第2話 諜報部長は国を愁う

 衛兵に連れていかれたのは王城だった。ここに勤めている者にとっては日が落ちていようが日中と変わらない。魔導の照明によって夜でも明るく照らされたエントランス。そこには多くの文官や武官が行き来していた。ここが不夜城と呼ばれる所以は光あふれる城ではなく、職務に勤しむ人間を指しているのかもしれない。


 それにしても領主代理としての仕事から解放されたはずなのに、またここだ。うんざりしながら三階まで貫かれた吹き抜けを見上げる。天井に描かれた天使がほほ笑んでいたが、諦めろと言っているように感じた。


 足を止めたせいで衛兵に背中を押される。その様子を見ていたのか鋭い声が飛んできた。


「衛兵! 丁重にお連れしろと依頼したはずです! 何ですか、その扱いは!」


 視線を落とすとエントランス中央にある噴水前にいた女性士官が大股で歩み寄ってきた。怒鳴られた三人の衛兵は慌てて敬礼し、釈明を始める。


「我々が受けた命令はケヴィン・ラバールの連行です。それ以外の指示は受けておりません」


 その言葉は火に油を注いだようなものだったが、女性士官は怒りを爆発させる事はなく、逆に冷え切ったように見える。この女は怒らせると怖い手合いだ。


「この件は保安部に抗議します。下がりなさい」

「了解しました」


 言葉とは裏腹に納得していない衛兵は敬礼を解き、きびすを返した。


 それと同時に女性士官は敬礼する。お手本にしたくなるほどの完璧な敬礼だった。美しいと言い換えてもいい。きれいなのは顔立ちもか。少々きつめだが。


「申し訳ありません。手違いで不快な思いをさせてしまいました」

「済んだ事はいい。それより堅苦しいのは止めてくれ」


 敬礼する右手は下ろされたが、口調は変わらない。


「申し遅れました。ロラン・オヴォラ諜報ちょうほう部長付き秘書官、アデリナ・ヴェンデルです」

「あいつの差し金か。話があるんだろ。さっさと連れて行ってくれ」

「わかりました。こちらへどうぞ」


 無駄に広いエントランスから無数に伸びる通路のひとつに入り、奥へ奥へ進んでいく。通路は書類を抱えた文官が行き来していたが、いつしか軍服の武官が目立つようになった。


 先を進むアデリナが簡素な扉を前にして足を止める。白くて細い指が扉脇に貼られた金属板に触れると、カチリ、と鍵が解除される音がした。扉を開く彼女に続く。


 決して広いとは言えない室内はデスクと書棚しかない。デスクごと紫煙をまとい、書類をにらんでいた士官が顔を上げる。この男、ロランとは何かと縁があった。


 アデリナがかかとを鳴らして敬礼する。


「お連れしました」

「ご苦労。君にも話がある。待機してくれ」

「はい」


 ロランの鋭い目が動いて俺に向けられる。節だけが太い指が煙草を挟み、扉を指した。


「話の前に鍵を頼む。プレートに魔力を流すだけでいい」


 言われるまま扉脇に貼られた銀色の板に触れて魔力を流すと、扉からカチリと聞こえた。


「誰でも開け閉めできたら鍵の意味がないだろ」

「閉めるのは誰でもいいが、開けるのは駄目だ。登録された魔力紋を持つ者でしか解錠できない」

「魔力紋。人によって魔力は波長が違う固有のもの、であっているか?」

「その通りだ。半年ぶりだな、ケヴィン。元気そうでなによりだ」


 立ち上がったロランの手をデスク越しに握る。


「また俺に働かせる気なんだろが、俺は諜報部に籍を置いたつもりはないぞ」

「そう言わずに聞け。うちに在籍していないケヴィンの協力が必要だ」

「話は聞くが受けるかは内容次第だ」

「それで構わない。ヴェンデル秘書官、説明を頼む」


 アデリナは書類束がぎっしり詰め込まれている書棚から迷うことなく束を抜き取り、その一枚をデスクに置いた。


 その紙には王都の一部であろう地図にいくつかの印と、無数の走り書きがある。ひときわ目を引いたのは赤いインクのバツ印だ。彼女の指が印に置かれる。


「昨夜、旧市街の路地で巡回中の衛兵が殺害される事件が発生しました。犯人は魔導制御板を落として逃走。いまだ王都に潜伏していると思われます」

「襲われたって、衛兵が狙われていたのか?」

「いえ、不審尋問を受けた犯人は逃走。追跡しましたが逃げ場をなくし、凶行に及びました」

「それだけ聞くと保安部の仕事だ。諜報部の仕事じゃない」


 突き放すように言うと、ロランの指は煙草を灰皿に突っ込み、印のひとつをトンと突いた。その印の隣には『魔導制御板』と記述されており、そこから延ばされた線の先には『試作型魔導ライフル?』と書かれていた。


