第9話 女神の園で行使される暴力

 工作員に猿ぐつわをかませ、縛りあげて転がした。こうなってしまえばやる事はない。じっと待つだけだ。


 クラウスが来るのを。


 俺がたどりついた結論は、無実の証明ではなく、あいつが実行犯である確証だ。


 俺は教会の扉に目を向ける。


 先に扉を開けるのが諜報ちょうほう部員か、それともクラウスか。できれば後者であってほしい。そうでなければアデリナを遠ざけた意味が失われる。


 クラウスを捕らえるところだけは彼女に見られたくない。


 俺は壇上へ続く階段に腰を下ろし、黒塗りのナイフをもてあそぶ。手持無沙汰というより気を紛らわせたかった。


 ナイフを投げ、落ちてきたところをつかむ。何十回も繰り返した時、扉がきしむ音が教会内に響いた。


 いつの間にか低くなっていた太陽の光が扉から差し込み、クラウスの影を長く作る。


 波立つ心を押さえ込んで静かに問いかけた。


「魔導制御板は手に入ったのか?」

「何だって? それよりどうしてケヴィンがここに?」


 クラウスはつえを突きながら、並ぶ長椅子の間を進んでくる。俺は迎えるために階段を降りた。


「とぼけなくていい。重要なのは魔導制御板を渡す相手には二度と会えないという事だ。だから俺に渡せ。悪いようにはしない」


 残念ながらクラウスの首は横に振られ、おどけた様に笑った。


「僕が盗みを? だいたい証拠がないだろ」

「証拠の有無は必要ない。諜報部は怪しければ捕らえ、望みの答えが出るまで拷問でも何でもする。そういう組織であり、こいつもそうなる運命だ」


 気絶しているレオの背中を軽く蹴るとクラウスの顔が強張る。こめかみから流れた汗が頬を伝い、顎から落ちた。


「僕は魔導制御板を持ち出していないし、工場からは持ち出せない」

「あそこの管理方法は知っている。所持している魔導制御板が光る仕掛けだったな」

「どうしてそれを」

「見てきたんだ。お前から光が出ていないのもな」


 そう言うと、安心したのか、長い息を吐いていた。


「だったら僕が盗んでいないってわかるだろ」

「ひとつ確かめさせてくれ。それを点けてくれないか?」


 クラウスに魔導灯を投げ渡す。何の意味があるんだ、とアデリナの布が巻かれたままの左手に持ち替えようとしていた。


「そっちじゃない。右手でだ」


 静寂が教会内を満たす。クラウスから漏れ出る緊張感が空気を伝い、ピリピリしたものを肌で感じた。


 やがてクラウスは絞り出すように言う。


「何が言いたいのさ」

「昨日の夜、溶けたチーズが右手にかかっただろ? 食っただけでもあんなに熱かったのに平然としていたのが気になっていたんだ。初めは強がっているだけかと思ったが違う。義手だからだ」


