第6話 彼女が見せたもうひとつの顔

「ここにしましょう」


 アデリナが行きたい店があると言ったのは『剣聖の厨房ちゅうぼう』だった。いつもなら歓迎だが今はまずい。クラウスが来るかもしれないからだ。


 魔導制御板を盗んで衛兵を殺した疑いのあるクラウスと、諜報ちょうほう部のアデリナを会わせたくない。ロランの話からアデリナはクラウスの情報を持っていないのとわかったが、彼女が諜報部の人間だと知られるのは駄目だ。


 同時にその思惑が矛盾を抱えていると気付く。クラウスを疑っていると言っているようなものだったからだ。


 違う。俺はクラウスを信じている。そう自分に言い聞かせた。だから二人が鉢合わせしても問題ない。


 努めて何事もないように問いかけた。


「よく来るのか?」

「いいえ。オヴェラ部長から聞いていたので一度来てみたいと思っていました」

「あいつを連れてきたのは俺だからな。あと入る前に言っておく。ここは知り合いが多い。だから堅苦しい話し方はなしだ。街娘のように振る舞ってくれ。いいな?」


 わざとらしすぎる予防線の張り方に苦笑したくなりつつも、アデリナがうなずくのを待ってから店の中に足を進める。


 こういった店が初めてなのかアデリナは物珍しそうに店内を見回していた。


 王城の魔導照明とは違ってロウソクの火は弱く柔らかい。カウンターの奥から厨房が丸見えで、薪の炎が釜戸から立ち上がっていた。


「ここでは魔導が使われてませんね」


 アデリナのつぶやきはか細くて笑い声で上書きされる。今日の客も行儀が良いとは言い難く、活気にあふれていた。


「ああ。俺からしてみれば王城が異常だ。いつもはどこで飯を食っているんだ?」

「私は王城の居住区画に住んでいるので、そこの食堂を利用しています」


 王城での仕事が終わるまでは俺もそこで食っていたが、あまり好きじゃない。なんというか、生きるために食べる所、ただそれだけの場所だと感じていた。


「それなら、ここのを食えば驚くぞ。特に燻製くんせいがうまい。適当に頼むがいいか?」


 アデリナは何か言いかけて口を閉ざした。その視線を追うとつえを突いたクラウスがいて、俺の肩に手を置いた。


「ホットブランデーも追加で」

「来たのか」


 引きつりそうな俺の顔とは対照的に友が笑いかけてくる。


「それは僕が言いたいね。衛兵に連れていかれて、それっきりになるかと思った。それより紹介してくれよ。すごくきれいな人じゃないか」

「友人だ。飲みたいと言うから連れてきた」


 クラウスは屈託のない笑顔をアデリナに向けた。


「クラウス・アンデルセン。ケヴィンの友達なら僕にとっても友達だよ。よろしく」


 アデリナは差し出しかけた右手を引っ込めて左手を出す。クラウスの右手に杖があるからだろう。その表情は驚くほど柔らかい。


「アーダよ。王城で下働きをしているの。よろしく、アンデルセン」

「さあ、座って乾杯しようじゃないか。アーダ、知っているかい? ここの燻製は絶品なんだ」

「ふふっ、ケヴィンと同じ事を言うのね」

「いやいや、この店を教えたのは僕だよ」


 アデリナはクラウスの腕を取って支えになると、並んで席についた。話しかけられるたびに目を細めている姿はとても自然に見える。とりあえず悪い出会いにならなくてほっとした。


 それにしても街娘のように振る舞えとは言ったが、アデリナの物腰は驚くほど柔らかい。クラウスと話す姿は楽し気で、こっちが本来の姿なんじゃないかと思えるほどだった。


 昔からの友人のような二人をながめて突っ立っていると、クラウスが振り向く。


「ケヴィン。こっちに来て座れよ。丈夫な足を持っているから簡単だろう?」


 鼻の下を伸ばしているクラウスはとても明るく、魔導制御板を盗んで衛兵を殺した実行犯とは思えない。きっと悪い偶然が重なって疑いが掛かっているだけだ。そうに違いない。この事は忘れようと頭を振る。


