3-4


「ああ……、なんてお美しい……!」

 姿見の前に立ったドリスは、鏡の中の自分にうっとりと見入っていた。

 鏡に映っているのは、豊かに波打つきんぱつんだ空色の瞳をしたうるわしのひめぎみ

 ドリスはこの日、メリンダの変身魔法によってユーフェミアに姿を変えていた。

 ユーフェミアから身代わりを頼まれているお茶会の日である。

「どうかな? ちゃんと王女様に見えてる?」

 メリンダが尋ねると、白猫のユーフェミアは「よろしくてよ」とうなずいた。

「ねえ、ドリス。ついて行かなくて本当に大丈夫?」

「メリンダさんは魔法師団の幹部でいらっしゃいますから、侍女に変装していたとしてもわかる方にはわかってしまうと思いますので」

 お茶会に参加する令嬢たちは皆、高い魔力を秘めた魔法使いなのだ。魔法師団の者と顔見知りの可能性がある。

「メリンダ様、わたくしがついておりますわ。ご心配なさらずに」

 ユーフェミアが得意げに銀色のひげを揺らすが、メリンダは不安そうな面持ちである。

「とりあえず、あたしは別室からえんかく魔法でかんさせてもらうよ。何かあったらすぐにけつけるからね」

「よろしくお願いいたします」

 ドリスはうすももいろのチュールを重ねたドレスをつまみ、優雅に礼をした。

「おお、いい感じだね」

「特訓のたまものですわ」

 数日にわたる特訓のあって、ドリスの立ち居振るいと礼儀作法は、ユーフェミアからきゅうだい点をもらえるまでに成長していた。

「手と足が一緒に動いてたのがうそみたいだね。すごいよ!」


「ユーフェミア様が根気強くご指導くださったおかげです」

 王女の姿で、ドリスは可愛らしく優雅にはにかんだ。

「特訓といえば、王太子殿下とやってるやつ……なんだっけ、恋愛のしゅぎょう? あっちは順調なの?」

「順調……かどうかはわかりませんが、セレスト様が親身になっていろいろと教えてくださいます」

 結局、恋をするための手順などはまだまだ勉強中で、ドリス自身どう動くべきなのか決めかねている。

 でも、知っているようで何も知らなかったセレストの一面を少しずつ知ることができて、なんだか楽しい。

(楽しいだけではだめなのだけど。ユーフェミア様の呪いには期限があるのだから)

 会場となるサロンの近くまでメリンダにつき添ってもらい、ドリスはユーフェミアを抱きかかえて歩いて移動した。

 赤いじゅうたんの敷かれたろうを曲がると、今日の戦場へつながるとびらがある。

 ドリスはいったん足を止めて、呼吸を整えた。

「この先は、わたくしは言葉を封じます。ただの飼い猫として扱ってくださいませね」

「はい」

 ユーフェミアの身体をぎゅっと抱きしめ、ドリスは顎を引く。ふたたび歩き出すと、視線の先に真っ白な扉が見えた。

 女官にとうちゃくを告げ、扉が開くのを待つ。

「ユーフェミア王女殿下のりです」

 開けられた扉の向こうから、いくつもの甘い香りが同時にただよってきた。

 花、しょうひんこうすい、それから焼きの香り。

 サロンは白色を基調とした可愛らしい調度品が並べられており、中庭に面した大窓からし込む陽光が、清らかな色をさらにきわたせている。

 整然と並べられたながには、ドレス姿の年若い令嬢たちが並んで座り、紅茶と焼き菓子を楽しんでいる様子だった。

 ユーフェミア王女の到着に、令嬢たちはおしゃべりをぴたりと止めてこちらへ注目する。

(今のわたしは、ユーフェミア王女殿下)

 ドリスは一瞬まぶたを閉じて自分の心に言い聞かせると、そっと目を開けた。

 およそ二十人の令嬢がじっとこちらを見ている。

(ああ……お美しい女性がこんなにたくさん。まさしく楽園だわ……!)