 クラウスは滑らかに指を動かして魔導灯を回す。


「義手でこんな芸当はできないよね」

「リュノール製なら不可能だが、デルドルフ製ならたやすい。それでも生身だと言うなら証明してみせろ。指先から魔力を流し込むだけでいい」


 光らせる事ができれば生身。出来なければ義手。盗んだ魔導制御板や義足が光らなかったのは、作り物の手からは魔力が流せず、検知用の魔道具が動かなかっただけだ。


 黙っているクラウスに踏み出す。


「教えろ。右腕をどうした? 工作員に命令されて義手にしたのか? どうして自治領おれたちを頼らなかった? 友の悲鳴を無視するほど俺たちは弱くねえぞ!」


 一度漏れた思いは止まらず、怒鳴り声として吐き出される。怒りに震える俺と対照的にクラウスは静かに俺を見た。


「この事を知っているのはケヴィンだけかい?」

「そうだ。諜報部に捕らえられる前にお前の心が知りたかった。なあ、脅されているのか? それなら――」


 最後まで言いきれなかったのはクラウスが滑らかに歩きだしたからだ。


 クラウスは杖を手放して軽やかに走りだす。杖が倒れて軽い音を立てた時には俺の目の前に来ていた。


 人間離れした脚力で床板を蹴り、勢いをそのままに鋭い蹴りが襲いくる。それは旧市街で想像した犯人像と同じ動きだった。


 半身でかわし、反撃せずに距離を取る。俺の身代わりになった長椅子が粉砕さてれ破片が飛び散った。体に当たる木片を無視して怒鳴る。


「なぜだ!」

「わかるだろう。僕はデルドルフ人だ。村や家族を焼いて、足まで奪ったリュノール人を許すつもりはないよ。僕は戦える右腕と両脚をくれたデルドルフのために生きる」

「お前を救ったのはリュノールの自治領だ。それでもか?」


 クラウスは長椅子に脚をかけて楽々と乗り越える。


「そもそも村が襲われた原因はリュノールの魔導ライフルだろ。あれが作られなければ戦火が拡大する事はなかった」

「無理やりこじつけているだけじゃねえか」


 クラウスは長椅子から長椅子へ渡り歩き、俺を見降ろした。


「ケヴィンだってそうだろう? 剣を手放した理由をライフルのせいにしている。あれがなければ剣聖と呼ばれていたかもしれないのに」

「そうかもな」


 ぶっきらぼうに言い放つ俺に手が差し伸べられる。


「今からでも遅くない。デルドルフは卑劣な飛び道具を嫌う。僕と一緒にリュノールごと魔導ライフルを消してしまおう。そうすれば――」

「再び剣を握るとでも? 魔導ライフルがあれば誰でも身を守れる。俺が剣を振る必要はない。だから、お前の手は取れない」


 クラウスの目に力が宿る。直後、大きく飛び上がった。


「僕を止める力もないくせに!」


 クラウスは床に限らず、長椅子、壁を蹴って飛び、俺の死角をついて蹴りをいれてくる。そのたびに長椅子が砕かれ、床板を割った。


 巧みに脚を操る様を見ると、今の姿が正しくて俺が間違っている気がしてくる。それほどまでにクラウスは自由に跳び、舞っていた。


 そのためらいが俺を鈍らせる。


 銃弾のような右拳をかわしきれずに受け流した。そらしただけなのに、それをした手のひらが鈍く痛み、重く感じる。


「くっ! 馬鹿力め。勢い任せに振り回しやがって。少しは技を使え」

「逃げてばかりでよく言うよ」


 デルドルフの強化兵が脅威とされる意味を実感する。これでは子供と大人のケンカだ。普通にやっても勝てない。


 やすやすと命が刈り取れる蹴りを避けて転がり、近くにあった長椅子の残骸を拾った。ちょうど長剣と同じ大きさの角材。軽く振って構える。少し軽いが、ないよりマシだ。


 棒きれを構える俺をクラウスが笑った。


「剣を捨てたくせにそんなものを持つのかい?」

「ああ。残念ながら魂を乗せた折檻せっかんはゲンコツより剣のほうがしっくりくる。こんな棒きれで悪いがかかってこい」


 それから二度、三度と振るわれる手足をさばく。こんな棒でも持っているだけで体のキレが良くなった。剣を持っている前提の体さばきが身についていると実感する。


 右拳の下に潜り込み、体をぶち当てた。重心を失いヨロヨロと下がるクラウスに棒を突きつける。


「どうした? 真面目にやれ。むやみに手足を振り回すな。腹に力を入れて全身を連動させろ。お前の全てを乗せて打ってこい」


 天窓から差し込む日は落ちかかっているようで真っ赤だった。その光の下で俺は覚悟を決める。そしてクラウスは影の中で怒りに身を震わせた。


「僕をなめてるのか!」

「まさか。お前の全身全霊を受け止めてこその折檻だ。来いよ。目を覚ませてやる」


 その言葉は挑発じゃない。悪い夢を終わらせる決意だ。


 クラウスはスッと目を細め、姿勢を低くした。そこから一直線に体ごと飛び込んでくる右拳は今まで以上に速い。魂を乗せた一撃だ。


 予想通りの攻撃に角材を投げつける。何の足止めにもならずに跳ね飛ばされたが、クラウスにとっては想定外だったようで目を閉じかけていた。それでも勢いは止まらない。


 気を削がれた拳は怖くない。かいくぐってクラウスの体を抱き抱えた。再会で交わした抱擁とは違う。泣きわめく子を抱える母のようなものかもしれない。ただ、俺がついてると言ってやりたかった。


