12「すすり泣き」

「あっ、おっぱいお願い」

「はいはい」


 赤ちゃんはおっぱいも吸う。おなかがすいたときは口の周りが白くなり、その一分後くらいに泣く。今では泣く前におっぱいをあげている。おっぱいをあげるのは友梨佳でも咲でも大丈夫だった。試しに俺のを吸わせようとしたら二人に怒られた。

 おっぱいといえば咲は俺の前で普通におっぱいを出ている。いつの間にかそうなっていた。なぜか俺も咲のおっぱいには欲情しない。羞恥心はエロには欠かせないのか?一応咲のことは女として見ているはずだが。


「それにしても、もう三か月くらい?」

「夜、寝てる俺が言うのもなんだけど流石に慣れたよな」

「そりゃあ、三人で子育てしてればね。本当に世の中のお母さんはすごいわ。ほぼ一人で面倒を見るんだから」


 マジですごい。俺が夜中子守をしないのはおっぱいは無理だし、隣で泣いていてもすぐには起きれないからだ。赤ちゃんの名前は性別どちらでも大丈夫なツバサに決めた。


「もうそろそろあたし、ショコラたちに癒されにいくわ」

「おつかれ」

「またあとでね」


 咲の最近のお気に入りはショコラだ。俺たち夫婦の営みについて、最近ようやく余裕が出てきて再開できるようになった。やはりいちゃいちゃするのはいいものだ。咲が気を遣って二人きりにしてくれる。しかし俺たちはまたトリガーを引いてしまうのを恐れてあの時以来最後までシていない。


「ツバサ、大きくなったわね」

「そうだね」


 ツバサについて何か言いたいことを察した。友梨佳は時々ツバサを遠い目で見る。そのことに気が付いてはいた。何度かそういうことがあったからなにか不安なことがあるなら俺に言えよとそれとなく言っていた。その時が来たのだ。この子は俺たちの子どもじゃないし、本物の人間じゃない。それでも彼女はこの子を大切に想っているのは確かだ。


「でもこの子は練習のための赤ちゃんなんだよね」

「……」


 残酷な言葉。俺たちが避けていた言葉を友梨佳が言った。俺はつい言ってしまったその言葉を責める気にはならなかった。友梨佳はツバサが本物の自分の子どもなら、と思っているのだろう。


「咲にはその話はするなよ」

「……ごめんなさい」


 謝る彼女を抱擁し、怒っていないことを伝える。俺の方が遥かに子供だな、やっていることとは逆のことを考えていた。

 その夜、ツバサが消えた。


「ツバーサぁー!ツバーサぁーッ!」

「ツバーサぁーーっ!」


 夜中に子守をしていたはずの咲が慌てて俺たちを起こした。子守中は寝れるときに寝る。ツバサは赤ちゃんだ。遠くまで行けないし、周りに危険なものはない、問題はないはずだった。見つからないわけはないのだ。俺たちは月明かりの中、必死に声を上げ続けツバサを探した。けれども昼近くになってもツバサは見つからなかった。


「……一旦休もう」

「「っ……!」」


 友梨佳も咲も疲れ切っていたのだけど目が諦めたくないと言っていた。それでも俺は二人を休ませた。こういう時にいち早く冷静になったのは俺が男だからだろうか?

 二人が泥のように寝ている横でこっそりと起き再びツバサを探す。残念ながらツバサはどこにもいなかった。島の中は隅々まで草をかき分け、泉の中まで念入りに探した。白い空間は島の周りを何周もして探し回った。

 ふとツバサの顔を思い出す。こういう時に思い出すのは穏やかに寝ている顔とたまに見せる笑った顔だ。赤ちゃんだからすぐに眠ってしまうけど最近は這って動き回るようになった。そんなことを思い出し目頭が熱くなる。


「おはよ、二人とも」

「「……」」


 二人が起きてきた。今まで探し回った俺の様子を見て悟ったらしく落ち込んでいた。今は夕方でもうすぐ日は沈もうとしている。

 こういうとき人間は悪いことばかりを考えてしまう。


「わたしが……わたしがあんなこと言うからっ!」

「ちょっと友梨佳っ!どういうこと!?」

「落ち着けっ!二人とも!」


 友梨佳は自分のせいだと言い、咲が怒りの矛先を彼女に向けてしまった。咲は友梨佳に掴み掛かろうとし、それを俺が止める。


「友梨佳っ!お前が責められて楽になりたいだけだろ!?向こうへ行って頭を冷やせっ!」

「ちっ……!」

「……」


 咲はどういうことなのか説明しろと睨んできた。その目は不満と怒りをなんとか抑えているようだ。


「まず言っておくが友梨佳がなにかしたわけじゃない」

「で?」

「ただ昨日、俺にあの子は本物の赤ちゃんじゃないって言ったんだ」

「ふざけんなっ!」

「咲の感情はわかる。でも俺たちはあの子が本物の人間じゃないと分かってて育てたんだ」

「っ!」

「それでもツバサのことを大切に想って育てた。そうじゃなければあんな大変な育児なんて続けれるわけはないだろ?」

「ならなんであんな酷いこと言ったの?」

「友梨佳は俺たちの子どもが欲しいんだ。でも今のところ妊娠の気配はない」

「……」


 咲は冷や水を浴びせられたように黙った。


「俺なんてツバサのことをかわいいと思うばかりだった。でも友梨佳は違った。自分の子どもが欲しいと思う気持ちを黙ってきた。そんな友梨佳をどうして責めることができるだろうか」

「間が悪いだけなのに自分のせいだって気にして……バカでしょ……」


 俺たちは久々にツバサのいない夜を過ごした。そこには咲も一緒だった。暗闇にはすすり泣く声が響き続けた。

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