恋愛レベル0の令嬢なのに、キスを求められて詰んでます

高見 雛/ビーズログ文庫

プロローグ


 その日は雲ひとつない青空が広がり、土のにおいをふくんだ春の風が庭園の木々をやさしくらしていた。

「セレストさま。おはなしってなあに?」

 つややかな長いくろかみに、ぱっちりとしたあいいろひとみが愛らしい女の子。名前はドリス。地方の領地を治めるはくしゃく家の一人ひとりむすめである。

「ええと……」

 ドリスと向き合ってほおをバラのように赤く染めている男の子は、ここクレシア王国の王太子セレスト。光にけるようなはちみつ色のかみと、晴れた空を映したような水色の瞳がわいらしい。

「へんなセレストさま。お顔がまっかよ」

 王宮の大人たちがそばにいたなら、ことづかいや態度をあらためるようにとドリスを𠮟しかっていただろう。

 けれど、セレストにとってはくったくなく接してくれるきょ感がここよかった。

 ほかの貴族の子どもたちは計算しているのかしゅくしているのか、みなびへつらって近寄ってくる。その中で、ドリスの存在がセレストの目にはしんせんに映った。

 初めてドリスと対面した時の印象は、けっしていものではなかった。

 それはセレストの八歳の誕生日を祝うパーティーの時。父伯爵に連れられて、形式にのっとったあいさつを済ませるとドリスは背を向けて走り去ろうとした。ほかの令息やれいじょうたちなら、親から教えられたごげん取りの口上を並べるのに、ドリスはそれをしなかった。

「おい、待てよ。ほかに言うことはないのか?」

 思わず引きとめるセレストに、ドリスはきょとんと目を見開いた。

「ごあいさつはもう済んだでしょう? わたし、むこうのお庭を探検したいの」

 ずいぶんと失礼な子どもだ。親の教育はどうなっているのか。セレストは自分も八歳の子どもでありながら、内心であきれた。

「お前一人じゃ迷子になるぞ。王宮の庭園はすごく広いんだ。クレシア王国じゅうの花や、異国から取り寄せためずらしい花もたくさんあるぞ。特別に、俺が案内してやるよ」

 胸を張ってまんげに言うと、ドリスは藍色のつぶらな瞳をぱちぱちとまたたかせた。

「王宮のお庭は王様のものだし、お花のおせわをするのは庭師さんでしょう? 自分でそだてたわけじゃないのに、どうしてあなたがいばるの? おかしいわ」


「な……っ」

 年下の女の子に言い負かされて、セレストは次の言葉を失った。

 父伯爵の𠮟しっせきってドリスは走り去った。彼女を追いかけてセレストも庭園へ向かうと、ドリスは生い茂る低木の前に突然しゃがみ込んだ。

「かわいい……」

 セレストが背後からのぞき込むと、真っ白なへびが地面をっていた。ドリスは目をきらきらとかがやかせて、蛇の動きをじっと観察していた。

(変なやつ)

 ものめずらしさとともに、八歳の少年の胸に生まれて初めてのこいごころが芽生えた。

 そして三か月後の今日、王宮の庭園の奥――大人たちにはないしょの、自分たちの遊び場にドリスを呼び出した。

 後ろ手にかくしているバラの花束は、ドリスの好きなあわいピンク色でまとめており、とげはすべてていねいに取り除いてある。

「ドリス。あのさ……」

 セレストが意を決して花束を差し出そうとした、その時だった。


「見ーつーけーたー!」

 女の人の声がした。

 こしまで波打つ豊かな黒髪、り目がちの瞳も黒。その身を包むワンピースも、つま先のとがったくつも、ユリの花のようにたおやかな指先をかざつめしっこく。世界じゅうの夜をぎょうしゅくさせたような、不気味な存在感を持つ女性が二人の目の前に姿を現した。

