4章 芽生えた想いと恋の罠

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 王宮西側に位置するほうだんとう

 部外者の立ち入りを禁じられている石造りの建物の地下、光の届かない場所には不似合いなドレス姿のれいじょうがいた。月明かりをつむいだように美しいぎんぱつは、ろうそくの赤いほのおに照らされてあわむらさきいろの光を帯びている。

 銀髪の令嬢は、しゃくどう色のこうささげ持って通路を進んでいく。背後では、見張りの団員が座り込んでいきを立てている。香にこめられたさいみん魔法の効果である。

 彼女は、一番奥のぼうの前で立ち止まった。

「ごきげんよう」

「……どちら様?」

 てつごうの向こうで、簡素なベッドにそべっていたひとかげが起き上がる。

わたくし、ロベリア・カーライルと申します。お初にお目にかかりますわ。じょリプリィ……いいえ、リプリィ・メレディス様」

「その名は捨てたよ。とっくの昔に家も絶えた。きみ、よく知ってるね」

 リプリィはベッドにこしかけ、「わざわざ調べたの?」と続けた。

「ええ。魔法師団の過去の記録をこっそりとえつらんさせていただきました。私は、あなた様のようにみじめな生き方はしたくありませんので、お勉強をさせていただいておりますの。時の王太子殿でんに捨てられたあわれなご令嬢、リプリィ様」

 リプリィの首元をおおかくしていたくろかみが、さらりとこぼれ落ちて、赤いリコリスの刻印があらわになった。

「あなた様におたずねしたいことがございます」

 ロベリアは、たおやかながらも底知れないものを秘めたほほみをかべた。


 夜明け前のしんしつ、広々としたてんがいの内側で、コルクのせんはじけ飛ぶような音がひびいた。

 それまでふくらんでいた羽根とんがしぼみ、中からしろねこが顔を出す。

 ユーフェミアはしゃまくすきから外の様子をうかがう。カーテンの向こうはまだ暗く、空が白む気配すらない。

「…………」

 日々、数分ずつではあるが、猫の姿でいる時間が長くなっている。

 ユーフェミアは軽い身のこなしでベッドから飛び降り、続き間のとびらに歩み寄る。

 じょたちの気配がないことをかくにんしてから、音をたてないように扉を開けて小さな身体からだすべり込ませた。

 小さなはばで無人のろうけ、目的の部屋の前へとたどり着いた。

 その時ちょうど部屋の中から侍女が出てきたので、ユーフェミアは気づかれないようにばやく扉の隙間にもぐり込んだ。暗い部屋の中を移動し、寝室へ続く扉を開ける。

 部屋の主はベッドで静かな寝息をたてていた。サイドテーブルには手入れの行き届いたぎんぶち眼鏡が置かれている。

 ユーフェミアはゆかってベッドに飛び乗り、その人のまくらもとで身体を丸くした。

「……ユフィ?」

「ごめんなさい。起こしてしまいましたわね」

 暗がりの中、パーシバルはわずかに目を開けて手をばしてきた。長くしなやかな指先がユーフェミアの首をやさしくなでる。

「おいで、ユフィ」

 まだけっこんもしていないのに異性とベッドをともにするなど、本当ならふしだらでみっともないこう

 でも、今のユーフェミアは猫なのだ。いついかなる時も、好きな人に甘えられるのが猫の特権。

 パーシバルがとんを持ち上げてできた隙間にユーフェミアはするりと入り込んで、彼のかたぐちに顔をうずめた。温かくて安心する。

 それから朝日がのぼるまで、一人と一ぴきたがいに身を寄せ合ってねむった。


◆◇◆


 れんあい講座の六日目は、王宮のしき内にあるで、セレストといっしょに馬に乗せてもらった。馬の二人乗りは男女の交流の定番なのだとセレストが言った。

 七日目は、ドリスが慣れない乗馬で全身筋肉痛におそわれたため、セレストが本をたくさんかかえて部屋へ来てくれた。今流行はやりの恋愛小説について解説され、ドリスも読んでみたいと思ったので一冊貸してもらった。

