第10話 その手がつかむものは

 その後、星が輝きはじめた頃、ロランが衛兵を率いて現れた。縛られたデルドルフの工作員が運ばれて行き、衛兵たちは教会の中も外も魔導灯で照らして残されている物がないか見て回る。


 俺はクラウスの亡骸の傍らに膝をつき、栗毛くりげの髪を一束切った。せめてこれだけでも故郷に帰してやりたい。


 落ちていたアデリナの布で包もうと手を伸ばすと、衛兵が駆け寄ってきた。


「それは回収する。こっちに寄こせ」

「ただの布だろ」

「それは我々が判断する」


 融通の利かない衛兵を殴り飛ばしてやりたかったが、彼の肩にロランが手を置いた。


「見逃してやってくれ」

「しかし」

「いいんだ」


 衛兵は渋々敬礼して離れた。魔導灯の灯りが遠ざかる。


 俺は髪を布で包んで懐にしまった。ロランは煙草を取り出して火を点ける。


「このような結果になって残念だ」


 その言葉は俺に言ったようにも、独り言のようにも聞こえた。


「そうか? 工作員は生きたまま捕らえたし、試作型魔導ライフルの技術流出も防げた。上々だろう」

「私が言っているのはケヴィンの友、クラウス・アンデルセンの話だ」


 衛兵たちが担架を持ってきてクラウスの亡骸に手をかける。乾いた血が固まり、石畳に貼りついた体は、まるでここから離れたくないと言っているように見えた。


「あいつはどうなる?」

「兵站部の技術局行きになる。外傷が少ない標本は貴重だ」


 つまりクラウスは埋葬されず、墓標もなく、女神のもとへも行けない。その存在はあいつを知る者の中だけになる。


 衛兵はやすやすとクラウスを持ち上げて担架に乗せると夜の闇に消えた。残されているのは、あいつの血と、銃弾で割れた石畳しかない。


 俺はそれをながめながら、ぼんやりと言った。


「花もそえてやれないな」


 ロランは長い紫煙を吐く。その煙もすぐに流されていった。


「彼の名は公表できない。デルドルフの工作員が王都に潜んでいたと市民が知れば大きな混乱が生まれるだろう。今回の件は闇のまま片を付ける必要がある」

「どういう事だ?」

「戦況が激化しようとしている今、敵国の工作員が紛れ込んだ上、王都の市民が協力していたと知られるのはまずい」

「隣人同士で疑い出し、秩序が保てなくなる、か」


 危惧している理由はわかった。それに賛同するかのように衛兵が血の跡に水をぶちまけ、ブラシで洗い流しはじめる。


 ロランはその通りだと言い、記録にも残さないと付け加えた。


「彼の死を知るのは私たち二人だけだ。口外は認めない」

「わかっている。全て自業自得だ。こうなる前に相談すればいいのに、馬鹿野郎が」


 その言葉は自分自身に刺さる。俺があいつの立場でも話さないだろう。俺が誰も信用していないと言っていたアデリナが正しいのかもしれない。


「ところで、お前の秘書官はどうした?」

「レオと名乗った工作員と教会のつながりを調べに行かせた。そのうち戻って来るだろう」

「そうか」


 会うのはいいが、クラウスの事をどう説明すればいいかわからない。わからないと言えば、今回の事件で明確になっていない事がいくつもあった。


「暗殺者は単発でしか撃てないはずの魔導ライフルを連続で撃っていたぞ。あれが試作型ってやつじゃないのか?」

「形状は?」

「遠くてよくわからんが、衛兵が持っているのと同じに見えた」

「となると、試作型の中でも初期のものだな。その型は評価後に廃棄処分されているはず。となると……」


 ロランは煙草をくわえたまま考え込み動きを止める。長くなった灰が落ちて、足元で砕けた。


 いつまでたっても続きを話そうとしないので代わりに口を開く。


「軍が暗殺者を差し向けたのか? しかし、あの跳躍は強化兵としか考えられないぞ」

「軍の中に工作員が潜り込んでいる可能性が高いだろうな。その上、教会の関与も捨てきれない」


 それは、まわり全てを疑うという事だ。捜査対象が教会と軍となれば諜報ちょうほう部の立場は悪くなる。ロラン自身にも危険が及ぶかもしれない。


 イバラの道を進もうとしているロランが心配になったが、その顔に曇りはない。


「引く気はないって顔だな」

「そのための諜報部だ。逃すつもりはない」


 ロランは夜の闇に歩き出し、煙草を落として踏み潰した。


「まだ王都にいるのだろう? また力を借りる事になるかもしれない」

「わかった。俺もこのままにするつもりはない」

「頼りにしている。あとの事はヴェンデル秘書官に聞いてくれ」


 ロランは去り、血を洗い流していた衛兵もいなくなる。石畳はまだぬれていたが、乾くにしたがってクラウスの存在も消えてしまうような気がした。


 しかし俺は忘れない。クラウスを息子のように見ていた工場長も忘れないだろう。そしてアデリナもだ。しかし、どう伝えればいいかわからない。


 教会の石段に座り、ぼんやり髭をなでていると石畳を踏む音が近づいてきた。魔導灯で顔を照らされていたせいで姿が見えないが、目を細めると士官服に身を包んだアデリナだとわかる。