 しかし人の力で勢いを殺しきるわけがなく、俺たちはもつれながら教会の扉を破壊する。夕日で赤く染まる石畳で跳ね、転がり、体中を打ちつけながら倒れた。


 体の痛みを無視して立ち上がったがクラウスは倒れたまま動かない。近づいて傍らに膝をついた。その目には、もう力がない。


「おい。生きてるか?」

「……死にそうだ」


 俺の体は痛みで動くのを拒否していたが、無視して立ち上がる。そしてクラウスを見下ろした。


「無理するな。そんな細い体で耐えられるはずがない。衛兵が来るまで大人しくしていろ」


 クラウスはせき込みながらも、かすれた声で言った。


「まさかケヴィンに止められるとは思わなかった」

「不服か?」

「いや、ケヴィンで良かった。結局、何も成せなかったのが残念だけど」

「今回はやり方が悪かったからな。次は胸を張れる方法にしろ」


 そう言いながら商会で聞いたジャンの言葉を思い出す。


「ある男が言っていた。両国民が同じテーブルについてお互いの国の料理を食う。そんな未来を夢見ていると。お前と同じだと思わないか? お前は復讐ふくしゅうしたいんじゃない。自分と同じ思いをするやつが生まれない世界を望んで行動したんだ」


 俺はそうであってほしいという希望を押し付ける。クラウスは報復に身を焦がすやつじゃない。そう思いたかった。


「頼む。そう言ってくれ」

「こんな僕に、まだ手を差し伸べるのか? 国を見限り、生身の腕を捨て、デルドルフの犬になったんだぞ。もうケヴィンの手を取ることはできない」

「そんな事はない。まだ一本残っているだろう。その左腕には熱い血が流れているはずだ。だから手を取れ」


 膝をつき、手を差し出す。クラウスの左手はためらいがちに持ち上がったが、俺の手をつかむ前に止まった。


「やり直せると思うかい?」

「秘密漏示に殺人だからな。罪は重いが俺が支えてやる」


 クラウスは弱々しく笑う。しかし、その顔は晴ればれとしていた。


「ケヴィン、ごめん。これからも迷惑かけると思う」

「いいさ」

「それと……アーダに謝っておいてくれないか? 約束を守れなくてごめん、と。もっと早くに出会えていれば僕は違うやり方を選んでいたかもしれないな」

「ああ」


 クラウスは赤い布が巻かれた手で俺の手を取ろうとする。時間はかかるだろうが、きっと元通りになるはずだ。


「約束してくれよ。必ず伝えるって」

「任せて――」


 最後まで言う間もなく、魔導ライフル独特の発射音が響いた。クラウスの左手が弾け、アデリナに巻かれた布が舞う。まるで花びらが散っているように見えた。


 周囲を見回すと、多層住居の屋根にフードを被った人影があった。その者は血のように赤い空を背負い、膝をついてライフルを構えている。


 続けざまに発射音が三つ。


 同時にクラウスの体が跳ね、鮮血が散る。


 胸と腹に開いた穴を両手で塞ぐが、命がこぼれる穴が大きすぎた。


「……ケヴィン……」

「しゃべるな! 黙ってろ!」


 手首から先を失ったクラウスの手が伸びる。なぜかひげをなでられた気がした。


「デルドルフ人は髭を誇り、リュノール人は髭を疎む。……髭のないデルドルフ人ぼくと……髭を生やしたリュノール人ケヴィン。どこが……違うんだろうな」


 その声は消え入るように細くて聞き取るのがやっとだった。


 力が抜けきったクラウスをそのままにして暗殺者をにらみ上げる。ただで済ますつもりはない。しかし、やつは高く跳び上がり赤く染まる王都に消えていった。


 とても強化兵に追いつけるとは思えず、みすみす見逃すしかできなかった。

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