第3話 事件現場に舞う犯人の影
一夜が明けた王城には大勢の人間が流れ込んできていた。彼らはエントランスを通り抜け、それぞれの部署に散っていく。
秩序ある人の流れを横切るアデリナは、赤い布でまとめられた金の髪を跳ねさせながら俺の元に来た。その姿は昨日の士官服ではない。地味な色合いのスカートとベストのせいか柔らかい人柄を想像させる。しかし発せられる言葉は軍人特有の冷たいものだった。
「お待たせしました」
「驚いたな。街娘にしか見えない」
「軍人に見えないように偽装しました。ケヴィンは……軍人には見えませんね。しかし、もう少しまともな服はないのですか?」
「王都まで長旅なんだ。野宿だってする。上等な服なんか持ってくるはずがないだろう」
革ブーツに革ズボンは旅装束のままだが、シャツはマシなのを着ているつもりだ。首元を閉じる
「それにしても、これで表情が柔らかければ次から次へと男が寄ってくるぞ」
からかったはずだがアデリナの方が一枚上手だった。口元を押さえて上目遣いで見つめられる。
「それは……困ります」
かよわい女性を演じているとわかっていても、
「俺をたぶらかしてどうする。それは必要な時にとっておけ」
「はい。それと報告があります。工場査察の手続きを依頼しました。昼には用意できるそうです」
「わかった。その前に事件現場を見ておきたい」
すました表情に戻ったアデリナは、年季の入った革の鞄から調書を取り出し、目を走らせる。
「旧市街ですね。案内しますか?」
「頼む。ざっくりでいいから事のあらましが知りたい。歩きながら教えてくれ」
「わかりました」
エントランスをあとにし、開け放たれた巨大な城門を通り抜ける。
「昨夜、巡回中の衛兵三名が覆面をした犯人に声をかけたところ逃走。衛兵の一名は応援を呼びに行き、残る二名で追跡を行いました」
「夜中に覆面とか怪しんでくださいって言っているようなものだろ。とても工作員とは思えん」
「はい。ですので工作員が使役している王都民ではないかと、オヴォラ部長は考えています」
人の波に逆らって、朝日を浴びる街に踏み出す。その光は魔導のものと違って暖かかった。
「なるほどな。それで追いかけたあとは?」
「犯人は路地に逃げ込み、袋小路に追い込まれて衛兵のひとりを倒しました。その後、応援の衛兵が現れた事で逃走。その際に魔導制御板を落としました」
「素人くさいな」
聞いた話からは計画性の欠片もない。逃げ込んだ先が袋小路なんて下調べをしていない証拠だ。ロランの言うように使いっぱしりだろう。
朝市でにぎわう通りを抜けて旧市街に向かうと次第に人通りが減り、道の両側に並ぶ建物が古くなってきた。壁に打ちつけられた鉄板は
「ずいぶん寂れているな」
調書から顔を上げたアデリナは当たりを見回し、狭い路地を指差した。
「貧困層が身を寄せあっている場所ですから。……そこを入ったところですね」
太陽が差し込まない路地は湿った匂いで満たされていた。建物は折り重なるように増設され、廃棄された建材やゴミ、くぼみにたまった汚れた水が俺たちを迎える。付近に人の姿は見えないが、見られている感覚だけあった。
余所者を警戒する気持ちは野生生物のそれと同じだろう。草原に生息する耳垂れウサギのように息を潜めて縄張りに入ってきた者の行動を探る。要するに臆病なだけだ。こちらから手を出さなければ問題は起きない。
そのまま進むと倒壊する家屋のせいで袋小路になった。背後にいるアデリナが、ここが現場だと教えてくれる。
道を塞ぐ
「犯人はどうやって衛兵を倒したんだ?」
「壁から壁に跳び渡りながら衛兵との距離をつめたそうです」
何でそんな曲芸紛いを? ああ、魔導ライフルの狙いを定めさせないためか。ジグザグに動く相手には当てづらい。
「それで、どっちの壁だ?」
「ケヴィンから見て左の壁です。……何をしているのですか?」
「見ればわかるだろ。壁に跡がないか探しているんだ。……あった。ずいぶん跳んだな」
民家を支える柱には足形が残っていた。その高さは俺の頭と変わらない。
「調書によると、そこの壁を蹴る前に一人目の衛兵が撃ち、外しました」
「いきなり動かれたら当たらんだろうな」
反対の壁を見ると同じぐらいの高さに足形があった。アデリナが口を開く。
「その壁で再跳躍。二人目の衛兵が撃ちましたが命中していません。犯人は着地後、一直線に走り、次弾装填中の衛兵を蹴り飛ばしました」
「衛兵がいた位置はわかるか?」
アデリナは調書と周囲を見比べて三歩下がった。
「この辺りですね」
