第3話 幕が下りて、全てが始まる

夢中で拍手をしていた。手が痛くなるほどに。

降りてしまった幕に向けてただひたすら想いを込めて拍手を送った。

すると再び幕が上がり出演者達が再び舞台に立ち深い礼をする。

たったそれだけの事なのに会場中の熱が一気に上がり、何故か胸がいっぱいになる。

まだ終わって欲しくない。この空間を感じていたい。その一心で拍手を続ける。

幕が再度落ち切るまで出演者達は手を振りながらこちらの拍手に応えてくれる。

彼等の姿が見えなくなった後も、私を含めた観劇客の拍手が止むことはなかった。

その後二回のカーテンコールが行われたがついに終了のアナウンスが流れる。

「本日の公演は以上で終了となります。どなた様もお忘れ物なきよう気をつけてお帰りください。本日は真にありがとうございました」

最後にもう一度拍手が大きくなり、あぁこれが最後だと実感し寂しくなる。

少し経つと拍手もようやく止み、観劇客は席を立ち始めロビーへと出ていく。

そんな姿を眺めながら私も行かないと、と思いつつもまだ席から動けずにいた。

私はまだこの舞台の余韻に浸っていたかったのだ。目を閉じ物語を振り返る。

舞台の物語は、女手一つで育てられた主人公と母親の絆を描いたドタバタ人情劇。

開始早々まさか主人公として受付美女が主人公として登場した時は思わず声が出そうになった。受付時よりも少しメイクを足しただけに見えたが、舞台に立つとさらに輝きが増しまるで別人のように感じた。

そして、もう一人の主人公でもあり、受付美女の母親を演じていたのは前説で心を奪われた東山さん。

この二人のやり取りがとにかくテンポよく、会話の中にちょうどいい笑いどころが用意されていて、それでいてわざとらしくなくスッと心に入っていく。

まるで本物の親子のやり取りを近くで盗み見ているような感覚で物語は進む。

そういえば、主人公の恋人役がもう一人の受付美男だったという事にも驚いた。先ほど受付で見た死んだ目はどこかへ消え失せ、このひねくれた私でも全力で応援したくなるような情熱に満ちた好青年がそこにはいた。