 セレストはとっにドリスを背中にかばった。

「何者だ?」

 幼いながらもりんとした態度で問う。

 王宮のしきにはしん者を寄せつけないための結界が張りめぐらされているはずなのだが、結界が破られた気配は感じられなかった。

「通りすがりの〈〉さ」

 エメラルド色のさかびんを大事そうに胸にかかえながら、黒髪のじょは見えないに腰かけるように空中でゆったりとあしえた。頰と目元がほんのりと赤く染まっている。

「〈野良〉……?」

 国が管理するほう使つかいの組織に所属せず、好き勝手に生きるはぐれ者の魔法使いが〈野良〉と呼ばれる。


「あのひと、おさけくさい」

 セレストの背後で、ドリスはまゆをひそめた。

「新しいのろいを開発して、気分がいいんだ。やはり私は天才のようだ」

だれの許可を得てここにいる? とうごくされたいのか?」

 ぜんと立ち向かうセレストに、魔女は不気味なほほみを向けた。

「ああ、やはり私の期待通りだ。何年、何十年っても、王族の連中はにくたらしい! 痛めつけがあるというものだ」

「あんた、何を言って……?」

「二度と生意気な口がたたけないようにしてやろう。現代の王太子よ」

 ふわりと、ちょうはねのように黒髪をなびかせて、魔女はセレストの前に降り立った。

「セレストさま!」

 黒髪の魔女がセレストの眼前に手をかざすのと、ドリスがセレストのうでを力いっぱい引くのと、ほとんど同時だった。

 しゅんかん、強い風がき、白銀のせんこうがほとばしった。

「ドリス!?」

 地面にたおれ込んだセレストの手から花束がこぼれ落ち、風にさらわれた。

 めいめつする視界の中、セレストは両手をさまよわせてドリスを探した。

「あー、目がチカチカする。まあ、開発ちゅうの呪いなんてこんなものだろう」

 はなれたところで、魔女のひとりごちる声が聞こえた。

 視界がじょじょもどってくる中、庭園の植物が風に揺れる気配がした。

「我が名はリプリィ。りょくとうけつの呪いのじきになったことを光栄に思うがいい」

「呪い……!?」

「お前の魔力と心をふうじ込める呪いだよ。王太子」

 ふふっ、と笑う魔女の声がひどく不快で、セレストの背筋にかんが走った。

「せいぜい、無様な姿をさらして生きるがいいさ。ではな」

「待て!」

 セレストの目に庭園の景色が戻った時には、魔女の姿はこつぜんせていた。

 あたりは何事もなかったかのように緑が風に揺れ、頭上では小鳥がさえずっている。

(俺は、呪われたのか……?)

 セレストは、視線をめぐらせてドリスの姿を探した。

 離れたところで、ぼうぜんと地面に座り込むドリスの姿を見つけ、ほっと胸をなで下ろした。

「ドリス! だいじょうか? どこもしていないか?」

「だいじょうぶ。セレストさまは?」

「俺は平気だ」


 無事をかくにんする二人のそばに、淡いピンク色の花束が落ちていた。魔女にまれたのか、バラの花はつぶれてしまっていた。

「セレストさまのお花が……」

 ドリスは目になみだかべ、つぶれた花束に手をばした。

「わたしが、もとにもどしてあげるね」

 花束にそっと声をかけ、ドリスは小さな両手で魔力を注ぎ込もうとした。

「……あれ?」

 不思議そうに首をかしげながら、ドリスはふたたび花に魔力をこめようとした。

 ほたるのように淡い光がドリスの手を包み、花たちに魔力が注ぎ込まれる……はずだった。

「ドリス?」

「セレストさま……わたし、どうしたのかな?」

 藍色の瞳を不安げに揺らすドリスの姿に、セレストはさっと青ざめた。

 リプリィと名乗った魔女は、セレストに呪いをかけたと言った。

 しかし、実際に呪いをその身に受けたのはドリスだった。


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