その位置から背後にある民家までだいたい十歩。蹴られた衛兵はそれだけの距離を飛ばされて民家に突っ込んだ。アデリナの脇を通り過ぎ、壁に開いた大きな穴から中をのぞき込むと破片が散らばったままで衝撃の強さがうかがえた。
犯人は人間離れしているにもほどがある。そもそも壁から壁に跳び移る時点で俺には無理だ。
アデリナのところに戻ると、よどみない口調で説明が続く。
「生き残った衛兵は装填が間に合わないと判断し、魔導ライフルを棄てて短剣を使いました。腰に命中しましたが盗んだ魔導制御板に当たり、手傷を負わせられなかったようです」
「ツキを持った犯人とは質が悪い」
「犯人は増援を知ったため衛兵を飛び越えて逃走。その際、そこの空箱に着地して破壊しました」
「なぜ増援がわかった? 視界をさえぎる物が多い場所なのに」
木箱の残骸まで歩く。人を飛び越えるのも人間離れしている。
調書に目を落としていたアデリナが答えをみつけたらしく、俺の疑問を解消してくれた。
「魔導灯の光が迫っていたそうです」
「衛兵が持っている魔導具か。それは目立つだろうな」
室内に備え付けられている魔導照明と異なり、照らせる範囲は狭いが遠くまで光が届く。王都の衛兵が腰に下げているのを思い出した。
「触れて魔力を流すだけで光が作れるのは便利だよな。俺も欲しいぐらいだ」
辺りをざっと見回す。これでひと通り確認できた。しかし犯人像はつかめない。臆病なのか、大胆なのか。さっぱりだ。常軌を逸した動きをする犯人に翻弄されているような気持ちを転がっている木箱の木片にぶつけ、蹴とばした。
「何かあるな」
木片に隠れていたのか、鍵を見つけて拾い上げる。握り部分に
アデリナが俺の手の中にある鍵をのぞき込む。
「なんの鍵でしょうか?」
「知らん。犯人が落とした物かもな」
「調べておきます」
伸ばしてきた白くて細い指をさえぎり、ベルトに鍵をねじ込んだ。
「そのぐらい自分でやるさ」
「わかりました。調書でわかるのはここまでですね。戻りますか?」
「少し待ってくれ」
蹴り飛ばされた衛兵が立っていた位置に戻る。犯人が立っていたのは袋小路の隅。頭の中で犯人像を作った。
深夜の闇の中、覆面の奥に隠された目を想像する。逃げ場を失った犯人は衛兵を倒す覚悟を決めた。体を低くして走る。自身を狙う銃口から逃れるため、壁に向かって跳ぶ。発射音がとどろき、壁を蹴って宙を舞う。もうひとつの銃撃を再度跳躍することで狙いを定めさせない。
犯人が着地して汚水が跳ねた。
衛兵は二人。どちらの魔導ライフルも発射したばかりで次が撃てない事を犯人は知っているはずだ。だから一直線に迫ってくる。想定する動きは速い。
脳裏に描く映像どおりに俺は動く。犯人と交差し、その背中に回し蹴りを入れる! ブン、と風を切ったが犯人の背中に届かない。不安定な状態から放った蹴りは思った以上に遅かった。
大振りの攻撃は駄目だ。体勢を立て直すより早く追撃される。脚力のある犯人なら蹴り上げてくるだろう。そして俺はまともに食らうわけだ。
敗北感に打ちのめされていると、アデリナが冷たい目で腕を組んでいた。
「遊んでいるのですか?」
「いや、事務仕事続きで体がなまっていてな。少し動きたかっただけだ。それより、この事件の犯人をどう見る?」
「調書から読み取れる限りでは、人間の仕業とはおもえません。デルドルフの強化兵なら可能でしょうが」
魔導によって身体を強化する
確かにあれなら強い力が出せる。衛兵を難なく蹴り飛ばせるはずだ。
しかし……。
「魔導鎧なんて着てたら目立つ。それに力は強いが重い。こんなガタついた壁を蹴れば穴が空くぞ」
「魔導鎧ならそうです。しかし、新型のならば可能かと」
「そんなものがあるのか」
アデリナは口に出すのも恐ろしいらしく、自身を抱きしめて小声になる。
「新型は鎧を必要とせず、普通の人と区別が困難と聞きました」
「どういう事だ?」
「詳しくはわかりません。破壊した強化兵を調べた結果は秘匿されています。ただ、義手、義足のようなものだと」
義足と聞いてクラウスの顔が脳裏をよぎった。嫌な想像を振り払い、思いは声となって漏れ出る。
「あいつが犯人? ありえん」
「何か言いましたか?」
この場所から離れようとする俺の背中にアデリナの問いが投げかけられるが、
「何も言ってねえよ」
旧市街から人通りの多い表の街並みに戻り、空をあおぐ。晴ればれとした青空だったが俺の心には暗雲が立ち込めているようだった。
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