しかしそんな好青年も素敵だが個人的に私が最も心を奪われたのは母親の幼馴染。

飄々としていてつかみどころがないのに、彼が出てくるだけでぐっと場が引き締まる。

最後の母親へのプロポーズは大人の不器用さがつまった愛に溢れたシーンでは恋愛ドラマが苦手な私でもときめいていしまった。

四人ともほとんど舞台上からはけることもなく、派手な舞台転換もない。たった四人の会話劇。

けれども舞台の端から端まで余すことなく上手く使い、四人が繰り広げる言葉の応酬に一度も飽きる事はなかった。ただ夢中だった。

そして終演後には、登場人物全員に愛着が湧いて現実には存在もしない彼らの未来の幸せを願っている自分がいる。

あぁ。舞台って、こんなに凄いんだ。

斜に構えて馬鹿にしていた自分を殴ってやりたい。

ずっと乾ききっていた心が満たされたような不思議な感覚。

もっと、もっと、この四人を観ていたかった。ここから現実に戻るのが嫌だった。

と同時に私はどこか懐かしい感覚にも襲われていた。

なぜだろう。この感じ知っている。懐かしいと思うのは何故だろう。

そう、私は…私は、舞台の素晴らしさを本当は知っていたような、こんなに夢中になれるものだって知っていた気がする。大切な何かを、忘れていたような気がする。

でもそれが何かがわからない。舞台をみた幸福感。同時に襲い掛かる懐疑感。

そこまで私はこの舞台を観て興奮しているのだろうか。

わからない、わからないけれど舞台を生で感じて自分の中で何かが変わっていく気がする。

「あの、大丈夫ですか?」

溢れる何かに席を立てずにいた私へ声がかかる。

声をかけられハッと現実に戻ると、気が付けば周りの観劇客全ていなくなっている。しまった迷惑をかけてしまった、どのくらいここに居座ってしまっていたのだろう。

ふわふわとした夢心地の世界から一気に目が覚める。

声をかけて来たのはきっとスタッフの方だろう。

私は慌てて席から立ち声の主へ頭を下げる。

「すみません、ご迷惑をおかけしました。すぐに出ます!」

私は恥ずかしくなって、そのまま目も合わせられず頭を上げきる事もなくその場から逃げるよう帰り支度をする。

するとそんな私へ一枚の可愛いピンクのハンカチが差し出される。

「え?」

「よかったらどうぞ、使ってください」

「えっと…」

状況が理解できずにハンカチをまじまじと見つめてしまう。

「あ、すみません、驚かせて…でもなんだか苦しそうにずっと泣いていらっしゃったから」

苦しそうに、泣く?

泣くって何?それは、私が?

本当だ。自分の頬に手をあてると濡れているのがわかる。

私いつから泣いていたんだろう。やっと気が付く。そう、私はずっと涙を流していたようだ。

その涙はいつも偽って流す涙ではなくて、自然と気が付かぬうちに溢れ出たもの。

どうして、こんなもの、流しているんだろう。

自分でも何が起こっているのかわからない。

そしてさらに、この声を聞いていると答えが出なかったあの懐かしく幸せな気持ちになっていく。私はそこで初めて声の主へ視線を向ける。

するとそこには受付美女とはまた違う儚げな美しさを持った女性が立っていた。

女性を見た瞬間、心の奥が急に締め付けられていく。

言葉に出来ない熱い何かを感じる。

いったい、この気持ちはなんなの!?

無言で固まってしまった私をみて女性は優しく言葉をかけてくれる。

「最初は感動してくださって泣いてらっしゃるのかと少し様子を見ていたんですが、ちょっとこれは違うと感じて…もしかしたら体調が優れないのかとも思って…」

「あ、私…あの…すみません。その…どこか悪いとかじゃなくて…」

駄目だ。言葉が出てこない。何か、言わなきゃ。

女性は心配そうにこちらを伺っている。これは、営業とかではなくて、本当に心の底から心配そうしてくれている顔だ。

そう、彼女は…この方は誰に対しても本当にいつもお優しくて…。

…あれ、待って、今、何を思った?

でも、知っている。私。この表情。そして、ずっと会いたかった。

その瞬間、目の前が一瞬にして真っ暗になり一気に全身の力が抜ける。

頭に強烈な痛みが襲う。その場に立っていられず私は抱かれるような形で倒れ込む。

「嘘!?大丈夫ですか!?顔色真っ青!…ねぇ誰か来て!」

近くにいるはずなのに、声が遠く感じる。

見ず知らずの私を必死に抱きとめてくれている事で感じる温もり。

強烈な痛みが少しずつ和らいでいくと同時に蘇ってくる大切なもの。

恐らく現実では数秒の出来事、でも私にとっては長く、長く感じたこの時。

そうか。私は、そうだったのか。

自分の中で歯車がかみ合うように全てが動き出す。

痛みが消え、視界が晴れた時、私は努めて冷静に応えた。

「…すみません、一瞬立ち眩みがしただけです。申し訳ありません、抱きかかってしまって…でも、もう大丈夫です」

本当はもっと彼女の温もりを感じていたかったが、今はそうはいかない。

私はそっと彼女から離れ頭を下げる。

「でも」

あぁ、そんな心配そうになさらないで。私は、もう、本当に大丈夫。

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「だけど…」

「ご親切にして下さって、ありがとうございます」

「…本当に、平気?もう少し休んでいった方が…」

「章さん!お客様大丈夫ですか!?」

彼女の呼びかけでこちらへ駆けつけてくれたのは受付の美男子さんだった。

舞台から降りると、やはり死んだ目に戻っている。そして、この方は、章さんといお名前なのか。

「すみません。お騒がせして。本当に、すみませんでした。ご迷惑なのですぐにここからでます。本当にすみませんでした。あの皆さんお芝居素敵でした。また体調が万全の時に観に来ます」

私は二人に反応の隙を与えないように、急いでロビーへ出た。他の観劇客はもう全て帰っており出演者の皆さんとスタッフさん総出で見送られる形になってしまった。全員に改めて頭を下げ私は勢いよく階段を上りその場から逃げるように立ち去った。

「章さん、やはり追いかけましょうか?心配ですし…」

「…あの子…途中からお芝居してた…」

「はい?」

「急に、お芝居を始めたの」





とにかく私は走った。とにかく劇場から離れたくて、ただ走った。

体力の限界が来るまで。走り続けた。

そして心の中で叫び続けた。

章さん。章さん。章さん。あきらさん。あきらさん。アキラサン…!!!