「ああ。お前こそ良い義足に変えたらどうだ? そうすれば支えてもらわなくてもいい」

「わかっていないな。この脚だからこそアーダが手を貸してくれるんだろ」

「もういい。好きにしてくれ」


 ため息交じりに丸椅子に座ると、給仕が俺たちの酒を持ってきた。クラウスは満面の笑みでグラスを掲げる。


「僕たちの出会いに」


 アデリナがエールのジョッキを合わせた。


「私たちの出会いに」

「おい。俺を忘れてないか?」


 俺はジョッキを手元に引き寄せながら文句を言うとアデリナがからかうような目をする。


「仲間に入れてほしいならそう言えばいいのに」


 どう返していいかわからずに顎髭あごひげをいじると、二人とも声を上げて笑いだす。


 結局、俺は楽しむ二人をながめているしかなった。クラウスはデレデレしっぱなしだし、アデリナもジョッキを傾けて頬を赤く染めていた。


 料理が並び、食べて、飲んで、空になった皿を積み上げる。二人が何度目かわからない乾杯をし、俺は余っていた燻製肉にフォークを刺した。それに溶けたチーズをたっぷりつけてから口に放り込む。チーズの皿の下にある炭火が強すぎて口の中に溶けた鉄を流し込まれたようだ。エールで冷やそうとジョッキに手を伸ばすが、いつの間にか空になっていて、もだえるしかできない。


 熱さに身をのけ反らせる俺をクラウスが笑う。


「30歳を超えたというのにケヴィンは子供みたいだね。そんなので領主代理の仕事が務まるのかい?」


 熱さで赤くなっていた顔が青ざめそうだった。


 仕事の話題はまずい。クラウスの仕事に派生すればアデリナは事件との関与に思い至るだろう。工場で働いていると知れば疑いの目を向けかねない。クラウスに疑いの目を向けさせないためにも話をそらす必要があった。


 熱いチーズを飲み込みながら頭を働かせる。


「担当の財務官には苦労をかけているが剣を振るより簡単だ」


 テーブルの上にあるナイフを空中に放り投げる。それはロウソクの灯りを反射しながらくるくると回り、落ちてきた刃先を指二本で挟んだ。


 剣技でも何でもない曲芸だが、アデリナの注意をそらす事はできたようだ。


「剣を使えるの? アンデルセンはケヴィンの腕前を知ってる?」

「かなりのものだよ」

「昔の話だ。剣で生きる道を諦めた俺より、お前の方が凄い。そんな脚なのに王都まで出てきて誰にも頼らずに生きている」

「僕は脚の代わりに手が器用だからね。でも自治領では繊細な作業がない。だったら王都まで来るのが自然だろう?」


 だからといって王都までの旅は義足のクラウスにとって容易ではない。不遇に負けず、自分にできる事を考え、挑戦できる心は強い。


 その強さが見えたのかアデリナの顔が真面目になる。


「どうしてそんなに強くいられるの? 決して楽な生き方じゃないのに」


 純粋な疑問を素直に口に出してしまったのだろう。本人も驚いたようで、慌てて両手を振る。


「ごめんなさい。忘れて」

「いいさ。僕は自分が強いとは思っていないけど、ぶれずにいられた理由か」


 クラウスは少し考えてから白い歯を見せて、俺を指差した。


「ケヴィンのせいだな」

「なんで俺なんだ?」

「こいつさ、不器用なんだよ。小さい頃から剣の鍛錬をしてたけど、一番下手だったんじゃないかな。それでも頑張って、努力して、強くなった。そんなのを間近で見ていたから僕もって思わせられたんだ」


