第3話 血に染まった花畑

 重苦しい空気を払ったのはヴィクトリーヌだった。


「何の騒ぎか説明しな」


 自治領のあるじが現れただけで領民も警備隊員も道を開ける。この時の彼女は四十歳前で、剣もよろいも身につけておらず、戦いから離れてのんびりした生活を送っていたが、有無を言わさせない迫力は健在だった。


 ロランと隊長は敬礼し、ヴィクトリーヌが目の前に来るまで姿勢を崩さない。そんな二人に彼女は敬礼を止めろと手を振った。


「わたしは軍属じゃないって言ってるだろう」


 そう言われて二人は敬礼を止めたが、手を後ろに組み、直立不動を崩さずに説明を始める。自治領存続の危機だと理解できているはずなのにヴィクトリーヌはフンと鼻を鳴らしただけで眉ひとつ動かさなかった。


 ロランと隊長は領主の言葉を待ち、領民も遠巻きに見守る中、時間だけが流れる。そしてヴィクトリーヌは静かに言った。


「あんたたちはここを出るといい。無駄に命を散らす必要はないよ」


 それに食ってかかったのは隊長だった。剣聖を相手にしているのに怒りを隠そうともしていない。


「あたしらが残らなかったら、ここはどうなる!」

「なるようになるさ。わたしも、ここの連中もそうやって生きてきた」

「どんなに犠牲があっても?」

「しつこいね。それが運命ってもんだ」


 そのまま二人はにらみ合ったまま動かない。それを見守る全ての人も同じだった。


 しばらくして隊長は口を開く。


「あたしは逃げない。これだけ関わりを持ってしまったら見捨てられるもんか。人も領地も全て守ってやる」


 力強い言葉を聞いて警備隊の面々は魔導ライフルを掲げ、大地を踏み鳴らし、口笛を吹いた。

 

「いいぞ! それでこそ俺たちの隊長だ!」

「さっさと命令してくれ! ここで死ねってな!」


 部下の声援をうけて、隊長は誇らしげに胸を張る。


「これがあたしたちの意思だ。好きにさせてもらう」

「勝手にすればいい。わたしは礼を言わないよ。そのかわり生き残ったら酒も食い物も好きなだけ振る舞ってやる」

「後悔しないでください。うちの連中の食い意地は底なしですので」


 ヴィクトリーヌはやれやれと額に手を当てた。


 彼らのやりとりに悲壮感はない。どんなに過酷な戦いが待ち受けていようとも、希望ある明日を見ている。それが領民たちに勇気を与えた。守られるだけでいいはずがないと。かつては黙って奪われるだけだったが、今度こそ自分たちで守るのだと。


 その思いが彼らを突き動かし、拳を振り上げさせる。


 歓声が大きくなっていく中、隊長は矢継ぎ早に指示を飛ばす。普段は緩い警備隊の面々が真剣な顔で一斉に動き出す。


 それに異論を唱えたのはロランだった。


「待て。国境警備隊の任務は哨戒しょうかいだ。それに自治領内で王国軍の戦闘行為は許されていないし、負ければ君たちの魔導ライフルも奪われる。強盗団の戦力が増えるだけだ」


 その言葉を受けて隊長は煙草に火をつけた。長い煙を吐き、それをくわえたまま淡々と答える。


「それで、偉い士官様はどうするべきだと?」

「警備隊はここを離れて報告。上層部の支持を仰ぐ。それがすじだ」

「馬鹿か! 一番近いモンブロワ要塞でも行くだけで二日かかる! 襲撃に間にあうはずがないだろ!」


 激高した隊長がロランの胸倉をつかんで引き寄せる。ピリピリした空気に誰も口を挟めない。その中で、煙草の火種が目の前に迫っていてもロランは冷静だった。


「それでも最悪の事態よりいい」

「そうかい。あんたはそれでいいだろう。しかし、ここの人間はどうなる? 戦役を生き延び再び立ち上がれた人たちは? ここで生まれ平穏に生きてきた者は? 花畑を大きくすると言っていた少女に黙って死ねというつもりか!」


 隊長はロランを突き飛ばし、吐き捨てるように付け加えた。


「そんなの、あたしはごめんだ」


 その時の俺には何が正解かわからなかった。もちろん共に戦うつもりだったし、大勢死ぬと思っていた。その中に自分も含まれるだろうとも。要するに自分以外の事にまで気が回らなかった。それが隊長の言葉で守るべき人がいると思い起こされる。それでもどうしていいかわからなかった。


