3-3


「……で?」

 その夜、パーシバルの部屋にて、人間の姿に戻ったユーフェミアがけんに皺を寄せてセレストに問いかけた。

「今日は、ドリスが好きな本についてたくさん話をしてくれたぞ。明日は、俺の好きなもののことを教えてほしいと言われた。一日ずつ、着実に心の距離は縮まっている」

 頰を上気させ、セレストは得意げに答えた。

「……で? お兄様は、いつ、ドリスに告白してキスをしますの?」

「それは……」

 明確な答えが出せずに、セレストは視線を泳がせる。

「そんなゆうちょうなことを言っていたら、期限の六十六日など一瞬でむかえてしまいますのよ! この調子では何十年かかることか……!」

「ねえ、セレスト」

 頭を抱えるユーフェミアのとなりで、パーシバルが口を開いた。

「この数日、セレストならきっとがんばれると信じて、何も言わずに見守っていたよ。でも、もう無理だ。目も当てられない」

 パーシバルの顔にいつもの微笑みはなかった。

「ドリスに気持ちを伝える気がないなら、彼女にふさわしい相手を見つけて、多少無理にでも両想いになるようにおぜんてするべきだと思うよ。セレストは、ドリスを誰にも渡したくないから、飼い殺しみたいなをしているんだろ?」

