1章 ひきこもり令嬢、王宮へ行く
1-1
王子様のキスで、お
二人は
めでたし、めでたし。
(こんなもので
ぱたん、と読み終えた本を閉じると、ドリスは小さくため息をついた。
閉めきったカーテンの
ドリスは、
子ども向けのおとぎ話の本を、
(そうだわ。朝のご
レースとフリルをあしらった
「おはようございます、ユーフェミア王女
胸の前で手を組むドリスの視線の先で、豊かに波打つ
クレシア王国第一王女ユーフェミア。ドリスと同じ十六歳で、その
王宮で初めてその姿を見た時、お人形が動いてしゃべっているかと錯覚した。
完璧な美貌、見る者を
ドリスの人生で初めて「
最後にユーフェミア王女と会ってから、もう十年。直接会えない代わりに、この肖像画を
(ああ……今日もお
今日も一日、ユーフェミア王女が
次にドリスは左へ一歩移動し、
(一年前……十五歳のユーフェミア様。ほんの少しあどけない
そのまた隣には十四歳の、さらに隣には十三歳のユーフェミア王女……と、ドリスが
「うっ……、六歳のユーフェミア様……なんて罪深い可愛さなのかしら。この真っ白でなめらかなほっぺなんて、
ドリスの
(あっ、いけない。つい興奮してしまったわ)
「ドリスお
元気のいい声を
「お、おはよう……いい朝ね」
「お嬢様、またですか?」
年下の
うららかな日差しが室内をまばゆく照らすと、暗色系のインテリアと、
「ま、まぶしい……」
「お嬢様。そろそろ、この気味の悪いタペストリーを
「まあ」
ドリスは
「伝わらないかしら? ユーフェミア様の清らかさと、
不気味な笑みを浮かべて語り続けるドリスのかたわらで、メイドは小声で「聞かなきゃよかった」と
「はっ、そうだわ」
ドリスは、壁に
肖像画を
(落ち着く……)
テーブルの下でほっと息をつくドリスをよそに、メイドは部屋の窓を押し開けた。
「ちゃんと空気を
緑の
(あ……スイセンの香り)
故郷のランカスタ村に住む両親の顔と、
(お父様とお母様はお元気かしら)
クレシア王国北方の領地を治めるノルマン
両親は
「お嬢様。そろそろお
「支度って、なんの?」
テーブルの下から這い出たドリスは小首をかしげた。すると、メイドの少女は呆れたように
「やっぱり忘れてましたね。今日は午後からお客様がお
「えっ、今日だったかしら?」
「なんの
気の毒そうなまなざしを向けられて、ドリスは返す言葉もなかった。
(お客様ねえ……)
極力、人との交流を
「今日はこちらにいたしましょう。王太子殿下をおもてなしするんですから、場が
「…………」
用意された
すると、朝の陽光に満たされていたはずの室内に
「わわっ、なんですか!?」
「あ……っ」
前が見えないほどの
ドリスは
(何か……楽しいことを考えるのよ。たとえば、ユーフェミア様のこととか)
そうするうちに、今度は窓の外から通りすがりのカラスが一
「きゃあっ!」
靄の中で頭上をかすめたカラスに
次の瞬間、髪に
「お嬢様、
「大丈夫……」
黒い靄が晴れていく。
「お嬢様ぁ……」
「いつもごめんね……」
幼い頃に通りすがりの
クレシア王国の
う。
感情を
闇夜に
それでも、ドリスの心を最も潤す存在は、太陽よりもまぶしいユーフェミア王女であることに変わりなかった。推す方向性が多少、
「まぶしい……」
屋敷の内装はドリスの私室以外、ごく
「今からでも
「
小声でメイドから言い返され、ドリスはしゅんと肩を落とした。
やがて、
ドリスは背筋を
(ああ……今日も
せっかくの麗しい顔が台無しである。口には出せないけれど。
「相変わらず景気の悪い
氷の
光に
「よ、ようこそお越しくださいました……セレスト王太子殿下」
ドレスの裾をつまんで
「心にもない
(感じ悪い……っ。同じ顔でも、ユーフェミア様とは天と地の差だわ)
肖像画のユーフェミアは目にするだけで天にも
「殿下もお元気そうで、何よりです……」
顔を上げて
「お前も、曲がりなりにも伯爵令嬢だ。家の名に
(わたしが何をしたところで、喜ばないくせに……!)
