第6話 絡み、交差する
あ、また噛んだ。っていうか、そのイントネーションは間違ってるってさっき訂正されてただろうが。それに、そもそも自分が出てくるタイミングをミスった事にも気が付いてない。
他の奴らも台本を手に持ってガン見してるから何が起こってるのか把握できてないし…。
というか、もうここまでグダってるんだから演出側が止めろよ。
っていうか、そこの出番のない奴ら、こそこそと喋ってるつもりなんだろうけど聞こえんてんだよ。邪魔をする暇があったなら台詞の一つでも覚えろよ。
おい、マジかよ。想像よりもクソじゃねぇかよ。なんだよ、コレ。
俺は思っていたよりもひどい状況に唖然とする。
何を観せらせているんだ、俺は。本当は今すぐにでも帰りたい。
でも、そうはいかない。耐えなければいけないのだ。
俺は感情を必死で殺して真面目に観ていますよ、アピールをする。
そして、1分1秒でもこの地獄が早く終わる事をただ願った。
その後も拷問のような時間は続き、終わりを迎える頃にはとてつもない疲労感やら虚無感やらで心身共にとてつもないダメージを負っていた。
最後の力を振り絞り、もう演出とも呼ぶに値しないクソ野郎からの意味もないダメ出しにも耐える。
もう少し、もう少しだから。
そう自分に言い聞かせ、気を抜けば震える拳を抑え込む。
そうこうしているうちにクソ野郎…もとい演出家様から俺達の方へやっと話を振られる。
「じゃあ最後に今日の稽古を観に来てくださった泉川さんと貴水君からもお願いしてもいいでしょうか?」
気安く[君]呼びすんな。一瞬、顔が真顔になってしまう。
そんな俺を察知したのか泉川さんが俺の方へ目配せをし、先に口火をきってくれる。
「えっと~まずはお疲れ様です~。そうだな~俺が言える事と言えば…みんな、相手の台詞を聞こうか。そしてその台詞を受け止めて初めて自分の台詞が生まれる。場数も踏んで経験値も増えてきた。そんな今だからこその原点回帰。基礎を大事にしていく事が大事だと思うんだよね~」
マジか。あんなものを観せられたというのにそんな自然とにこやかに嘘がつらつらと出てくるもんなのか。
要さんの事は役者としても、人生の先輩としても尊敬しているし、格好いいと思っていたけれど、改めてその凄さを感じる。
プライドが高く、自分に対して馬鹿みたいに自信を持っているこいつらの自尊心を傷つけないように、優しく、言葉を選びながら丁寧に、話力の高さを活かし笑いも取り入れながら話していく。
その姿を見て、先ほどまで荒んでいた心が少し和らいでいくのを感じる。
「…まぁ、俺からはこれくらいにして、怜吾お前からは?」
名前を呼ばれただけで、お前はいけるか?という思いが伝わる。もう、大丈夫だ。だってあんな完璧なお手本を見せてもらったのだから。俺は軽く頷き話を引き取る。
「ほとんど要さんと言ったとおりだと思うので…。俺も皆さんと同じくらいの年齢で、芝居を始めた時期もほとんど変わりません。だからこそ皆さんの姿をみて俺も負けてられないなと思いました。俺がよく注意される、言葉一つ一つを投げずに大切にしろとという事、それを皆さんが出来ていてすごいなと思いました。今日はありがとうございました」
俺の嘘に、満足げなクソ共の表情。よし、上手くいった。
「ということでね~泉川さんと貴水君ありがとうございました~!では簡単に次の稽古のスケジュールなどを説明して今日の稽古は終わりにしようか」
やっと、終わった。心底安堵した俺の頭をさりげなく要さんが撫でてくれる。それだけでもう今日の全てが報われたような気がした。
修練の日。
それは劇団を支援してくれるとある人物から、たまにでいいからクソ素人大学生によるお遊び集団の稽古をみてやって欲しいと頼まれた要さんが、嫌々稽古に参加する日につけた名前。
「心身ともに鍛えられるんだよな~本当に。お前も一回でいいからさ、一緒に来る?勉強になるぞ、色んな意味で」
強制的に毎度奴らの舞台を観ている俺はその意味を深く理解していたし、要さんが半ばネタのように話す内容はどれも信じられないようなものばかりで、死んでもそんな稽古になんか参加したくなかった。
しかし、そこまで拒否していた稽古にどうしても参加しなくてはいけない理由が出来た。
全てはあの新入団員、小川夕日の登場によって。
