よりです……」

 顔を上げてせいいっぱいがおを作ろうとするが、うまくできずに口元がひきつってしまう。


「お前も、曲がりなりにも伯爵令嬢だ。家の名にじないよう、もてなしてもらおうか」

(わたしが何をしたところで、喜ばないくせに……!)

 呪いによる魔力の暴発を避けるため、ドリスが伯爵家の別邸に移り住んでから、王宮から定期的に経過観察をするためのつかいが送られてきた。二年ほどって、実害がほとんどないと判断されてからは、「今回から俺が経過観察をしてやる」と、王太子であるセレストが毎月おとずれるようになった。

(わざわざ殿下が毎月来なくてもいいのに……王太子って意外とヒマなのかしら?)

 数秒の間、無言でたがいににらみ合っていると、セレストの背後からもう一人の客人がひょっこりと顔をのぞかせた。

「セレスト、こわい顔でかくしたらだめだよ」

 肩の下まであるチョコレート色の髪を空色のひもわえ、ぎんぶち眼鏡をかけた長身のととのった顔立ちをした青年。けぶるような新緑を思わせる若草色の瞳が優しくほほみかけてくる。

「ごめんね、ドリス。セレストは『顔色がよくないけど体調でも悪いのか? ちゃんと食べてるか?』って言いたいんだよ。あと『今日のドレスよく似合ってる』って。人相と態度が悪すぎて伝わらないよね」

「おい、余計なことを言うな」

 セレストは隣にいる青年を見上げて言った。

「ごきげんよう、パーシバル様。どうかお気になさらず。殿下の人相と態度と底意地が悪いのは、いつものことですから」

 ドリスは少々の毒をこぼしつつ礼をとり、微笑み返した。

 おうえんせきにあたるアンブラーこうしゃく家のちゃくなん、パーシバル。セレストのお目付け役であり親友でもある彼とは、幼い頃からの顔見知りである。

「変わりはないかい、ドリス?」

「はい、おかげ様で。パーシバル様もお元気そうで何よりです」

 話し相手がきわめて少ないドリスにとって、パーシバルは気心の知れた兄のような存在で、月に一度はこうして様子を見に王宮から足を運んでくれる。

(もれなく殿下もごいっしょだけど)

 ドリスは、ちらりとセレストへ視線を向ける……と、今にも心臓をかれそうなほど

に鋭い視線とぶつかった。

「言いたいことがあるなら、はっきり言え」

けんしわばかり寄せていると、一気にけますよ」

 売り言葉に買い言葉で、ドリスは反射的に言い返した。

 幼い頃は仲良く遊んでいたセレストだったが、呪いの一件以来はお互いこの調子である。

 恩を着せるつもりはないけれど、「助けれくれてありがとう」の一言もなく、一方的に憎まれ口を叩いてくるのはどうかと思うのだ。

「今日は、ドリスにお土産みやげと報告があるんだ」

 上品な花模様の布が張られたソファにこしを落ち着けると、パーシバルが口を開いた。

「ご報告……ですか?」

 パーシバルはいつもドリスの喜びそうな土産を持参してくれる。先月は異国の香草のなえ、その前はアンティークの刺繍糸をおくられた。

「今回は、ちょっとしゅこうちがうんだよね」

 パーシバルはわきに抱えていた包みをテーブルに置き、青色の布をていねいにほどいた。

 包みの中身は、すいしょうを板状のえん形に切り出したものだった。大きさは、ドリスの両手にちょうど収まるほど。

 パーシバルが水晶の表面に手をかざすと、一人の少女の姿が映し出された。

「こ……っ、このかた……えっ!?あのっ、パ、パーシバル様?」

 豊かに波打つ蜂蜜色のやわらかそうな髪、んだ空色のつぶらな瞳、バラのつぼみのようにふくらんだれんな唇。雪のように白いドレスにきゃしゃな身を包んだその人は、この国で最も高貴な女性の一人。ドリスが一番あこがれている人物。

「ユーフェミア王女殿下……!?」


ドリスは両手で口元を押さえながら、全身をふるわせた。

(可愛い……とんでもなく可愛い……。すごい、尊い……!)