 ロランは何を思っていたのだろう。苦い顔をしていた。優先して守るべきは法と国。しかし隊長の言葉で揺れてしまった。自治領はその外にあるが無残に散らしていい命ではないと。あんなロランを見たのは後にも先にもこれだけた。


 領民も総出で守りを固めている。戦える者は武器を取り、テーブルや材木、木箱を並べて強盗団に立ち向かおうとしていた。


 誰もが慌ただしく動いていても、ロランは広場で立ちつくしている。そんな男にヴィクトリーヌは近づいた。


「あんたは去りな。士官ならこんなところで死ぬべきではないと思うがね」

「……なぜ、警備隊は残る道を選んだのでしょうか。理解できません」

「守りたいもののために命を張るのが戦士だと思わないかい」

「自分も彼らも戦士ではありません。軍人です。命令されて戦い、けっして感情で動いてはいけない」


 その言葉は正しい。それはヴィクトリーヌにもわかっているはずだが、首を振って否定した。


「いいかい。軍人というのは職だ。わたしの言っている戦士とは違う。戦士とは生き方であり、死に方だ。心が人を守るために戦いたいと思って武器をとるなら立派な戦士なんだよ」

「法より心に従うのが正しい姿だと言われるのですか?」

「何が正しいかは自分で決めな。頭でも心でも好きな方で考えるんだね」


 そう言って、ヴィクトリーヌは離れる。ロランは立ちつくしたまま、見送るしかできなかった。


 そして、太陽が落ちて月が高く昇った頃に戦いは始まる。


 敵は百名で魔導ライフルが五十。対する自治領はライフル持ちの国境警備隊が二十。有志は百五十名もいたが、訓練されている者はほとんどいないし武器も足りない。正直なところ分が悪いといえる。


 ヴィクトリーヌは、ひとりの方がやりやすい、と言い残して森に向かった。強盗団は木々に身を隠して銃撃し、警備隊は撃ち返す。絶え間なく銃撃音が鳴り響き、子供たちは耳を塞いでうずくまるしかなかった。


 剣を持ったならず者たちが森から飛び出してくる。暗闇なら撃たれても当たらないと考えたのだろう。真っすぐ領地に向かい、ソレーヌの花畑を踏み潰して駆けていた。


 それを警備隊員が狙いを定め、撃つ。ならず者は頭から花畑に突っ込んで黄色い花弁を散らした。


 撃った兵士は木箱を並べただけの壁の隙間から命中を確認し、ニヤリと笑った。


「こりゃあいい。あいつら俺たちが見えていないと思って真っすぐ突っ込んできやがる。こっちには魔導ゴーグルがあるってのによ」


 次弾を装填しながら軽口をたたく隊員を隊長は叱り飛ばす。そうしながらも手は止めない。


「ボドワン! 黙って手を動かしな! 何人やった?」

「これで……六!」


 他の隊員も順調に仕事を進めていた。しかし魔導ライフルを撃つ魔力は保つが、先に弾がなくなる。蹂躙じゅうりんされる前に打開策を見つける必要があったが打つ手を見つけられなかった。


 時間と弾ばかりが消費され、次第に国境警備隊員の顔に焦りが見え初めていた。


「隊長! どうすればいい! もう弾がねえぞ!」

「泣き言を言うな、フェルディナン! 後退させた負傷兵のを使え!」

「そんなもん、とっくに使いきっちまった! クソッ! ギーを撃ちやがったたのはどいつだ! ぶっ殺してやる!」

「頭に血を上らすんじゃない! ギーのあとを追いたいのか!」

 

 立ち込める血と死の臭いの中、最後が迫って来ていると皆感じていた。


 そこにロランが現れ、空気をより悪くする。隊長は不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てた。


「何しにきた。あたしらは忙しいんだよ!」

「策がある。自治領を守りたいなら従え」


 銃弾が飛んでくる中、盾にしている木箱を背に二人は並ぶ。真剣な顔のロランとあぜんとする隊長。時が止まったように見えたが、敵の銃弾が木箱をかすめて木片が舞った。


「策だって? 王国兵が自治領で戦うのに反対してたやつが――」

「気が変わった。このままでは押しきられる。状況を打開するには討って出るしかない。森の中で乱戦に持ち込む」

「はっ! 乱戦になったら勝敗は数で決まる。兵卒のあたしでも知ってる事を士官のあんたが知らないとはね」

「それは戦力が拮抗きっこうしている場合だ。敵は訓練されていないならず者。攻め慣れていても押されるのには弱い。統率する指揮官がいないからな」


 撃たれる倒れるより、剣で斬られて血しぶきが舞う方が効果的に恐怖を与えられる。ロランはそう言っていた。しかし、言い分は理解できてもロラン自身が信用できない。だから隊長は嫌悪感をあらわわにした。