「飼い殺しなんて、人聞きの悪い……」

 セレストは思わず、胸の前で拳を握りしめた。

「忘れていないよね? 最優先はユフィの呪いを解くことだよ」

 銀縁眼鏡の奥で、パーシバルの双眸が細められる。

「見ていることしかできない、ぼくの身にもなってほしい」

「……すまない」

 セレストが握っていた拳をほどいた時だった。

 ユーフェミアが口元を押さえてき込みはじめた。

「ユフィ、大丈夫か?」

 背中を丸めて、ユーフェミアは何度もうなずく。

「ご、ごめんなさい……」

「今日はしゃべりすぎたのかもしれないね」

 パーシバルが、用意していたストールでユーフェミアのりょうかたを包んだ。

「猫の時は……ありえないほど健康体ですのに。くやしいですわ」

「今夜はもう休んだほうがいい」

 パーシバルはユーフェミアの身体を軽々ときかかえた。

「セレスト、ごめんね。ちょっと言いすぎた」

「いや……悪いのは俺だ」

 眉尻を下げるセレストにパーシバルはやわらかく微笑みかけ、「おやすみ」と言い残して部屋を出た。

 一人残されたセレストは、ふたたびソファに座り込み、しばらくの間考え込んでいた。

 翌朝、ドリスとユーフェミアはメリンダに連れられて魔法師団の塔を訪れていた。

 かけられた呪いがそれぞれの魔力にどのような影響を及ぼしているか、定期的に調べるためである。

 ユーフェミアはジャレッドに、ドリスはメリンダに魔力を計測してもらう。

「……うん、異常なし。数値は前回と変わらないね。今後、呪いが解けたら魔力量に変動が出て体調に影響があるかもしれないから、一応、心の準備はしておいてね」

「わかりました。ありがとうございます」

 侍女の変装をしているメリンダを見慣れているせいか、魔法師団の制服を身にまとった幹部姿の彼女は、なんだかしく見える。

「ところで、殿下とのデートって順調なの?」

「デート……とは?」

 ドリスが聞き返すと、メリンダは手にしていたもんしんひょうを机に置いて小首をかしげた。

「違うの? ここ何日か、殿下と二人で過ごしてるでしょ? 男女が二人きりでお茶したら、それはもう立派なデートだよ」

「えっ、そうなのですか!?」

 初耳である。

「し、知らなかった……。恋をする前に殿とのがたとデートをしてしまったなんて……」

「デートから始まる恋なんて山ほどあるんだから、問題ないよ」

「そういうものなのですか……? 浮気などにはがいとうしませんか……?」

 ドリスがおそるおそる尋ねると、メリンダは声をあげて笑った。

「おもしろいこと言うねー。まだ誰とも付き合ってないなら浮気じゃないよ」

「よ、よかったです……」

 ドリスは、ほっと息を吐き出した。

「今日もこれから殿下とデートなんでしょ? がんばりなよ」

「デートかどうかわかりませんが……恋について学んでまいります」

 今日は、世間一般の男性が好みそうな娯楽や、言われたらうれしい言葉などを教えてもらう予定である。

 恋愛講座も今日で五日目になるが、ドリスは自分でも知らないうちにセレストと顔を合わせるのが楽しみになっていた。

 はじめは不安と緊張でいっぱいだったけれど、少しずつ会話を重ねることで、これまで知らなかったセレストの一面をかいられるのが楽しいと思えてきたのだ。

 今日はどんな話を聞かせてもらえるのかと、ひそかに胸をおどらせた。

 魔法師団の塔をあとにしたドリスは、白猫のユーフェミアを胸に抱えて王宮のかいろうを歩いていた。侍女のしょうえたメリンダも一緒である。

 ユーフェミアの身代わりで出席するお茶会が間近にひかえているので、歩行練習もかねて散歩をすることになった。

「へえ、ずいぶん姿勢がよくなってきたね。足の運び方も綺麗だよ」

 メリンダが感心したふうに言った。

「ありがとうございます。ユーフェミア様のご指導のおかげです」

「それほどでもありますわ」

 ドリスのうでの中で、ユーフェミアが得意げにピンク色の鼻を上向けた。

 しばらく歩いていると、遠くから男性のかけ声が複数、聞こえてきた。

「あれは……?」

 ドリスが足を止めてそちらへ顔を向けると、メリンダが「ああ」と反応した。

「魔法師団のけんじゅつ訓練場だよ。こくりゅう隊が稽古をしてるんだ」

 宮廷魔法師団は、大きく二つの隊に分けられており、魔法の力量や知識に特化した「はくりゅう隊」と、剣術を使して王宮や城下町の警護にあたる「黒竜隊」がある。

 隊に竜の名前がかんされているのは、太古の昔、クレシア王国は竜に守護されていたという伝説のごりである。

「よかったら、見学していかない?」

 メリンダが向こうを指差して提案した。

「ユーフェミア様、よろしいでしょうか?」

「よろしくてよ。まいりましょう」

 ドリスがしょうだくを求めると、ユーフェミアはおうようにうなずいた。

 メリンダの先導で、ドリスは回廊を抜けて屋外に出た。

 王城の裏手に位置する、いしだたみき詰めた広々とした空間では、藍色の制服姿の団員たちが剣術の訓練にはげんでいた。

 せいの良いかけ声とともに、木製のけんのぶつかり合う音が響き渡る。

「実戦では剣に魔力をこめて魔法剣にして戦うんだけど、稽古は基本、魔法ナシの

なんだ。だから、じゅんすいに剣術の腕が問われるんだよ」

「メリンダさんも、剣をあつかわれるのですか?」

「ううん、あたしは白竜隊。剣術は苦手でさ。昔は黒竜隊にも女性がいたんだけど、今はみんな白竜隊所属だよ」

 たしかに、ドリスと同じような背格好のメリンダには、剣は重いだろう。

「ちなみに、メリンダ様は白竜隊の隊長ですわ。そして、そうほうの隊を取り仕切っているのがジャレッド団長ですわよ」

 すぐそばに人がいないことを確認しながら、ユーフェミアが補足説明をした。

「ええっ!?」

 驚きの声をあげるドリスに、メリンダは顎に手を添えてニヤリと笑った。

「前に言ったじゃん。こう見えてもえらい人だよーって」

「そこまで偉い方だったとは知りませんでした……」

 ドリスはぼうぜんとつぶやいた。とんでもなく偉い人に、毎日身の回りの世話をしてもらっていると思ったら、申しわけなさのあまり背筋が震えた。

「あら、お兄様もいらっしゃるのね」

 ユーフェミアの言葉に、ドリスは訓練場にふたたび視線を向けた。

 藍色の制服をまとう男性たちの中に、一人だけ異なる服装の人物がいた。

