散った者のために花は咲く

第1話 咲かない花は誰のために

 救国のつるぎ。神速の炎。王殺し。赤い悪魔。そして、剣聖。様々な二つ名を持つ俺の養母、ヴィクトリーヌは偉大な戦士だった。彼女が戦場にいたのはたった三年だが、斬り捨てられたデルドルフ兵は千とも二千とも言われており、敵からも味方からも恐れられていたという。しかし、それは三十年も昔の話だ。舞台から降りた名は忘れ去られ、今では覚えている者の方が少ない。


 唐突に養母の顔が浮かんできたのは『剣聖の厨房ちゅうぼう』にいるからだろうな、とカウンター席でジョッキを傾ける。以前、彼女に連れて来られた時と変わらず水増しされていない。つまり、ここのエールはうまいということだ。鼻から抜けていく香りに故郷の土を感じるのは気のせいだろうが悪い気分じゃない。


 とりとめもなく移り行く思考に流されていると、ぼんやりしているように見えたのだろう。隣に座るアデリナが首を傾げた。


「ケヴィンが酩酊めいていするほど飲むとは珍しいですね。何かありましたか?」


 彼女は普段着なのに軍服に袖を通している時と同じ硬い口調でたずねてきた。その声には、からかいの色がわずかに混じっている。


 俺はジョッキに残るエールを飲み干し、追加を頼み終えてから答えた。


「何もないし、酔ってもいないさ。いや、何もないのが問題か。かたきを討てずに帰る羽目になった」


 デルドルフ工作員の事件のあと、俺はクラウスを暗殺したやつを探していた。それなのに手がかりすらつかめないまま二月ふたつきがすぎ、季節は冬になろうとしている。王都を離れるのは犯人を捕らえてからだと決めていたにもかかわらずだ。


 一応、ラバール自治領の領主代理という肩書きがあるため、いつまでも王都にいるわけにはいかない。現領主の剣聖ヴィクトリーヌが怒りだす前に帰る必要があった。


 そして明日の朝早くに、俺は王都を発つ。


 後ろ髪を引かれる俺にアデリナが肩をぶつけてきた。彼女の両手の中にあるジョッキが揺れ、エールが跳ねる。


「仕方ありませんね。クラウスを故郷へ送り届けるのを優先すると考えてみては?」

「それでは逃げ帰るのと同じだ。弔いにならん」

「彼は報復を求めてないと思います」


 アデリナはエールをちびりとめた。きっと逸る俺をなだめてくれているのだろう。何も言わずにいると彼女は言葉を重ねた。今度は目を見て。青い瞳に見えるのは疲れた顔の俺。そして心配の色だった。


「望んでいるのはケヴィンの平穏。クラウスはそういう人です。わかっていますよね」

「そうかもな」


 俺は顎髭あごひげをいじりながら答えた。ほどなくして新しいジョッキが目の前に置かれ、あおるように流し込む。さっきと違い苦味を感じるだけだった。


 これ以上、この話を続けたくなくて話をそらす。


「そういえば、今は何をしているんだ?」

「機密です」

「そう言うと思ったよ」


 そして俺たちを沈黙が包む。騒がしい酒場の中、ここだけ穴が開いているように感じた。


 話題を変える、というより途切れさせるやり方。規則を遵守する彼女なら答えないとわかっていて、仕事の話にした。が、俺を思いやってくれているのに雑な方法で逃げた事が罪悪感を生む。どう謝るか口よどんでいると、先にアデリナが口火を切ってくれた。


