第5話 大切な思い出
生まれた時から光の巫女として生きる事が運命づけられた、私のたった一人の大切な主フゥーシェ=ホーリー様。
この世に生を受けて、その命を全うするまで光の加護に守られているホーリー塔と呼ばれていた塔から一歩も出る事も許されず、常に管理者と呼ばれている者たちに監視され決められた毎日を過ごす。
私は代々光の巫女様に仕えてきた一族の末娘として生まれ、フゥーシェ様と歳が近い事もあり幼い頃からお傍に置いていただいた。
少しでもフゥーシェ様が笑っていただけるように、少しでも幸せだったと思えるように、私の全てをかけてお力になりたい、ただその事だけを願って生きた。
フゥーシェ様のお傍で生きた日々は私の誇りであり宝物だ。
そんな日々の中で私が何よりも大切で忘れることが出来ない思い出。それはフゥーシェ様が創られた物語を読ませていただいたという事。
ホーリー塔の地下には広大な蔵書があり、フゥーシェ様は一日でわずかに与えられる余暇のほとんどをそこで過ごしたと言っても過言ではない。
塔では管理者や聖職者、警護騎士兵や私達のような使用人など多くの人間が共に生活しており、国の、いや世界の最も重要であるこの場所には要人、権力者、研究者など人の出入りも少なくはなかった。
しかしフゥーシェ様にお会いできるのはその中でもほんの一握りの人間のみ。
生きる場所も、会える人物も限られているフゥーシェ様にとって、世界というのは狭く寂しいものだ。
だからこそフゥーシェ様には本を読むという事がそんな世界を少しずつ彩るかけがえのないものだったのだろう。
難解な専門書、歴史書や医学書に子供向けの絵本までフゥーシェ様は夢中で様々な本をお読みになった。
そしてその中で運命の一冊に出会う。それは一冊の児童書だった。
主人公は一人ぼっちで友達がいない無口な少年は、いつも一人寂しく自分が見た夢を物語として書いて過ごしていた。ある日少年が住む町に旅芸人がやって来る。旅芸人と友達になった少年は友情の証として、自分がこっそり書き溜めた物語をプレゼントする。
そしてその物語の公演が評判を呼び、少年は自分を変えるために彼らと共に旅に出る、という物語。
「物語を、創る…」
その本を夢中で読み終えたあとフゥーシェ様は小さくそうつぶやき本を抱きしめていた。
そして、この蔵書にいらっしゃるときは宝石のようにキラキラと輝くフゥーシェ様の目がより一層輝きを増していた。
フゥーシェ様はその日から余暇を蔵書ではなく自室で過ごされるようになった。
ただひたすら机に向かい筆を走らせる。
いったい何を書かれているのか尋ねても決して答えてはいただけなかった。
あまりにも夢中になられているので少し心配にもなったが、フゥーシェ様がとにかく楽しそうに今までに見た事がないような生き生きとした表情をされているのでこちらまで嬉しくなり、このまま静かに見守る事にした。
そんな日々が続き、季節が一つ動いた頃だった。
「素直に、感想を聞かせて欲しいの」
私がフゥーシェ様から受け取ったのはフゥーシェ様が初めて書かれた物語だった。
何枚にも綴られた紙にびっしりと書かれた文字。
あのわずかな余暇で、しかも初めてでここまでの量を書かれたのか。私は心から感嘆した。
「初めての読者は、貴女がいいの。…貴女にしか見せられないの」
その言葉の重さを、私はわかっていた。
私はたった一人、フゥーシェ様に信用していただきこの物語に触れる事が出来る。
その事実に少し震えながら私は物語を読み進めた。
今までに読んだ大好きな話を詰め込んだという物語は、フゥーシェ様にはこんな素晴らしい才能があったのかと驚くほど素晴らしいものだった。
贔屓目に見ているわけでは決してない。
歌が大好きな主人公が悩み苦しみながらも親友や愛する人と冒険しながら共に歌声と優しさで傷ついた人を救っていくという優しいお話。
私がこの物語を自分の持ちうる限りの言葉で称賛すると、
「貴女は私に嘘を絶対につかない。ついたとしても私にはわかる。だから、その言葉が素直に嬉しい。書いてよかった」と恥ずかしそうに微笑んだ。
そして「もう、気が付いているかもしれないけれど」と前置きしたうえでフゥーシェ様はぽつぽつと私に心のうちを話してくださった。
「このお話はね、私の憧れ、望み、叶わないものそのものなの。…恥ずかしいけれど、この主人公の親友は私なの」
「…親友?主人公ではなく?」
私が思わず聞き返すと、フゥーシェ様は私の両手を握り優しく笑いかけて下さる。
「主人公は、貴女よ、メロニア」
「…え?」
「大好きなでいつも私を支えてくれる貴女を今度は私が支えながら外の世界に旅出すの!
