第8話 差し伸べられた手はつかめない

 ようやく工作員の尻尾をつかんだ。あとは追い詰めるだけ。そう思うと足が早まる。俺たちは商会をあとにし、実行犯が向かおうとしていた教会を目指す。おそらく、そこにいるのはデルドルフの工作員だ。


 情報を得るためには生かして捕らえる必要がある。しかし、ためらいもせず自爆するような連中なら一筋縄ではいかない。


 そんな危険なところにアデリナを連れて行きたくなかった。軍人は死ぬのも仕事の内だが、クラウスが心を魅かれている女には怪我すらさせたくない。しかし言っても聞く耳を持たれないことはわかっており、俺はどうすればいいか思いつけずにいた。


 その方法を見つける切っ掛けになればと、数歩後ろをついてくるアデリナに問いかける。


「昨日は何を調べていた?」

「魔導制御板が他に流出していないか、です」

「どうやって? 兵器工場には手が出せないんじゃなかったか?」


 俺は前を向いて足を進めながら問い続ける。俺の答えは見つからないが、質問の答えはよどみなく返ってくる。


「魔導制御板に術式を刻んでいるのは魔導研究所であり、試作型ライフルを組み立てるのが件の工場です。その後の納入先も魔導研究所で評価試験を行っています」

「入出庫の差で判断したのか。それで結果は?」

「昨日までで一枚です」

「つまり、今のところ流出はなしだな」


 昼下がりの街は人通りが多く、露店からうまそうな匂いがただよってくる。いつもはうれしい誘惑だが邪魔に感じた。


 現状を整理すれば何か思いつくかもしれないと話題を変える。


「実行犯は工場から魔導制御板を盗み、二日前の夜、貸金庫を使って引き渡そうとした」

「はい」

「しかし、その日は商会の業務が停止していたため貸金庫が使えなかった。だから直接教会に運ぶつもりだったのだろう。その途中で衛兵に怪しまれたため殺害。魔導制御板と鍵を落として逃走した」

「はい」


 あまりにも気の抜けた返事が続いたので振り返った。俺に合わせてアデリナも足を止める。


「どうした? 間違っているなら指摘してくれ」

「なぜ商会の不正に手を貸したのですか」


 俺をにらむ目は氷のように冷たい。なぜ怒っているのかはすぐに思い当たった。良き軍人を目指しているアデリナが不正を許すはずがない。きっと商会でのやり取りも断腸の思いで口を閉ざしていたのだろう。


 そして俺は事件解決を急ぐあまりアデリナを見ていなかったどころか、言葉の応酬を楽しんですらいた。投げかけられる言葉が辛辣しんらつでも仕方がない。


「密輸は重罪であり、それが敵対国であるならなおさらです。食料だけでなく機密情報が含まれているかもしれません。捜査すべきです」

「大丈夫だ。情報なら第三国を経由した方が確実に運べる。時間はかかるがな。仮に至急であっても荷物に紛れ込ませるというやり方はしない」

「その根拠は?」


 アデリナは正しい。しかし今はこんな問答をしている場合じゃない。早く答えを見つけたいという思いが答えを雑にした。


「ない」


 あっさり認めたのが意外だったのか、アデリナは目を見開いた。直後、視線はさらに厳しいものとなり、両手は固く握りしめられる。


「だったら、なぜ!」

「信用したからだ」


 しかし、その言葉は鼻で笑われる。


「信用? それをケヴィンが言う? 人を名前で呼ぼうとすらしないケヴィンが? 仕事の付き合いでしかない私やオヴェラ部長ならまだしも、昔からの友達ですら名前で呼ばなかったわ」


 思い当たる節が多すぎて口を閉ざした。俺が剣の鍛錬を続けていた理由、クラウスは頑固だからと言っていたが本当は違う。剣しか信じられなかったからだ。剣を捨てて変わったつもりだったが本質は昔のまま。アデリナの言う通り誰も信用していないのだろう。


 そしてアデリナを遠ざける方法が見えた。おそらく最悪なやり方を。


 それでもやるしかない。腹を決めた俺に氷のような言葉が深く突き刺さる。


「わかっています。ケヴィンは誰も信用していない」

「そんな事は――」

「ないと言いきれますか? 私を信用できますか? 何を抱えているのか知りませんが、それを打ち明け、手を貸してくれと言えますか?」


 アデリナは俺に手を差し伸べる。しかし俺の手は顎髭あごひげに伸びた。それをしごきながら突き放すように言う。


「たかが数日共にしただけで信用できるわけがないだろう。そこまでガキじゃない」

「……私はケヴィンを信じてたいと思っています」

「そうか。俺には無理だ」


 アデリナは短く息を吐き、力なく肩を落とした。表情からは何も読み取れない。無だ。


「それがケヴィンの答えですね。では商会の件はオヴォラ部長に報告します」

「好きにすればいい」

「失礼します」


 アデリナは背を向ける。俺も背を向けた。


 結果的には思い描いたとおりに事は進んでいる。あとは工作員が逃げる前に捕らえればいい。


 時間はそれほど残されていない。自然と早足になり、俺の顔を見た人々は道を開ける。誰でもいいからぶつかってきてくれれば、怒鳴り散らして憂さを晴らせられるかもと少し思った。