「すみません。踏み込みすぎました。仕事の話はできませんが、ケヴィンの知恵を貸してもらいたい事があります」

「俺こそ悪かった。それでどうかしたのか?」

「実は不可解な事がありました」


 肩を寄せてきて小声になったアデリナの話は、かいつまむとこんな内容だった。


 今朝、諜報ちょうほう部長の執務室に入ると、ロランの姿はなくデスクには花束が置かれていたらしい。花束といっても、ひとつも咲いておらず全てつぼみだったそうだ。


 聞いたところで不審なところはない。何に疑問を感じたのかが気になった。


「それがどうした?」

「執務室の扉を開けられるのは諜報部員だけです」


 そういえば扉には鍵があった。人それぞれに異なる波形を型どる魔力紋。それを登録してある者でなければ扉は開かない。


「なら、その誰か――」

「ありえません。ほとんどの人は必要がなければ登城すらしてきませんし、ガサツな人ばかりです」

「ひどい言い様だな」


 俺が挙げた候補は言い終える前に否定されてしまった。となると、残るは部屋の主、ロラン・オヴェラしかいない。しかし、それも否定されてしまう。


「オヴェラ部長に花束をどうするかたずねたら、そのままでいい、と。生けるのでもなく、片付けるのでもなく、です。通常なら考えられません」

「わかるように説明してくれ。俺には不自然と思えん」


 雑に話す俺に苛立ったのか、アデリナはエールを一気に飲み干す。そしてそれ以上の勢いでまくし立てた。


「花の名はソレーヌ。今の時期に朝日を浴びて咲く花で、とがった五枚の花弁が特徴的です。付け根は白く先端は淡い黄色。ただし、切った場合は生けない限り、蕾が開く事はありません」


 それを聞いて自治領の花畑を思い出した。


「その花は中心に赤い髭みたいなのがあるやつか?」

「よく知っていますね。ケヴィンが花に興味あるとは意外です」

「たまたまだ。つまり、咲かない状態で放置するはずがないという事か」

「はい」


 諜報部員しか入室できない執務室。そこに蕾のまま咲かない花束。なるほど。状況が見えてきた。ロランが飾るためか贈るために持ってきたのであれば、蕾ではなく咲いているもののはず。


「何者かが潜入して花束を置いていったと言いたいのか。何のために?」


 俺の疑問にアデリナは真面目な顔で答える。深刻、といってもいいほど鋭い目をしていた。


「オヴェラ部長は脅迫されているのではないでしょうか? 近しい人物に危害を加える警告と考えられます。蕾のまま咲かさせずに枯れさせると」


 アデリナが語る静かな言葉に耳を傾けていたが、あまりにも飛躍していて激しく咽た。カウンターにエールが飛び散り、給仕の娘が顔をしかめる。


 苦しさが去るまでせき込み続けて、やっと口を開ける事ができた。


「考えすぎだ」

「そうでしょうか? 脅迫されているから言葉を濁したとも考えられます」

「脅しに屈するやつじゃない。それに独り身だ。弱みになる人間がいない」


 それに驚いたようでアデリナは目を丸くする。


「たしか四十五歳ですよね。年齢的に家庭を持っていると思っていました。ケヴィンならともかく、軍の要職についていれば引く手あまたです。なぜひとりなのですか?」

「さりげなく俺を落とすな。あいつにも思うところが……今日は何日だ?」

「九月六日です。突然何を?」


 なるほど。そういうことか。花束を持ってきたのは、やはりロランだ。


「わかっただけだ。花束に込められた意味が」

「今の話でどうやって答えを見つけたのですか? 教えてください。納得できたら今日の支払いは私が持ってもいいです」


 アデリナは信じられないといった顔をしている。無理もない。話してくれた情報だけではわかるはずがないからだ。ただ酒にありつけるのはうれしいが、公平じゃない気がした。


「花束につながる話をしてやる。長くなるがいいか?」

「はい」


 俺はジョッキでカウンターをたたき、給仕の娘を呼んだ。


「エールをふたつ。それと腸詰め肉を頼む。クトゥ入りのやつを」

「クトゥは値上がりしたんで仕入れてないんですよ」

「それなら普通のでいい。他に頼むものはあるか?」


 アデリナがいらないと首を振り、娘は離れていく。そしてジョッキを持って帰ってきた。エールに浮かぶ泡をながめながら過去を思い返す。王都から遠く離れた故郷、そしてロランとソレーヌ。


 話す前にエールで喉を湿らし、過去の事件を思い返す。その話はエールと同じように苦くて、できれば忘れてしまいたいものだ。それが俺の口も、空気も、重くする。


「あれは十年前。俺が二十歳になったばかりの若造だった頃だ」

「え? ケヴィンって今、三十歳なの? もっと上だと」

「素の顔がでるほど驚くな。傷つくぞ。それと話の腰を折るのもやめろ」

「髭のせいで老けて見えるのよ」


 アデリナはぼやいてから咳払いをし、続けて、と言った。その時には軍人の顔に戻っている。


 深刻な空気が払ってくれた事に感謝しつつ、改めて思い起こした。俺の故郷、ラバール自治領で起こった事件について。

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