 八日目は、前日にセレストから借りた恋愛小説の感想を伝えた。物語に対するかいしゃくが二人それぞれ異なっており、ああでもないこうでもないと、議論が白熱した。

 九日目は、異性へのおくりものの選び方について教えてもらった。何気ない会話の中で、さりげなく相手の好みを聞き出すのがポイントらしい。

「ちなみに、セレスト様だったら何を贈られたらうれしいですか?」

「そうだな……相手の心がこもったものなら、なんでもうれしいと思う」

「あまり参考にならないような……」

「悪かったな」

「ところで、セレスト様のお好きな色は?」

「白……かな」

「お好きな花は?」

「バラだ」

「なるほど」

 うなずくドリスに、セレストは不可解なまなざしを向けてきた。

「なんだよ、とつぜん。リサーチの練習か?」

「そ、そんなところです」


 恋愛講座、十日目。

「これを……俺に?」

 ドリスは、れいに折りたたんだ淡い水色のハンカチをセレストにわたした。

 この日の待ち合わせ場所は、王城の西側に位置する庭園だった。

 大広間に面した南側の中庭に比べると日当たりがよくなく、く花も小さくひかえめなものが多いため、人のおとずれが少ない。

 しかし、そこかしこにめずらしい薬草が生育しており、今日は一緒に植物を観察することになった。同じものを見て感想を共有することも、恋愛に必要なのだとセレストが教えてくれた。

 庭園の奥、しょうしゃあずましつらえられた白木のベンチに二人は並んで座っていた。

「いただいたブレスレットのお礼です。受け取っていただけますか?」

「昨日の不自然なリサーチは、このためか?」

「バレてしまいましたか」

 ドリスが小さく笑うと、セレストは肩をすくめた。

 セレストは差し出されたハンカチを受け取り、しげしげと見つめた。

「……これ、一晩で仕上げたのか?」

「はい。長年のひきこもり生活のおかげで、インドアなしゅはほぼもうしています」

 淡い空色のハンカチには、白いしゅう糸で三本のバラがえがかれている。

 白はめっあつかわない色なので、しはじめはかんがつかめずに苦労したけれど、仕上がりは満足のいくものになった。セレストの高潔でせいれんふんと調和するよう、一針一針に心をこめて刺した。

「綺麗だな」

 セレストの長い指先が白バラの刺繡を優しくなぞる。ドリスは、自分の心の中をなでられたようなここになって、くすぐったさを覚えた。

「ありがとう」

「ど、どういたしまして……」

「大事にする」

「いえ、それほど大層なものではありませんので……」

「昨日、言っただろ。心がこもっているものならなんでもうれしいって。だから、今すごくうれしい」

 セレストが、ふっと優しく笑ったので、ドリスは思わず顔をうつむけた。

 どうしたことか、ほおが熱い。まぶたも、指先も、くちびるも、じわじわと熱を帯びていく。

(なに、これ……? わたし……どこか変だわ)

 顔を上げられずにこぶしにぎりしめていると、セレストがドリスの顔をのぞき込んできた。

「どうした? 気分でも悪いのか?」

「きゃっ!」

 あまりの近さにおどろいてしまい、ドリスはベンチから腰を浮かせた。そのひょうに、バランスをくずして東屋のいしだたみたおれ込みそうになった。

「あっ……!」

だいじょうか?」

 気がつくと、石畳にひざをついたセレストがドリスの身体を正面からきとめていた。

「相変わらずどんくさいな、お前は」

「すみません……」

 いつものようににくまれぐちたたかれているはずなのに、声の響きが甘く優しいせいか、頭の奥がしびれるように熱い。

 セレストの力強い手に腰と背中を支えられているドリスは、彼の胸に頰を押しつけるような体勢になっていた。セレストの上着から、こうすいと思われるほのかに甘いバニラのにおいがした。

(は、早くはなれなくちゃ……)

 ドリスはセレストのうでの中からそうとするが、身動きが取れない。

「あの、セレスト様……もう大丈夫ですから」

 こんがんするように言いながら顔を上げると、目の前にセレストのたんれいな顔があった。

(ち、近い……!)

 日の光を集めたようなんだ空色のひとみが、じっと覗き込んでくる。

 見つめられるのがずかしくなったドリスは、思わず視線を下にずらした。すると今度はうすべに色をした形のよい唇が視界に入ってきた。

(ひえっ!)

 ドリスは、両目をぎゅっと閉じた。

(わ、わたし今……何を想像したの?)