「なぜ統率されてないとわかる? だいたい気が変わったってどういうことだ?」

「どちらも説明している時間がない。こちらの弾が尽きたら、なだれ込んでくる。決断するなら早くしろ」

「……森に突撃するにしても、ここからだと遮蔽物がない。今度はあたしらが的になる」


 話を聞いていた隊員が剣を抜いた。鉄かぶとの下には楽しくてしかたがない顔がある。


「隊長! 二、三人貸してくれ。俺が斬りこんで引き付ける。その隙をついてくれ」

「マチュー! 危険すぎる!」

「それがいいんだ。戦いは剣でやるべきだろ。離れて撃ちあってもつまらん」


 隊長は、自ら死地に飛び込もうとする部下に小さい声で礼を言う。マチューは剣を掲げることで返答とした。


 恐らく、壮絶な戦闘になるだろう。警備隊の面々にはそれがわかっているはずなのに悲壮感はない。そして隊長の激が飛んだ。


「総員、剣を抜け! 突撃!」


 それは覚悟を決めた叫びだった。


 その背中に向けてロランは謝罪する。


「すまない。恨んでくれていい」

「いつも偉そうにしてるロランが謝るなんてな。気にしてるなら、これを預かっておいてくれ。返り血で駄目にしたくない」


 国境警備隊の女隊長、花の名を持つソレーヌは煙草の箱をロランに投げる。


「わかった。約束する、ソレーヌ。だから必ず帰ってこい」

「言われるまでもない。いいか、潰すなよ。勝利の一服ができなかったらハチの巣にするからな」


 こうして戦いは佳境に向かう。銃撃音は止みかけたが、かわりに悲鳴が増えた。森の暗闇の中で死傷者は増え、全てが終わったのは日が上り始めた頃だ。


 戦いには勝った。死者は領民二十三名。国境警備隊五名。それだけですんだのは奇跡だろう。


 俺も自分の血と返り血で真っ赤になっていた。踏み潰された花畑の真ん中で立ちつくしていたのを思い出す。生きていたのは偶然だろう。そして俺は変わった。何発も銃弾を撃ち込まれた痛みと恐怖は心を縛る。研鑽けんさんを積んだ剣より魔導ライフルの方が恐ろしいものだと知ってしまった。その思いは年々強くなり、剣の道を諦めさせる。


 あの日、凄惨な戦いがあった事を、あの朝、傷つけられた花畑で咲いた花を、俺は忘れはしない。


 そして、もうひとつ。ロランにも変化があった。前ほど規則にうるさくなくなり、煙草を吸い始めた事だ。


 そこまで話してエールに口を付ける。喉が張り付くほど乾いていたからだ。苦味を感じると同時に、絶え間なく聞こえる笑い声で酒場にいたと実感する。


「――これで昔話は終わり。十年前の九月七日にあった戦いだ」


 アデリナにも俺の緊張が伝わってしまったのだろう。ただでさえ白い肌が、さらに白さを増していた。


「国境警備隊の隊長はソレーヌと言うのですね」


 深刻にさせてしまった空気を払うべく、俺は何でもないように振る舞う事に決めた。軽く肩をすくめてみせる。


「ああ。とにかく話すべき事は話した。これでわかったか?」

「何がですか?」

「賭けをしただろう。花束の謎だ。公平じゃないから話してやったんだぞ」

「忘れてました。ケヴィンの話は長すぎます。オヴェラ部長なら報告は簡潔にしろと言いますね」


 軽い調子に戻そうとしているのがわかったのだろう。アデリナも合わせてくれた。


「……そうですね。あの花束はオヴェラ部長が戦死者に供えるために持ってきたのでしょう。しかし、自分が持ち込んだと言わなかったのはなぜですか?」

「そりゃあ、照れ臭かったんだ。あいつは滅多に弱みを見せないからな」


 ロランも心に傷を負ったはずだが前を向いた。より強くなろうとしている。それだけに過去の過ちは気恥ずかしいに違いない。

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