 俺はその気分を引きずったまま、足を進める。


 その教会は旧市街の近いだけあって、とても古い。重い扉を開けると意外にも中はきれいで、ステンドグラスにかたどられた天使が俺を迎えてくれる。その前の祭壇で膝を突いている祭服の男がいた。そいつは俺に顔を向けて温和な笑みを浮かべる。


 どうやって追い詰めるか? いくつも策を考えた。しかし、そのどれもが決定的じゃないし、詰めが甘いと逃げられる可能性が高い。


 その男は笑顔を崩さない。どう見てもただの聖職者にしか見えなかった。


「女神の園へようこそ。礼拝ですか?」

「人を探している。レオ・ドゥシャンというのはお前か?」


 俺は歩みよりながら答える。ちらりと見まわし、ここに俺たちしかいないのを確認した。


「ええ。私です。何か御用でしょうか?」

「人に頼まれて来た。ベルナール商会の貸金庫を契約していれば話していいと言われてる」


 とぼけられるかと思っていたが、レオはあっさり認める。


「はい。ここを離れる事が多いので教会本部との連絡用として重宝させてもらってます」

「番号は覚えているか?」

「63番です」

「本人で良かった。これを渡せと言われてるんだ」


 あらかじめ魔導灯から抜いておいた魔導制御板をかざすと、レオは壇上から降りてきた。ゆったりした祭服をなびかせ、床板がきしむ音がはっきりと聞こえた。その歩みは隙がない。本能が危険な相手だと警鐘をならす。アデリナを遠ざけて良かったと思えた。


 レオは足を止めず、ためらう事もなく俺の間合いに入り込む。その表情はやわらかいが背中にチリチリしたものを感じたままだった。


「そのような物を受け取る約束はしていませんが、私宛てならお預かりしましょう」


 俺に伸びてくる右手はがさついて荒れている。生身の手にしか見えなかった。義手ではないなら本物の聖職者かもしれない。そんな思いが俺をためらわさせる。


 確かめる方法はない。俺はそれを見つけられなかった。となれば、やる事はひとつ。


 森を縄張りとする狂暴な剣牙虎けんがこを素手で捕らえるのと同じだ。一番危険な口の中に手を突っ込むしかない。


 俺は魔導制御板を渡すと同時に、その右腕をつかんだ。反応されるより早く、顔面に拳をたたきこむ!


 もし工作員ではなく、ただの聖職者なら殺してしまうかもしれない一撃。これは覚悟を決めた拳だ。


 しかしレオは身をよじってかわす。腕を振り解こうとしているが放すつもりはない。


「いきなり何を!」

「お前は優秀な工作員だ。不運にも貸金庫が使えず、衛兵が現れなければ誰にも気づかれずに目的を達成できただろうな」


 レオの激高は一瞬だった。冷静さを取り戻し、無駄な事はせず逆転の機会をうかがっているようにみえる。そして冷静なレオと違い俺は焦っていた。だから余裕を保とうと必死で、話しても無駄だと知りつつも言葉を重ねている。


「お前は自分の手を使わずに実行犯を操り、決して尻尾をつかませない。だから俺はこんな手段しか取れなかった」


 さらに力を込めて腕を握る。レオの顔が苦痛でゆがんだが緩める気はなかった。


「俺に殺しをさせないでくれてありがとうよ。お前が弱くて助かった」


 レオの目がすっと細まる。同時に鋭い突きが襲ってきた。剣身を黒く塗りつぶしたナイフが、二度、三度、と繰り返し突かれる。その動きは速かったが、右腕をつかんでいたので動きに制約をつけやすく、かろうじてかわす事ができた。


 命を刈り取る刃をいなし、かわし、左腕もつかむ。あとは鼻頭に頭突きを入れるだけで良かった。レオの膝から力が抜けて崩れ落ちる。教会の冷たい床に倒れ、力の抜けた手からナイフを奪い、喉元にあてた。


 レオは感情のない目で俺を見る。


「殺せ」


 俺はそれを無視した。


「奪った魔導制御板をどうやってデルドルフくにに送る?」


 レオは顔をよじり、明り取りの天窓から空を見る。その目は故郷を思う者のように優しい。そして、ゆっくりと両手を重ねて胸に置き、安らかな顔でまぶたを閉じた。


「デルドルフに女神の祝福を」


 その顔が死を受け入れた者と同じ気がして、全力で殴りつける。意識を失っているのを確認して祭服の前を大きく開けると胸にベルトがあった。


 ベルトをナイフで切り、裏側を見ると魔導制御版が貼りつけられている。これと同じものが諜報ちょうほう部にたくさんあった。これさえ奪ってしまえば自爆される心配はない。


 事件の大本である工作員は捕らえる事ができたが、まだ気を抜けない。足を投げ出して座りたくなる気持ちを押さえ込んだ。


 残すは実行犯のみ。街中を衛兵たちが仲間殺しの犯人を追って駆けずり回っている状況では、早く仕事を終わらせたいはずだ。早ければ今日にもここへ来るだろう。


 ここからが本当の勝負だ。


 デルドルフ式の祝福をしながら気絶しているレオを見下ろして、ふと思い、祭壇に向かって右手を胸に当てた。


 女神よ。本当に見守ってくれているというなら、今こそ救いの手を差し伸べてくれ。


 アデリナに差し述べられた手を振り払っておきながら、俺は虫が良すぎる祈りをした。

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