 きりっと閉じた唇のはしから、興奮のあまり吐息が漏れ出そうになる。

(耐えるのよ、ドリス……。ユーフェミア様は美しいご令嬢たちを前にしても動じないのだから)

 こちらを見つめる令嬢を一人一人じっくりと観察したいしょうどうを理性でおさえながら、ドリスは優雅な足取りで進んでいく。

「皆様、ごきげんよう。おくれて申しわけございません。楽しんでいらっしゃいますこと?」

 りんとした声で語りかけると、令嬢たちは口々に「ごきげんよう、王女殿下」とあいさつを返してくれた。

 ドリスは白猫のユーフェミアを大事に抱えて、ゆったりとした足取りで令嬢たちの間を通り抜けていく。彼女たちの中に、ロベリアの顔もあった。

 そのほかにも、ドリスのおくにある顔ぶれを見つけた。

 婚約披露パーティーの夜に、ユーフェミアに魔法での嫌がらせを画策していた三人の令嬢である。彼女たちは何食わぬ笑顔で「ごきげんよう」と手を振っていた。あの夜とはまるで別人のようだった。

 ドリスは転ばないように注意を払いながらさいおうの席へたどり着き、白猫を膝に抱えて腰を下ろした。

 誰よりも早くこちらへやってきたのは、ロベリアだった。

「ごきげんよう、ユーフェミア様。ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「ええ、喜んで」

 ドリスが笑顔で迎え入れると、ロベリアはうれしそうに隣に座った。

「本日の紅茶はお気に召しましたかしら? 東方の秋みの茶葉を取り寄せましたのよ」

「もちろんですわ。しっかりとしたばいせんで円熟した味わいがらしいと、皆様とお話をしていたところでしたの。わたくしは、ミルクとジンジャーを少々入れたものが好みですわ」

「楽しんでいただけているようで何よりですわ」

 事前にユーフェミアから紅茶についての知識を教わっておいてよかった。ドリスは内心、ほっと胸をなで下ろした。

「ユーフェミア様。あらためまして、このたびはご婚約おめでとうございます」

「ありがとうございます、ロベリア様」

「お式のご予定はもうお決まりですの?」

「まだ日取りは決まっておりませんが、夏の予定ですわ」

 けっこんしきの話題も、事前にユーフェミアと打ち合わせをしておいてよかった。

 ドリスは内心で冷や汗を浮かべつつ、王女の姿で笑顔を保つ。

「ところで、セレスト様はお元気でいらっしゃるのでしょうか?」

「お兄様? いつもとお変わりないはずですが、どうかされまして?」

 問い返すと、ロベリアは月明かりのような美しい銀髪に触れ、ものげなため息をついた。


「ここ何日か、セレスト様にお会いできていないのです。ごぼうのようで」

 ドリスは必死に笑顔を保ちながら、心の中で「すみません、わたしのせいです」と土下座した。

 ここ数日のセレストといえば、通常の公務のほかに、魔法師団の塔で呪術の研究、剣術の訓練、ドリスへの恋愛指南。夜は自室にこもって翌日の予習をしているため、婚約者候補の令嬢たちと会う時間はほとんどないのだ。

(申しわけありません、ロベリア様……!)

 呪いが解けるまでの間、彼女に寂しい思いをさせてしまうと思うと、とても心苦しい。

「ユーフェミア様。セレスト様をお見かけしましたら、ロベリアが寂しがっていますとお伝えいただけますか?」

「もちろんですわ」

「ありがとうございます、ユーフェミア様」

 ロベリアはたおやかな笑みを浮かべて礼を言うと、「長居してはいけませんわね」と元の席へと戻っていった。

 彼女とすれ違いで、ほかの令嬢たちが順番に挨拶にやってきた。ドリスは、全員の名前を覚えきれなかったことを申しわけなく思いつつ、心の中で「バレませんように」といのりながらあいわらいを駆使して乗り切った。

 そして、彼女たちの番がやってきた。

 あの夜の令嬢たち。三人の名前は、アシュリー、クレア、ジェニー。

「ごきげんよう、ユーフェミア王女殿下。本日も素晴らしいお茶会にお招きいただき、ありがとうございます」

 ユーフェミアをじょくしたリーダー格の令嬢――アシュリーが、代表して挨拶を述べた。

「皆様、ごきげんよう。どうぞ楽しんでいってくださいませね」

 あの夜にいだいたいかりが、ドリスの胸にじわじわとよみがえる。

 彼女たちは、どんな気持ちでユーフェミアに笑顔を向けているのだろう。

 どうして、笑っていられるのだろう。

 無意識に握りしめてしまった拳を、白猫のふさふさとした尻尾がたたいた。

(いけない。今のわたしはドリスじゃない。ユーフェミア様なのよ)