呪いによる魔力の暴発を避けるため、ドリスが伯爵家の別邸に移り住んでから、王宮から定期的に経過観察をするための
(わざわざ殿下が毎月来なくてもいいのに……王太子って意外とヒマなのかしら?)
数秒の間、無言で
「セレスト、
肩の下まであるチョコレート色の髪を空色の
「ごめんね、ドリス。セレストは『顔色がよくないけど体調でも悪いのか? ちゃんと食べてるか?』って言いたいんだよ。あと『今日のドレスよく似合ってる』って。人相と態度が悪すぎて伝わらないよね」
「おい、余計なことを言うな」
セレストは隣にいる青年を見上げて言った。
「ごきげんよう、パーシバル様。どうかお気になさらず。殿下の人相と態度と底意地が悪いのは、いつものことですから」
ドリスは少々の毒をこぼしつつ礼をとり、微笑み返した。
「変わりはないかい、ドリス?」
「はい、おかげ様で。パーシバル様もお元気そうで何よりです」
話し相手がきわめて少ないドリスにとって、パーシバルは気心の知れた兄のような存在で、月に一度はこうして様子を見に王宮から足を運んでくれる。
(もれなく殿下もご
ドリスは、ちらりとセレストへ視線を向ける……と、今にも心臓を
に鋭い視線とぶつかった。
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「
売り言葉に買い言葉で、ドリスは反射的に言い返した。
幼い頃は仲良く遊んでいたセレストだったが、呪いの一件以来はお互いこの調子である。
恩を着せるつもりはないけれど、「助けれくれてありがとう」の一言もなく、一方的に憎まれ口を叩いてくるのはどうかと思うのだ。
「今日は、ドリスにお
上品な花模様の布が張られたソファに
「ご報告……ですか?」
パーシバルはいつもドリスの喜びそうな土産を持参してくれる。先月は異国の香草の
「今回は、ちょっと
パーシバルは
包みの中身は、
パーシバルが水晶の表面に手をかざすと、一人の少女の姿が映し出された。
「こ……っ、このかた……えっ!?あのっ、パ、パーシバル様?」
豊かに波打つ蜂蜜色のやわらかそうな髪、
「ユーフェミア王女殿下……!?」
ドリスは両手で口元を押さえながら、全身を
(可愛い……とんでもなく可愛い……。すごい、尊い……!)
自室に飾ってある肖像画とは毎日顔を合わせているが、この水晶のように
『ええと……パーシー様。これは、映っていますの? もう話しかけてもよろしくて?』
「ひえっ、動いた! しゃべった!」
十年ぶりに聞くユーフェミア王女の肉声は、流れる泉のように澄んだ音色をしていた。
『ごきげんよう、ドリス。十年ぶり……でしょうか?』
「は、はい!」
思わず返事をするドリスに、パーシバルは「これは記録映像の魔法だから、本人には聞こえてないよ」と笑いかけた。
『あなたが王宮へいらっしゃって、直接お話ができる日を心待ちにしておりますわ。道中、お気をつけてお越しくださいませね』
純白のスズランのように可憐な
やがて水晶からユーフェミア王女の姿は消え、ただの平たい水晶がその場に残された。
「喜んでもらえたかな?」
いそいそと水晶を布で包みながら、パーシバルがにこやかに問いかけた。セレストは眉間に皺を寄せ、無言で紅茶をすすっている。
「ありがとうございます……。まさか、生きている間に動いているユーフェミア様をまた拝めるなんて……。わたしの人生に一
胸に手を当ててため息をつくドリスの周りでは、いつの間にか色とりどりの花びらが舞っていた。呪いによる魔力の暴発である。
(……ん?)