 陽光を照り返すあざやかな金色の髪が、ひときわ目立つ。

「殿下、最近いそがしくてあまり稽古に参加できてないって言ってたけど、腕はにぶっていないみたいだね」

 メリンダの言葉どおり、セレストはたずさえた剣を振るい、向かってくる男性たちを次から次へとぎ払っていく。

 いっさいがない美しい動きに、ドリスは目をみはった。

「すごい……」

 思わずれ出たため息に、ユーフェミアが「そうでしょう?」とまんげに言う。

「あれ? メリンダ隊長、何してるんスかー?」

「なになに? メイドコスプレ?」

「白竜隊の新しい制服ですか?」

 通りかかった制服姿の年若い青年たちが声をかけてきた。

 ユーフェミアは、しゅんに普通の猫のふりをする。

「仕事だよ、仕事。あっち行きな」

 メリンダが手を振って追い払おうとするが、青年たちはドリスの存在に目をとめた。

「誰? かわいー」

「初めて見る顔だよね?」

「メリンダ隊長のお知り合いですか?」

 あっという間に囲まれたドリスは、白猫を腕に抱えたままお辞儀をした。

「は、はじめまして。ドリス・ノルマンと申します」

「はじめまして。おれはカイル。きみ可愛いね。今晩空いてる?」

 ドリスより一つか二つ年上と思われる、顔立ちの整った青年が顔をのぞき込んでささやきかけてきた。

「今夜ですか? 特に予定はありませんが……」

「ここで会えたのも何かのえんだ。お茶でもどう?」

 って五秒でさそいをかけるカイルに、メリンダは顔をしかめた。

「ちょっと、うちの子にちょっかい出さないでくれる?」

「わたしはかまいませんが……」

 ドリスがそう言うと、カイルはうれしそうに微笑んだ。

「決まりだ。それじゃあ今夜、中庭で待ち合わせよう」

「わかりました」

「またあとでね、ドリス」


 カイルたちが訓練場へ歩いていく姿を見送っていると、ユーフェミアとメリンダに詰め寄られた。

「あなた、何を考えていますの!?」

「びっくりしたよ。あんなにあっさりナンパされちゃうなんて!」

「え? え?」

 ドリスは目をぱちくりとさせる。

「わたし、いけないことをしましたか?」

 恋をするには異性と知り合うのがまっとうな方法だと思ったのだけれど、間違っていたのだろうか。

 ドリスがまどっていると、ユーフェミアが口を開いた。

「呪いを解くためという観点では、交友関係を広げるのはよいことだと思いますわ。ただ……お兄様がなんとおっしゃるか」

 ユーフェミアは、訓練場で剣を交えるセレストに視線を向けた。

 ドリスは、はっと目を見開いた。

「そ、そうですね。殿下には恋愛のお稽古でお世話になっていますし、ご報告はしておくべきですよね……」

「いえ、そうではありませんのよ……」

 ユーフェミアの言葉の意図がわからずに首をかしげていると、向こうからセレストが歩いてくるのが見えた。

「お前たち、来ていたのか」

「ご、ごきげんよう。殿下」

 ドリスは淑女の礼をとった。

 セレストは何人も相手に剣を振るっていたはずなのに、呼吸がまったく乱れていない。

「先ほどの試合、拝見しておりました。殿下があんなにお強いとは、知らなかったです」

「いや、まだまだだ。ここ最近は、なかなか訓練に参加できていなかったからな。身体が思うように動かない」

 ドリスの賛辞におごることなく、セレストは自分の未熟さについて口にした。

「つい今しがた黒竜隊の方たちとお会いしましたが、皆さんほがらかで楽しい方ですね」

 先ほど声をかけてきた青年たちの話題を出したたん、セレストの顔つきが険しくなった。

「……誰に声をかけられた?」

「ええと、カイルさんとおっしゃる方です。ほかのお二人は、お名前を聞きそびれてしまいましたが。それで今夜、カイルさんとお会いする約束をしました。恋の実践、がんばります!」

「は!?」


 とつぜんセレストが大きな声をあげたので、ドリスは驚いて身を引いた。

「あの……やはり、いけないことでしたか?」

 できれば、何がよくないのか具体的に教えてほしい。

「殿下……?」

 ドリスは、おそるおそる呼びかける。

「……ドリス」

「は、はい!?」

 セレストは、手にしていた木製の剣を持ち上げた。

「今からカイルと手合わせをする。俺が勝ったら、あいつの誘いを断れ」

「え……?」

「お前が関わっていいのは、俺以上に強いやつだけだ。いいな?」

「え? あの……」

 セレストはドリスの返答を待たずにきびすかえし、早足で訓練場へ戻っていった。

「カイル! 剣を取れ!」

「え? おれですか!?」

 そんなやり取りが聞こえたかと思うと、まばたきをする間もなく決着がついて、セレストはふたたびこちらへ歩いてきた。

「で、殿下の勝ち……ですね?」

「俺が代わりに、あいつに断っておいた」

「えっ!? せっかくカイルさんが誘ってくださったのに……」

「それから、もうひとつ」

 セレストは、人差し指を立てて言った。

「今日から、俺のことは名前で呼べ」

「……え?」

 思いもかけない言葉に、ドリスは瞬きをり返した。

「そ、そそそそんな、めっそうもない! 子どもの頃は許されたかもしれませんが……今はそのような無礼をはたらくなどできません……!」

 ドリスは力いっぱい首を左右に振った。

「俺がそうしてほしいと言っているんだ。それとも何か? あいつのことは名前で呼べて、俺のことは呼べないっていうのか?」

 セレストは、先ほど打ち負かしたカイルを親指で示した。

「ええと……あの、そういうわけでは」

 青い顔で困り果てるドリスに、セレストは押しのように顔を近づけた。

「名前で呼んでほしい」

「は……はい。セ、セレスト様……」

 ドリスが震える声で名前を口にすると、セレストはふっと目元をなごませた。

「わ、わたし……不敬罪でばっせられませんか? 大丈夫ですか……?」

「そんなわけないだろう……うれしい」

 両手で頰を覆うドリスに、セレストは笑いながら言った。

 いつの間にかドリスの腕の中から抜け出してメリンダの足元へ移動していたユーフェミ

アは、誰にも聞こえないようにつぶやいた。

「やればできるじゃありませんの」

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