 自室に飾ってある肖像画とは毎日顔を合わせているが、この水晶のようにせんめいに映し出された姿を目にするのは、実に十年ぶりである。

 とつぜんのごほうにどう反応したらいいかわからず、ドリスはきんちょうした。

『ええと……パーシー様。これは、映っていますの? もう話しかけてもよろしくて?』

「ひえっ、動いた! しゃべった!」

 十年ぶりに聞くユーフェミア王女の肉声は、流れる泉のように澄んだ音色をしていた。

『ごきげんよう、ドリス。十年ぶり……でしょうか?』

「は、はい!」

 思わず返事をするドリスに、パーシバルは「これは記録映像の魔法だから、本人には聞こえてないよ」と笑いかけた。

『あなたが王宮へいらっしゃって、直接お話ができる日を心待ちにしておりますわ。道中、お気をつけてお越しくださいませね』

 純白のスズランのように可憐なひめぎみは、麗しい微笑みをたたえながらこちらへ手を振ってくれた。尊い。

 やがて水晶からユーフェミア王女の姿は消え、ただの平たい水晶がその場に残された。

「喜んでもらえたかな?」

 いそいそと水晶を布で包みながら、パーシバルがにこやかに問いかけた。セレストは眉間に皺を寄せ、無言で紅茶をすすっている。

「ありがとうございます……。まさか、生きている間に動いているユーフェミア様をまた拝めるなんて……。わたしの人生に一ぺんいなしです」

 胸に手を当ててため息をつくドリスの周りでは、いつの間にか色とりどりの花びらが舞っていた。呪いによる魔力の暴発である。

(……ん?)

 ふと、ドリスはあるかんに気がついた。

「あの、パーシバル様……。お話が見えないのですが、王宮へ行くとかなんとか……?」

「そうそう。さっき言ってた報告の話をしないとね」

 まばたきをかえすドリスに、パーシバルが優しく笑いかける。

「実はぼく、ユーフェミア王女とこんやくすることになったんだ」

「え!?」

 ドリスは思わずソファから腰を浮かせた。

「ほ……本当ですか?」

 パーシバルが笑顔でうなずくと、ドリスの周りに新しくバラの花びらが出現した。


「おめでとうございます……! パーシバル様とユーフェミア様が……わたしの大切なお二人がご婚約されるなんて、とてもうれしいです……!」

「ありがとう、ドリス」

 はらはらと舞いおどる花びらの中で、ドリスはあいいろの瞳をうるませた。

 無言で紅茶に口をつけるセレストの髪に、ドリスが舞わせた花びらの一枚がふわりと降りた。

「ぼくにとって、ドリスは妹みたいなものだから。ぜひ婚約ろうパーティーに出席してほしいんだ」

「いえ……それは無理かと。パーシバル様もご存じでしょう?」

 ドリスはこの十年間、屋敷のしきから一歩も出たことがない。万が一、街中や王宮で魔力が暴発したら取り返しのつかないことになる。

「ユーフェミア王女が、なんの意味もなくこんな映像を記録させてくれたと思う?」

 パーシバルの意味ありげな口ぶりに、ドリスは小さく首をかしげた。

「あのね、ドリス……」

 パーシバルが言葉を続けようとした時、カチャンと茶器のぶつかる音が響いた。

 ティーカップを置いたセレストがこちらをにらんでいる。

 メイドが紅茶のおかわりを注ごうとするのを、セレストは手で制した。

「結構だ。ありがとう」

 一礼して下がるメイドを横目で見送ってから、セレストはドリスに向き直った。

「お前にきょ権があるとでも思っているのか?」

「え……?」

 セレストは長いあしゆうに組み替え、しなやかな指先をこちらに向けた。

「これは『招待』じゃない。『しょうかん』だ。お前は余計なことを考えず、王族の召喚にだまって従えばいい」

「……っ!」

 あまりに横暴な物言いに、ドリスは言葉を失った。

「大体、なんの考えもなしにお前みたいなばくだん女を呼ぶわけがないだろ。国王陛下も魔法師団もバカじゃないんだ。対策くらいある」

「対策……?」

 ドリスが首をかしげて見つめ返すと、セレストはふいっと視線をそらした。

「あのね、ドリス。今みたいにドリスの魔力が暴発しそうになっても、呪いの力を無効化できる結界を張る予定なんだ。だから、安心して王宮へ来てほしい……って、セレストは言ってるんだよ」