 ドリスは気をひきしめ、麗しく上品な笑みを浮かべる。

「王女殿下の今後のご幸福を、心よりお祈り申し上げます」

「ありがとうございます」

 形式にのっとった祝辞を述べ、アシュリーたちが去っていくと思ったその時。

「ユーフェミア王女殿下」

 アシュリーが、周囲には聞こえないようにひかえめなこわで呼びかけた。

「本当に、うらやましい限りですわ。どれだけ心根がゆがんでいらしても、そとづらさえよろしければ殿方をあさり放題ですものね」

「……っ」

 ドリスは小さく息をのんだ。

「その可愛らしいお顔でせまられたら、それはもう……他人の婚約者の一人や二人、落ちてしまいますわよね」

「あの……」

 それは言いがかりだと反論しようとするドリスの腕の中で、白猫のユーフェミアが「にゃあ」と鳴いた。こらえろと言っているのだ。

 アシュリーは悪意をこめた笑顔と声で、なおも続ける。

「でも、お気をつけくださいませ。因果応報と言いますでしょう? 王女殿下の大切な婚約者が、ほかの誰かにられてしまわないように。せいぜいがんばって、つなぎとめておくことですわ」

(この人……パーシバル様に何かするつもりでは……?)

 ドリスは、自分がユーフェミアの姿でいることを忘れて、アシュリーをにらんだ。

「おやめなさい、ドリス」

 そして、ユーフェミアもまた、自分が猫であることを忘れて言葉を発してしまった。

 幸い、アシュリーの耳にユーフェミアの声は届かなかった。

「…………」

 ドリスは目を閉じて、小さく深呼吸をした。

(アシュリー様……この方の心を濁らせてしまったのは、いったい何……?)

 数はくの間を置いて、ドリスはまぶたを開けた。

 澄んだ空の色をしたユーフェミアの瞳で、まっすぐにアシュリーを見つめる。

「な、なんですの……?」

 突然目つきの変わった王女に、アシュリーはうろたえた。

 ドリスは一歩近づき、アシュリーの頰にそっと触れた。

「あなたは……その方を心から愛していたのですね」

「な……っ」

 アシュリーの頰が赤く染まり、瞳が揺れた。

(この前、セレスト様からお借りした小説と似ているわ……)

 ヒロインを陥れて恋人を略奪しようとするライバル令嬢。しかし、彼女は相手の男性に心から恋い焦がれていた。

 好きな人を想う一途な心と、振り向いてもらえない悲しさ、嫉妬心。

「愛していたからこそ、苦しくて、忘れられなくて、つらいのですよね……?」

「あ、あなたなんかに……、ただ立っているだけで殿方が群がるようなお綺麗な方に、私の気持ちがわかってたまるものですか!」

 突然の大声に、周りの令嬢たちが驚いてこちらへ視線を投げかけてくる。

「アシュリー様は、とてもお可愛らしいですよ」

 ドリスは、ユーフェミアの姿をしていることをすっかり忘れて、普段の口調で返した。

「なっ……?」

「あなたの魅力に気づかない殿方なんて忘れて、ほかの恋を探しましょう。あなたにこんな悲しい顔をさせない、素敵な方を見つけるんです」

「そ、そんな方なんているわけが……」

「いいえ」

 ドリスはアシュリーの手を握って、彼女を見上げた。ユーフェミアの美しい宝玉のような瞳で微笑みかける。

「今みたいに、ご自分の心を素直に、ありのままに見せられるお相手を……一緒に探しましょう。わたしもがんばりますから」

「え? がんばるって、何を……?」

 困惑の表情を浮かべるアシュリーだったが、ユーフェミアから可愛らしく「ね?」と微笑みかけられれば次の言葉を失ってしまったようで、頰を染めてうなずいた。

「あの……ユーフェミア王女殿下。数々のご無礼、どうかお許しくださいませ……!」

 アシュリーは、目に涙を浮かべて深くお辞儀をした。

「許すなど、とんでもありません。アシュリー様の幸せを心からお祈りいたします」

 ドリスが微笑みかけると、緊張の面持ちで見守っていた令嬢たちが安堵の息をついた。

(ユーフェミア様とパーシバル様に危害が及ぶ心配はなさそうね……よかった)

 アシュリーが席へ戻るのを見送りながら、ドリスはほっと胸をなで下ろした。

(でも……恋をするって、素敵なことばかりではないのね)

 時には心を蝕むしばみ、人を傷つける刃となってしまう。

「上出来でしたわ、ドリス」

 白猫のユーフェミアが、軽い身のこなしでドリスの腕の中に飛び込んできた。

「だ、大丈夫でしたか? わたし、失礼なことを言ってしまったのでは……」

 小声で返すと、ユーフェミアは空色のつぶらな瞳を見開いてささやいた。

「なかなか核心をついていましたわよ。ありのままに素直な心でいることが、恋を引き寄せるのですわ」

 この日のお茶会を機に、ユーフェミアの隠れファンの令嬢が増えたことをドリスたちは

知らない。



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