「そんなところに座り込んでいたら完全に不審者ですね」

「そうだな」


 アデリナは魔導灯を消して俺の隣に腰を下ろした。彼女の目はぬれた石畳を見つめている。


「何があったのですか?」

「実行犯が暗殺された」


 クラウスの名を伏せて事実だけを伝えた。


「そうですか。工作員は生きたまま捕らえたそうですね」

「ああ。試作型魔導ライフルの技術流出も防げた。完全ではないが俺たちの勝ちだ」

「それは私を遠ざけたおかげですか?」

「……知っていたのか」


 アデリナは当然とばかりにうなずく。


「あとで気付きましたが、明らかに私を怒らせようとしていました。商会の件が切っ掛けだったかもしれませんが、私を連れていけない理由があった。違いますか?」

「工作員は危険だ。平気で自爆するやつを相手にさせたくなかった」


 これは二つある本心のひとつだ。もうひとつ、クラウスの裏の顔を見せたくなかったという思いは胸の内から出すつもりはない。


 アデリナは白く照らされた王城に顔を向けて静かに言った。


「私は軍人として訓練を受けています。もちろん工作員の対処も問題ありません。それに軍に籍を置いた時から死ぬ覚悟もできています。見くびらないでください」

「すまなかった」

「わかっていただけたら許します」


 言葉の通りアデリナから怒りは感じない。気が抜けた俺は苦笑いしながら返した。


「やっぱり怒っているじゃないか」

「怒っていません。それより事件が片付いたので食事に行きませんか? 『剣聖の厨房ちゅうぼう』の料理は気に入りました」

「そうだな。腹も減ったし、今から行くか」


 事のあらましを知らないとはいえ、俺への怒りを飲み込んで前を向こうとしているアデリナを見習うべきだと思い、明るく振る舞った。


 いつまでも止まっていられない。前に進まないとあいつに笑われてしまう。そう思って立ち上がった。


 クラウスの死をどう伝えたらいいか思いつかないが、いつか話せばいい。きっと受け止めてくれるはずだ。


 アデリナに手を差し出すと、彼女は俺の手をつかんで腰を上げる。


「アンデルセン……クラウスも一緒に、ね」


 先延ばしにしようと思った矢先にクラウスの名前を出されて、俺は顎髭あごひげに手を伸ばした。毛先をいじりながら、できるだけ明るい声を出す。


「あいつはな、王都を出たんだ。手先の器用さを買われて引き抜かれたと言っていた」

「ずいぶんと急ですね」


 アデリナの表情は変わらない。普段通りに見えた。


「俺も驚いた。これも戦争景気ってやつなんだろう。ああ、そうだ。伝言を預かっている」

「なんでしょう?」

「約束を守れなくてごめん。だそうだ」


 アデリナはわずかに目を細めてうつむく。その白い横顔はほほ笑んでいるように見えた。


「約束をするために会おうって話だったのに、変な人」

「しかし、あいつらしいと思わないか?」

「確かにそうね」


 そのほほ笑む姿はクラウスと一緒に飲んでいた夜と同じだ。彼女は顔を上げて俺を見る。笑顔の中に怒りや悲しみが入り混じったような複雑な表情に見えた。


「知ってる? ケヴィンってね、困ったり、誤魔化そうとする時に髭をいじるクセがあるのよ」


 そんなはずはない。そう思ったが勝手に指が髭を求める。その手を握りしめて下ろした。自覚はないが、たった今、うそをついた時も髭に手を伸ばしていたのだろう。


 アデリナは敏い。おそらく理解したに違いなかった。


 俺は拳を固く握ったまま、何か言わなければならないと頭を働かせる。しかし、どうしても口を開く事ができない。それどころかアデリナの目から逃げるように後ずさった。それに合わせて踏み込んでくる。


「何か言ったらどうなの?」

「俺は」


 その先が言えずに、また下がり、アデリナは距離を詰める。


「俺はなに? いつものようにはっきり言えばいいじゃない! それとも大切な事ですら話せないほど私が信用ならない? そうよね。そう言っていたわね!」


 アデリナの声に怒気がはらんだ事で、ようやく腹が決まった。俺はアデリナを信じてやらなければならない。クラウスのためにも。俺のためにも。今すぐは難しいかもしれない。しかし努力すべきだ。


「俺はあいつを。クラウスを救えなかった」


 最後通告ともいえる言葉の返しは拳だった。口は固く閉ざされ、俺の胸を打ちつける。何度も何度も繰り返し、やがて顔を伏せた。


 王都の夜は明るい。魔導の光が闇を引き裂いて王城を明るく照らしている。その一方で多くの影を生んでいた。その影はアデリナの表情も隠す。


「うそをつくなら最後までつき通しなさいよ」

「すまない、アデリナ」


 アデリナは鼻をすすって顔を上げた。その顔に涙はなく、強い意思だけがある。


「私がいれば、もっとうまくいった。違う?」

「そうかもしれない」

「かも、じゃないわ。だから私を頼って。信用しろとは言わないから」


 たたかれた胸が熱を帯びて全身に伝わる。


「ああ」


 アデリナは俺に手を差し出した。握りしめられていた拳は開かれている。


「改めてよろしく。軍人としてじゃない。ひとりの人間としてよ。それと、これからはちゃんと名前で呼んで」


 俺はアデリナの手を握る。


「俺の背中は任せた。アデリナ」


 握り返される力は強かったが、とても温かく感じた。

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