「試作型なんて聞いた事がないぞ。あと何で疑問符がついている? 推測なのか?」


 質問を畳み掛けると、ペンを持ったアデリナが身を乗りだし疑問符を二重線で消した。


「つい先ほど試作型で使用する魔導制御板で間違いないと報告がありました。これがその制御板です」


 アデリナは地図の上に銀色の板を置いた。それは手のひらより少し小さく、表面に得体のしれない文字がびっしり刻まれていた。


 魔導具はこれがなければ機能しない。魔導制御板に触れて魔力を流す事で魔道具は機能し、刻まれた術式によって効果は異なる。


 俺はそれをつまみ上げて光にかざした。よく見るまでもなく中央に大きな傷があり折れ曲がっている。そこが光を反射すると淡い青色に見えた。


「この傷は?」


 アデリナの指が地図の走り書きを追う。


「生き残りの衛兵が短剣で斬りつけた時の傷ですね。そのせいで制御板を落としたらしいです」

「だいたいわかった。それで諜報部が動く理由は?」


 ロランは俺の手にある制御板を指差す。


「それだ。試作型魔導ライフルの有用性は従来型と比較にならない。デルドルフてきからしてみれば喉から手が出るほど情報が欲しいはずだ」

「つまり、工作員の仕業だと?」

「そう考えている。下手をすればリュノールが滅ぶかもしれない」


 眉間にしわを寄せてデスクをコツコツたたく姿で事態の深刻さを感じた。こいつは誇張などしない。本当に滅亡する可能性を見ているのだろう。事件に対する強い決意がわかるとともに、新たな疑問が浮かび上がる。


「それほど危機を感じているのに部外者の俺を使う理由はなんだ?」


 ロランは煙草をくわえ、魔導具で火を点ける。深く吸い込み、吐き出しながら言った。


「ヴェンデル秘書官、あれを」

「はい」


 地図の上に新たな書類が置かれる。これ一枚でいくらするかわからないほど上質な紙だ。


 そこに書かれていたのは、兵器工場の製造に差し支える捜査を控えろ、というものだった。通達書の発行者はサンテール兵站へいたん部長。


「ずいぶんと偉いやつからくぎを刺されたな。それで、こいつがどう関わってくるんだ?」

「試作型魔導ライフルの組み立てを行っている工場の責任者がニコラ・サンテール兵站部長。モンターニュ派の要だ」


 モンターニュ卿といえば有名な武闘派だ。開発中の魔導技術が流出したと知られたら、穏健派につけこまれるのは間違いない。つまり武闘派からしてみれば盗まれた事実よりも自分たちの管理不足が明るみになる方が問題なのだろう。


「なるほど。捜査を進めるには兵器工場を外すわけにいかず、そこに手が出せない諜報部は身動き取れないわけだ。だから俺を呼びつけたのか」

「そうだ。軍に籍がなく、ラバール自治領領主代理のケヴィンには横やりが入りづらい」

「国を動かしている連中が煙たがっているのは俺じゃない。現領主ヴィクトリーヌだ」

「それでも虎の尾を踏むのには勇気も覚悟も必要になる。それとヴェンデル秘書官」


 ロランは部下に命令する。それに彼女は敬礼をもって応えた。


「一時的に私の補佐から外す。ケヴィンの補助を頼みたい」

「了解しました。現時刻をもってケヴィン・ラバール領主代理の捜査補助を務めます」


 まだ俺はやるとは言っていない。それなのに進んでいく話を止めるべく、デスクに手を突いた。魔導制御板がわずかに浮いて軽い音を出す。


「おい。お前はそれでいいのか? 突然現れた俺の下につけと言われて納得できるのかよ」

「問題ありません」

「ほら見ろ。だいたい、やり方が強引……何だって?」


 予想と違う答えに面食らい、顎髭あごひげに手が伸びた。


「ラバール領主代理の理解力の高さは今までの話でわかりました。言動に品がありませんが捜査に影響はないと判断します」

「犯人をみすみす逃すかもしれないぞ」

「その前に見限ります。オヴェラ部長、それでよろしいですか?」


 アデリナに問われたロランは笑みが残る口を拳で隠した。こいつ、楽しんでやがる。


「ヴェンデル秘書官に一任する。どうするケヴィン?」


 二人の視線が俺に集まっているが、どう答えるのかわかっているように見えた。そしてあおられてやる気になっている自分にも驚く。


「わかった。やってやる。引き受けてやるさ。リュノールが滅ぶと自治領うちも困るしな」


 俺に敬礼しようとするアデリナの前に手を差し出した。


「敬礼は止めてくれ。俺は軍属じゃない」


 アデリナは上げかけた右腕を下ろして俺の手を握る。


「よろしくお願いします。ラバール領主代理」

「それも止やめてくれ。ケヴィンでいい」

「わかりました。捜査方針をうかがってもよろしいですか?」


 俺はデスクの上にある制御板を指で弾く。キン、と高い音を立てて跳ねた。


「兵器工場を見ない事には方針が立てられそうにないな。なんとかして潜り込みたい」

「仮の身分を用意しますが、すぐには難しいです」

「すぐじゃなくてもいい。先に衛兵殺害の現場を見よう」


 邪魔な通達書をどかして地図の赤いバツ印をにらむ。衛兵あいつらは横柄で好きじゃないが職務を果たせなかったかたきは討ってやってもいい。


 顔を上げてアデリナを見た。吸い込まれそうな青い瞳に迷いは見えない。


「翌朝、エントランスに集合でいいか?」

「はい」

「よし、明日からよろしく頼む。ああ、士官服はなしだ。穏健派の手前、表立つ捜査は避けるべきだろう」

「わかりました」


 二人に別れを告げて王都での仮住まいに足を向ける。結局、この日の晩飯を食いそびれたのを思い出したのは、ベッドに横たわったあとだった。

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