第7話 物と金だけが取引ではない

 翌朝、俺はアデリナと共に手がかりを求めてベルナール商会に向かった。殺害現場で見つけた鍵が事件に関与しているとは限らない。しかし貧困層が多い旧市街に貸金庫の鍵が落ちているのが偶然とは思えなかった。


 歩みを進めると、多層住居の隙間から壁面に天秤てんびんの紋章が描かれた建物が見えた。


「あれが貸金庫のある商会ですね」


 それに目を向けるアデリナは士官服に身を包み、表情から読み取れるものは何もない。そこからは昨夜の姿が想像できず、まったくの別人のようだ。


 俺はどんな手を使ったとしても情報を手に入れる決意をしている。しかし昨夜のアデリナの言動が頭から離れず集中しかねていた。


 そんな俺が不審に見えたのか、アデリナは淡々と問いかけてくる。


「行かないのですか?」

「その前に教えてくれ。昨日のあれは何だ? 諜報ちょうほう部としての身分を隠すための演技か? それとも本来はあんな感じなのか?」

「はい。アンデルセンが何者か不明でしたので」

「何でもいいが、あまり俺の友人をからかわないでやってくれ」


 そう言うとアデリナはわずかに顔を曇らせた。


「すみません。ただ、アンデルセンと過ごした時間が楽しかったのは本当です。途中からは演じている自信がなくなるほどに」

「どういうことだ?」

「私は常に良き軍人であろうと心掛けています。しかし、昨夜は……軍人を目指す前に戻ったような気がしました」


 言いたい事はわかった。誰もが理想の自分を追いかけて演じ、いつしかそれが本当の姿になる。俺だってそうなんだろう。


 アデリナは真っすぐ俺を見て、再び謝罪を口にした。


「やりすぎましたね。謝ります」

「いや、俺が勝手に動揺しただけだ。もうひとつ聞くが、あいつをどう思う? かなり本気だぞ。気を持たせるぐらいならばっさり斬り捨ててやってくれ」

「まだわかりません。一度会っただけですので」

「そうだな。踏み入った事を聞いて悪かった」


 今度は俺が謝ると、アデリナはクラウスに見せるような優しい笑顔を見せた。


「ケヴィンは友達思いですね」

「そのつもりだ。だからあいつをもてあそんだら怒るぞ」

「そんなつもりはありません。今度は二人で会う約束をします。せっかく楽しい人に出会えたので、ゆっくり育んでいきます」

「そうしてくれ。じゃあ行くぞ。次に会わせる時には事件を終わらせて、すっきりした気分で、な」


 クラウスを疑う気持ちを晴らしてから顔を合わせたい。そのためにもやれる事はすべてやる。気を引き締め直して商会に向かい、隣を歩くアデリナもいつもの調子に戻っていた。


 商会の門は開け放たれていて、早朝だというのに多くの人が出入りしていた。隣接する倉庫では人夫がたくさんの背負い袋を馬車に詰め込んでいる。


 アデリナは俺に歩調を合わせて方針を求めてきた。


「どうしますか?」

「正面から行く。そのために士官服を着てきてもらったんだ。諜報部とわからなければ問題ないだろう?」

「はい」


 天秤の紋章がある上着を着た商人に、商会主に会わせろ、と言うだけで済んだ。士官服をまとったアデリナのおかげなのは間違いない。


 通された部屋は壁の二面が棚で覆われ、本や書類がぎっしりと詰まっている。


 奥のデスクで白髪の男が腸詰めをナイフで切った。まだ調理したてのようで断面から湯気が上がる。そこに見える赤い粒のクトゥがうまそうだ。


 商会主は俺たちを見て立ち上がりかけたが、手で制する。


「食事中悪いな」

「いえ、問題ありません。ベルナール商会の主、ジャン・ベルナールです。軍が何用ですか?」


 ジャンのデスク前まで行き、鍵をベルトから引き抜き抜いてかざす。


「この鍵を知っているな?」

「ええ。うちの貸金庫の鍵ですね。契約者に貸し与えています。これをどこで?」

「拾った」

「わざわざ届けてくださり、ありがとうございます」


 ジャンの手が伸びてくるが、拳の中に鍵を隠す。


「鍵は返す。その前にどこの誰に貸したか教えてくれ」

「それはできません。商会の信用に泥を塗るようなものですから」

「軍の命令でもか?」

「はい」


 ジャンの意思は固い。どうやって柔らかくするか考える間もなく、アデリナが口を開いた。


「これは国の危機につながる事件の捜査です。協力しないのならば建物ごと接収します」

「犯罪を犯していないのに横暴すぎませんか? それに、たかが下位士官に行える権限ではありません」


 ジャンは静かに言うが、怒らせたのは間違いない。そしてアデリナの方法が合理的なのも理解できる。しかし室内は帳簿だらけで、ここから探すのは骨が折れそうだ。情報を得る前に工作員が遠ざかる可能性を考えると、ジャンの口から教えてもらうのが良さそうだと思った。