「小川夕日です。現在は龍明館大学文学部二年の19歳です。演劇など全くの未経験ですが、精一杯がんばります。よろしくお願いします」
彼女は旗揚げ公演後に体調不良を起こし対応に当たった観劇客の一人で、その姿を見たうちの代表である章さんはなぜか彼女をそのままスカウトした。
急に意味不明な状況で実績もない小さな劇団にスカウトされて、しかも今まで演劇に関わって来なかった人間がそのまま素直にその話を受けるだなんて、普通に考えてないだろうと章さん以外はそう思っていた。ところが、彼女は見学も詳しい話も聞かないまますぐに入団を決意した。
よっぽどうちの劇団を好きになったのか、怖いもの知らずの好奇心旺盛な人物なのか、冷やかしの甘い気持ちで来たのか、それはわからない。
が、人員不足が深刻な問題となっているうちの劇団にとって、一人でも仲間が増えてくれることは助かるし、何よりもここにいる人間はみんなこの劇団と芝居が大好きで人が良い。素直にその思いを共有してくれる人間が増えた事が単純に嬉しいのだ。
難しい事は後回し、小川夕日は全員から大歓迎を受けた。
そして俺も、皆と同じように、彼女を歓迎した…表向きは。
俺が彼女を歓迎できない理由、それは、知ってしまったからだ
彼女が章さんを[フゥーシェ様]という名で呼んだ事を。
そう、あの日。小川夕日をスカウトした日。
章さんが二人だけで話がしたいと言っていたので、俺達は会場内を後回しにして他の撤収作業に取り掛かっていた。
しかし俺は彼女が体調不良を起こした時の章さんの「芝居をしていた」という言葉が気になって少し彼女を警戒しており、何かあった時にすぐに対応できるよう会場に近いロビーでの作業を受け持っていた。
扉を閉めていたので話の内容はわからなかったが時間にして15、20分程度だろうか?
話を終え出て来た小川夕日の目は泣き腫らしたように真っ赤になっていた。
俺を避けるように軽く会釈をして劇場を飛び出す。
彼女を見送りながら章さんに何があったのかと尋ねたが、章さんは考え込んでいて応えてくれない。
こうなってしまったら章さんはしばらく戻ってこない。
とりあえず今はあきらめて後で確認しようと作業に戻ろうとしたその時だった。
突然思いだしたかのように、章さんから予想も出来なかった質問をされる。
「ねぇ、怜ちゃんはさ、[フゥーシェ様]って知ってる?」
「…え?」
一気に頭の中が真っ白になる。
「いや、あの子がさ、言ってたの、泣きながら[フゥーシェ様]って」
何故…何故、彼女がその名を?誰も知らないはずのその名前を…。
なんとか冷静さを保ちつつ章さんが不信に思わないように言葉を返す。
「えっと…俺は、知らないですけど、…なんですかそれ?」
「あ~そうだよね、そうなるよね。わかんないよね…ごめん変な事聞いて…念のため他の皆にも聞こうかな~」
そう言うと章さんはふらふらと誰かを探しにどこかへいってしまった。
一人残された俺はしばらくただ立ち尽くすしかできなかった。
まさか、こんな事が起こるなんて。一体何がどうなっているんだ。
章さんの…フゥーシェ様の…前世の名前を知っている人間が俺以外にもいただなんて。
世界の平和と安寧のためにその命と運命を捧げる光の巫女。そんな巫女をあらゆるものからお守りする、それが巫女様に忠誠を誓ったホーリー家騎士団。
俺はかつてその騎士団の一人として生きていた。いわゆる前世っていう奴だ。
こんなアニメやゲームみたいな話、誰が信じるだろうか。
当の本人である俺だって前世の記憶が戻った際、頭がおかしくなってしまったとしか思えなかった。だけど、信じられないがこれは紛れもない事実だと受け入れざるを得なかったのだ。
あの方へ、俺にとって本当の兄のような存在で慕い憧れたあの方への、エリットン=ロイ様への想いは紛れもなく本物だと痛いほどわかったからだ。
記憶が戻ったあの日の事は今でも昨日のように思い出す。
何にも執着を持つことが出来ず、ただ可もなく不可もなく当たり障りのないように生きていた俺は、当時適当に付き合っていた彼女が観たいと言った舞台についていく事になった。
舞台に興味があるはずもなく、ましてやその舞台が運命を大きく変える事になるという事を知らない俺はいつものように適当に時間を過ごすつもりだった。