そこで気の合う仲間や沢山の人と…運命の人と出会うの…想像しただけでもわくわくする…!」
「フゥーシェ様…」
「…なんて、ね。そんな事…ありえないのにね」
握ってくださっている手が震えている。
笑ってくださっているけど、心では泣いている。
叶わない願いとフゥーシェ様が閉じ込めていた思いを込めた物語。
あぁ、どうか、笑って欲しい。そんな顔しないで欲しい。
大好きだと言ってくださった、私にいつも幸せを与えて下さるフゥーシェ様に何ができるのだろう。何もできない。なんて無力なんだ。私は。
そんな私の頭にふと、物語の主人公の言葉が頭に浮かぶ。
「…大丈夫だよ」
「え?」
「私と貴女ならきっとこの闇だって怖くない」
「メロニア、貴女、その言葉…」
一度出た台詞は何故だか止まる事はなく、むしろ熱く、まるで乗り移られたかのように言葉として溢れてくる。
「皆は…私はずっとあなたの傍にいるわ。私はどんな時も貴女の味方。一人じゃないよ!」
「…ありがとう、それから、ごめんなさい。…私、また頑張れる気がする、だって皆と、何より貴女がいてくれるんだから!」
いつしか二人で立ち上がり、抱き合っていた。
まるで物語そのままに。
我に返り、とんでもない事をしてしまったと固まってしまった私をよそに、そのまま強く抱きして下さりながらフゥーシェ様は興奮されていた。
「すごい!まるで物語の中に入ったみたいだったわ!」
「…申し訳ありません…何か、出来ないかと考えていたら、つい…とんだご無礼を…」
「ううん!本当に嬉しかった…きっと私のために出た台詞だったんでしょう」
「…自分でも、何が何だが…ですが、この思いは…」
「うん、伝わった。…ありがとう。嬉しい!本当に!」
その日以来、私は作品を読むだけではなく、実際に二人で物語を演じるようになった。
始めは主人公達だけだったが次第に様々な役も二人で分けて演じる。
私が演じる度にフゥーシェ様は「メロニアのお芝居は本当に素晴らしいわ!」と心から喜んでくださり、いつしか口癖のようにこうおっしゃるようになった。
「メロニア、私いつか、いつかこんな二人っきりの言葉の掛け合いじゃなくて、もっときちんとした場所で、貴女のお芝居を観てみたい」
そして、その願いは、決して叶う事はなかった。
都内から少し外れにある郊外。
築年数はそれなりで駅からの距離はあるけれど、十分な広さがあり稽古スペースの防音はしっかり整備されている。
立ち上げたばかりの実績もない劇団がこんな専用稽古場を持てるなんて。
これも全て私の目の前で眠たそうに自分のPCをいじっているこの人のおかげだ。
「それで?手応え的にはどんな感じなの?」
「ん~…多分、大丈夫です」
「本当に?聞いたよ、なんか地雷踏んでめちゃくちゃ泣かせたとか」
「…それはひたすら申し訳ないと思ってます」
「なのに、大丈夫っていう理由は?」
「私の勘です」
「…出た」
「出た、とはなんですか?出たとは。私の勘は当たるんです。知ってるでしょ?」
「まぁね。じゃあその代表様の勘が当たると信じて話を進めようかねぇ…」
[演劇集団きなりいろ]は私、空田章夫こと岡田章とこちらの藤池周多さんの共同代表という形をとっている。
が、藤池さんにはお名前を借りているだけで実際のところは私1人がこの演劇集団の代表だった。