 口を軽くするためにどうすればいいか? 話さざるを得ない状況に持ち込むしかない。俺はデスクに手を置き、ジャンを見下ろした。


「俺たちはここで知った内容を漏らさない。ところで手広く商売しているみたいだな。他国とも取引しているんだろう?」

「主に西のビルストン王国ですが、南の大陸へ船を送る事もあります」


 やはり意図を探ろうと話に乗ってきた。好奇心旺盛な商人としての性なのだろう。


「それなら北のデルドルフとも商売してそうだな」

「直接の交易は禁止されています。なにせ戦争中の敵国ですから」


 ジャンは軽く肩をすくめるだけで表情に変化はない。まるで歴戦の剣士を相手にしているように感じた。


 さてどうする? 俺の剣は呼吸を読み力で断ち斬る剣だ。それは交渉でも変わらない。まずは流れをつかむ。


「デルドルフと言えば、近頃クトゥが手に入れやすいらしいじゃないか」

「いくら敵国が産地とはいえ、ビルストン経由でいくらでも入手できます」


 初撃は軽くいなされたが、さらに踏み込む。


「生のクトゥは日持ちせず、第三国を経由するなら乾燥させるしかない。残念ながら乾燥させると香りも食感も悪くなり、赤黒く変色する」

「話の方向が見えませんね」


 ジャンは二撃目に合わせようとせずに距離をとる。そっちが引くなら押すだけだ。


「何で生のクトゥ入りの腸詰めがここにあるんだ?」


 デスクにある腸詰めは熱を失いかけていたが、断面から赤い粒が見える。本来入手できないはずの赤いクトゥはジャンの弱点だ。それなのに表情はまだ変わらない。それどころか反撃にでてきた。


「まるで私が密輸しているような言い種ですね。虚言を続けるなら財務省長官を通して苦情を入れますが」


 ジャンは政治とのつながりを使ってきた。より強い者を使って攻撃するのは単純で効果的。しかし俺は引かずに、さらに踏み込む。ふところの深いところへ。


「まさか。ただ俺には情報がある。国境の山中に関する話だ。その情報を話すかわりに、誰が貸金庫を使っているのか教えてもらうのはどうだ?」


 目の前で鍵を振る。俺は商会が密輸していると暗に示した。商人ならこれが脅しではなく、取引だと伝わるだろう。


 ここまでジャンは表情を変えなかったが、こめかみから一筋の汗が流れる。


「……手札はクトゥ以外にもあるのでは?」


 俺がまだ切り札を持っているのを感じているのだろう。実に商人らしい嗅覚と言えた。


 デスクに置いた手に体重をかけて顔を寄せる。


「表の馬車に積んでいたのは大量の背負い袋だ。馬車では山道を進めないからな。人夫で運ぶんだろう?」


 長いようで短い時ののち、ジャンは折れた。


「取引成立です。鍵の番号を教えてください」

「63だ」


 確認してくれ、と鍵を投げて渡す。それにアデリナは納得しなかった。


「情報を得てから返却する話でしたが?」

「いいんだ。取引対象は変わったし、互いに信用している。そうでなければ商売はできない。そうだろ?」


 俺の言葉にジャンはうなずく。


「その通りです。今から帳簿をお見せします」


 ジャンが棚の隙間に指を入れると、カチリと鳴った。そして滑らかに横滑りし、新たな書類棚が現れる。


 その有り様を見たアデリナが驚きの声をもらす。


「魔力紋認証ですか」

「はい。値は張りますが、最も信頼できる鍵です。なにせ魔力は盗めませんから」


 便利だな、と言う俺の言葉にジャンは苦笑いしながら目的の帳簿を取る。


「そのかわり故障するとお手上げです。二日前に開かなくなりましてね。丸一日、商会の業務が止まりました。……これですね。ご覧ください」

「……63番の契約者はレオ・ドゥシャン。所在地はサンレーヌ通りの……教会?」


 教会がからんでいるのか、工作員が表の顔として教会を使っているのかわからない。それはあとからでも調べられる。


 ジャンに書類束を返しながら追加で問いかけた。


「その金庫の中はどうなっている?」

「帳簿によると空ですね」


 それは俺の考えと一致していた。今すぐにでも情報を整理したかったが、先に約束を果たす。


「俺からの情報を教える。プロヴィル山脈を通るのはしばらく止めた方がいい。大勢が行き来しているのは気づかれているし、軍も商会ここを怪しんでいる」

「この情報はどこで?」

「衛兵のうわさ話だ。俺がそこを通る密入国者だと思い込んだらしい。このひげのせいでな。どうだ、取引に見合っているか?」

「はい。ありがとうございます。おつりを差し上げたいほどです」


 良い取引ができました、と差し出される手を握る。


「こちらこそ、礼を言う。朝食の邪魔をしてしまったな」

「いえ。クトゥ入りの腸詰めは冷めてもおいしいですから」

「違いない。迷惑ついでにもうひとつ、聞いてもいいか?」

「答えられる事ならば」


 今までたくさんのやつと剣を交えた。そのほとんどは友好的とは言い難い。だが、ごくまれにわかり合えるやつもいる。ジャンと交わしたのは剣ではなく言葉だが、わかり合える気がした。だから聞きたくなった。


「なぜ危ない橋を渡る? まっとうな商売で十分稼げるだろう」

「私はひとつのテーブルを両国民が囲み、互いの料理を口にして、互いの楽器を奏でて歌う。そんな未来が見たい。そんなちっぽけな夢の足掛かりです」


 ただの商人が見るにしては大きすぎる夢だ。戦争を止めると言っているに等しい。しかし、俺もその夢を見たいと思えた。


「食い物のこだわりは怖いぞ。それこそ取っ組み合いの争いになるかもな」


 俺がそう言うとジャンは笑う。この部屋に入ってから初めて見せる、楽し気な顔だった。


「その時は酒で洗い流しましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る