もう走れない。体力の限界に達しその場にへたり込む。

そして息も絶え絶えの中やっと言いたかった名前を口にする。

「…フゥーシェ様…」

その名前をつぶやいた瞬間、目から堪えていたものが溢れてくる。止まらない。止まるわけがない。だってやっと、やっと会えたのだから。自分の命よりも何よりも大切な、大切な人と平和な世で…!

思い出したのだ、あの時、全てを。

メロニア=リックとして、生きていた時の事を。




私が小川夕日として生を受ける前、この世界とは違うどこかの世界でメロニア=リックとして生きていた。いわゆる前世というやつだ。

そしてメロニアは自分の命よりも大切な主に仕えていた。

それがフゥーシェ=ホーリー様。現世では、章さん、というらしい。

メロニアが生きていた世界はいわゆる王道RPGよろしくの世界でいわゆる闇の勢力、魔王と呼ばれる存在がその世界を自分のものにしようとしており、勇者一行が魔王討伐の旅に出ていた。

しかし魔王討伐には聖剣と呼ばれる特別な武器が必要不可欠で、その聖剣はフゥーシェ様の持つ光の力がなければ完成しなかった。もちろん魔王だって黙って聖剣を作らせるわけもなく、鍵となるフゥーシェ様を亡き者にしようとを全勢力を送り込んだ。

結果、戦況は絶望。

誰もが全てを諦めたその時、フゥーシェ様の剣であり恋人でもいらっしゃるホーリー家騎士団長エリットン=ロイ様の命を賭した活躍により活路は生み出される事となった。そして多くの犠牲は出たものの、無事にフゥーシェ様のお力で聖剣が誕生し魔王は無事打ち果たされた…と信じている。

というのもメロニアもエリットン様が果てた直後にフゥーシェ様をかばい、それが致命傷となり戦いの結末を見る事もなく命を落とした。

その後私は、遥かな時間と世界線を越えて今こうして小川夕日として生きている。

…いや、改めて見ると本当に、あり得ない話をしているな、私。

良い舞台と嘘みたいな美男美女を観てテンションがおかしくなって妄想でもしているんじゃないか、と思ってもみたくなる。

だって、本当にこんな事ってあるのだろうか。自分自身の事が信じられない。

だけど、この気持ちは、記憶は、偽りじゃない、空想のものじゃない。

目をつぶれば脳裏に焼き付くあの日の記憶。

無我夢中でただフゥーシェ様を守るために敵の凶刃に飛び込んだあの時。

最後に写るフゥーシェ様の大粒の涙。

何度も私の名を呼んでくださった。それだけでもう、十分だった。

そう、この記憶は嘘じゃない。

私は確かにメロニア=リックだったのだ。

そして、今日、奇跡が起きたのだ。

今世でも、大切なあの方に、フゥーシェ様に会えたという奇跡。

何もお変わりなく、慈愛に満ちた瞳、儚げで凛とした美しいお姿、優しい御声。

間違いない、フゥーシェ様を私が間違えるなどありえない。

あぁ、なんという、もう二度とお会いすることが出来ないと思っていたのに、こんなに幸せな事はない。

今までの意味もないくだらない空虚な小川夕日としての人生はこの日のためにあったのだろう。

それにしても何よりも嬉しいのはこの平和な世でフゥーシェ様が芝居…演劇に触れて生きてらっしゃるという事。あの劇団のスタッフなのだろうか?関係者なのだろうか?それはわからないが、何にせよ、ここまで嬉しい事はない。

そして、素晴らしい芝居、舞台をみて私が記憶を取り戻したのも合点がいく。

私とフゥーシェ様にとって演劇というものはなくてはならないものだったから。

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