 心臓がどくどくと鳴り出して、頰に熱が集まってくる。

 ほんのいっしゅんだけ、ドリスはセレストの唇にれられることを思い描いてしまった。

(どうして……? なんで、こんな……)

 まぶたを閉じたまま何も言えずにいるドリスに、セレストが声をかけてきた。

つかれたなら、今日はもうもどるか? 薬草の観察はまた今度にしよう」

 づかわしげなセレストの声に、ドリスはほっとして顔を上げた。

 ちょうどその時。ぽつ、ぽつ、とあまつぶが落ちてきた。

 つい先ほどまで青空が広がっていたのに、いつの間にか灰色の厚い雲がてんじょうのように空を覆っていた。

「立てるか?」

「は、はい……」

 セレストはドリスの腕を支えて立たせ、ベンチに座らせた。

 となりに座るセレストを見ることができず、ドリスはうつむいていた。

(わたし……どうして、あんな変なことを考えちゃったのかしら?)

 ドリスは、膝の上でワンピースの布地を握りしめた。

 庭園の緑をらす雨は一向にやむ様子がなく、だいあまあしは強くなっていった。

「雨、やまないな」

「そうですね……」

 時間がつにつれて、ぬるかった空気が少しずつ冷えていき、ドリスは無意識に肩を縮こまらせていた。

(寒い……。セレスト様は大丈夫かしら?)

 横目でちらりと覗き見ると、セレストは平然とした様子だった。

(よかった。わたしに付き合ったせいでを引いたら申しわけないもの)

 もともと日の光が届きにくい場所のせいか、寒さで手足がどんどん冷えていく。

「……くしゅんっ」

 平然をよそおっていたドリスだったが、くしゃみには勝てなかった。

「寒いのか?」

「い、いいえ。ちっとも!」

 こちらを見たセレストが、驚いたように目を見開いた。

うそつけ! 思いきり顔色が悪いぞ!」

「顔色の悪さは生まれつきで……っくしゅん!」

 笑ってごまかそうとしたものの、またもくしゃみにはばまれた。

「気づかなくて悪かった。これ、着てろよ」

 ふわり、とドリスの肩にセレストの上着がかけられた。

「い、いけません! セレスト様が風邪を引いてしまいます……!」

「俺はきたえているからいいんだよ。お前はきょじゃくひんじゃくなんだから、温かくしておけ」

「……ありがとうございます」

 セレストの上着は見た目よりずっと大きくて、ドリスのきゃしゃな身体を腰の下まで覆い隠した。

(ぶかぶかの服……。なんだかお父様みたい)

 クレシア王国北部に位置するノルマンはくしゃく家の領地は、冬の間は深い雪に閉ざされる。厳しい寒さにふるえる幼いドリスに、父はよく自分の上着をかけてくれた。まだ小さかったドリスは全身をすっぽりと包み込むぬくもりがうれしくて、上着のすそを引きずりながら雪の上を駆け回っていた。

(なつかしい……)

