4章 芽生えた想いと恋の罠
4-1
王宮西側に位置する
部外者の立ち入りを禁じられている石造りの建物の地下、光の届かない場所には不似合いなドレス姿の
銀髪の令嬢は、
彼女は、一番奥の
「ごきげんよう」
「……どちら様?」
「
「その名は捨てたよ。とっくの昔に家も絶えた。きみ、よく知ってるね」
リプリィはベッドに
「ええ。魔法師団の過去の記録をこっそりと
リプリィの首元を
「あなた様にお
ロベリアは、たおやかながらも底知れないものを秘めた
夜明け前の
それまでふくらんでいた羽根
ユーフェミアは
「…………」
日々、数分ずつではあるが、猫の姿でいる時間が長くなっている。
ユーフェミアは軽い身のこなしでベッドから飛び降り、続き間の
小さな
その時ちょうど部屋の中から侍女が出てきたので、ユーフェミアは気づかれないように
部屋の主はベッドで静かな寝息をたてていた。サイドテーブルには手入れの行き届いた
ユーフェミアは
「……ユフィ?」
「ごめんなさい。起こしてしまいましたわね」
暗がりの中、パーシバルはわずかに目を開けて手を
「おいで、ユフィ」
まだ
でも、今のユーフェミアは猫なのだ。いついかなる時も、好きな人に甘えられるのが猫の特権。
パーシバルが
それから朝日が
◆◇◆
七日目は、ドリスが慣れない乗馬で全身筋肉痛に
八日目は、前日にセレストから借りた恋愛小説の感想を伝えた。物語に対する
九日目は、異性への
「ちなみに、セレスト様だったら何を贈られたらうれしいですか?」
「そうだな……相手の心がこもったものなら、なんでもうれしいと思う」
「あまり参考にならないような……」
「悪かったな」
「ところで、セレスト様のお好きな色は?」
「白……かな」
「お好きな花は?」
「バラだ」
「なるほど」
うなずくドリスに、セレストは不可解なまなざしを向けてきた。
「なんだよ、
「そ、そんなところです」
恋愛講座、十日目。
「これを……俺に?」
ドリスは、
この日の待ち合わせ場所は、王城の西側に位置する庭園だった。
大広間に面した南側の中庭に比べると日当たりがよくなく、
しかし、そこかしこにめずらしい薬草が生育しており、今日は一緒に植物を観察することになった。同じものを見て感想を共有することも、恋愛に必要なのだとセレストが教えてくれた。
庭園の奥、
「いただいたブレスレットのお礼です。受け取っていただけますか?」
「昨日の不自然なリサーチは、このためか?」
「バレてしまいましたか」
ドリスが小さく笑うと、セレストは肩をすくめた。
セレストは差し出されたハンカチを受け取り、しげしげと見つめた。
「……これ、一晩で仕上げたのか?」
「はい。長年のひきこもり生活のおかげで、インドアな
淡い空色のハンカチには、白い
白は
「綺麗だな」
セレストの長い指先が白バラの刺繡を優しくなぞる。ドリスは、自分の心の中をなでられたような
「ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
「大事にする」
「いえ、それほど大層なものではありませんので……」
「昨日、言っただろ。心がこもっているものならなんでもうれしいって。だから、今すごくうれしい」
セレストが、ふっと優しく笑ったので、ドリスは思わず顔をうつむけた。
どうしたことか、
(なに、これ……? わたし……どこか変だわ)
顔を上げられずに
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「きゃっ!」
あまりの近さに
「あっ……!」
「
気がつくと、石畳に
「相変わらず
「すみません……」
いつものように
セレストの力強い手に腰と背中を支えられているドリスは、彼の胸に頰を押しつけるような体勢になっていた。セレストの上着から、
(は、早く
ドリスはセレストの
「あの、セレスト様……もう大丈夫ですから」
(ち、近い……!)
日の光を集めたような
見つめられるのが
(ひえっ!)
ドリスは、両目をぎゅっと閉じた。
(わ、わたし今……何を想像したの?)
心臓がどくどくと鳴り出して、頰に熱が集まってくる。
ほんの
(どうして……? なんで、こんな……)
まぶたを閉じたまま何も言えずにいるドリスに、セレストが声をかけてきた。
「
ちょうどその時。ぽつ、ぽつ、と
つい先ほどまで青空が広がっていたのに、いつの間にか灰色の厚い雲が
「立てるか?」
「は、はい……」
セレストはドリスの腕を支えて立たせ、ベンチに座らせた。
(わたし……どうして、あんな変なことを考えちゃったのかしら?)
ドリスは、膝の上でワンピースの布地を握りしめた。
庭園の緑を
「雨、やまないな」
「そうですね……」
時間が
(寒い……。セレスト様は大丈夫かしら?)