ふと、ドリスはある
「あの、パーシバル様……。お話が見えないのですが、王宮へ行くとかなんとか……?」
「そうそう。さっき言ってた報告の話をしないとね」
「実はぼく、ユーフェミア王女と
「え!?」
ドリスは思わずソファから腰を浮かせた。
「ほ……本当ですか?」
パーシバルが笑顔でうなずくと、ドリスの周りに新しくバラの花びらが出現した。
「おめでとうございます……! パーシバル様とユーフェミア様が……わたしの大切なお二人がご婚約されるなんて、とてもうれしいです……!」
「ありがとう、ドリス」
はらはらと舞い
無言で紅茶に口をつけるセレストの髪に、ドリスが舞わせた花びらの一枚がふわりと降りた。
「ぼくにとって、ドリスは妹みたいなものだから。ぜひ婚約
「いえ……それは無理かと。パーシバル様もご存じでしょう?」
ドリスはこの十年間、屋敷の
「ユーフェミア王女が、なんの意味もなくこんな映像を記録させてくれたと思う?」
パーシバルの意味ありげな口ぶりに、ドリスは小さく首をかしげた。
「あのね、ドリス……」
パーシバルが言葉を続けようとした時、カチャンと茶器のぶつかる音が響いた。
ティーカップを置いたセレストがこちらをにらんでいる。
メイドが紅茶のおかわりを注ごうとするのを、セレストは手で制した。
「結構だ。ありがとう」
一礼して下がるメイドを横目で見送ってから、セレストはドリスに向き直った。
「お前に
「え……?」
セレストは長い
「これは『招待』じゃない。『
「……っ!」
あまりに横暴な物言いに、ドリスは言葉を失った。
「大体、なんの考えもなしにお前みたいな
「対策……?」
ドリスが首をかしげて見つめ返すと、セレストはふいっと視線をそらした。
「あのね、ドリス。今みたいにドリスの魔力が暴発しそうになっても、呪いの力を無効化できる結界を張る予定なんだ。だから、安心して王宮へ来てほしい……って、セレストは言ってるんだよ」
「言ってない!」
勝手に通訳するパーシバルに、セレストは食い気味に
「ここだけの話だけど、ドリスを招待するためにセレストすごくがんばったんだよ。セレストは『魔法師団が』って言ってるけど、結界の発案と指揮はセレストなんだ。それから、ほかにも開発
「パーシー、余計なことを言うな!」
「殿下が……?」
セレストの声をそよ風のように受け流して、パーシバルは顔の前で手を合わせた。
「考えてみてくれないかな?」
そこまで言われてしまえば、ドリスは首を縦に振るよりほかなかった。
「パーシバル様。ひとつ、条件を出したいのですが……」
夕刻。帰りの馬車の中で、セレストは虚無の表情を浮かべて窓の外を眺めていた。今日の自分の行いに絶望しているのだ。
「そんなにヘコむくらいなら、はじめから
「それができたら苦労はしない……」
パーシバルの苦言に、セレストは塩をかけられたナメクジのようにうなだれた。
自分では精一杯気を配っているつもりなのだが、ドリスは喜ぶどころか明らかに
「何がいけないんだ……?」
「いつもどおりでいいんだよ。王宮のご令嬢たちとは普通に楽しく会話できるじゃない」
「記憶にない」
王宮での社交は王太子である自分にとって、仕事の
「それはそれで、彼女たちが気の毒だよ」
パーシバルは
「……ドリスは、昔より元気になったね」
パーシバルの言う昔とは、ドリスが呪われた当初を指している。
「そうだな」
心ない言葉をぶつけて、ドリスを一方的に傷つけた日のことを思い出す。
身を
十年経った今も、まだ謝れていない。
助けてくれたことへの感謝も、まだ伝えられていない。
それから……、
「セレストは、ドリスに言わないといけないことがたくさんあるね」
「人の心を読むなよ」
「ぼくに心は読めないよ。わかりやすいだけ。セレストはこんなにわかりやすいのに、どうして大切な人にはうまく気持ちを伝えられないんだろうね?」
「……知るか」
セレストのため息は、夕暮れ時の冷たい風にさらわれていった。
クロスに刺繍針を往復させていたドリスは、ふいに手を止めた。
「王宮……」
脳裏にあの日の出来事が鮮明に浮かび上がる。
バラ
あの瞬間から自分の時間が止まっている気がする。
王宮へ招かれるのは一週間後。それまでに魔力
「本当にわたしが行っても大丈夫なのかしら……?」
つい、頭の中で当日の仮病をシミュレーションしてしまう。
(……それは
それに、ユーフェミアの
(腹をくくるのよ、ドリス)
ドリスは壁に飾っているユーフェミアの肖像画に視線を向け、
「……ちょっと待って」
「動いてしゃべる生身のユーフェミア様にお目にかかって、わたしは生きて帰ってこられるのかしら……?」
昼間見た、水晶に映し出された姿だけでも気を失いそうになったというのに。
別の意味でも不安がつのるドリスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます