第16話 小川夕日としての日々

決して物凄く美人だとかスタイルがいいだとか華があるだとかそういうタイプではないけれど、不思議と人を惹きつける何かを持っている人。

外部の人間である私を真っ先に受け入れて包み込んでくれた優しい人。

とにかく嬉しそうに、楽しそうにお芝居をする人。

そして私の演劇人生の原点でもある人。

彼女にとって私はたった一年程の付き合いの浅い人間でも、私にとっては一生を変えてくれた大切な人。

だから、どうしてもう一度帰ってきて欲しかった。

貴女が大好きだと言っていたこの板の上に。




「二日に一度の長文お気持ちメール」

「えっと…週末には電話に出てくれるまで鬼電」

「さらに着信拒否だの連絡先全て変えられてもあの手この手使って再度連絡先を見つけ出す」

「最終的には周りを抱き込んで直接直談判!」

「あぁ、うん。いつ振り返ってもキツイな。本当。よくうちの代表を訴えずにいてくれたよ。劇団がぶっ潰れるとこだったわ」

「あはは…確かに…今思えば自分でも怖いと思うもん」

第四回公演日程も無事に半分が過ぎ、明日は休演日という事もあり私達は公演終わりで行きつけの居酒屋で久しぶりに皆集まって遅めの夕食をとっていた。

普段劇団メンバーとの食事では、とりとめもない話や公演の話に演劇論が中心になるのだが、今日はそのいつもの話題はあっという間に終了し、話は今日観劇に来てくださった一人の女性に移っていっていた。

「でも、今日改めて思いましたよ。章さんが薫さんの事大好きなんだなぁって」

「え?」

「だって章さんいつもよりもめちゃくちゃテンション高かったじゃないですか」

「ずっと薫ちゃんの感想をキラキラした目で誰よりも頷いて聞いてたもんねぇ」

「いやぁ、やっぱり自分達の舞台を観てもらう事が嬉しくてしょうがなくて」

聖と美早子さんに指摘されて顔を赤らめている章さんはまるで恋する少女そのものだった。

そんな章さんはとても可愛いのだが、やはり章さんが薫さんにとった行動のせいで少し違って見えてしまう。

「でも、今思い返しても章ちゃんの執念深さにはと恐怖を感じるよ」

「確かに、軽いホラーだよねぇ。薫ちゃんが全てわかってくれていたからこそ、今笑い話に出来ているけどさ」

藤池さんと要さんの言葉に怜吾君もしみじみ頷く。

「いや、私だってそのむやみやたらに誰にでもそんなことしようと思いませんよ?それにほら、今ならいけるってタイミングでその行動に移したわけですし!それにその執念があったからこそ、またこうして演劇界の宝をこの世界に蘇らせる事が出来たんですよ。本当各関係者には感謝して欲しい限りですよ」

章さんはそう言うと手に持っていたジョッキを一気に飲み干す。

「薫、演劇界の宝だとかお前がまた言ってるって聞いたら嫌がるぞ?」

「いやいやいや、だって、再デビューしてからの勢いの凄さは皆分かってるでしょ?あの才能は演劇界にとってどれだけ大きいモノか!」

「まぁそれは確かにそうだな。舞台だけじゃなくて映画にドラマにCM。あっという間に売れっ子女優だもんな」

「一度ドロップアウトしてただなんて信じられないよね」

「それこそタイミングですよ!時代が追い付いてなかっただけ!時代の波が合ってなかったんです!」

「まぁそういうもんかもね、この業界って才能とかよりも必要とされるタイミングをモノに出来るかが大事ってところもあるから」

「そう、そうです!藤池さん!良い事言う!タイミングというものは大事なんです。…だから夕日ちゃん!」

「は、はい」

そこまでお酒の強くない章さんは一定量のお酒を摂取するといつもよりもテンションが上がり、少し子供っぽくなり声が大きくなる。今日は薫さんが観劇に来てくださって嬉しいのかいつもよりも飲むペースが早かった為、気が付くとすっかりご機嫌モードに入っていた。距離を詰められ章さんの顔が目の前に迫る。そんな様子を笑いながら美早子さんがさりげなく店員さんに水を頼んでくれた。

「このタイミングで薫さんと夕日ちゃんが共演するっていうのもぉ、きっと夕日ちゃんにとって必要なモノなんだよっ!」

「…必要、な?」

「うん!そう!だからぁ~頑張れぇ!沢山盗んで成長して帰ってこぉ~い!!」

そう言うと章さんは私に乗りかかる形で崩れ落ちた。

「はい。章、終了です」

「今日は早かったねぇ、そんなに薫ちゃんに会えて嬉しかったのかな」

私の太ももを枕代わりに動かなくなった章さんを見つめながらさっきの言葉を思い返していた。

初めはただ絡まれるだけだと思っていたが、目の奥に真剣な想いが乗せられていた。

薫さんとの共演。そしてそれは私の初めての劇団ではなく外部の客演舞台。

確かにそれは私にとって大きなものになる事は何となく自分でも分かっていた。



章さんがあの尾花薫さんについて話してくれたのは、第二回公演の傷が癒えない頃だった。

私の初めての舞台、そして私を含む若手三人にとっては試練の連続だった舞台は結果、話題にはなったものの私達若手組中心への批判の声が多いものになってしまった。

[話は面白いが役者がついていけていない][自分達だけが盛り上がっていてなんかしらける][泉川さんと東山さんだけであとは外部の経験値が多い役者で固めるべきだった]

必死で創り上げた舞台が批判の声に埋もれていく。

そしてそれが今までに経験した事がない苦しさや悔しさに似た痛いくらいの感情となって私達を埋め尽くす。

章さんが私達に彼女の話をしてくれたのは、私達がどうしようもない絶望感に襲われ立ち止まったまま前に進めないでいたある日の事だった。

「人気も無くて、仕事も無くて暇で時間もあったからね、私」

アイドルグループ時代。人気が中々伸びない事に悩んだ章さんはあらゆる可能性を模索する為に様々な事に挑戦したという。

とにかくあちこちに手を出し、芝居というのもその内の一つでしかなかったそうだ。

知り合いの関係者に頼んで初めて参加したのはとある俳優事務所の勉強会。そこでは所属を目指す研修生たちがお互い切磋琢磨していたという。

そして尾花薫さんもその内の一人だった。

「お芝居なんて幼稚園の御遊戯会くらいでしかした事がなかったから、なんにも分からなかったんだ。だからもう初めの頃は酷いもんでね…年齢も下だったから周りからはちょっと馬鹿にされてた。でも…薫さんだけは違ったの」

薫さんは孤独になりがちだった章さんの傍に寄り添い、一つ一つ丁寧に基本的な事からアドバイスをくれたという。彼女のおかげでいつの間にか研修生たちの輪の中にも入れるようになっていった。

「薫さんがね、難しく考えなくていいと思う。まずは思った通りにやればいいんだよって言ってくれたんだ。そこからなんかふっとお芝居に対しての向き合い方が変わっていったの。お芝居も楽しくなって、夢中で取り組むようになった。それに、何より…何よりも薫さんのお芝居を見るのが大好きだった。薫さんのお芝居からはいつも本当に表現をする事が楽しくて嬉しくて仕方がないって伝わってきたんだ」

しかし、一年ほどで章さんの所属していたグループ自体に人気が出た為、不人気メンバーにも仕事が回ってくるようになり、スケジュール的にも勉強会に参加することが難しくフェードアウトするような形で去るようになってしまった。薫さんともそれきり会う事は無くなってしまったそうで連絡先を交換しておけばよかったと後悔もしたそうだが、章さんはきっとこの仕事を頑張っていればいつかまた会えると信じていたと言う。

そう。薫さんは絶対に所属になって素晴らしい役者になるだろうと章さんは信じて疑わ無かったのだ。そしていつの日かお互い立派になって再会し、同じ舞台に立つことが章さんの夢になっていた。

しかし、章さんが役者として評価されていったのにも関わらず、薫さんとその後会う事は無かった。それもそのはず、薫さんは所属審査に落ちそのまま役者への道を諦めてしまったからだった。

「薫さんね、落ちた後も色々と模索してたらしいの。でもダメで…。このままじゃ本気でお芝居が嫌いになるって思って逃げるように辞めたんだって…」

それでもその事を信じたくなかった章さんは共通の知人から薫さんのアルバイト先を聞くことに成功し、会いに行ったそうだ。しかし、章さんから話かける事はなかった。いや、出来なかった。

「驚いたな。あんなにキラキラした笑顔してた薫さんが別人みたいに表情が死んでしまって、暗い目をしていた。それにね、聞いてたの…薫さんの研修生時代の仲間にも二度と連絡しないでって完全にシャットアウトしてるって。夢を追いかけ続けている人の姿なんか見たくないって…だから…」

全てを察した章さんはその場を立ち去り、その出来事は章さんの奥底に刺さり続けていた。

「もう知ってると思うけど、私もそれから色々と巻き込まれて芸能界を追い出されそうになったじゃない?その時、本当はもうダメかもって心が折れそうになってた。でもね…そんな時、薫さんの事が頭をよぎったの。ここで私まで辞めちゃったら本当に二人で舞台に立ちたいっていう夢まで失われてしまうって。だから…」

そこから章さんは白尾さんの手も借りつつ着々と再び演劇の世界へ戻る準備を進めた。

そして劇団という形をとったのは、風の噂で拒絶していた舞台というものへ薫さんが少しずつ心を向け始めているという事を聞きいたことが大きかった。必ず立ち上がってもう一度薫さんに会いに行こうと、彼女が再びお芝居が大好きだと言える場所を創ろうとそう思った。

「もちろん、私が踏ん張れたのはお芝居が好きだからだとか他にも理由は沢山あるけれど、薫さんという存在がいなければもうダメになってたと思う」

そしてそこまで話すと章さんは私達へ一枚の紙を差し出した。

「これ、第三回公演のすっごく大まかな提案表。藤池さんからはOKもらったの。三人も目を通してみて」

私達は促されるままその紙を受け取り目を通す。すると信じられない文字が目に入った。

「次回作はさわやかな青春友情物語。主役は貴方達三人。そして、どんな手を使っても薫さんにコンタクトをとって絶対に見に来てもらおうと思ってる」

「ちょっ、ちょっと待ってください?色々と話が付いていかないんですけど…それにどうして私達が主役なんです?あれだけ批判を受けているのに…」

聖の問いに私はひたすら共感した。一体何がしたいのか理解が出来なかった。

「確かに、三人を中心とした批判が多いっていうのは事実。でもねそれは全て演出を受け負った私の責任、まずそこははっきりと言っておく。…嫌な思いをさせてごめんなさい。それから、批判の声に目を向けすぎよ、貴方たちを評価する声も少ないない事、忘れないで。それにね良い意味でも悪い意味でも話題になってくれたのもかなりこの劇団にとってプラスになった。

…でもそんな事よりも一番大事なのは…必死でもがいて、食らいついてくれた貴方達が信じられないほど成長してくれたって事。私ね、それが嬉しくて…もっとこの子達とお芝居を創りたいって思った。そして貴方達もまた、お芝居の面白さを改めて実感してくれたと思ってる。だってあれだけ嬉しそうに舞台に立ってたんだもの。今もこうして折れそうになりながらもなんとか前を向こうとしてくれている。その姿が次の物語を思いつかせてくれたの」

「章さん…」

「ずっとね、薫さんにはいずれこの劇団を観に来てもらって、もう一度お芝居がしたいって思って欲しいって思ってた。本当はもっともっと後、劇団が成長して大きくなってから観てもらおうって考えてたんだけどね…。でも、今悩みもがく三人の姿とこの物語が薫さんに響くって…劇団が未完成な今だからこそ伝わるものがあるって気が付いたの」