「言ってない!」


 勝手に通訳するパーシバルに、セレストは食い気味にさけんだ。

「ここだけの話だけど、ドリスを招待するためにセレストすごくがんばったんだよ。セレストは『魔法師団が』って言ってるけど、結界の発案と指揮はセレストなんだ。それから、ほかにも開発ちゅうのものがあって……」

「パーシー、余計なことを言うな!」

「殿下が……?」

 セレストの声をそよ風のように受け流して、パーシバルは顔の前で手を合わせた。

「考えてみてくれないかな?」

 そこまで言われてしまえば、ドリスは首を縦に振るよりほかなかった。

「パーシバル様。ひとつ、条件を出したいのですが……」




 夕刻。帰りの馬車の中で、セレストは虚無の表情を浮かべて窓の外を眺めていた。今日の自分の行いに絶望しているのだ。

「そんなにヘコむくらいなら、はじめからなおに優しくしてあげたらいいのに」

「それができたら苦労はしない……」

 パーシバルの苦言に、セレストは塩をかけられたナメクジのようにうなだれた。

 自分では精一杯気を配っているつもりなのだが、ドリスは喜ぶどころか明らかにいやがっている様子だった。

「何がいけないんだ……?」

「いつもどおりでいいんだよ。王宮のご令嬢たちとは普通に楽しく会話できるじゃない」

「記憶にない」

 王宮での社交は王太子である自分にとって、仕事のいっかんである。幼い頃かられい作法を叩き込まれているため、興味のない相手には意識せずに振る舞うことができる。

「それはそれで、彼女たちが気の毒だよ」

 パーシバルはしょうして肩をすくめた。

「……ドリスは、昔より元気になったね」

 パーシバルの言う昔とは、ドリスが呪われた当初を指している。

「そうだな」

 心ない言葉をぶつけて、ドリスを一方的に傷つけた日のことを思い出す。

 身をていしてかばってくれたのに、「余計なことをするな」とってしまったのだ。

 十年経った今も、まだ謝れていない。

 助けてくれたことへの感謝も、まだ伝えられていない。

 それから……、

「セレストは、ドリスに言わないといけないことがたくさんあるね」

「人の心を読むなよ」

「ぼくに心は読めないよ。わかりやすいだけ。セレストはこんなにわかりやすいのに、どうして大切な人にはうまく気持ちを伝えられないんだろうね?」

「……知るか」

 セレストのため息は、夕暮れ時の冷たい風にさらわれていった。



 クロスに刺繍針を往復させていたドリスは、ふいに手を止めた。

「王宮……」

 脳裏にあの日の出来事が鮮明に浮かび上がる。

 バラく庭園、見知らぬ黒ずくめの魔女、幼い日のセレスト、みつぶされた花束。

 あの瞬間から自分の時間が止まっている気がする。

 王宮へ招かれるのは一週間後。それまでに魔力とうけつの呪いを解く手立てが見つかるなら、喜んでパーシバルたちの婚約披露パーティーに出席するのだが、そんな都合のいい話があるはずもない。

「本当にわたしが行っても大丈夫なのかしら……?」

 つい、頭の中で当日の仮病をシミュレーションしてしまう。

(……それはよね。パーシバル様にもユーフェミア様にも失礼だわ)

 それに、ユーフェミアのじっけいであるセレストの命令にそむいたとなれば、何をされるかわからない。

(腹をくくるのよ、ドリス)

 ドリスは壁に飾っているユーフェミアの肖像画に視線を向け、こぶしをきゅっとにぎりしめた。

「……ちょっと待って」

 かんじんなことに気づいてしまった。

「動いてしゃべる生身のユーフェミア様にお目にかかって、わたしは生きて帰ってこられるのかしら……?」

 昼間見た、水晶に映し出された姿だけでも気を失いそうになったというのに。

 別の意味でも不安がつのるドリスだった。



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