横目でちらりと覗き見ると、セレストは平然とした様子だった。
(よかった。わたしに付き合ったせいで
もともと日の光が届きにくい場所のせいか、寒さで手足がどんどん冷えていく。
「……くしゅんっ」
平然を
「寒いのか?」
「い、いいえ。ちっとも!」
こちらを見たセレストが、驚いたように目を見開いた。
「
「顔色の悪さは生まれつきで……っくしゅん!」
笑ってごまかそうとしたものの、またもくしゃみに
「気づかなくて悪かった。これ、着てろよ」
ふわり、とドリスの肩にセレストの上着がかけられた。
「い、いけません! セレスト様が風邪を引いてしまいます……!」
「俺は
「……ありがとうございます」
セレストの上着は見た目よりずっと大きくて、ドリスの
(ぶかぶかの服……。なんだかお父様みたい)
クレシア王国北部に位置するノルマン
(なつかしい……)
ドリスは上着の
「まだ寒いか?」
「い、いいえ。父のことを思い出していました。小さい
「ご両親とは
「はい。よく手紙を送ってくれますし、毎年、夏に
「そうか」
セレストは、
「父の服もそうでしたけれど、セレスト様の服も大きいですね。わたしが隠れちゃうくらい、ぶかぶかです」
ドリスは、肩からずり落ちそうな上着を手で押さえながら言った。
「こうしていると、お父様に抱っこされているみたい……なんて。すみません、おかしなことを言って」
「いや……気にするな。別におかしくない」
セレストはそう言って、ドリスから視線をはずした。頰がほのかに赤い。
しばらくの間、降り続く雨をじっと
「セレスト様?」
ドリスが隣を見ると、セレストの肩がわずかに震えていた。
「な、なんでもない」
セレストはそう言うが、周囲の空気は初夏とは思えないほど冷えている。
ドリスは、セレストの膝の上に置かれている彼の手にそっと触れた。
「お、おい!?」
「やっぱり寒いんですね。こんなに冷たくなってます」
セレストはきっと、自分が寒いのを
「ごめんなさい。わたし、全然気づけなくて……」
「寒くないって言っただろ」
反論するセレストの手を、ドリスは両手でぎゅっと握った。
「なっ……!」
「こうすれば、少しは温まると思います!」
セレストの手はドリスのそれよりずっと大きくて、両手で包み込んでも足りないほど。
見た目はユリの花のように美しくしなやかな彼の手は、実際に触れると骨ばっていて、ところどころに小さな
「お前な……」
「はい?」
聞き返すと、セレストは
「こういうことは、好きな男にだけするものだ」
「え? いけませんでしたか?」
驚いて目をぱちくりさせていると、ドリスの手がセレストに握り返された。
「好きでもない男に触れるな。
「おそわれる……?」
ドリスの
「こういうことだ」
ぐっと手を引き寄せられ、気がついた時にはドリスの身体はセレストの腕の中に閉じ込められていた。
「え? あの……?」
セレストの胸に頰を押しつけるかたちになったドリスは、くぐもった声をあげる。
ドリスの耳元に、セレストの唇が寄せられた。
「恋愛講座の補習だ。よく聞け」
「は、はい……?」
ようやく落ち着いてきたドリスの心臓が、ふたたび
(まただわ。なんなの、これ……?)
ドリスは身動きもできず、唇を引き結んだ。
セレストの手がドリスの黒髪をなでる。
「お前はもう少し、自分が
「……言っている意味がわからないです」
このまま抱きしめられていたら、頭がどうにかなってしまいそうだった。
頰に触れられ、顔を上向けさせられる。
「変な男にキスでもされて、死んだらどうする気だ?」
「う……」
もっともな言い分に、ドリスは何も言い返すことができない。
(その前に、
身体を包み込んでくる香水の匂いとセレストの甘い声。少し前だったら、同じ
(セレスト様から恋愛講座を受けている
ドリスは、セレストの視線から
「なんだか寒いな」
セレストは
「雨がやむまで、上着の代わりになれ」
「え……っ、上着でしたらお返ししますが」
「それだと、お前が寒いだろ。二人で温まらないと意味がない」
「そんな……!」
心臓の音が騒がしい。
耳に響いてくる心臓の音はセレストのものだったが、それに気づくことができないほどにドリスは緊張していた。
このままでは本当に身が持たない。ドリスは早く雨がやみますようにと天に
夕方、部屋に戻ったドリスは帳面を開いて羽根ペンを手にしたまま、ぼんやりと
今日の恋愛講座の記録をしたためようとしているのに、頭が働かなくてペンが動かない。
(ええと……今日は、薬草の観察をする予定だったけれど雨天により延期、と……)
ドリスは文字を
──バキッ。
力を入れすぎて、ペン先が折れてしまった。
「ううっ……」
ドリスは力なく羽根ペンを
膝を抱えてじっとしていても心は落ち着いてくれず、メリンダが部屋へ入ってきて「何してんの!?」と驚きの声をあげるまで、ドリスは石のようにその場から動かなかった。
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