戸惑う私達に章さんは私達に深々と頭を下げた。

「なんだか利用しているみたいになってごめんなさい。

でもこの劇団がより成長するためにも、私の中でずっと刺さったままの何かを抜くためにも、貴方達の力が必要なの。だから…一緒にこれからも歩いていって欲しい」





「薫さんが観劇に来てくださったとき、凄かったですもね、章さん」

「全身から色んな水分でてたもんね」

「まぁ、あれだけ突然再会した昔の仲間に、ストーカーまがいの事をされてまで舞台を観に来るように仕向けられたら来たくなくても来ると思いますけど」

「言えてる。けど、瑠緒のフォローがなかったらガチでヤバかったと思うけどね、ほんと紙一重。結果上手くいったけど…ほんと時々暴走癖があるんだよな、うちの代表」

「本当にね。ま~ノー天気に寝ちゃって」

美早子さんはそのまま自分の膝の上で気持ちよさそうに眠る章さんのほっぺを軽く突いた。

「でも!でも!その同じ日に昔お世話になった先輩役者さんも観劇してて再会。しかもその先輩が事務所を立ち上げてて、そのままスカウトされて意外なところから再デビュー!今や物凄い勢いでトップへ駆け上がり始めてるなんて、まるでドラマみたいですよね!」

そう。今でもちょっと信じられないけれど、観劇に来たことでまた薫さん運命が大きく動き出した。

章さんは、本当はこの劇団で一緒に活動したかった気持ちもあるけど、薫さんがまたお芝居の道に戻って来てくれた事が何よりも嬉しいと話していた。

「惜しかったねぇ。観劇までは上手くいったんだけどねぇ…。うちに感動的に勧誘する前にまさかのとこから先を越されちゃうなんてさ」

「本当、人生、何があるかわからないですよね」

「そしてそんな尾花薫とうちの小川夕日が今度は共演とまで来たもんだ。しかも怜吾は舞台、聖はドラマにそれぞれ外部出演で若手の活躍も目覚ましい。これはもう嬉しくて章ちゃんもこんなになるまで飲んじゃうのもわかるかもねぇ」

「三人とも、初めての外部出演緊張するかもだけど、マイペースでいくんだよ」

「はい!でもまずは第四回公演成功させる事だけ考えます!」

「…同じく」

「私も、まず今はそこしか考えられません」

私達の答えに要さんと美早子さんはわざとらしく目頭を押さえた。

「くぅ~うちの子達は真面目でいい子達だねぇ、お前さん」

「ホントにねぇ~今舞台でサイコパス犯罪グループ演じてるなんて信じられないわぁ~」

「なんなんですか、それ」

要さんと美早子さんのいつものコントに笑っていると周多さんが難しそうな顔をして何か物思いに更けているのが目に入る。

私は思わず声をかけそうになったが要さんにやんわりと制止される。

「夕日、大人には、大人の事情があるもんだ」

私はそれ以上何も返す事が出来ず、気にはなったがそのままにしておくことにした。

…それにしても。

「さ、明日は休みだ、まだまだ飲ませていただきましょうね。な、周多?」

「はいはい、先輩には付き合いますよ」

「もう、ほどほどにしなさいよ、明日響いてもしらないから」

要さんと美早子さん、周多さんのいつものやり取り。

「はいは~い!私!このお酒飲んでみたい!」

「…え?これ?お前、この前酒が解禁されたばったかりなのに…平気なの?」

「あの、多分、こうみえて聖、怜吾君より強いと思う」

「え。マジで?」

そして、性格は皆違うけど今ではもうすっかり心を許し合った聖と怜吾君と私の若手チームでの会話も。

「っていうかほんと起きないなコイツ」

「いいじゃないの、寝かせといてやりなさいな、最近寝不足だったみたいだし」

「いやぁ、気持ちよさそうに寝てるなぁ」

「ホントだ、可愛い~」

「風邪ひかないように俺の上着かけておきます」

「あ、じゃあ私のも」

皆から愛される我らが章さんも。

こうして皆と過ごす時間が私にとって…小川夕日として、いつの間にか何よりも大切な時間になっている事だと改めて実感していた。

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