でも、そうならなかった。いや出来なったのだ。
幕が上がり、俺は、驚いた。冷え切っていた心が話が進んでいくにつれて熱なる。ただただ夢中になっていく自分。次から次に湧き上がる今まで経験したことがない感情に戸惑いながらも舞台から目を逸らすことができなかった。
ずっと物足りない人生においてこの時を待っていたような、衝撃。
信じられないことが起こった。
幕が下りても尚、俺はその不思議な感情に酔いしれていた。
本当はこのまま浸っていたがったが、初めは心配そうに様子を伺っていた彼女も次第に機嫌が悪くなってきた事、さらに会場内スタッフの視線が痛くなってきた事から、渋々現実に戻る事にした。
「で、何?あんなに興味なさそうにしてたくせに、そんなによかった?」
「…そんなんじゃない」
なんとか歩き出した俺は彼女からのどこかトゲのある言葉も気にならないほど、どこか夢現だった。俺が席を中々立たなかったためか、どうやら俺達が最後の客のようだ。
「あっそ、でもこれからは文句言わないで付き合ってよね?舞台に興味持ったんでしょ?いいよね?」
「興味…まぁ…うん。舞台…というか…なんいうか…芝居そのものに惹かれたっていうか…」
「はぁ?何わかったような感じ急にだしてんの?ウケる」
俺の言葉を冗談と思ったのだろう。彼女は少し馬鹿にしたように笑う。
「あ!じゃあさ、芝居に興味もったんならさ~怜吾も、役者になれば?」
「…は?」
「いやだって怜吾って性格はアレだけど、顔だけは無駄にいいじゃん、それに器用だし。なんか上手くやりそう~」
「何を言い出すかと思えば…」
突拍子もない悪ノリした彼女の提案に俺は深いため息をつく。何を言い出すんだこの女。
しかし、彼女は尚も続ける。
「いい案だと思ったんだけどな、どうせやりたいこともないんでしょ~!それにさ、もし怜吾が有名になってくれたら、彼女として嬉しいっていうかぁ…あ!舞台のチケットだってタダでもらえたりするんじゃない?」
「いい加減にしろ。それから少し声のトーン落とせ。そんなくだらない事大声でいうな」
彼女の馬鹿さに一気に現実に戻されてしまう。
「え~くだらなくないよ~!いいじゃん役者!」
「だから、なんでそうなるんだよ、大体そう簡単に役者になれるわけがない!」
彼女に引っ張られついつい大きな声で俺がそう発した時だった。
「…じゃあ、もしなれるならなりたいですか?役者に」
急に背後から声がかけられる。慌てて振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
マスクをして目深に帽子を被りさらには眼鏡までかけていて表情が見えない。だが、それでもわかる一般人とは違う顔の良さ、それから180㎝前後といったところだろうか、いわゆるモデル体型。
一体何者なんだこの男。
「…誰ですか?貴方」
「何?怖いんだけど」
戸惑う俺と彼女をよそに男は気にも留めず、もう一度尋ねてくる。
「もう一度、お聞きします。なりたいですか?役者?」
「だから…何なんだよ…」
「ねぇ、ちょっと無視した方がいいんじゃない?」
警戒している俺達を見て男はわざとらしく手を叩く。
「確かに今、完全不審者ですよね、俺。…まぁもう周りにスタッフさん以外誰もいないし、いっか…。あ、けどお姉さん、念のため声は抑えめでお願いします。出口の付近のグッズ販売にはまだお客様残ってるから」
「は…はぁ!?」
彼女の不機嫌な返事を無視し、男はマスクをずらし、帽子のツバを上げる。すると見えなかった男の顔が明らかになる。
そして彼の顔がわかった瞬間、彼女が思わず声を上げそうになる。
しかし男が人差し指を彼女の唇に軽く乗せ声を制す、すると彼女は顔を真っ赤にさせ上下に頭を振りわかったと合図する。
彼女が黙ったのを確認すると、男はにっこりと笑顔を向ける。
「では、改めて。俺は、白尾璃緒。役者です」
「え?」
そんな事を言われても俺には横で真っ赤に染まってしまった彼女の事も、役者だというこの男の事も何もわからない。
そして、戸惑う俺に改めて白尾璃緒はこう言った。
「俺はね、この世界に貴方を誘いに来たんです」
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