 ドリスは上着のえりもとをぎゅっと引き寄せて、故郷の思い出にひたっていた。

「まだ寒いか?」

「い、いいえ。父のことを思い出していました。小さいころ、こんなふうに上着をかけてもらったことがあって。なんだか、なつかしくなっちゃいました」

 ずかしさから、ドリスはれ隠しで微笑みを浮かべた。

「ご両親とはれんらくを取っているのか?」

「はい。よく手紙を送ってくれますし、毎年、夏にしきへ会いに来てくれます」

「そうか」

 セレストは、あんしたような表情でうなずいた。

「父の服もそうでしたけれど、セレスト様の服も大きいですね。わたしが隠れちゃうくらい、ぶかぶかです」

 ドリスは、肩からずり落ちそうな上着を手で押さえながら言った。

「こうしていると、お父様に抱っこされているみたい……なんて。すみません、おかしなことを言って」

「いや……気にするな。別におかしくない」

 セレストはそう言って、ドリスから視線をはずした。頰がほのかに赤い。

 しばらくの間、降り続く雨をじっとながめていると、隣でセレストが小さなくしゃみをした。

「セレスト様?」

 ドリスが隣を見ると、セレストの肩がわずかに震えていた。

「な、なんでもない」

 セレストはそう言うが、周囲の空気は初夏とは思えないほど冷えている。く息もわずかに白い。

 ドリスは、セレストの膝の上に置かれている彼の手にそっと触れた。

「お、おい!?」

「やっぱり寒いんですね。こんなに冷たくなってます」

 セレストはきっと、自分が寒いのをまんしてドリスに上着を貸してくれたのだ。

「ごめんなさい。わたし、全然気づけなくて……」

「寒くないって言っただろ」

 反論するセレストの手を、ドリスは両手でぎゅっと握った。

「なっ……!」

「こうすれば、少しは温まると思います!」

 セレストの手はドリスのそれよりずっと大きくて、両手で包み込んでも足りないほど。

 見た目はユリの花のように美しくしなやかな彼の手は、実際に触れると骨ばっていて、ところどころに小さなきずあとがあった。けんじゅつの訓練か、魔法の研究でできたものだろうか。

「お前な……」

「はい?」

 聞き返すと、セレストはあきれたように言葉を吐き出した。

「こういうことは、好きな男にだけするものだ」

「え? いけませんでしたか?」

 驚いて目をぱちくりさせていると、ドリスの手がセレストに握り返された。

「好きでもない男に触れるな。かんちがいされて襲われるぞ」

「おそわれる……?」

 ドリスののうに浮かんだのは、野ウサギがもうきん類にしゅうげきされる光景だったのだが、セレストはそれをかしたかのようにため息をついた。

「こういうことだ」

 ぐっと手を引き寄せられ、気がついた時にはドリスの身体はセレストの腕の中に閉じ込められていた。

「え? あの……?」

 セレストの胸に頰を押しつけるかたちになったドリスは、くぐもった声をあげる。

 ドリスの耳元に、セレストの唇が寄せられた。

「恋愛講座の補習だ。よく聞け」

「は、はい……?」

 ようやく落ち着いてきたドリスの心臓が、ふたたびさわぎ出した。

(まただわ。なんなの、これ……?)

 ドリスは身動きもできず、唇を引き結んだ。

 セレストの手がドリスの黒髪をなでる。

「お前はもう少し、自分がわいいという自覚を持て」

「……言っている意味がわからないです」

 このまま抱きしめられていたら、頭がどうにかなってしまいそうだった。

 頰に触れられ、顔を上向けさせられる。

「変な男にキスでもされて、死んだらどうする気だ?」

「う……」

 もっともな言い分に、ドリスは何も言い返すことができない。

(その前に、きんちょうで今まさに死にそうなのですが……!)

 身体を包み込んでくる香水の匂いとセレストの甘い声。少し前だったら、同じじょうきょうでもなんとも思わなかった。

 りょくが暴発してユーフェミアが猫になってしまった日だって、こうりょくでセレストに押し倒されたけれど何も感じなかった。

(セレスト様から恋愛講座を受けているえいきょうなのかしら……?)

 ドリスは、セレストの視線からげるように顔を下に向けた。

「なんだか寒いな」

 セレストは台詞せりふめいた口調で言うと、ドリスの身体をふたたび強く抱きしめた。

「雨がやむまで、上着の代わりになれ」

「え……っ、上着でしたらお返ししますが」

「それだと、お前が寒いだろ。二人で温まらないと意味がない」

「そんな……!」

 心臓の音が騒がしい。

 耳に響いてくる心臓の音はセレストのものだったが、それに気づくことができないほどにドリスは緊張していた。

 このままでは本当に身が持たない。ドリスは早く雨がやみますようにと天にいのった。


 夕方、部屋に戻ったドリスは帳面を開いて羽根ペンを手にしたまま、ぼんやりとくうを見つめていた。

 今日の恋愛講座の記録をしたためようとしているのに、頭が働かなくてペンが動かない。

(ええと……今日は、薬草の観察をする予定だったけれど雨天により延期、と……)

 ドリスは文字をつづろうと、震えるペン先を紙に押しつけた。

 ──バキッ。

 力を入れすぎて、ペン先が折れてしまった。

「ううっ……」

 ドリスは力なく羽根ペンをたくじょうに置くと、から降りてテーブルの下に潜り込んだ。

 膝を抱えてじっとしていても心は落ち着いてくれず、メリンダが部屋へ入ってきて「何してんの!?」と驚きの声をあげるまで、ドリスは石のようにその場から動かなかった。


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