 アデリナは俺に向き直った。


「どうして頑張れたの?」

「頑張った覚えはねえよ」


 答えるのを誤魔化してジョッキに手を伸ばすが、空だった事を思い出した。


 困っている俺の代わりにクラウスが答える。


「アーダ。その理由は僕が知ってる」

「なんなの? アンデルセン、教えてよ」

「ケヴィンは頑固なんだ。こうと決めたら諦めない。たったそれだけの事さ」


 アデリナは言葉を失い、目を丸くしながら俺を見て、笑った。テーブルをバンバンたたきながら。そのままずっと笑っていそうだったので、笑いすぎだと文句を言った。


「ごめんなさい。でも、そういうの好きよ。アンデルセンはいい友達を持ったわね」


 笑いすぎて腹を抱えるアデリナにクラウスは静かに言った。


「ああ。自慢の友達さ」


 それからも俺たちは飲んで食い、時には故郷の歌った。その頃の店は酔っ払いだらけで、隣のテーブルの男がよろめいてアデリナにぶつかった。グラスがテーブルから転げおち、皿から料理が飛び出す。


 倒れそうになるアデリナをクラウスが受け止めたが、右手に溶けたチーズがかかり、身をよじって椅子から落ちた。運が悪い事にグラスの上に左手を突いてしまったらしく、真っ赤な血が流れる。


「大丈夫! アンデルセン!」

「痛たた。でも、こんなのかすり傷さ。放っておいても平気だよ」


 そこまで深い傷ではなかったらしく、クラウスは笑みを絶やさないがアデリナは必死だった。


「駄目! せめて止血だけさせて」


 アデリナは髪をまとめていた赤い布を使い、傷口をきつく縛る。その間、クラウスの視線は流れる金の髪に釘付けだった。程なくして手当を終えたアデリナが顔を上げる。


「ごめんなさい。私をかばったせいで怪我をさせてしまって」

「こちらこそ、ごめん。きれいな布なのに」

「そんなのはいいの。それより仕事に影響はない?」


 クラウスはゆっくり手を動かし、うなずいた。


「うん。手当してくれてありがとう。良かったら今度お礼をさせてくれないか? できればケヴィン抜きで」

「そんなの悪いわ」

「僕がお礼をしたいと思ったんだ。駄目かな?」

「いいわ。でも、その約束は次に会った時にしましょう。もう少し、アンデルセンの事を知りたいもの」


 見つめ合っている二人の時間が止まってしまったようだったので、テーブルをノックした。


「盛り上がっているところ悪いが、そろそろお開きにするぞ。俺はクラウスを送って行くが、ひとりで帰れるよな?」

「大丈夫。アンデルセン、またね」


 クラウスは杖を頼りに立ち上がり、手を振った。


「おやすみ、アーダ。今度はクラウスと呼んでくれるとうれしいな」

「考えておくわ。おやすみなさい。ケヴィンも気を付けて」

「ああ。明日もよろしく頼む」


 手を振り、帰って行くアデリナを見送り、クラウスに肩を貸して歩き出す。しかし、こうもふらふらされると背負った方が速そうだった。そうしようとしたが頑なに自分で歩こうとするので肩を貸してのんびり歩く。


「ケヴィン。アーダは素敵な人だね」

「そうだな」


 正直よくわからない。捜査中に見せる顔と、さっきの顔。どちらが本当のアデリナかわからなくなった。


「アーダは、きれいで、優しくて、話していて楽しい。こんなのは初めてだ」

「お前、さっき会ったばかりだぞ。女にだまされる未来が目に浮かぶ」


 俺は笑って友の細い体を抱え直す。


「僕は本気だ。だから取るなよ」


 引きずられるようにして歩くクラウスも笑い、俺の髭を引っ張った。


「わかった。わかったから手を放せ。痛い」


 応援していいか判断できなかったが、こいつには幸せをつかんでもらいたいと思った。

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