藤池さんは所属劇団員兼私のアドバイザイザーとしてまだまだ未熟な私を支えてくれている。
今日は旗揚げ公演の振り返りをしつつ第二回公演に向けての話し合いが行われる集合日となっており、その前に少し早く稽古場にて私は藤池さんにこれからについて相談に乗ってもらっていた。
[演劇集団きなりいろ]旗揚げ公演が何とか無事に成功に終わったとはいえ、大切なのはここからだ。
この演劇集団の人気を少しでも上げるために、旗揚げ公演で得たファンの皆様の期待に添うように、第二回公演に向けて考える事は山ほどあるのだ。
「で、章的にはやっぱりその女の子を軸に考えたいわけだ。まだ入団してくれるって決まったわけでもないのに」
「はい。でも、足りなかったピースを埋めてくれる存在になると思います」
「すごい入れ込みようだね、その子、お芝居なんてした事ないんでしょ?」
「はい。お芝居も観た事もなかったと」
「興味も無しだったってわけね」
「…そうなります」
藤池さんは少しため息をつく。
「まぁ美早姉ぇが言うには、すごく綺麗な子だったって言ってたけどさ、それはもう関係ないでしょ、このきなりいろでは」
「もちろん。ビジュアルの良し悪しでやってませんから、うちは」
「だったら、何?そこまで章ちゃんが入れ込む理由」
「…お芝居を…していたんですよね」
「は?」
「上手く、言えませんけど、私に対して…いや恐らくずっと、誰に対しても、自然にお芝居をしているんだと思います」
「あ~あれね…言い方を変えれば空気を読むとか、人によって態度変えるとか、キャラを変更するとかそういう奴ね」
「はい。人は誰しも芝居をして生きています」
「また出た、章理論」
「でも本当にそうじゃないですか」
「で。その子はそういう感じが強い傾向にある。世渡り上手、八方美人」
「言い方。…それにまだそこまでわかっていませんし」
「ま、いいや、つまり直感って奴で実際会ってみないとわかんない奴ね」
「なんか、すみません」
「いや、俺は一劇団員に過ぎない訳で、代表は章ちゃんなんだし、章ちゃんが思った通りにやってみればいい。…ただ一つだけ忠告しておく」
「忠告?」
開きっぱなしのPCを閉じ、そして少し鋭い目でこちらを見やる。
「まだ会った事もない子の事を言うのはどうかと思うけど…そういう子は、難しいからね。色んな意味で」
「それは、わかっています」
「なら、いいけど」
「わかっていても、彼女に入団して欲しいと、彼女に物語を書きたいと思ったんです」
「…ま、そこまで言うなら、もう何も言わないけど。なんか俺も会うのが楽しみだよ」
私たち以外のメンバーの集合時間まであと30分ほど、彼女にも…私が劇場でスカウトした小川夕日ちゃんにもその時間は伝えてある。
もし少しでも興味があるのであれば来て欲しい。そう言ってあの日別れた。
はっきりとした根拠はない。だけど…きっと彼女は来る。
―そういう子は、難しいからね。色んな意味で―
それは、わかっている。だけど、彼女がこの劇団には必要なのだ。
[演劇集団きなりいろ]が本当の意味でスタートするために、そして、あの人がまた、芝居が好きだと、この世界に戻って来てくれるために。
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